★前回の本「雑記」でも紹介しましたが、今年2020年4月に道路交通法の一部改正が施行されます。道路交通法は60年も前の1960年(昭和35年)に初めて公布・施行されて以来、ほぼ毎年のように一部改正が繰り返し行われてきましたが、この4月の一部改正は、その数多くの過去の一部改正に比べても最も重要で、かつ、まったく次元の異なる画期的な大改正であると「雑記子」は認識しています。というのは、この一部改正は「自動運転技術の実用化に対応するため」の一部改正で、「自動運転技術の実用化」というのは、つまり、自動運転(車)の公道での走行を可能にするためのものであり、運転者が介在しないで自動走行する車が道路交通に参入してくることを意味するものだからです。
★改めて言うまでもなく、これまで自動車というのは、運転者がハンドルやブレーキ等を操作して走行するもの―というのが大前提の根源的な認識でしたが、この度の一部改正はその根源的大前提を覆し、運転者が介在しないで自動走行システムにより自動的に走行する自動運転(車)の公道走行を可能にするためのものであり、その点で、これまでの一部改正とはまったく次元の異なる画期的な大改正であると認識するわけです。ただし、この度の一部改正によって公道走行が可能になるのは、あくまでも、いわゆる「レベル3」の自動運転(車)で、運転席があり、運転者がその席に座っており、一定の条件下のみで自動運転システムに運転を委ねることができるレベルのもので、運転者がまったく介在しない、いわゆる「レベル4」以上の「完全自動運転(車)」の公道走行が即時に可能になるわけではありません。ただ、「レベル4」以上の完全自動運転(車)の公道走行の実現もそう遠い先の話ではなく、政府(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部、未来投資会議)は、2020年をめどに過疎地などで「レベル4」の自動運転(車)による「移動サービス」を実現させる方針を明らかにしていますので、その方針を堅持する限り、その実現に必要不可欠な道路交通法等関連法体系の抜本的改革も近々の課題になることは必定と思います。
★ただし、そうした政府の方針・めどがその思惑通り進捗するのかといえば、必ずしもそうではありません。前回の本「雑記」でも紹介しましたが、今年1月11日の日本経済新聞に掲載されたトヨタ自動車の副社長級エグゼクティブ・フェローのギル・プラット氏へのインタビュー記事によると、自動運転システムの核ともいえる人工知能(AI)が自動運転のために行う要素として「認識」「予測」「判断」の3つがありますが、「認識」や「判断」はAIの得意分野ですが、人の脳と同様にAIに「予測」させることはそれほど簡単ではないことが最近、分かってきて、業界全体では完全自動運転車の導入が当初見通しよりも遅れる可能性があるとしています。また、完全自動運転の実現のためには「社会受容性」の確保も大きな課題だとしています。しかし、その一方で「課題は残るが完全自動運転車の時代は必ず来る」とも言い切っています。つまり、「レベル4」以上の完全自動運転(車)の公道走行の実現は、政府の思惑通りには進捗しないとしても、そう遠くはない将来、完全自動車の時代は必ず来ることは確かだということには「雑記子」も大いに同意します。だからこそ、現行の道路交通法等関連法体系の根源的大前提、すなわち「自動車とは、運転者がハンドルやブレーキ等を操作して走行するもの」という認識を根本的に覆す関連法体系、なかでも市民・ユーザーに最も身近な関連法である道路交通法の抜本的改革は、「社会受容性」を確保していくためにも避けては通れない緊急的大課題であると言わざるを得ないのです。
★にもかかわらず、そうした道路交通法等関連法体系の抜本的な大改革に関する論議・検討等が進捗しているというような情報は、少なくとも「雑記子」には見聞きされていません。運転者がまったく介在しない完全自動運転車の時代は、そう遠くない将来、必ず来るはずであり、政府自らはその一部実現を2020年の今年をめどに掲げているにもかかわらずです。確かに、先にも紹介したように、この4月には、「自動運転技術の実用化に対応するための」道路交通法の一部改正が施行されることになっています。しかし、その一部改正は、先にも述べたように、あくまでも「レベル3」の、いわゆる「条件付き自動運転(車)」の公道走行を可能にするためのものであり、「レベル4」以上の、運転者がまったく介在しない「完全自動運転(車)」の公道走行はまだ「蚊帳の外」です。ですから、少なくとも政府自らは2020年をめどに過疎地などで「レベル4」の自動運転(車)による「移動サービス」を実現させる方針を明らかにしているにもかかわらず、既にその2020年を迎えているこの時点に至ってもまだ、「レベル4」以上の、運転者がまったく介在しない「完全自動運転(車)」の公道走行を可能にするための法的整備・作業はほとんど見聞きされていないこの事態をすこぶる奇異に感じるのです。「レベル4」以上の、運転者がまったく介在しない「完全自動運転(車)」の公道走行を可能にするためには、この4月に施行予定の道路交通法の一部改正のように、「自動運行装置」という新たな定義を設け、「運転」の定義に「(自動運行装置を使用する場合を含む)」との一文を付け加えることで、いわば、「運転」の定義を強引に拡大解釈させて当面の急場をしのぐというような一部改正による安直な対応策では、到底対処できません。なにせ、運転者がまったく介在しない「完全自動運転(車)」というのは、運転者がハンドルやブレーキ等を操作して走行する―というこれまでの道路交通法の大前提になっている自動車の定義・認識等を根本的に覆すものだからです。それ故に、道路交通法も、これまでの「クルマ社会」とはまったく次元が異なる「新たなクルマ社会」に対応し得るものに生まれ変わらなければならない、そんな大転換期を迎えているのです。
★そもそも、現行・道路交通法は60年も前の1960年(昭和35年)に初めて公布・施行されたもので、自動運転(車)の実用化という次元が異なるまったく新たな課題を突きつけられるまでもなく、半世紀以上にも及ぶ目まぐるしく、かつ、急速に変遷してきた時代の流れの中で、「クルマ社会」や道路交通の実態も目まぐるしく、かつ、急速に変遷し、半世紀以上も前の状況下で公布・施行された道路交通法は道路交通の実態と次々に齟齬をきたし、そのたびに一部改正という、いわば「つぎはぎ繕い」ともいえる補修をしてどうにかその場をしのいできましたが、その「つぎはぎ繕い」的補修ももはや限界に達し、なかには、補修もされず、旧時代の遺物として形骸化しているにもかかわらず放置されている部分もあり、それが、いわゆる「順法意識」の低下を招く大きな要因になっていると思われるものも少なくありません。この点からしても、いつまでも「つぎはぎ繕い」だらけの古着を着続けるというのは問題こそあれ、とても王道だとは思われません。もういい加減、「つぎはぎ繕い」だらけの古着を潔く脱ぎ捨て、労を惜しまず、新しい時代にふさわしい新たな道路交通法を調達すべき刻限に達しているのです。
★ちなみに、この「雑記」でも以前に何度か取り上げましたが、旧時代の遺物として形骸化しているにもかかわらず放置されているため、いわゆる「順法意識」の低下を招く大きな要因になっていると思われる現行・道路交通法の規定のいくつかを改めて紹介してみましょう。まず、旧時代の遺物として形骸化し、実態と著しく相反している道路交通法上の用語の典型として「原動機付自転車」についての問題点を紹介しておきましょう。「原動機付自転車」、一般的に「原付」と称されて、その運転免許取得要件も他に比べれば安易なものであるため、その利用者も多く、現在、全国で530万台余りも保有され、手軽な乗り物として愛用されていますが、道路交通法上では、あたかも「自転車」の一種と思われる用語で定義され、「自動車」、「自転車等の軽車両」とは別の「車両」として区分されていますが、現実に走り回っている「原付」は、その姿形からしても、明らかに小型の自動二輪車の一種であり、「自転車」の一種と思われる用語は極めて不適切だと言わざるを得ません。確かに、「原動機付自転車」が定義された半世紀以上も前の時点では、原動機付「自転車」と呼ぶにふさわしいもの、つまり、「自転車」に原動機を取り付けた「車両」が走り回っていましたので、それを規制するための定義づけとして原動機付「自転車」という区分は妥当性があるものでした。しかし、事態は急速に変遷し、「原動機付自転車」の定義の範中に収まる小型の自動二輪車が開発・市販され、瞬く間にそれが普及し、「自転車」に原動機を取り付けた「車両」は事実上消滅してしまったにもかかわらず、「自転車」の一種と思われる「原動機付自転車」という用語だけが生き残された―というのが経緯なのですが、こうした経緯からしても「原動機付自転車」という用語や区分の妥当性は、とうに抜本的に見直すべきものだと思いますが、なぜか、それが放置されてきた、そのことに大いなる疑義を持つのです。
★次に、半世紀以上も前の旧時代に定められた規定が、目まぐるしく、かつ、急速に変遷してきた道路交通の実態と大きな齟齬と弊害をもたらしていると思う第二の事例として「自転車」を取り上げてみようと思います。周知のように、「自転車」は、現行・道路交通法の下では、「車両」の区分のなかで「自動車」、「原動機付自転車」と並ぶ「軽車両」の一種として位置づけられているため、その通行方法は車道の左側端に寄って通行することが原則になっています。そのためか、自転車と自動車の衝突事故が増加し、車両相互の交通事故の多発類型の一つにもなったことなどから、一定の条件下での「路側帯」通行を認めたり、「自転車の歩道通行可」の歩道での通行を認めたり、あるいはまた、13歳未満の子どもおよび70歳以上の高齢者、または身体障害者の自転車での歩道通行を認めるという、いわば、「通行区分」に反する例外条項を一部改正によって追加新設してきました。その結果、運転免許を必要としないため、「交通ルール等」を学ぶ公的な機会を持たない自転車利用者の圧倒的多数の「自転車の交通ルール」に関する理解・認識に混乱を招き、あげく、その順法意識の低下を招き、いわゆる無法運転も増加し、歩道通行の自転車が歩行者に衝突して死傷させる事故が増加するという憂慮すべき事態を招来するに至りました。このような状況を受けて、警察では「自転車は車両、車道(の左端寄り)通行」という道路交通法の原則規定を改めて強調するキャンペーンを展開したり、悪質違反者の取締りを強化するとしたりしていますが、自らの安全確保こそが最優先である自転車利用者の圧倒的多数は長年にわたって許容されてきた「歩道通行」の慣行から脱しきれず、「歩道通行」が依然として大勢を占めているのが実情です。また、悪質違反者の取締りを強化すると言っても、運転免許を要しない自転車利用者には「反則金」の行政処分が適用できないため、たとえば、「信号無視」という違反で検挙されても、運転免許を有する自動車等のドライバーは原則「反則金」という行政処分で済むのに対して、自転車利用者はいきなり前科一犯となる罰則の適用を受けるという大きな矛盾があるためもあってか、大々的な取締りは行われていないのが実態です。
★その一方で、最も身近で、手軽な乗り物である自転車は急速に普及し、自動車(自動二輪と原付を除く)と同程度の8,000万台ほども保有されており、また、エコロジー(環境保護)や健康維持増進の観点からもその積極的活用が推奨され、政府はこれを促進するため、2017年5月に「自転車活用推進法」を施行し、2018年6月には「自転車活用推進計画」を策定・公表していますが、道路交通の実態と大きな齟齬をきたしていることが少なくない現行・道路交通法上の自転車にかかわる諸規定が生きている限り、せっかくの「自転車活用推進法」も、それに基づく「自転車活用推進計画」も、結局は、所詮「絵に描いた餅」にすぎないものとなってしまうであろうと危惧しています。というのも、たとえば、「自転車活用推進計画」には、「自転車通行空間の計画的な整備の促進」が謳われています。しかし、現行の道路交通法には既に「自転車の通行の用に供するため、縁石線又はさくその他これに類する工作物によって区画された車道の部分」という「自転車道」の定義が明確に規定されているのです。にもかかわらず、「自転車活用推進計画」で改めて「自転車通行空間の計画的な整備の促進」を謳ったのは、本来、道路交通法の規定に基づいて敷設・整備されていなければならないはずの「自転車道」が事実上、ほとんど見当たらず、自転車の通行空間が確保されていない実態を政府自らが認めたことになると言っても過言ではないでしょう。したがって、真の問題点は、なぜ、その定義等が明確に規定されている「自転車道」の敷設・整備が為されてこなかったのか・・・を質すことであり、それなくして、改めて「自転車通行空間の計画的な整備の促進」を謳うだけでは同じ過ちを繰り返すことになるだけだと思うのです。「自転車道」の敷設・整備は、なぜ、事実上置き去りにされてきたのか、その問題の根源は、道路交通法上、自転車は「車両」の一種である「軽車両」の一つにすぎず、あくまでも「自動車の仲間」であるというその地位規定にあると思います。つまり、「自動車の仲間」である限り、「車道(の左側端)通行」が大原則ですから、自転車専用の通行空間となる「自転車道」の敷設・整備は財政的観点からしても二の次、三の次圧化になるのは必定で、結果、「自転車道」の敷設・整備が事実上置き去りにされてきた、それがことの真相ではないかと思っています。
★したがって、自転車の「通行空間」、というよりも「自転車道」というべきだと思いますが、それを、車道や歩道並みに敷設・整備していくためには、自転車を「自動車の仲間」とするこれまでの枠組みから解き放ち、自動車や歩行者と併存する道路交通パートナーとして独立した「市民権」を与えることが必須の条件になると考えます。すなわち、エコロジー(環境保護)や健康維持増進の観点からしても、自転車の積極的活用を促進すべきだと思いますが、そのためには、まず、歩行者、自転車、自動車、この三者を主体とする道路交通の構図を構想することが必要不可欠で、そのためにも、半世紀以上も前に制定・施行され、目まぐるしく、かつ、急速に変遷してきた時代の流れに対処するため、一部改正という「つぎはぎ繕い」を繰り返し、「つぎはぎ繕い」だらけの古着(現行・道路交通法)を潔く脱ぎ捨て、労を惜しまず、新しい時代にふさわしい新たな道路交通法を調達すべきであり、その「調達期限」は目前に迫っていると切に思うのです。
★もう一つ、自動運転(車)の実用化という新たな課題を持ち出すまでもなく、半世紀以上も前に制定・施行され、道路交通の実態と大きな齟齬をきたしていると思う現行・道路交通法の問題点、その具体例の3つ目を記しておきましょう。それは、いわゆる「法定最高速度」です。周知のように、自動車等は道路交通標識等による最高速度の規制がない道路では政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならないとされており、この「政令で定める最高速度」というのが、いわゆる「法定最高速度」で、当初は普通乗用自動車と自動二輪車は時速60キロ、大型自動車や乗用以外の普通自動車は時速50キロ、原動機付自転車は時速30キロとなっていましたが、1992年(平成4年)11月施行の一部改正以降は自動車はすべて時速60キロとなっています。しかし、いわゆる「実勢速度」(大多数の車の実際の平均的速度)との大きな乖離が生じ、大多数のドライバーにとって「法定最高速度」、または、この「法定最高速度」を準拠として道路標識等によって指示される「規制最高速度」は「建て前」として形骸化し、ドライバーの順法意識の低下を助長する大きな要因にもなってきました。
★何度も繰り返して記していますが、現行の道路交通法が公布・施行されたのは半世紀以上も前の1960年(昭和35年)で、当時の道路状況は、幹線国道といえども未舗装路が圧倒的に多く、特に地方の道路のほとんどが未舗装の土・砂利道で、歩車道の分離もほとんどなく、信号機もほとんど見られず、その上、自動車のエンジン性能等もまだ稚拙で、「エンスト」やタイヤのパンク等の故障も日常茶飯事でした。そんな状況の下でも「法定最高速度」は時速60キロでした(※当初は、普通乗用自動車と自動二輪車のみが時速60キロ、他は時速50キロなどでした・・・)。その後、全国の道路の整備・改善が急速に促進され、今では、国道、都道府県道はもちろん、市町村道や地方の農道に至るまで、そのほとんどが舗装路となり、歩車道の分離や信号機等の安全施設整備も拡充し、かつ、自動車の走行性能等も飛躍的にその質が向上し、海外でも確固たる信頼を得るほどの優れたものになっており、道路交通法の公布・施行当時の道路交通状況とは格段にその質が向上しています。にもかかわらず、公布・施行当時に定められた「法定最高速度」が見直されることなく金科玉条のものとして生き続けているのは、どう考えても論理的で妥当性があることとは思えません。
★こうした点からしても、自動運転(車)の実用化という新たな課題を持ち出すまでもなく、半世紀以上も前に制定・施行された道路交通法は、道路交通の実態と大きな齟齬をきたしている部分が少なくないことは明らかで、加速度的に様変わりし、半世紀以上も前の公布・施行当初とは異質の「クルマ社会」になっており、なおかつ、これまでの「クルマ社会」とは次元が異なる新たな「クルマ社会」に突入しつつある時代にふさわしい新たな道路交通法を制定すべく、その労を惜しまず、かつ、市民・ユーザーを巻き込み、つまり、「社会受容性」を確保しつつ、そのための作業に早急に着手すべきであると切に思うのです。(2020年2月25日)