コロナ禍に、まるで収まる気配がない。いつ収束するのか。飲食店の苦境はどこまで続くのか。東京オリンピック・パラリンピックの開催は難しいかもしれない。と、新型コロナウィルス感染拡大を報じるニュースに触れるたび思う。この原稿を書いている時点で累計感染者は14万2,818人。第3波の勢いは強く、東京では新規感染者が500人を超え、今日(11月27日)は570人、全国では2,531人だった。亡くなった方は、これまでに2,035人にのぼっている。
コロナ関連の報道を見聞きするたび、あるいは、こうして「コロナ禍」を口にするたび、同時に「交通事故」を頭に浮かべるのは、たぶん仕事柄なのだろう。
遡ること39年前、1981年(昭和56年)に交通事故で亡くなった人は8,719人もいたが、それでも、これは、ピーク時から比べれば半減した数だった。その後、事故死者は再び増加に転じてしまい、第二次交通戦争と呼ばれた時期の1992年(平成4年)には1万1,452人を記録したのだった。雑誌媒体だった『シグナル』で本連載「クルマは今日も走っている」が始まったのは翌年のことである。1993年4月号だった。あれから27年と8カ月、交通事故は、2005年(平成17年)あたりから、死亡事故だけでなく交通事故そのものが減少傾向を続けてきて、2019年(令和元年)の事故死者は3,215人にまで減少した。
まさに劇的な減少傾向なものだから、本項で交通事故を語るとき、近ごろでは「劇的な減少」を常套句のようにして書いている。けれど、なのである。一連のコロナ禍と重ね合わせてみると、いかに劇的であったとしても、交通事故による負傷者46万人、死者3千人は、おそろしく多いと言うほかなく、ましてや連載を開始した当時の死者1万1千人台など、途方もなくとんでもない数だったのだとわかろうというものだ。
その「途方もなくとんでもない時代」に書いた1回目の記事は、ダンプカーの過積載問題だった。いまでこそ定量積みが一般化したダンプカーだが、あの頃は、10tが定量の大型ダンプに30tもの砂利や砕石を積むのは珍しくもなく、なかには40tも積む「一発屋軍団」を自称する集団まであった。背景にあったのは「過積載しなければ食っていけない構造」だった。大きな社会問題となっていた過積載。ちょうど長期取材をしていた最中でもあり、連載の初っぱなに相応しいテーマだと考えたのだった。
2回目は二輪車事故をテーマにしている。下火になりかけていたとはいえオートバイブームは続いていた時期、二輪車(原付を含む)が第一当事者になった事故は交通事故全体の1割ほどを占め、事故死者数は2,000人を超えていた。しかもタイミング悪く、愛用のオートバイで事務所に向かう途中、危うく「事故の一方の当事者」になりかけたものだから、これは書かねば、と考えたのだ。
3回目に取りあげたのは、バブル崩壊後の、営業成績が低迷するタクシーだった。移動手段の多様化が進んでタクシーの利用者数が徐々に減少していたところに襲った景気の低迷。客離れに難儀したタクシー運転手は、客を乗せるためには“なんでもあり”で、結果、運転マナーの悪さが目立つようになっていた。記事の最後を締めたのは、次の記述である。「『タクシーの近くを呑気に走っていては危険』な状況が揃っているということを忘れないようにしたい」。
そして5回目のテーマは自転車。「それでも自転車は飛びだしてきた」のタイトルで、ママチャリとの危機一髪を書いた。一車線道路の、信号機がある交差点での出来事である。前方の信号は「青」。その交差点を直進するボクのクルマの速度は、同乗者が「時速10キロもでていなかった」と話すほど低かった。それが幸いしたのだけれど、交差点にさしかかった、まさにそのとき、交差道路から信号無視のママチャリが飛びだしてきた。危ないッ、と、急ブレーキ。危機一髪で衝突を免れている。「信号を守りスピードは控え目、状況判断も正しかった。しかし、それでも自転車は私の前に飛びだしてきた。『自分だけは事故を起こさない』。そんなことはあり得ない」と自戒を込めて書いた。
ダンプカーの過積載問題は、一連の対策が講じられたことによって解決への道を辿り、現在に至っている。二輪車乗車中の事故死者(2019年)は510人。連載開始時期の2,000人台から500人台へと4分の1にまで減った背景はどうあれ、「多発する二輪車事故」が過去の話になったのに違いはない。
大きな社会問題が、こうして確実に小さくなった分野がある一方、タクシーや自転車をめぐるトラブルは、微妙に、あるいは大きく、事情を変えていまも続いている。 前者は、2002年の規制緩和を境に起こった過当競争、降って湧いたリーマンショック、百年にいちどの不況といわれる時代に、結果として現れた事故多発。業界の自主減車などで持ち直した売上げ。ところが、突然のコロナ禍。時代に翻弄されっぱなしのタクシーの安心・安全は一筋縄でいきそうにない。自転車問題は複雑化を増した。「自転車=ママチャリ」の時代はとうに過ぎ、同じ「自転車」という名の別物が、混合交通社会に登場してきたと本項では何度も書いた。近ごろではウーバーイーツ。配送手段はほとんどが自転車で、ところが、彼らの(一部の)乗りっぷりときたら、「自転車乗り」の意識が薄いときている。複雑化が増すばかりで効果的な対策がままならない自転車である。
27年前をあらためて振り返り、それをいまと比べてみると、交通安全をめぐる状況はずいぶん変わったな、と実感する。その変わりようは、「より安全」に向いた、である。その証が「事故減少」という数字が示す事実なのだ。けれど、一方で、昔もいまも“相変わらず”がある。交通事故(交通問題)を報じるメディアの姿勢だ。
本項で「交通事故を感情で語るのは誤りだ」と何度となく書いてきた。感情で語るそれは、難解な問題を、いともたやすく、しかも、すっきりと解決してくれる。けれど、それは誤りだ、と。たとえば「高齢ドライバー」と「事故」。ブレーキとアクセルの踏み間違いが原因と思われる事故を報じるメディアは、決まって、運転していたのが高齢者であったのを強調的に伝えている印象がある。同種の事故は年間に2万件も発生していて、年代別に見ると高齢者による事故は確かに突出して多い。けれど同時に、若年ドライバーも突出して多いのにもかかわらず、だ。
27年経っても、交通安全、交通問題を語るメディア(の多く)が相変わらずで頼りない。そこが気がかりだが、長く続けさせていただいた本連載は、今回で終了である。
ありがとうございました。 矢貫 隆
(2020年11月)
矢貫隆(やぬき・たかし)
1951年栃木県生まれ。龍谷大学経営学部卒。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、ノンフィクション作家に。国際救命救急協会理事。交通問題、救急医療問題を中心にジャーナリスト活動を展開。『自殺─生き残りの証言』(文藝春秋)、『交通殺人』(文藝春秋)、『クイールを育てた訓練士』(文藝春秋)、『通信簿はオール1』(洋泉社)、『救えたはずの命─救命救急センターの10000時間』(平凡社)など、著書多数。