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かつて東京オリンピックが開催された頃、当時の流行語に「神風タクシー」というのがありました。これは、日本へやってきた外国人がタクシーに乗り、走り出した途端、あまりにその運転が乱暴に映ったのか「Oh, No! Stop!」といって車を降りてしまった…というエピソードから、「神風タクシー」と称されるようになったわけです。太平洋戦争中、アメリカ軍に怖れられた「神風特攻隊」からイメージしたのでしょう。あの頃のタクシードライバーは、労働条件も悪く、とにもかくにも走らなければ日銭にありつけなかったことから、お客の争奪でかなり乱暴な運転が横行していたのです。
あれから半世紀以上たった今、交通環境もガラリと変化しました。ハード面である安全施設も充実し、信号機はこれ以上つけられないところまできていますし、交差点に右折専用レーンが設けられれば、それまでは先を争って右折をしていた人々も、順序よく右折をするようになりました。つまり、ルールに従って行動することのメリットを体感することによって人々は行動を変容させてきたわけで、いわゆる「運転マナー」を向上させる要因ともなっているのでしょう。
ドイツでは、道路交通法の基本原則として、「相互に相手に対する配慮を必要とすること、他人を傷つけたり、脅かす行動を決してとってはならない」という極めて厳しい表現をしています。日本では「車間距離を詰めて走ると前の車に追突するから危険だ。だから車間距離を空けよ」といった指導をしますが、これに対しドイツでは「相手を脅かす行動であるから避けよ」といった指導をします。これはある意味、ルール以前の問題であり、運転以前の社会教育でもあるわけです。
これはアメリカでの運転で感じることですが、合流の際に彼らは日本ほど頻繁にウインカーを使わない傾向があります。日本人には慣れないことなのでいささか慌てますが、これは「譲れ」、英語でいう「yield」というものが徹底しているため、あえてウインカーを出す必要がない―という交通文化の違いによるものなのでしょう。交通空間をお互いにシェアする、分かち合うというムードが長年にわたって培われた結果だといえます。「他人の持つ権利を侵さない」という気持ちが育っていない中では、単に「譲り合いの精神」といったところで、それを定着させるのはなかなか難しいのではないでしょうか。
「運転マナーを守りましょう」といったポスターを街でよく見かけますが、この「マナー」というものをどう考えたらよいでしょうか。
交通ルールというものは「規則」に相当し、その上に「規範」というものがあるわけで、これはいわば、その社会の良きモデルとなるべき行動などの基準をいいます。それに対し「マナー」というのは、置かれた交通空間において、歩行者や自転車を含む他の交通参加者を不快にさせない行動の基準とでもいうことができるでしょう。相手に対する配慮といった自発的な行動、気遣いとでもいうもので、これは車の運転に限ったことではなく、日常生活においても、エスカレータの順番待ちをしている人の流れに割り込まない、傘が他人に当たらないよう、すれ違うときに少し傾ける―といった配慮もマナーといえるでしょう。
警察庁の監修した運転者教育のハンドブックを見ると、運転者教育の際には「道交法に定められた交通ルールや交通マナーについて教えることになりますが、これらのルールやマナーをただ守るようにと指導するのではなく、なぜそのようなルールがあるのか、なぜ、マナーに配慮しなければならないかといった理由を示し、ルールやマナーには交通の秩序を納得し事故を防止する役割があることを理解させておく必要があります」と記されています。これは、ああしろ、こうしろといった指導によって相手を説得するのではなく、相手が理解し納得して初めて、やってみよう―という行動の変容につながることを意味しています。
車の運転とは協力的(cooperative)であるよりも競争的(competitive)になりがちである―という言葉がありますが、これは運転マナーを左右するキーワードにもなっています。交通ルールの基本とは、道路上における自分の存在や行為が、他の人に与える影響を常に頭において行動することだ―とよく言われますが、この感覚が最近薄れてきているのでは…と懸念される事象も起きています。「あおり運転」もその一つですが、これは明らかに運転マナーの領域を逸脱しており、むしろ犯罪に近いものと感じます。こうした「あおり運転」が日常茶飯事になってきているという事実をどう受け止めるべきでしょうか。
コロナ禍の中で人々の気持ちがすさんできたことも無関係ではないでしょう。ほとんどの人が、コロナの影響でマスクを日常的にするようになっています。マスクで人の表情が見えないため、相手の気持ちを捉えるのに疑心暗鬼になっている部分もあります。
マスクで隠された表情と同様に、車という閉ざされた空間で運転している人の心理を読み取ることも、ほとんど不可能に近いでしょう。その人に協調性があるかないか、衝動性の強い人かどうかはわかりません。こうした環境においては、相手に不快感を与えるような運転行動を常に慎むことが、相手に「あおり運転」のような異常行動をさせないために必要なのかもしれません。相手との摩擦を最小限にとどめるためにも、適切な合図などで他の車に自分の近未来の行動を予告することが重要といえるでしょう。
(2020年11月)
1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。