★昨年、2018年(平成30年)に全国で発生した交通事故に関する統計資料として、本稿を執筆し始めた現在(2月中旬)、警察庁からは2月14日付の「平成30年における交通事故死亡事故の特徴等について」と題する資料が公表されています。この資料によると、2018年(平成30年)中に全国で発生した交通事故件数は430,601件、死傷者数は529,378人となっています。また、死傷者数中の死者数(いわゆる「24時間死者数」、つまり、事故発生後24時間以内の死者数)は、3,532人となっています。これを前年(2017年・平成29年)と比較してみると、いずれも前年を下回り、特に死者数は、警察庁が保有する昭和23年(1948年)以降の統計で最少となった前年(3,694人)を更に下回る最少記録になりました。ちなみに、それまで、昭和23年以降の統計で最少記録になっていたのは、昭和24年の交通事故死者数(3,790人)で、言うまでもなく、昭和24年というのは戦後間もない頃で、この前々年の昭和22年5月3日に「日本国憲法」が施行されたものの、日本は、まだ、連合国軍最高司令官(ダグラス・マッカーサー)総司令部(GHQ)の統治下にあり、国民の生活環境も劣悪で、自動車は大多数の国民にとって縁遠い存在であった、そんな状況であったにもかかわらず、交通事故により年間3,790人もの死者数を記録していることに改めて驚きを禁じ得ませんが、昨年および一昨年の交通事故死者数は、その戦後間もない頃の死者数をも下回ったということですから、にわかには信じ難いほどの驚異的記録だと言っても過言ではないでしょう。
★政府(中央交通安全対策会議)は、こうした事態を踏まえてか、第10次の「交通安全基本計画」(平成28年3月策定)において、「平成32年(2020年)までに24時間死者数を2,500人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」という目標を掲げています。果たして、この目標達成は可能かどうか、2020年までに残されている2年足らずの年月を考えると、この目標達成は非常に厳しい、と言うのが「雑記子」の見通しです。と言うのも、確かに、少なくとも、この十数年、交通事故死者数は劇的・驚異的な減少傾向をたどってきましたが、なぜ、このような劇的・驚異的な減少が成し遂げられたのか、その要因等は必ずしも定かではありません。1月4日付の「平成30年中の交通事故死者数について」と題する資料の中では、国家公安委員会委員長が「政府をはじめ、関係機関・団体や国民一人一人が交通事故の防止に向け、積極的に取り組んできた結果だ」とコメントしていますが、極めて通り一遍的・形式的なコメントで、これでは、劇的・驚異的な減少要因の片りんすらうかがうことができません。「平成32年(2020年)までに24時間死者数を2,500人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」という政府目標を達成するためには、この十数年の交通事故死者数の劇的・驚異的な減少要因等をしっかり検証し、効果的対策を見定めて集中的に実施していくことが必要不可欠なことだと思いますが、そのためにも、まず、統計資料がある昭和23年以降昨年までの71年間、奇しくも、30年に及んだ平成もまもなく終わり、新たな元号による時代が刻まれ始めようとしている今、昭和から平成に及ぶ71年間の交通事故発生状況の年別推移を確かめておくことも大切なことだと考えます。そこで、本稿では以下に、この71年間に及ぶ交通事故発生状況の年別推移を検証・紹介してみることにします。
★まず、警察庁が保有する交通事故統計資料では、戦後間もなくの昭和23年、年間21,341件の交通事故が発生し、21,457人が死傷、内、死者数は3,848人と記録されています。
※ただし、この発生件数は、2万円を超える損害額が生じた物損事故が含まれている一方、負傷者数には、(治療期間が)8日未満の負傷事故が含まれていない、という基準で集計されています(昭和34年まで)。そして、1966年(昭和41年)からは損害額の程度如何にかかわらず、いわゆる物損事故が集計対象外となり人身事故のみを交通事故発生件数としてカウントすることになりました。さらにまた、昭和23年はもちろん、1971年(昭和46年)以前の統計にはアメリカの占領下にあった沖縄県での交通事故は含まれていません。
★ちなみに、この昭和23年の自動車保有台数は233,113台との記録がありますが、運転免許保有者数の記録は残念ながらありません。したがって、運転免許保有者数当たりの交通事故発生率は算出できません。そこで、自動車保有台数当たりの事故発生率を算出してみると、実に11台中の1台が事故を起こしていたという驚くべき高い事故発生率であったことになります。また、致死率(事故発生件数当たりの死者数の割合)を算出すると21,341件で3,848人が死亡したということですから、およそ6件中の1件で死者1名が発生したという結果になります。ちなみに、昨年2018年(平成30年)の全国の交通事故による死者数は、この昭和23年の死者数よりも少ない3,532人ということですから、繰り返しになりますが、70年以上も前の、いわば、日本の「クルマ社会」が幕開けする前の時代の交通事故死者数よりも少ない死者数ということになり、にわかには信じ難いほどの驚異的記録だと言わざるを得ないのです。さらに念のため、付け加えれば、昨年2018年(平成30年)の全国の交通事故発生件数は430,601件、2004年(平成16年)以降14年連続して減少し続けてきたとはいえ、昭和23年に比べれば20倍もの事故件数で、30倍もの負傷者数も記録されています。さらに、昨年は、昭和23年のそれに比べ350倍以上にもなる81,946,036台(※2017年12月末現在)もの自動車保有台数を有し、自動車保有台数当たりの事故発生率は190分の1、つまり、190台中の1台という割合で交通事故が発生しており、昭和23年のそれに比べると自動車保有台数当たりの事故発生率は17分の1ほどにも低減している、そんな中で、死者数だけが驚異的に激減し、昭和23年の死者数よりも少ない、という状況はどう考えても、やはり、信じ難いほどの驚異的記録だと言わざるを得ません。
★いきなり、警察庁の記録がある昭和23年の交通事故発生状況と昨年2018年(平成30年)の交通事故発生状況の比較に筆が進んでしまいましたが、話の筋を昭和23年以降昨年までの交通事故発生状況の年別推移の検証・紹介に戻しましょう。昭和23年に21,341件の交通事故と21,457人の死傷者(内、死者は3,848人)を記録した翌年1949年・昭和24年以降、交通事故の発生件数と死傷者数は年々急増し続け、1956年・昭和31年には遂に10万件を突破し、122,691件もの交通事故が発生し、死傷者数は108,823人、内、死者数は6,751人をも記録しています。ただ死者数の推移だけをみると、昭和24年がなぜか前年よりも少ない3,790人となっており、これが3年前の2016年までの最少記録になっていましたが、そのことを除けば、記録のある1948年・昭和23年以降、我が国の交通事故とその負傷者・死者数は年々急増の一途をたどり、1959年・昭和34年には死者数が1万人を突破、10,079人を記録、それ以前の「道路交通取締法」に代わる道路交通法が制定・施行された1960年・昭和35年には前年(201,292件)の倍以上にもなる449,917件もの交通事故発生件数と29万人弱の負傷者数、1万2千人を超える死者数が記録されています。さらにそれ以降も、2、3の例外はありましたが、交通事故の発生件数は年々増加の一途をたどり、毎年、1万人を超える死者数を記録、1969年・昭和44年には720,880件という「第1次交通戦争」時の最多となる交通事故発生件数を記録し、翌年1970年・昭和45年には我が国の交通事故史上最多となる16,765人の死者数を記録しました(負傷者数は981,096人)。
※第1次交通戦争・・・1959年・昭和34年から1960年・昭和35年にかけての2年間の交通事故死者数が、日清戦争での日本の戦死者数(2年間で1万7,282人)を上回ったことに端を発し、交通事故による死者の発生状況は「戦争」に匹敵すると形容され、読売新聞では、1961年・昭和36年に「交通戦争」と題したテーマで18回にわたる特集を連載するなどした結果、「交通戦争」という言葉が流行語として定着したが、1971年・昭和46年以降、全国の交通事故発生件数および死傷者数は減少傾向に転じた。しかし、1977年・昭和52年をボトムに、交通事故の発生件数は再び増加傾向に転じ、1988年・昭和63年には死者数が再び1万人台を突破、2000年・平成12年には交通事故の発生件数が年間90万件を突破した。こうした傾向を機に、昭和45年前後を「第1次交通戦争」、昭和63年以降を「第2次交通戦争」と称するようになった。
★1970年・昭和45年、国(政府)は、重要施策として交通安全対策を総合的・計画的に推進していくために「交通安全対策基本法」を制定・施行し、また、その法に基づく「交通安全基本計画」が策定・実施され始めたことなどにより、1971年・昭和46年以降、全国の交通事故発生件数および死傷数は減少傾向に転じました。しかし、1977年・昭和52年をボトム(交通事故発生件数460,649件、死者数8,945人、負傷者593,211人)に、翌1978年・昭和53年からは再び増加傾向に転じ、1988年・昭和63年には死者数が再び1万人台を突破、以降、1995年・平成7年までの8年間、毎年、1万人を超える死者数を記録し続けたほか、2000年・平成12年には交通事故の発生件数が年間90万件を突破し、以後、2005年・平成17年までの6年間、毎年、90万件を超える交通事故が発生し続けました。さらに、1999年・平成11年から2007年・平成19年までの9年間、毎年、100万人を超える死傷者数を記録し続けました。この間、1971年・昭和46年から5年ごとに策定・実施された「交通安全基本計画」は、第1次から第8次に至っていますが、1991年・平成3年には、いわゆる「バブル経済」が崩壊し、日本経済が低迷期に入り、また、2008年・平成20年の「リーマン・ショック」による株価の暴落等の経済活動の悪影響もあり、国をはじめ、都道府県・市町村の財政が悪化したことにより、それまで、毎年のように増加し続けていた国や都道府県等の交通安全対策関係予算も年々削減されるようになり、また、地域の交通安全協会など民間の交通安全関係団体の財政も悪化し、それら民間団体が中心となって行われていた各種の交通安全活動もかつての勢いを失い、次第に不活発化しました。そのためか、第6次の「交通安全基本計画」から第7次の「交通安全基本計画」期間中(平成8年―平成17年)の10年間の交通事故発生件数はほぼ毎年増加の傾向をたどり、1995年・平成7年の76万件余から2004年・平成16年には95万件余にまで増加し、死傷者数も110万人を超えるまでに至りました。
★しかし、それにもかかわらず、なぜか、最大の懸案であった死者数だけは1995年・平成7年(10,684人)に最後となる1万人台を記録した後、それ以降は1万人台を割り込み、ほぼ毎年、減少の傾向に転じ、2009年・平成21年には5千人台をも割り込むまで減少しました(4,979人)。ちなみに年間の死者数が5千人未満というのは、1952年・昭和27年以来57年ぶりのことです。また、交通事故の発生件数も、2004年・平成16年の952,720件をピークに、それ以降毎年減少の傾向に転じ、昨年2018年・平成30年は430,601件にまで減少、やはり、半世紀以上も前の1960年・昭和35年のレベルにまで至りました。こうした交通事故発生数や死傷者数の推移、特に近年10年間ほどの激減ぶりは、もちろん、大いに歓迎すべき事態であり、長年にわたる様々な交通安全対策の積み重ねや人々の交通安全意識の高まり等による賜物なのかも知れませんが、それ以前の年別推移の状況からすると、なぜ、かくも急激・急転直下的に、大幅減少に転じ、戦後間もなくの昭和23年当時の死者数、あるいはまた、道路交通法が制定・施行された昭和35年当時と同じようなレベルの交通事故発生件数にまで至ったのか・・・、単純には納得しがたく、いぶかしさが拭えません。戦後間もなくの昭和23年当時、あるいはまた、道路交通法が制定・施行された昭和35年当時の道路交通状況と近年のそれとでは質・量ともに、あまりにも大きな差異がありすぎるからでもあります。
★そこで、以下では、交通事故発生の素因ともなる自動車保有台数と運転免許保有者数の推移も検証・紹介しておきたいと思います。まず、自動車保有台数の年別推移ですが、先にもちょっと紹介しましたが、1948年・昭和23年の自動車保有台数は233,113台(※昭和48年以前の台数には沖縄県を含まない)、4年後の1952年・昭和27年にはその3倍以上にもなる715,215台にまで増加し、翌1953年・昭和28年には100万台を突破し、それ以降も年々増加の一途をたどり、道路交通法が制定・施行された1960年・昭和35年には300万台を突破(3,302,072台)し、その7年後の1967年・昭和42年には1千万台を突破(11,275,859台)、交通安全対策基本法が制定・施行された1970年・昭和45年(第1次交通戦争のピーク時)の翌年1971年・昭和46年には2千万台を突破(20,859,583台)するまでに急増しました。そして、この1971年・昭和46年の自動車保有台数の増加状況の特筆すべき大きな特徴は、いわゆる「マイカー時代」が到来し、乗用自動車(普通・小型、軽四輪を含む)が自動車保有台数中の50%を超えたことで、これ以降、乗用自動車の保有割合は年々高くなっていきます。
★そして、1971年・昭和46年以降も、自動車保有台数は、さらに毎年増加の一途をたどり、1976年・昭和51年には3千万台を突破(30,903,111台)、1981年・昭和56年には4千万台(40,854,915台)を、1986年・昭和61年には5千万台(50,276,171台)を、1990年・平成2年には6千万台(60,650,629台)を、1995年・平成7年には7千万台(70,073,544台)を突破するに至りました。その後も、ほぼ毎年増加の傾向をたどりましたが、経済の低迷期の影響を受けてか増加ぶりは鈍くなり、前年の保有台数よりも減少するという年も生じましたが、2013年・平成25年に至ってようやく8千万台(80,411,439台)を突破しました。ちなみに、7千万台から8千万台を突破するまでにおよそ20年を要していますが、最近年(2017年・平成29年)の自動車保有台数は81,946,036台となっており、このうち、乗用自動車が占める割合は、実に75.4%にもなっています。念のため、 この保有台数(81,946,036台)を1948年・昭和23年のそれ(233,113台)と比較してみると351対1という割合、つまり、最近年の自動車保有台数は昭和23年の350倍以上にもなっており、しかも、その75%以上が乗用自動車だという、まさしく、質・量ともにまったく異次元の自動車保有状況であることが認識できると思います。
★次に、運転免許保有者数の推移を検証・紹介したいところですが、資料調べをしてみると、警察庁運転免許課の「運転免許統計」(平成29年版)では、1966年・昭和41年からの運転免許保有者数が記載されていますが、昭和41年から昭和43年までの保有者数は各県の報告に基づく集計数で、1969年・昭和44年以降は「運転者管理システム」による集計を開始、その「運転者管理システム」による集計数であるとしています。次に、昭和40年以前の運転免許保有者数を別資料にないか調べてみると、警察庁交通局発行の昭和36年版「交通事故統計年報」の中で「年別運転免許数」という集計表を見つけることができましたが、昭和23年から昭和30年までについては、運転免許受験者数と合格者数は記載されていますが運転免許所有者の現在数は空白になっており、この間の保有者数は不明です。ただ、なぜか、昭和27年だけには1,252,938人という運転免許所有者現在数が記載されているほか、昭和31年から昭和36年までの運転免許所有者現在数も記載されています。しかし、別の資料(警察庁交通局発行の「交通統計」昭和42年版の「運転免許取得者数と人口の割合別推移」)では昭和33年から昭和42年までの年別の「運転免許取得者数」が見られますが、先にみた昭和36年版「交通事故統計年報」の「運転免許所有者現在数」の数値とは異なっていて一致しません。つまり、昭和23年から昭和40年までの運転免許保有者数が確定できる資料は、残念ながら今のところ見当たらないということになります。
★そこで、まず、警察庁運転免許課の「運転免許統計」(平成29年版)にある1966年・昭和41年から2017年・平成29年までの運転免許保有者数の年別推移を検証・紹介してみることにしますが、1966年・昭和41年から1968年・昭和43年までの集計数は、各県の報告に基づく集計数で、確実な数値とは断定できない数値かもしれないとも思われますが、ともかく、1966年・昭和41年の時点で既に2,285万人もの運転免許保有者が存在し、人口(約9,900万人)対比でみると、人口のおよそ4人のうち1人が運転免許を保有していたというほどに運転免許が普及している状況になっています。ちなみに、確実な数値とは言えないもので、戦後初めての運転免許保有者数、当時は「運転免許所有者現在数」とされていましたが、それが先にも紹介したように、一部資料(警察庁交通局発行の昭和36年版「交通事故統計年報」)に見られます。1952年・昭和27年の「運転免許所有者現在数」は1,252,938人だったというのがそれですが、仮にその125万人余が昭和27年当時の運転免許保有者数だとしてみると、それから十数年足らずの間に運転免許保有者が急増し、人口のおよそ4人のうち1人が運転免許を保有することになった、という日本の「クルマ社会」の急激な進展ぶりに改めて驚きを禁じ得ません。そして、警察庁が「運転者管理システム」を運用して全国の運転免許保有者数を一元的に集計するようになった1969年・昭和44年の運転免許保有者数は24,782,107人となっており、以後年々急増し続け、わずか4年後の1973年・昭和48年には3千万人を突破、1979年・昭和54年には4千万人を突破(41,042,876人)しました。
※ちなみに、この前年に発行された昭和53年版の「警察白書」では、「(昭和)52年末現在における16歳以上の免許適齢人口に占める運転免許保有者数の割合は、43.6%(2.3人に1人)となっている。特に、社会活動の中核となっている20歳以上60歳未満の年齢層の者については、約半数に当たる52.0%、約2人に1人(男性では約4人に3人、女性では約4人に1人)が運転免許を保有しており、『国民皆免許時代』を迎えつつあるということができる」として、「国民皆免許時代の到来」を明言しています。
★1979年・昭和54年に4千万人を突破した以降も運転免許保有者数は毎年増加し続け、1984年・昭和59年には5千万人を突破(50,606,685人)、1990年・平成2年には6千万人を突破(60,908,993人)、1997年・平成9年には7千万人を突破(71,271,222人)し、その後も毎年増加し続けますが、少子高齢化の傾向に伴ってか、増加ぶりは少し鈍くなり、8千万人を突破したのは2008年・平成20年(80,447,842人)のことになります。そして、今現在、最新集計年になっている2017年・平成29年末現在の運転免許保有者数は82,255,195人となっており、16歳以上の免許適齢人口に占める運転免許保有者数の割合は74.8%にもなっており、特に30歳代から60歳代の男性の運転免許保有率は90%を超えており、中でも45歳―54歳の男性の保有率は97%を超えており、また、女性の30歳代と40歳代の運転免許保有率も90%を超えており、50歳代でも90%近くの保有率になっています。また、運転免許保有者の男女別状況をみると、警察庁が「運転者管理システム」を運用して全国の運転免許保有者数を一元的に集計するようになった1969年・昭和44年には男性の運転免許保有者の割合が圧倒的に多く(83%)、女性の運転免許保有者は17%にとどまっていましたが、2017年・平成29年末現在では男性の運転免許保有者が半数以上(54.9%)を占めていますが、女性の運転免許保有者の割合が年々上昇し、45.1%をも占めるまでに至り、運転免許保有率に男女差がなくなる時代が間近に迫っているという状況になっています。つまり、1978年・昭和53年の「警察白書」で明言された「国民皆免許時代の到来」が現実のものとなり、「国民皆免許時代」という言葉すら死語化しつつある、と言っても良いくらい当たり前すぎることになってしまった、といえるでしょう。
★以上、運転免許保有者数の年別推移の状況を検証・紹介してきましたが、先に紹介したとおり、2016年・平成28年からの3年間、年間の交通事故死者数が4千人台を割り込みましたが、これは、1949年・昭和24年以前と同レベルのことです。また、交通事故の発生件数も、昨年2018年・平成30年には430,601件にまで減少しましたが、これもやはり、半世紀以上も前の1960年・昭和35年当時のレベルです。検証・紹介してきた運転免許保有者数の推移からしても、戦後間もなくの昭和23年当時、あるいはまた、道路交通法が制定・施行された昭和35年当時の状況と近年のそれとでは質・量ともに、あまりにも大きな差異があるにも関わらずです。長年にわたる様々な交通安全対策の積み重ねや人々の交通安全意識の高まり等による賜物、というような通り一遍の説明も決して的外れではないでしょうが、それだけでは、なぜ、かくも急激・急転直下的に、大幅減少に転じ、戦後間もなくの昭和23年当時、あるいはまた、道路交通法が制定・施行された昭和35年当時と同じようなレベルの交通事故発生件数や死者数にまで至ったのか・・・、単純には納得しがたく、いぶかしさが拭えません。
★政府(中央交通安全対策会議)は、「平成32年(2020年)までに24時間死者数を2,500人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」という目標を掲げていますが、この目標を達成するためには、近年の交通事故(死者数)の急激・劇的な減少要因を多角的にしっかり検証することが必要不可欠なことだと思います。それなくして、より効果的・効率的な対策の策定・実施はあり得ないからです。そうした検証をするためにも、交通事故発生件数、死傷者数・死者数および自動車保有台数や運転免許保有者数の年別推移を検証・確認してみることがその原点でもあろうと考え、本稿のテーマにしてみました。最後に、今、その最中にある通常国会でもそうですし、近年の国会でもしばしば取り上げられた規定を無視した統計調査や統計・資料データ等の改ざん疑惑、その論議に大きな関心を持っています。というのも、改めて言うまでもないことですが、政府・行政機関の統計データはもちろんのこと、統計データの全ては、現在に至る経緯を明らかにし、将来をより正確に見通し、対処すべき方策・方針等を的確なものにしていくために必要不可欠なものです。その大切な統計調査が規定を無視したいい加減なものであったり、集計されたデータを改ざんしたりするのは言語道断のことで、決して許されてはならないことだと思っていますが、念のため、本稿で紹介した交通事故発生件数、死傷者数・死者数および自動車保有台数や運転免許保有者数の年別推移の統計については、弊社編集部も長年にわたって目を通し、検証し、様々に活用をしてきましたが、県警レベルで、集計ミスや見解違い等による集計漏れが二、三度ありましたが、その指摘を受けた後、いずれも速やかな修正が為され、集計ミスや集計漏れが放置されたままにされたことはなかった、ということを記して本稿を結ぶこととします。(2019年2月22日)