うっかり方向指示器を出さずに隣の車線に移ろうとしたら、クルマに、ぐッ、とばかり引き戻されてびっくりした。
なに、これ!?
「このクルマ、レーンキープアシスト機能がついています」
助手席に同乗した自動車雑誌の編集者が教えてくれた。指示器を出さないと、クルマが「車線逸脱」と判断し、運転手の意思とは関係なく、ぐッ、と元の位置に引き戻そうとする力がハンドルに加わるのだ。走行状態をカメラで確認し、コンピュータが車線逸脱を防ぐ動きを指示するのだという。この種の、最新の安全を備えたクルマを運転するたびに実感するのは、ここ数年の、自動運転につながる運転アシスト技術の進歩ぶりである。
余談だけれど、老舗の自動車雑誌で、ありがたいことに連載ページを持たせてもらっている。少しでもクルマに関わる話なら何でもありのページで、ときには交通問題を書くこともあるけれど、多くはのんきな話が中心である。フランス映画で観たイタリアの高級車のエンジン音にほれ込み、あれに乗りたいとわがままを言ったら、担当編集者が希望をかなえてくれた。「あのクルマで漁港の市場に美味い魚を食べに行きましょう」という具合だった。毎年、3月11日が近づくと、ランボルギーニだとかの、いわゆるスーパーカーで三陸沿岸の被災地を訪ねる真面目な企画も、やはり、この連載のおかげで実現させていただいている。
自動車雑誌での仕事ゆえに、運転させていただくクルマが、国産車・輸入車の別なく、どれもこれも最新のモデル、自動車メーカーの広報車である。そして、乗るたびに、それが楽しいか楽しくないかは別として、自動車が、少しずつ自動運転に近づいている現実を感じるのである。
かつて潜入取材を続けたタクシー会社に顔を出すと、旧知の運転手たちが顔をそろえていて、彼らと話すうちに自動運転のタクシーが話題になった。それが登場したら、職業としてのタクシー運転手は消えてなくなるのかという、遠い将来の疑問である。
彼らが何を考え、何を言うのかに興味を覚えボクは聞き役に徹したのだけれど、話が行き着いたのは、運転手の未来ではなく、意外にも自動運転による交通事故の心配だった。「機械には故障がつきものだから、事故が起こったらどうするんだ」と。
運転手たちは、居合わせた交通ジャーナリストの反応をいっせいにうかがったけれど、「どうなんだろうね」としかボクは答えていない。すると、高齢化が進むタクシー運転手のなかにあっては“若手”の部類に入る、40歳代の男が言った。
「事故は起こると思うけど、それでも、交通事故はいまよりも圧倒的に減ると思う」
すかさず、何で!? の声が誰かから飛び、すると彼は、こう答えた。
「だって、機械が運転するんだよ。ヒューマンエラーが起きないじゃないか」
その場にいた運転手たちの何人が納得したかわからないけれど、かつての同僚の冷静な判断を聞いたボクは、黙ったまま、内心、彼に全面的に賛同していた。
前方の障害物を検知してクルマが勝手に止まる衝突被害軽減ブレーキを搭載したクルマが登場したときは、このシステムが普及すれば、それによって防げる交通事故だけは確実に減少すると確信したものだった。
これで高速道路を走ってみてくれ、と、担当編集者がドイツ製の高級車を用意してくれたのは、それから少し後のことである。普及しだしたアダプティブクルーズコントロールシステムを搭載する最新モデルで、その機能を体験してほしいと広報車を借りだしてきてくれたのだった。新東名高速道路の三車線ある本線車道の真ん中を走りながら、手元のレバーでクルーズコントロールを100km/hにセットした。すると、最新の高級車は、あからさまな急加速とは異なる、不愉快さをまるで感じさせない快適な加速を始めた。スロットルペダルから足を離しているドライバーがこのときに味わうのは、見えない糸に引っ張られて加速していくような奇妙な体感である。90km/hあたりで先行の大型トラックに追いつき、あと50mくらいという位置で加速は静かに収まって先行車の速度に合わせて追従し始めた。では、追い越し、と、指示器を出すや、こんどはブザーが鳴って、右側車線を走ってくる後続車の接近を知らせてくれるのだった。
将来の自動運転につながる最新の運転支援システムの技術を体験するたびに思う。確かに、ヒューマンエラーを原因とする交通事故は激減していくのだろうな、と。
自動運転の技術レベルの定義は5段階あって、レベル1には、たとえば衝突被害軽減ブレーキシステム。ボクが新東名道で体験したクルーズコントロール等のシステムはレベル2で、一定の条件下で運転操作を自動で行うのがレベル3。テレビCMで、有名なミュージシャンがハンドルから両手を離してみせるシーンがあるけれど、あれなどはレベル3に近いはずだから、いま、多くの最新モデルが、レベル2と3の間くらいにあると考えていいのかもしれない。
愛読している東京新聞が『自動運転 反則金決まる』を大きく報じたのは、9月20日付けの夕刊で、だった。記事は、レベル3の自動運転を可能とする道交法の改正を前に、違反行為や罰則を規定した施行令を政府が閣議決定したと伝えるものだった。
記事には、こうある。
「渋滞中の高速道でハンドルから手を放した状態での走行が想定されており、政府は2020年をめどに実用化を目指している」
あまり遠くないかもしれない将来、たぶんボクらは、完全自動運転のクルマの存在を知ったり、あるいは目撃したり、もしかしたら乗る機会を得たりするのだろう。
タクシー会社のかつての同僚は、自動運転のタクシーが登場したら「急いでる客はいらいらするよな。ずっと制限速度を守って走るんだから」と笑った。笑えなかったのは、自動運転による交通事故の問題だった。
ヒューマンエラーはなくなっても、メカニズムの不具合が引き起こす交通事故の可能性は、もちろんある。そのとき、多くのメディアが、登場したばかりの自動運転の技術を「未熟だ」とか何とか批判するシーンが今から目に浮かぶ。では、ボクは、何を言うだろうと考え込んだ。
将来、まちがいなく実現する自動運転。それによる事故がどんなものか、想像がつくものもあるけれど、もしかすると、予想外の事故が起こるかもしれない。東京新聞の記事を読み終えたボクは、そのとき、ボクは冷静な判断のもとに、より正しい意見を言えるだろうかと考え込んでいた。
(2019年9月)
矢貫隆(やぬき・たかし)
1951年栃木県生まれ。龍谷大学経営学部卒。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、ノンフィクション作家に。国際救命救急協会理事。交通問題、救急医療問題を中心にジャーナリスト活動を展開。『自殺─生き残りの証言』(文藝春秋)、『交通殺人』(文藝春秋)、『クイールを育てた訓練士』(文藝春秋)、『通信簿はオール1』(洋泉社)、『救えたはずの命─救命救急センターの10000時間』(平凡社)など、著書多数。