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2018年8月23日

ホームページの内容を一部リニューアルしました。トップページに掲載されていた「シグナル交通安全雑記」は、交通安全時評内でお読みいただけます。

最終更新日:2019年3月20日

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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その151 老いの初心
交通リスクコンサルタント 小林 實

 世阿弥の教え

 「初心忘るべからず」という格言はいろいろな分野で使われており、あまりにも有名ですが、これを言い始めたのは能楽の世阿弥(ぜあみ 1363?1433)だといわれています。
 能楽は日本の古典芸能の一つで、今日まで約600年のあいだ、連綿と続くこの能楽の基礎を確立したのが、観阿弥と世阿弥の親子だといわれています。現在、能楽には大きく分けて五つほどの流派がありますが、この二人の頭文字をとった観世流はそのなかで一大流派となっています。 
 能をはじめとして当時の芸術家たちは好んでこの「阿弥」という号を用いていますが、これは阿弥陀仏を信仰する時宗の人々がその法名としたためだとか、彼らの多くが下層階級の出身であったため、当時の上流層とかかわるのに都合がよかったためだともいわれています。
 ところで、世阿弥は父である観阿弥の姿を見ながら育ったといわれていますが、当時は楽譜といったものはなく、芸の伝達はすべて口伝であったことから、これらをできるだけ文章に書き留めておこうと考え、いくつもの書を著しています。なかでも彼が38歳のときに書いた「風姿花伝」(ふうしかでん)は有名ですが、晩年の60歳に書いた「花鏡」(はなかがみ)では、弟子の育成に関する口伝を文章化し、そのなかに「初心回帰」というテーマが挙げられています。

初心の「初」とは?

 世阿弥は、「初心忘るべからず」の教えを三つに分けて説いています。
 まず、「是非の初心忘るべからず」というのは、常に初心に立ち返り、初心の時代の未熟な芸を自覚することにより、さらなる稽古への工夫をすることを言っています。ある程度技量がついてそれに自信を持ち始めた時期に、いわゆる「慢心」というものが頭をもたげますが、このときこそ初心であれ―というのです。これは能楽の世界ばかりだけではなく、いろいろな分野でもいえることです。
 世阿弥はさらに、「時々の初心忘るべからず」ともいっています。歳をとっていく時期ごとに、初心に立ち返れ―ということです。
 さらに、世阿弥は「老いの初心」についても触れています。これは、歳にあった芸の出し方をせよ―というものです。身体的能力というものは、加齢とともに低下して、身に着けたノウハウ、芸の技量というものも低下していくものだ、しかし、多くの人はその事実を正視しようとはせず、過去に得た実績や名声に安住しがちである―と言います。歳をとったからといって日々の精進を怠り、後進に遅れていると気づいたときには「花」はすでに失われている、だからこそ歳に見合った花を咲かせる努力をせよ―というわけです。
 さて、初心の「初」という文字ですが、衣偏に刀と書いてあります。つまり、「衣を裁つ」ということであり、折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない―という意味です。これは、「老いの初心」として世阿弥が唱えたことと共通するわけですが、現在の高齢社会のいくかの問題にも示唆を与えるものです。昔はきちんとできたのだから今も同じようにできる…と考えている高齢者のことです。
 見かけは若々しい、これは結構なことなのですが、実際の生活ではよくつまずいたり、転んだりといった現象がよくみられます。高齢者が階段で足を引っかけるときの流れを見ますと…

(1)目で階段の高さを確かめる → (2)脳はその情報にしたがって足を上げるよう指令する → (3)自分では上げたつもりが引っかかる → (4)転びそうになる

というもので、認知―判断―操作のプロセスに問題があることがわかります。
 高齢ドライバーのあいだで、ブレーキとアクセルの踏み間違いを原因とする事故が多発していますが、これも同じことで、ブレーキを踏めという指令が大脳から出ているはずなのですが、自分ではブレーキペダルを踏むつもりでありながら、足が正しく移動できていないことに気づかないままアクセルを踏み込んでしまっているわけです。

年齢に合った行動

 高齢者に対して「補償行動モデル」という考え方があります。ポール・バルテスという心理学者が唱えたもので、人間は歳をとるにしたがい客観的な「安全余裕」が小さくなるため、これをカバーするためには、もっとも年齢に合った行動をする、つまり、補償した行動というものをとることを提唱しています。
 これは「SOC行動モデル」(英語のSelective Optimization with Compensationの頭文字から)といわれるもので、人間は老化が避けられないが、問題はいかにしてこの老化のスピードを遅くするか、このために使える資源の最適化を図る―という学説です。
 世界的に有名なピアニストのルービンシュタインは、若いときから速弾きの名手で有名でしたが、晩年には指の動きが悪くなり、演奏の速度が落ちてきたことを自覚し、速く弾く部分の前の段階をむしろゆっくり弾いてコントラストを付けることで全体のバランスをとったことはよく知られています。運転でいえば、視環境が低下する夕暮れ時とか夜間の運転を避ける、スピードをあまり上げない、体調の悪いときは運転を避ける―といったものが補償行動といえるでしょう。
 昔は何となくできたことが加齢とともに難しくなるわけですが、これは、大脳からの指令が手や足の先にうまく伝達しないからです。先ほどの「階段でよくつまずく」というのもそうですし、ブレーキペダルと思っているのにそれがアクセルペダルだった…といったことも決して単なる踏み間違いというのではなく、認知レベルでの食い違いから生じていることを考えなくてはなりません。
 運送業でドライバーの高齢化が問題になっていますが、50歳を過ぎれば、本人は自覚しなくとも機能は低下していきます。今後、こうしたことを配慮した運行管理を考えることが必要でしょう。「老いの初心」ではありませんが、ドライバーの方々も自ら歳をとったことを自覚しながら日頃の行動を見直すことが、これからの事故防止にとって重要ではないでしょうか。

 

小林實(こばやし・みのる)

 1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
 『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。

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バックナンバー

第152回
0.5秒の持つ重み
第151回
老いの初心
第150回
2030年の交通社会
第149回
異常をどう検出するか
第148回
ラスムッセンのSRK理論
第147回
JR西日本の「考動計画」
第146回
運転教育とコーチング
第145回
コーチングについて
第144回
かくれんぼができない子供たち
第143回
これからの安全管理
第142回
「駐車場」というワナ
第141回
脅かされる歩行者空間
第140回
台車事故を考える
第139回
「注意」の落とし穴
第138回
デイサービスと安全管理
第137回
企業と労働災害
第136回
残酒(のこりざけ)運転
第135回
マナーについて
第134回
沈着な判断と行動が鍵
第133回
血液型と性格
第132回
忖度こそ安全マナー
第131回
タイヤ以外、何に触れても事故である
第130回
現場の声を聞く
第129回
運転の自動化とドライバー
第128回
人類は変化を続けている
第127回
眼の動きを捉える
第126回
プロアクティブな安全管理
第125回
次世代に向けた安全管理
第124回
思い込みの心理
第123回
これからの交通社会は?
第122回
レジリエントな発想
第121回
レジリエンスと安全管理
第120回
トンネルのリスク
第119回
突然死のリスク
第118回
バスの暴走
第117回
オアフ島と交通渋滞
第116回
安全管理八策
第115回
安全の費用対効果
第114回
交差点での安全運転
第113回
自転車事故と保険
第112回
感電のリスク
第111回
「安全神話」は崩壊したか?
第110回
新人教育のヒント
第109回
自動運転を考える
第108回
再び問われるメンタルヘルス
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ハイタクと安全管理
第106回
何を認知するのか?
第105回
交通安全標語の変遷
第104回
なぜゴリラは見落とされるのか
第103回
10年後の交通を読む
第102回
若者との接し方 指導教官の話から
第101回
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第100回
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第99回
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第98回
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第97回
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第96回
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第95回
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第94回
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第93回
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第91回
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第90回
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第89回
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第88回
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第87回
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第86回
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第85回
ハイブリッド
第84回
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第80回
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第79回
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第78回
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第72回
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