★まず、前回の「雑記」、《せっかくの新法も、国民一般への広報・周知が疎かにされれば「絵に描いた餅」にすぎなくなる。「自転車活用推進法」の問題点・・・》と題した「雑記」の要旨を記します。すなわち、環境への負荷の低減、災害時における交通の機能の維持、国民の健康の増進等を図ることが重要な課題となっている現在、極めて身近な交通手段である自転車を活用することによって、その重要課題の解決に資することができると考えられる、そこで、その自転車の活用を推進するために、法律によって(1)基本理念を定め、(2)国の責務等を明らかにし、(3)自転車の活用の推進に関する施策の基本となる事項を定め、(4)自転車活用推進本部を設置して、自転車の活用を総合的かつ計画的に推進することを目的とした「自転車活用推進法」が、一昨年2016年(平成28年)12月の臨時国会に議員立法として上程され、衆・参両院共に全会一致で可決、同月に公布、昨年2017年(平成29年)5月に施行された。また、その「自転車活用推進法」の第3条第1項に「国の責務」として「基本理念にのっとり、自転車の活用の推進に関する施策を総合的かつ計画的に策定する」との規定による「自転車活用推進計画」を今年2018年(平成30年)6月に閣議決定し、公表した。
★しかし、改めて法律で規定されるまでもなく、自転車は、まさしく最も身近で手軽な交通手段であり、国民の圧倒的多数の日常生活上、不可欠な「用具」の一つでもある。だから、その自転車に係る「自転車活用推進法」と「自転車活用推進計画」は、国民の圧倒的多数の日常生活に密着した「生活法」、「生活計画」だという重要な性質を有する。にもかかわらず、また、「自転車活用推進法」第3条第2項にも「国は、情報の提供その他の活動を通じて、基本理念に関する国民の理解を深め、かつ、その協力を得るよう努めなければならない」と明記しているにもかかわらず、政府はもちろん、テレビ・新聞等のマスコミ・マスメディアでも「自転車活用推進法」と「自転車活用推進計画」に関する報道はほとんど見聞きされなかった。そこで、前回の「雑記」では「自転車活用推進法」と「自転車活用推進計画」の概要を改めて紹介しつつ、この新法の最大の問題点は、なぜ、この機にこの新法を制定・施行しなければならなかったのか、その意図等が今一つ判然としない、ということもあるが、最大の問題点は、施行・公表された「自転車活用推進法」と「自転車活用推進計画」がその成果を上げていくために必要不可欠な事項で、法律自らも明記していることだが、「国民の理解を深め、かつ、その協力を得るための情報の提供その他の活動」が、少なくとも「雑記子」の知る限り今もって全く見聞きされていない―ということにあるとも指摘しました。
★また、「自転車の活用を総合的かつ計画的に推進するための国の施策等」を定める「自転車活用推進計画」では、「計画期間」として、東京オリンピック・パラリンピック開催を契機として、東京を自転車フレンドリーな先進都市へと変貌させる必要があることなどを踏まえて、長期的な展望を視野に入れつつ、2020年度までとする―としています。つまり、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックを念頭におき、それまでに「東京を自転車フレンドリーな先進都市へと変貌させる必要がある」としているわけです。しかし、その一方で、「自転車の利用を拡大する上で、自転車が安全で快適に通行できる空間の整備や交通の安全の確保が課題となっているが、これらは、いずれも一朝一夕に達成することは容易ではなく、長期的な視点に立った着実な取組が必要である」ともしています。つまり、「計画期間」としている東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年までに、東京を自転車フレンドリーな先進都市へと変貌させる取組をどれだけ実施するのかが極めてあいまいなままになっている「計画」だと言わざるを得ず、結局、「自転車活用推進計画」はもちろん、その基となっている「自転車活用推進法」は、本当のところ、何のために、なぜ、この機に唐突的に策定・施行したのか、その意図が判然としない不可解な代物だ、ということも、前回の「雑記」で指摘しました。
★今回の「雑記」では、前回に引き続き、「自転車活用推進法」と「自転車活用推進計画」の概要を紹介しつつ、問題点を検証していくことにします。まず、「自転車活用推進法」に関し、前回では、その法第3条に「国の責務」として「基本理念にのっとり、自転車の活用の推進に関する施策を総合的かつ計画的に策定する」との規定があり、この規定に従って、国は「自転車活用推進計画」を今年2018年(平成30年)6月に閣議決定し、公表したことと、その「計画」の概要、つまり、自転車の活用を推進していくための4つの「目標」と、その「目標」を達成していくために実施すべき施策の概要を紹介しましたが、法第4条以下には、「地方公共団体の責務」や「事業者の責務」および「国民の責務」も明記されていますので、その詳細を紹介しましょう。まず、法第4条第1項では「地方公共団体の責務」として、「地方公共団体は、基本理念にのっとり、自転車の活用の推進に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、その地方公共団体の区域の実情に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する」ことが明記されています。また、同条第2項には「国の責務」と同様、「地方公共団体は、情報の提供その他の活動を通じて、基本理念に関する住民の理解を深め、かつ、その協力を得るよう努めなければならない」という「責務」も明記されています。すなわち、地方公共団体、つまり、都道府県や市町村は、その区域の実情に応じた「自転車活用推進計画」を策定・実施する責務を有することとなります。しかし、その「都道府県自転車活用推進計画」や「市町村自転車活用推進計画」は、法第10条および法第11条において、「定めるよう努めなければならない」という、いわゆる「努力義務」になっていますので、各都道府県が必ず策定し、実施するものではないという、あいまいさ・不確かさが残ります。ちなみに、「交通安全対策基本法」では、国(中央交通安全対策会議)は「交通安全基本計画」を(5年ごとに)作成しなければならないと義務づけているほか、「市町村交通安全計画」は、市町村(交通安全対策会議)が「市町村交通安全計画」を作成するよう努めなければならないという「努力義務」規定になってはいますが、都道府県(交通安全対策会議)は、国の「基本計画」に基づき、「都道府県交通安全計画」を作成しなければならないと明確に義務づけています。これに比べれば、「自転車活用推進法」における「都道府県自転車活用推進計画」や「市町村自転車活用推進計画」策定の「本気度」は、いまいち疑わしい、と思わざるを得ない、という懸念を表明しておき、「自転車活用推進法」の第5条、第6条の紹介に筆を進めます。
★「自転車活用推進法」の法第5条は「事業者の責務」として、「公共交通に関する事業その他の事業を行う者は、自転車と公共交通機関との連携の促進等に努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する自転車の活用の推進に関する施策に協力するよう努めるものとする」と規定しています。また、法第6条には「国民の責務」として、「国民は、基本理念についての理解を深め、国又は地方公共団体が実施する自転車の活用の推進に関する施策に協力するよう努めるものとする」と記されています。つまり、法第5条と第6条は、公共交通関係の事業者や自転車利用者ともなる国民にも、国の「自転車の活用の推進に関する施策」への協力を求める規定を明記したものですが、そのいずれもが「協力するよう努めるものとする」という、強制力のない、いわゆる「努力義務」にとどまっています。しかし、強制力のない「努力義務」であるとはいえ、法律に規定されているからには、公共交通関係の事業者も国民も「協力するよう努める」というのが法治国家に在する者としての責務なのでしょうが、そうした責務を果たすためには、まず、この法、つまり、「自転車活用推進法」そのものの存在を承知・認識し、また、その基本理念をも理解していなければ、協力のしようがありません。だからこそ、法第3条の「国の責務」第2項において「国は、情報の提供その他の活動を通じて、基本理念に関する国民の理解を深め、かつ、その協力を得るよう努めなければならない」と明記しているわけです。しかし、先にも述べたように、少なくとも「雑記子」の知る限り、今もって「国民の理解を深め、かつ、その協力を得るための情報の提供その他の活動」らしきものは、全く見聞きされていませんし、近々、そうした「情報の提供その他の活動」を行うとの情報もありません。つまり、今現在は、公共交通関係の事業者のことは定かではありませんが、最も肝心な国民のほとんどは「自転車活用推進法」や「自転車活用推進計画」が新たに制定・施行されたことすら知らないでいるのが実情だと考えられますし、ましてや、既に定めている「自転車活用推進計画」での当面の「計画期間」、2020年度を勘案すれば、残されている時間は限られているにもかかわらず、国民が国の施策に協力することができる状態には全くない、というのが実態です。したがって、当面の「計画期間」、2020年度が目前に迫っているこの機に、なぜ、敢えて「自転車活用推進法」を制定・施行し、「自転車活用推進計画」を策定・公表したのか、その意図が全く読み取れず、何とも不可解、というのが、「自転車活用推進法」および「自転車活用推進計画」の最大な問題点だと思うわけです。
★次に、新法「自転車活用推進法」の実質的な核とも言うべき「自転車活用推進計画」の最大な問題点について言及しましょう。まず、前回の「雑記」では、「自転車活用推進計画」の主要部である「自転車の活用の推進に関する目標及び実施すべき施策」に記されている(1)自転車交通の役割拡大による良好な都市環境の形成、(2)サイクルスポーツの振興等による活力ある健康長寿社会の実現、(3)サイクルツーリズムの推進による観光立国の実現、(4)自転車事故のない安全で安心な社会の実現、という4つの目標を紹介し、かつ、その4つの目標を達成するために実施すべき施策の概要を紹介しました。4つの目標を達成するために実施すべき施策として掲げられている施策は計18項目ありますが、そのうちの2項目は全く同じ施策項目で、「目標1」と「目標4」に掲げられています。それは、「自転車通行空間の計画的な整備の促進」という施策ですが、この施策の成否如何は、即、「自転車活用推進法」の制定・施行や「自転車活用推進計画」の策定が的確な措置であったかどうか・・・に直結する重要事項だと思います。なぜなら、自転車利用者が安全・快適に通行できる「自転車通行空間」の整備がほとんど為されていないこれまでの道路交通状況下でのこれ以上の自転車の活用は、道路交通に一層の混乱と危険を招くだけだからです。その意味で、「自転車活用推進計画」の重要施策の一つとして「自転車通行空間の計画的な整備の促進」を掲げたことは当然すぎるほど妥当なことだとは思いますが、「自転車通行空間の計画的な整備の促進」は、「自転車活用推進計画」にあたかも今後の新たな重要施策であるかのように仰々しく掲げるまでもなく、これまでも道路交通の安全対策上の重要課題であったはずです。
★前回の「雑記」でもちょっと記しましたが、半世紀近く前になる1970年(昭和45年)、年々増加の一途をたどっていた交通事故の発生状況に鑑み、道路交通法の一部改正が行われましたが、その一部改正の新たな規定の一つとして、自転車事故の防止、自転車の安全通行確保に資する「自転車道」、つまり、「車道の部分に、縁石や柵に類するものによって区画された自転車の通行のためのスペース」が定義づけられました。また、「自転車の歩道通行可」の標識も新たに規定され、二輪の自転車に限り、この標識が設置されている歩道を通行することが可能となりました。この一部改正によって、「雑記子」らは、自転車は、車道通行の危険から解放され、歩道とも分離された自転車専用の通行スペースが確保され、また、「自転車道」が敷設されていない場合は一部の歩道を通行することができることで、交通の安全確保や円滑化に大いに寄与されるものと大きな期待を持ちましたが、なぜか、この「自転車道」の設置・整備および「自転車の歩道通行可」の標識の設置は極めて不十分のままに推移し、自転車事故、特に自転車と自動車の衝突事故が依然として増加し続けました。ためにか、1978年(昭和53年)の道路交通法の一部改正では、車体の大きさや機能を限定した「普通自転車」が新たに定義づけられ、その「普通自転車」に限り通行することができる歩道の部分を示す道路標示が新設されたほか、「普通自転車」がその歩道部分を通行する場合の通行方法も新たに規定されました。しかし、この「普通自転車の通行可」の標識・標示の敷設整備や自転車利用者らに対する「歩道を通行する際の通行方法」の広報や指導も徹底されなかったためか、自転車の歩道通行が無原則に一般化し、歩道上での自転車と歩行者との事故やトラブルが増加し、自転車利用者のマナーの悪さ・無法ぶりが目立つようになりました。結果、近年では警察等が「自転車は車道通行が原則」を改めてアピールせざるを得ない状況に至っているのが実情です。自転車の通行スペースに関するこうした経緯をみると、新法「自転車活用推進法」に基づく「自転車活用推進計画」で「自転車通行空間」の整備促進を敢えて明記したのは、道路交通法上の「自転車道」の敷設整備や「普通自転車の通行可」の歩道の敷設整備等が促進されてこなかった状況を鑑みてのことなのかもしれません。しかし、道路交通法の一部改正を行って、「自転車道」を新たに定義づけ、その整備促進を図ったはずにもかかわらず、「自転車道」は単に法文上のものにとどまってきた実情を考えれば、新法「自転車活用推進法」に基づく「自転車活用推進計画」でいうところの「自転車通行空間」の確保およびその整備という新たな施策も、結局は、「屋上屋を架す」だけのことになるのが必定だと思います。
★第一、新法「自転車活用推進法」に基づく「自転車活用推進計画」でいうところの「自転車通行空間」の整備と、道路交通法上の「自転車道」や「普通自転車の通行可の歩道」の敷設とは、いったい、何が、どう違うというのでしょうか・・・、「雑記子」には、道路交通法上の「自転車道」や「普通自転車の通行可の歩道」の敷設整備が促進されれば、「自転車通行空間」は必然的に整備促進されるはずのものだと思われます。もしかしたら、「自転車活用推進法」や「自転車活用推進計画」の制定・策定にかかわった関係者らが、道路交通法上の「自転車道」や「普通自転車の通行可の歩道」の存在を知らなかったからでは・・・と疑いたくもなりますが、万々が一にもそんなことはあり得ないと思いますので、それだけに余計、新法「自転車活用推進法」に基づく「自転車活用推進計画」上の「自転車通行空間」の確保・その整備促進施策を打ち出した意図を読みとることができず、何のために、なぜこの機に・・・という疑念が一層大きくなるばかりなのです。環境への負荷の低減、災害時における交通機能の維持、国民の健康増進等々への寄与が期待できる自転車の活用を推進するためには、「自転車通行空間」の確保・その整備促進が不可欠である、それは「雑記子」も強く同意するものですが、その実現のために今、必要なことは、「屋上屋を架す」だけのことになる新規定を定めることではなく、道路交通法に「自転車道」の規定が盛り込まれてから既に半世紀近くも経ているのに、なぜ、「自転車道」の設置・整備が促進されなかったのか、それをしっかり検証し、問題点を洗い出し、その問題点の解消策を明らかにすることだと思います。
★ただ、そうした検証や問題点の洗い出し・解消策の解明等が重要不可欠ではありますが、それにも勝る最大の問題点は、道路交通法上での「自転車」の位置づけであり、それが抜本的に解消されない限り、「自転車道」等「自転車通行空間」の確保・整備が本格的に促進されることはない、というのが「雑記子」の基本的な視点です。すなわち、道路交通法上の自転車は、あくまでも「車両」の一種「軽車両」中の一つにすぎない存在であり、したがって「車道通行」が大原則で、「自転車道」や「通行可の歩道」の通行は例外的対応にすぎない規定なのです。ですから、「自転車道」や「通行可の歩道」の規定を設けても、また、「屋上屋を架す」ように敢えて「自転車通行空間」の確保を明示しても、自転車が車両の一種である限り、道路交通上の第一義の課題とはなり難く、それが「自転車通行空間」の確保やその整備促進上の最大のネックになっていると思うのです。したがって、自転車の活用の推進を本気で図ろうとするならば、車道でも歩道でも異質で中途半端な存在として疎外されている自転車を、道路交通上、歩行者と自動車等と並ぶ同等の存在として位置づけ、独立した市民権を認める、これなくして、「自転車活用推進」や「自転車通行の安全対策」など、いわゆる「自転車問題」の解決はあり得ない、と考えます。だからこそ、今為すべきことは、半世紀以上も前の、今日とは、質・量ともに格段の違いがあった旧時代に制定・施行された現行・道路交通法を抜本的に見直し、「自転車活用推進」、あるいはまた「自動運転車の実用化」といった全く新たな課題が山積みされている「クルマ社会」の革命期を迎えている新時代にふさわしい新たな道路交通法を創りだすことだ、ということを強く訴え、この稿を結ぶことにします。(2018年11月20日)