• 会社概要
  • プライバシーポリシー
  • サイトマップ
  • よくあるご質問
  • 見積もり・お問い合わせ

SIGNAL 有限会社 シグナル

営業のご案内
  • 新商品のご案内
  • 商品一覧
  • 普及版 道路交通法冊子
  • 企業の交通事故防止にこの1冊
  • 危険予知トレーニング教材など(サンプル動画あり)
  • 交通安全講習講師の派遣

悪質商法や詐欺から消費者を守る啓発資料はこちら

お知らせ
2018年8月23日

ホームページの内容を一部リニューアルしました。トップページに掲載されていた「シグナル交通安全雑記」は、交通安全時評内でお読みいただけます。

最終更新日:2019年8月22日

買い物カゴの確認・お会計

  • ホーム>
  • 交通安全時評>
  • シグナル交通安全雑記
  • 【第126回】

交通安全時評

バックナンバーはこちら

zakki_no126.gif

この5月11日―20日、春の全国交通安全運動が実施されました。例年であれば、新入(園)学期に当たる4月上旬に行われるものですが、今年は、4月に「統一地方選挙」が実施されたことから5月に繰り延べ実施になったもので、4年に一度、こうしたことが繰り返されてきたことですから、既成の恒例行事と言えるでしょう。しかし、それにしても、4年に一度の変更なのですから、「運動」の始まり等を伝える新聞・テレビ等のニュースでは、多少は実施月変更についても触れてほしいものだと思うのですが、「雑記子」の知る限り、そのことに触れたニュースを見聞きしたことはありません。既成の恒例行事だからニュース価値がないとの判断の下であるならばまだしも、メディアの関係者が実施月変更に無関心・不知の結果なのだとすれば残念の極みです。

ただ、今年の春の全国交通安全運動は、その初日またはその前日等に、例年以上に保育園児の交通事故防止に関する運動行事等のニュースが注目的に多く取り上げられたのが特徴的でした。というのも、「運動」初日の3日前、5月8日に滋賀県大津市内の交差点歩道上で信号待ちをしていた保育園児らが交差点内で発生した右折車と直進車の衝突事故のはずみで飛び込んできた直進車に跳ね飛ばされて園児2名が死亡、1名が意識不明の重体、10名の園児と3名の保育士が重軽傷を負うという悲惨な交通事故が発生したことで、新聞・テレビ等では連日のように保育園児の交通事故防止の関連報道がなされていた矢先の「運動」実施であったからです。

特にテレビでは、「運動」初日に、全国各局で、それぞれ地元の保育園児(幼稚園児)を対象にして行われた交通安全教室の模様が比較的詳細に報じられたようですが、そのうち、「雑記子」は、NHK総合TVの全国ニュースと地元民放TV局の全国ネットニュースで報じられたその交通安全教室の模様を視聴しましたが、そのいずれもで強い苛立ちと失望を禁じ得ませんでした。強い苛立ちと失望を味わった、というのは園児たちに行われた交通安全指導、道路を横断する際の安全確認法の指導内容です。TV映像に映し出された指導内容を概要的に紹介すると、「横断する前に必ず立ち止まって、右を見て、左を見て、もう一度、右を見て、どちらからも車がやってこないことを確かめてから、手を上げて横断しましょう」というもので、TV映像では指導者と幼児ともども手を上げて横断している姿が象徴的に映し出されていました。「雑記子」が強い苛立ちと失望を覚えたのは、この「手を上げて横断する」という部分です。

念のため、大津市で発生したような悲惨な事故、つまり、交差点での車両相互の衝突事故のはずみで歩道に飛び込んできた車によって、歩道上で信号待ちのため待機していた保育園児らが跳ね飛ばされて死傷する、というような事故を防止するために検討・実施されるべき対策の基本は、何といっても安全運転の確保、なかでも、如何にしてドライバーの安全運転能力の向上を図っていくか、そのための効果的・効率的な対策を着実に実施することです。その上で、歩行者らが巻き込まれる、いわば、二次的事故を防止するために交差点等の適切な位置・箇所にガードレールを設置するなど、いわゆるハード面の対策や、幼児らの保護・監督の方法を検討・工夫するというのが筋道であろうと考えますが、その点からすると、園児たちに対する「安全な横断法」の指導は、ほとんど無力なことだと思います。しかし、だからと言って、保育園児らに対する交通安全指導の重要性・必要性が失われるわけでは決してありません。保育園児(幼児)らのほとんどは、やがて将来、ドライバーとなるであろうことからしても、幼児期にしっかりした交通安全教育・指導を行っておくことは、将来の安全運転の確保および安全な道路交通社会を築き上げていくうえで極めて重要・必要不可欠な手立てであることは言うまでもありません。それだけに、幼児に対する交通安全教育・指導は幼児の特性等を踏まえ、将来のより良き交通社会人や安全運転者としての血肉となる素養をしっかり培うことができるよう、熟慮・吟味された適切な教育・指導が行われなければならないのです。この点からしても「手を上げて横断しましょう」という指導は、幼児に対する交通安全教育・指導について真剣に考えたり、学習したりしたことが一度もない者が、はたまた、自らは決して日常的に「手上げ横断」を実践していない者が、幼児などの交通安全指導に当たっては、なぜか、得意げな顔をしてそれを強いるというのは、交通安全教育そのものを形骸化してしまう思慮のない無分別・無責任極まる指導であると糾弾せずにはいられないのです。

ちなみに、いわゆる「手上げ横断」の問題性に関しては、かつて、この「雑記」でも取り上げたことがありますが、いまだにこの悪習が横行している実情に鑑み、敢えてまた、この問題性を取り上げ論究することにしました。まず、そもそも、いわゆる「手上げ横断」はどのような経緯で交通安全指導の場に入り込んできたのか、それを確認しておきましょう。弊社編集部がかつて調査・取材した結果によると、いわゆる「手上げ」が交通安全の場に全国的に初めて登場したのは、今から半世紀以上も前の1963年(昭和38年)の秋の全国交通安全運動のときで、この運動の重点推進事項の一つとして推進されたのが歩行者と運転者が「手で合図し合う運動」で、歩行者が横断歩道を渡るときは、必ず手を上げて合図をし、車が止まってから渡り始める、また、運転者は車をいったん止めて歩行者に手を振り、横断OK!の合図を出す習慣をつける―というもので、翌年1964年の春の全国交通安全運動には、「横断歩道 人も車も手で合図」というスローガンも掲げられました。こうした「手上げ」運動が推奨されるようになった背景には、当時の横断歩道の多くにはまだ信号機が少なく、そうした横断歩道を渡る歩行者のなかには、「車の流れを無視してゆうゆうと歩くものがいる。また、横断歩道で停止している車の脇を平気ですりぬけていく運転者も多い。これはいずれも連帯感が欠けているためである」
1963年・昭和38年10.7読売新聞社説)といわれるような状況があり、結局、歩行者と運転者の社会的連帯感を育成することが大切であり、そのためには、横断歩道を横断しようとする歩行者が「お願いします」、その横断歩行者に車を停止させて道を譲る運転者が「どうぞ」と互いに意思表示をし、会釈を交わすことが必要であり、その方法として「手で合図し合う運動」、「横断歩道 人も車も手で合図」ということが推奨されるに至ったのです。

こうした「手で合図し合う運動」が、横断歩道や信号機の有無にかかわらず、手を上げたまま横断するという、趣旨もアクション(動作)もまったく異なる「安全な横断の方法」に変質して、全国的に交通安全指導の現場に広く流布し、定着したのはなぜか・・・、いつごろからなのか・・・、それが問題なのですが、それについて、さまざまな資料調査・取材を試みましたが、残念ながら、定かには特定することができませんでした。ただ、少なくとも、1967年(昭和42年)に当時の文部省体育局監修により日本学校安全会が発行した小学校向けの『交通安全指導資料―第1集』によれば、この時点での「手上げ」は「手で合図し合う運動」の趣旨に沿った「手上げ」としての指導が記述されています。すなわち、『交通安全指導資料―第1集』の第2章・指導事例の小学2年生に対する「道をよこぎるとき」という主題の項の「信号機のない交差点の横断のしかた」、および「信号機のある交差点の横断のしかた」のいずれでも、「右折車、左折車のある場合には、手を上げて合図をし、停車したのを確かめてから渡り始める」とあり、また、小学1年生に対する「みちをよこぎるとき」という主題の項の「指導のねらい」にも、「右、左をよく確認し自動車に合図をして渡るようにさせる」とあり、「手上げ」はあくまでも横断を始める前の車に対する合図であることを踏まえた指導法が記述されています。

ただ、その「指導上の留意点」として、「手をあげたり、運転者の顔を見るのは、これから渡るという合図である。手をあげただけで安全であると考えないよう指導することがたいせつである」と記されているのをみると、既にこの時点で、歩行者と運転者の意思疎通や会釈の手段としての「手上げ」の趣旨が失われた形式的な「手上げ横断」が指導現場で為されていたことがうかがわれます。事実、「雑記子」は、この昭和40年代前半、運転者に対する合図・会釈の意味合いの説明もまったくされないまま、右左の安全確認後、「手を上げて横断しましょう」という「手上げ横断」の指導現場を何度も目撃していますし、テレビや新聞、あるいは広報のチラシやポスター類にも、手を上げたまま横断歩道などを横断している子どもらの姿を、あたかも交通安全の象徴であるかのように映像化したものも多く目にしています。また、安全確認をまったくせず、手を上げたまま飛び出し横断する子どもたちの姿も何度も目撃したことがあります。つまり、運転者に対する合図・会釈として推奨された「手上げ」は、指導現場で、いつの間にか、その趣旨が変質し、「横断始めから横断終了まで手を上げて横断する」という「安全な横断方法」として流布したのです。

そうした「手上げ」の変質は問題であると認識したためかどうかは定かではありませんが、1972年(昭和47年)に道路交通法の規定に基づき、「道路を通行する者が適正な交通の方法を容易に理解することができるようにするため」に国家公安委員会が作成した『交通の方法に関する教則
以下『教則』と略記する)が公表されましたが、その『教則』の第1章・歩行者の心得の2、「横断のしかた」の(1)の後段には、「近くに横断歩道や信号機のある交差点がないところでは、右左の見とおしのきくところで、車のとぎれたときを選んで横断しましょう」アンダーラインは「雑記子」による)とあり、「手上げ」の記述はまったくありません。ただ、「横断のしかた」の(3)で、「車がくる道路を横断するときは、手を上げて合図をし、車がとまったのを確かめてから横断しましょう」とあり、「手で合図し合う運動」の趣旨を引き継いだ「手上げ」の記述がありますが、横断中も手を上げるというものでは決してありません。しかも、その『教則』も1978年(昭和53年)に全面的に改正されましたが、そのなかでは、「車がくる道路を横断するときは、手を上げて合図をし、車がとまったのを確かめてから横断しましょう」という記述もなくなり、「信号機のない場所で横断しようとするとき」として「道路がよく見とおせる場所を探し、歩道の縁や道路の端に立ち止まって、右左をよく見て、車が近づいてこないかどうかを確かめ」、「車が近づいてくるときは、通り過ぎるまで待ちましょう」とされ、「手を上げて合図をし、車がとまったのを確かめてから・・・」という記述は一切なくなりました。さらにまた、1998年(平成10年)には、「交通安全教育を行う者が効果的かつ適切な教育を行うことができるようにするため」に基準となる教育内容等を定めた『交通安全教育指針以下『指針』と略記する)が国家公安委員会告示として策定・公表されましたが、そのなかでも、「手上げ横断」の記述は一切なく、今日に至っています。

にもかかわらず、いまだに、多くの指導現場で、横断歩道や信号機の有無にかかわらず、金科玉条のごとく「手を上げて横断しましょう」という指導が平然と行われているのは、何とも嘆かわしいことだと言わざるを得ません。思うに、こうした交通安全指導を行っている者たちは、指導の教典である『教則』や『指針』があるのに、それに一度も目を通したことがないばかりでなく、もしかしたら、その存在すら知らないのではないかとの疑惑も生じます。しかも、そうした指導を行う者のなかには現職の交通警察官もいるという実態は、「嘆かわしい」と悲嘆にくれるだけでは済まされない深刻な問題を含んでいます。すなわち、交通安全教育では、その指導者の多くが常に「ルール遵守」を熱く訴えますが、『教則』や『指針』は、交通安全教育を行う上での、いわば、ルールに相当するものだと思います。にもかかわらず、「安全な横断」の指導に当たっては、その指導上のルールにも相当する『教則』や『指針』に学ぶこともなく、そこに記載されている指導ポイントにも反する「手を上げて横断しましょう」という指導を、無分別・独善的に平然と行う、その自己矛盾に気づいていない、それこそが最大の問題点だと思うのです。

あるいはまた、「手上げ横断」指導の最大の自己矛盾は、先にもちょっと触れましたが、その指導を行っている指導者自らは、決して日常的にそれを実践していないということです。なぜ、自らは実践しないことを幼い子どもたちに強いるのか、「子どもは大人の言うことよりもすることを見て学ぶ」とか、「子どもは大人の背中を見て学ぶ」などとも言うではありませんか・・・。いや、「手上げ横断」は、幼い子どもたちに対するばかりではなく、高齢歩行者らに対する「交通安全教室」等の場でも行っているのを何度も目撃したこともありますが、いずれにしろ、そのような指導を行っている者たちは、何を基にそのような指導を行うのでしょうか・・・、それが気掛かりですが、推測するに、そうした「手上げ横断」の指導を行っている者、それは、いわゆる「交通安全教室」などでの指導者だけでなく、幼児等の保護者らのなかにもいますが、思うに、そうした彼ら彼女ら大人は、多分、自らの幼少期にそのような「手上げ横断」の指導を受け、実践したこともあり、それが頭の片隅に幼少期の体験としてこびりついて残っていた、あるいは、また、テレビのニュースやポスター等の映像で、「手上げ横断」している幼児らの姿が「安全な横断の方法」として象徴的に映し出されていた、それが目に焼き付いており、それらを「安全な横断」の指導の際に無意識のうちにも持ち出してしまう結果なのではないかと考えます。

しかし、そうした彼ら彼女らも、幼少期にはいわゆる「交通安全教室」等で指導された「手上げ横断」をしばらくは実践したかもしれませんが、それもせいぜい小学校1、2年生くらいまでで、それ以降は実践しなくなっているのが実情であるのに、そのことも省みず、決まり文句のように「手を上げて横断しましょう」と指導しているのです。なぜ、幼児や小学校1、2年生ぐらいまではきちんと「手上げ横断」を実践していたのに、それ以降は、誰もが実践しなくなるのでしょうか・・・、答えは簡単です。周囲の年長の子ども・少年少女たちや大人たちは誰一人「手上げ横断」をしていない、その現実を目にし、そのことに気づくからです。意識的にそのことに気づいて「手上げ横断」をやめてしまうのかどうかはどうでもよく、ともかく、幼少期には、指導された「手上げ横断」をきちんと実践していたのに、小学校1、2年生ぐらいを限度に、その誰もが「手上げ横断」を実践しなくなる、それが「手上げ横断」の偽らざる「なれの果て」であることを知るべきです。そして、そうしたことに至る幼き子どもらの深層心理は、多分、以下のようなものだと思います。

すなわち、幼児期―小学校1、2年生ぐらいまでは、「安全な横断」の方法として「手上げ横断」を指導され、実践していたが、周囲の年長の子ども・少年少女たちや大人たちは誰一人「手上げ横断」をしていないことに気づき、「手上げ横断」をするのは幼子であることを示す特有の行動で、もはや幼少児ではなく、一日も早く年長の少年少女たちの仲間入りをしたいという気持ちが無意識にも次第に大きくなってきている幼少児らは、その周囲の年長の少年少女たち、あるいは大人たちの行動を真似・学んで「手上げ横断」をしなくなるでしょう。しかも、「手上げ横断」をしなくても、周囲の年長の少年少女たちや大人たちのように、安全に横断することができることも学び、知ることでしょう。そのあげく、「手上げ横断」というのは、結局、幼き子どもらに特有の特殊な指導法であり、安全な横断方法の核心ではない形式的指導なのだという認識を抱くだけではなく、あげく、「手上げ横断」を核とした安全な横断の方法それ自体を形式的なもの、「建て前的」なものと理解してしまうため、安全な横断の方法の本来の核心である「止まる―見る―待つ」をも習慣づけることなく、身につけないままに過ごすことになるだけでなく、交通安全教育・指導それ自体を軽視する大きな要因になっているのです。だからこそ、「手上げ横断」の指導は、交通安全教育それ自体を形式的なものとして軽視してしまう無分別で無責任極まる指導であると糾弾せずにはいられないしろものなのです。

ただ、「手上げ横断」の指導のほとんどは、何度も言うように、無分別に行われているのが実情だとは思いますが、なかには、独善的な思い込みを持って半ば確信的に行っている者もいるようですから、念のため、以下では、その独善的な思い込みのいくつかを挙げ、それが本来の「安全な横断の方法」とは如何に無縁で、かつ、矛盾するものであるか―をも示しておきましょう。まず、そうした独善的な思い込みの一つとして、「幼児など小さな子どもたちは、横断中も手を上げることによってドライバーからの視認性が高まる」とする論拠があります。しかし、路上に転がっている石ころや路面にペイントされた標示ですら運転席から十分に視認できますし、逆に大の大人の横断歩行者でも見落とされて事故に遭うこともあることを考えれば手を上げることによって視認性が高まる論拠は根拠を失いますし、何よりも「車が来ないことを確かめてから渡る」という「安全な横断のしかた」の大原則に明らかに矛盾します。また、「手を上げて歩く―という特殊な行為をさせることは、幼児に、道路を横断することが大きな危険を伴う行動であることを意識づける上で有効なことだ」との論拠も聞かれますが、幼い子に「手を上げる」という単純で、それ故にこそインパクトがあるアクションを強いると、それだけが強く印象づけられ、本来の「安全な横断」の核である「止まる―見る―待つ」の印象が薄れ、あげく、「止まる―見る」を欠き、手を上げて飛び出し横断する子どもすら出てくる危険があります。さらにまた、先にも紹介しましたが、「手上げ横断」の指導は、幼少児に限った指導法ではなく、高齢歩行者らにも指導されていることからすると、「ドライバーからの視認性が高まる」とか、「幼い子の意識づけに有効」などという論拠は明らかに破綻します。そして、何度もの繰り返しになりますが、「手上げ横断」の指導を行っている指導者など大人を始め、幼児期を脱した年長の少年少女の誰もが「手上げ横断」を実践していない、そのことが「手上げ横断」指導の無意味さを何よりも強く証明していることを知るべきです。

繰り返しますが、幼児など幼い子どもたちにしっかりとした交通安全教育・指導を行うことは、幼少期の交通事故防止に資するためばかりでなく、むしろ、将来の安全運転の確保、すなわち、いずれ将来、ドライバーとなるであろう子どもに安全運転者としても必要となる基礎的な素養を幼少期から培い、安全な道路交通社会の担い手を育成していくという点で極めて重要・必要不可欠な手立てであると考えますが、その幼少児に対する交通安全指導の現場で「手上げ横断」という無分別で無責任極まる指導がいまだに横行し、かつ、その実情に何の疑念も抱かず見過ごされている日本の交通安全教育・指導の現状に強い失望感を禁じ得ないことは本当に悲しく残念なことです。ちなみに、欧米等先進国をはじめとする諸外国を見渡しても、このような馬鹿げた指導をしているのは日本だけだ―ということも付け加えておきます。
(2019年5月22日)

ページトップ

最新の「シグナル交通安全雑記」へ戻る

バックナンバー

第128回
自動ブレーキ等安全運転支援機能の活用も確かに必要だが、高齢ドライバー個々人の「安全運転能力」の低下を抑え、必要最小限の安全運転能力の維持を図る教育・指導、トレーニング関連対策も必要不可欠・・・拙速、安直すぎないか、高齢ドライバーの事故防止対策を考える・・・No.2
第127回
高齢運転者対策の「限定条件付き運転免許の創設」が成長戦略?拙速、安直すぎないか、高齢ドライバーの交通事故防止対策・・・No.1
第126回
園児被害の悲惨な事故、そして春の全国交通安全運動が始まったが、またも「手上げ横断」指導、この馬鹿げた安全指導の横行に唖然・失望・・・
第125回
「レベル3」の準自動運転車の実用化が目前に迫っている今だからこそ、安全思想の普及と「社会受容性」を確保する手立てが必要不可欠だが・・・?
第124回
動き出した自動運転車、実用化に向けての関連法の整備・改正・・・閣議決定された道路運送車両法の改正案、肝心な保安基準等の中身は?
第123回
2018年(平成30年)の全国の交通事故発生状況とそれ以前71年間の交通事故発生状況の推移を検証・確認しておこう!
第122回
とりあえずは「レベル3」の自動運転車に対応する道交法の一部改正・・・、完全自動運転車に対応する道交法の抜本的改革のロードマップは・・・?
第121回
自動運転(走行)車、その成否を握るAI(人工知能)の信頼性を考える・・・
第120回
「自転車活用推進法」、「自転車活用推進計画」の問題点・・・No.2
第119回
せっかくの新法も、国民一般への広報・周知が疎かにされれば「絵に描いた餅」にすぎなくなる。「自転車活用推進法」の問題点・・・
第118回
クルマ社会の大革命―自動運転(走行)車の実用化が迫っている今、半世紀以上も前に制定された道路交通法の大改革が必要不可欠・・・No.3
第117回
クルマ社会の大革命―自動運転(走行)車の実用化が迫っている今、半世紀以上も前に制定された道路交通法の大改革が必要不可欠・・・No.2
第116回
クルマ社会の大革命―自動運転(走行)車の実用化が迫っている今、半世紀以上も前に制定された道路交通法の大改革が必要不可欠・・・
第115回
道路交通法の「安全運転義務」を緩和するだけで「レベル3」相当の自動運転(走行)車の実用化を促進するのは拙速・乱暴な方策だ・・・
第114回
次代を担う子供のかけがえのない命を社会全体で交通事故から守るには、事故発生状況を分析し、特徴等を的確に把握することが出発点となる・・・
第113回
次代を担う子供のかけがえのない命を社会全体で交通事故から守ること、その重要性・必要性が一層高まっているが、諸対策は進捗していない・・・
第112回
関連法の整備、国民・ユーザーへの周知・理解を得る動き等が鈍いまま性急に突き進む「自動走行車」実用化の動きに再び危惧を呈する・・・
第111回
問題ではないのか―、交通事故は半減、死者数も激減しているのに、「類型別」発生状況の基本的構図に変化が認められないのはなぜか・・・
第110回
全国の交通事故死者数、68年ぶりに最少記録を更新、慶事ではあるが、にわかには信じ難い「怪」記録である側面にこそ考慮・・・
第109回
最高速度・規制速度の見直し、ようやく着手、そも、現行法の速度規定が半世紀以上も前の遺物なのが根本的問題・・・
第108回
EV・FCV、自動走行車の実用化は道路交通史上の大革命、 なのに消費者・市民は「蚊帳の外」では無用の混乱と弊害を招く・・・
第107回
関連法等の抜本的改正など社会的環境整備の進捗状況が見えぬままに進められる「自動走行」実現化に向けた実証実験等性急な動きを懸念・・・
第106回
夜間の歩行者の死亡事故防止は重要課題だが、その解決のためにも、なぜ、日本は歩行中の死者数の割合が高いのかの検証が必要不可欠・・・
第105回
交通安全対策は国・政府の責務、警察主導の交通安全対策を憂う・・・
第104回
これでいいのか、企業等「組織」の業務上過失致死傷罪は無罪放免?・・・
第103回
「自動運転車」の実現化、そんなに急いで大丈夫なのか・・・
第102回
「高齢者講習」や「認知機能検査」の予約を取るのが大変だ!?・・・
第101回
「人対車両」の事故と「歩行中」の事故との違いについて考える・・・
第100回
「自動運転の実用化」にかかわる関連法整備上の問題点・・・
第99回
交通安全、「喫緊の課題」について考える・・・
第98回
果たして、高齢ドライバー対策は今後の交通安全問題の核心なのか・・・
第97回
首相指示「喫緊の課題」、高齢ドライバーの事故防止対策について・・・
第96回
「高速道の最高速度110キロ試行」に関連して・・・
第95回
「日本の自転車交通の混迷」を読んで・・・
第94回
「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・No.3
第93回
「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・No.2
第92回
「自動運転」車開発の現状と課題を考える・・・
第91回
第10次「交通安全基本計画」を点検する・・・No.3
第90回
第10次「交通安全基本計画」を点検する・・・No.2
第89回
第10次「交通安全基本計画」を点検する・・・
第88回
「観光バス事故」の惨劇に続いてトラックのトンネル火災事故、いずれも「規制緩和」による深刻な副作用、関係当局の対応に疑義あり・・・
第87回
続発する「観光バス」事故から見える「安全第一」の空念仏を嘆く・・・
第86回
2015年、「第9次交通安全基本計画」の目標は達成できずに終わった・・・
第85回
「小樽飲酒ひき逃げ事件」札幌高裁控訴審判決について考える・・・
第84回
繰り返される特設自転車レーンの「社会実験」、いまさら何を検証する?
第83回
ブレーキとアクセルの踏み違い等「操作不適」事故について考える・・・No.2
第82回
ブレーキとアクセルの踏み違い等「操作不適」事故について考える・・・
第81回
国民の「安全」にかかわる2つの厄介な問題について考える・・・
第80回
自転車悪質運転に「安全講習」が義務化されたが・・・
第79回
4年に1度、変則5月実施の春の全国交通安全運動・・・
第78回
人身事故は確かに減少しているが物損事故はどうなっているのか・・・
第77回
道路交通法の一部改正の動向とその問題点の根源を考える・・・
第76回
高齢運転者の認知症検査強化策を考える・・・
第75回
交通安全対策の根源的糧となる交通事故統計にまとわる疑義・・・
第74回
「安全運転義務違反」による事故、その問題点等を考える・・・
第73回
「冬道の安全運転」に対する関心が薄れているのではないかと懸念する・・・
第72回
自転車の安全対策、本気と抜本策が求められる・・・
第71回
「自動車運転死傷行為処罰法」について考える・・・No.4
第70回
「自動車運転死傷行為処罰法」について考える・・・No.3
第69回
「自動車運転死傷行為処罰法」について考える・・・No.2
第68回
「自動車運転死傷行為処罰法」について考える・・・
第67回
減少し続ける「子ども人口」、子どもの安全を守ることの重要さを考える・・・
第66回
高齢者の交通事故死傷者の実態を検証しておこう・・・
第65回
「安全思想」、「安全文化」を考える・・・
第64回
都心に45年ぶりに25cm以上の積雪、「冬道」運転のイロハ無知を嘆く・・・
第63回
2013年の全国死者数、前年に引き続き4,500人を割り込んだ・・・
第62回
「24時間死者数を3,000人以下とする」という目標は達成できるか・・・
第61回
危険運転の罰則強化、「自動車運転」だけを特別視する風潮に疑義・・・
第60回
高齢ドライバーの事故実態、一律に危険視するのは非常に問題!
第59回
「秋の全国交通安全運動」を機に、再び「手上げ横断」の奇怪を問う!
第58回
「世界一安全な道路交通を実現する」という達成目標に黄信号!?
第57回
再び、スピード規制とスピード違反取締りの問題点について考える・・・
第56回
事故実態と無縁な「スピードの出しすぎ注意!」について物申す・・・
第55回
道路交通法と道路運送車両法の整合性について考える・・
第54回
再び、「自転車の交通ルール」の不可解を考える・・・
第53回
通行空間が未整備では、罰則強化等で自転車の安全確保はできない・・・
第52回
61年ぶりに4,500人を下回った全国の輪禍死者、国際的にみると・・・
第51回
「冬型交通事故」の実態と「冬道」安全運転の課題 No.4
第50回
「冬型交通事故」の実態と「冬道」安全運転の課題 No.3
第49回
「冬型交通事故」の実態と「冬道」安全運転の課題 No.2
第48回
「冬型交通事故」の実態と「冬道」安全運転の課題
第47回
東京都自転車対策懇談会の提言を考える・・・
第46回
本末転倒、枝葉末節すぎる「自転車の押し歩き推奨」対策・・・
第45回
「近代刑法貫く『意思責任』、結果軽視の弊害、修正を」を考える・・・
第44回
「危険運転致死傷罪」、「自動車運転過失致死傷罪」を考える・・・
第43回
あふれる「安全第一」のスローガンと、安全対策のギャップを埋めない限り・・・
第42回
交通安全指導に当たる者は、まず自らしっかり「ルール」を学習せよ!
第41回
唖然!「飲酒検出値偽造による検挙」、交通取締りの原点を確認せよ・・・
第40回
交通事故、「類型別」発生状況の不可解・・・
第39回
東日本大震災をはじめ多くの災害に見舞われた2011年だったが・・・
第38回
冬道でのスリップ追突事故の実態から学ぶ安全運転のポイント
第37回
大震災の被災地にも冬将軍が襲来、冬道での安全運転を願って・・・
第36回
陳腐で難解な「自転車の交通ルール」を再び検証する・・・
第35回
一般道をブレーキ装置がない「ピスト」で疾走する自転車集団暴走族・・・
第34回
自転車道や自転車通行帯に一方通行を導入する予定だそうだが・・・
第33回
大災害による悲惨な惨状と「なでしこジャパン」が教えてくれたもの・・・
第32回
大震災から露呈された「安全問題」はいまだに虚しく空回りしている・・・
第31回
未曾有の大震災から露呈された「安全問題」の課題を探る・・・No.2
第30回
未曾有の大震災から露呈された「安全問題」の課題を探る・・・
第29回
「安全運転義務違反」による事故の増加、その問題点と課題を探る・・・
第28回
減少し続ける全国の交通事故死、その現状に潜む課題を探る・・・
第27回
最多の事故類型、追突事故の意外な実態と事故防止のポイント・・・
第26回
無知なのか、怠慢なのか、放置される違反自転車摘発の根本問題・・・
第25回
「居眠り運転」の不可解・・・
第24回
「走るコンピューター」と化したクルマに潜む未知の危険・・・
第23回
「事業仕分け」で改善勧告を受けた全日本交通安全協会の事業・・・
第22回
困ったもんだよ、警視総監の「手上げ横断」セレモニー・・・
第21回
交差点での事故防止対策こそ、交通事故の減少を図る決め手・・・
第20回
先進的なハイテクにこそ、予期できぬ未知の危険が潜在している・・・
第19回
年間死者数2,500人以下を目指す、その具体的施策が見えない・・・
第18回
新政権に望む、半世紀も前につくられた道路交通法の抜本的見直し・・・
第17回
ドライバーに「安全運転教育」のニーズが不足しているのはなぜか・・・
第16回
民主党圧勝し政権交代、どうなる「高速道路無料化公約」・・・
第15回
新スタートした高齢運転者の免許更新時講習等の不可解・・・
第14回
危険運転致死傷罪認定の危うさ・・・
第13回
遅すぎる道路交通法の一部改正に伴う施行規則の改正作業・・・
第12回
交通事故死は激減しているが、関係機関・団体の財源も激減・・・
第11回
社会状況が未曾有の暗転をしたなか、交通事故死は激減したが・・・
第10回
交通事故死は激減、交通事故も減少に転じたが・・・
第9回
交通事故も減少しているが、安全活動財源も年々目減りしている・・・
第8回
シグナル・ブックレット・シリーズ、ようやく発行・・・
第7回
シグナル・ブックレット・シリーズ刊行・・・
第6回
交通事故死が激減して幸いだが、なぜかが不明なのが問題・・・
第5回
何か変、道路交通法の一部改正が施行・・・
第4回
事故現場からの警告者・故加藤正明氏を偲ぶ
第3回
事故回避の実行力、安全運転を確保するためのテクニック
第2回
雑記 第2回
第1回
雑記 第1回

ホームへ戻る