★「この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする」、これは、日本の総人口(1億2,659万2千人※2018.1.1現在・総務省確定値)の実に65%を占める運転免許保有者(8,236万9,991人※2018.4.30現在・警察庁調べ)はもちろん、運転免許は有していないものの、歩行者や自転車利用者として道路交通に参加している国民の誰もの日常生活に密接にかかわる極めて身近な「生活法」である現行の道路交通法の第1条に記されている法律制定・施行の「目的」です。しかし、残念ながら運転免許を有していない人はもちろん、運転免許を有するドライバーの大多数も、道路交通法の「目的」を明記したこの条文にはあまり「なじみ」がないであろうと思います。しかし、国民の誰もが日常的にかかわる身近な「生活法」である道路交通法を制定・施行したその目的を正しく理解しておくことは、この法律が適正に運用・執行されるためにも非常に大切なポイントになると思います。
★そこで、道路交通法の第1条に記されている「目的」、つまり、道路交通法の制定・施行の目的を改めて整理・確認してみると、(1)道路交通の安全を図ること、(2)道路交通の円滑を図ること、(3)道路交通に起因する障害、つまり、自動車の排ガス等による「交通公害」の防止に資する、という3つの目的があることが確認できます。しかし、道路交通法の各条項を検証してみると、(1)の道路交通の安全を図るための規定がほとんどを占め、(2)の道路交通の円滑を図るための条項や、(3)の「交通公害」の防止に資するための明らかな条項はほとんどみられません。ただ、自動車の排ガス規制や信号(機)のシステム制御等々、(2)や(3)の目的達成に資する関連法の整備や対策、施策が種々実施され、相応の成果を挙げてきたことは確かですから、その点では、道路交通法に明記されている3つの目的は、その役割を果たしてきたと言えます。しかし、それにしても、道路交通法の条項に(2)や(3)の目的達成を図るための具体的な規制や責任所在等にかかわる明確な規定がほとんど盛り込まれていないというのは、やはり、不自然だと思わざるを得ません。特に、(3)の目的、つまり、「道路交通に起因する障害(自動車の排ガス等による「交通公害」)の防止に資する」というのは1960年(昭和35年)に公布・施行された当初の道路交通法の「目的」にはなかったもので、その後の自動車の急速な普及、自動車交通量の飛躍的な増加に伴って自動車が出す排ガスによる大気汚染や騒音公害等、いわゆる「交通公害」が深刻な社会問題となったことを受けて1971年(昭和46年)6月に施行された道路交通法一部改正時に新たに盛り込まれたものですから、この新たな「目的」達成を図るための具体的な条項が道路交通法本条にも盛り込まれて然るべきだと思いますが、それに該当する条項はほとんど見当たりません。また、1960年(昭和35年)の公布・施行当初からあった(2)の「目的」、つまり、「道路交通の円滑を図る」ことは「道路交通の安全を図る」こととも深く関係するはずのものですが、「道路交通の円滑を図る」ための明らかな該当条項は見当たらず、間接的には関連すると思われる条項がいくつかみられるだけです。周知のことと思いますが、現行の道路交通法は、1960年(昭和35年)の公布・施行以来、毎年のように一部改正を繰り返してきましたが、肝心の法律の「目的」という観点からすると、法律の各条文が「道路交通の安全を図る」ためだけのものに著しく偏り、「道路交通の円滑を図ること」や「交通公害の防止」に資するための条項がほとんどみられない、というのは、やはり、不自然だと言わざるを得ません。その上、当初の公布・施行以来、毎年のように一部改正を繰り返すということは、日々、急速に変わりゆく現状の道路交通の実情に対応することができないきわめて狭量で、余裕・ゆとりがない法律だと思わざるを得ません。
★この「雑記」では、これまでもたびたび道路交通法の抜本的改新、全く新たな道路交通法の策定・施行の必要性を記してきましたが、1960年(昭和35年)という半世紀以上も前に公布・施行された現行・道路交通法は、これまで頻繁な一部改正という「つぎはぎ繕い」補修を繰り返してきましたが、もはや、その「つぎはぎ繕い」も限界にきているだけでなく、上記に述べたように、この法律の原型を定めるはずの「目的」との整合性という点からしても、基本的不備のある法律となっている上に、今日では、「クルマ社会」の文字通りの大革命である自動運転車(自動走行車)の実用化が急速に進捗し、それが目前に迫っていることを考えると、運転者がハンドル・ブレーキ等を常に適正に制御・操縦して走行する自動車のみを大前提にして制定・施行された現行・道路交通法は、旧時代の遺物と言わざるを得ない状況に追い込まれていることを率直・真摯に受け止め、自動運転車(自動走行車)の実用化という「クルマ社会」の新時代に対応し得る全く新たな道路交通法の制定に向けた作業を早急に開始しなければならないと強く思います。
★ちなみに、自動運転車(自動走行車)の実用化を推進している政府(未来投資会議)は今年3月開催の会議で、自動運転(車)が普及し始める2020〜2025年に向けて、関連法の整備や規制の方向性を示す「自動運転にかかわる制度整備大綱」をまとめ、自動運転の車両が満たすべき安全性の具体的な要件・必要な安全基準、たとえば、運転の制御システムやサイバー攻撃に対する安全対策などについては今夏を目途に、そのガイドラインを取りまとめるとしています。ただ、その「制度整備」は「レベル3」の自動運転(車)を対象にしており、運転席に人がいない「レベル4」以上の完全自動運転車にかかわることは今後検討していくとして保留しています。したがって、そうした政府(未来投資会議)の動向を受けて警察庁でも「自動運転」の実用化を図るため、道路交通法の改正に向けた検討を始めたことが新聞などで報じられていますが、それは、あくまでも、「レベル3」の「自動運転」を実用化するためのもので、それ故にか、警察庁での検討内容は、新聞等の報道によると、現行・道路交通法第70条の「安全運転義務」規定の規制を緩和して、つまり、現行・道路交通法の一部改正をもって「レベル3」の「自動運転」の実用化に対処しようとするものだということですから、「雑記子」が切望する「クルマ社会」の文字通りの大革命である自動運転車(自動走行車)の実用化に向けた、全く新たな道路交通法の検討・策定とはほど遠いものだと言えます。
★繰り返しになりますが、一部改正という安直・拙速的対処ではなく、全く新たな道路交通法の検討・策定が必要不可欠だというのは、これまでの「クルマ社会」とはまったく異質・別次元の、ドライバーが不要の自動運転車(自動走行車)が実用化される革命的事態が迫っている―というのが、いわば、緊急的理由です。しかし、そうした緊急的理由がなくても、これまた、この「雑記」でたびたび取り上げてきたように、現行の道路交通法は、半世紀以上も前の1960年(昭和35年)に公布・施行されたもので、その後の日本の「クルマ社会」の急速な進展・変化に振り回され、毎年のように、一部改正という「つぎはぎ繕い」補修を繰り返してその場をしのいできましたが、もはや甚だしい時代遅れの「ボロ着」と化していることは明白で、今日の道路交通の実態と大きな齟齬をきたしている部分も少なくない、という点からしても、一部改正という「つぎはぎ繕い」補修ではなく、新たな道路交通法を調達すべきなのです。ちなみに、過去の「雑記」でも何度か取り上げたことがありますが、道路交通の現状と大きな齟齬をきたし、旧時代の遺物、形骸化し死語となっている規定・事例のいくつかを改めて以下に紹介したうえで、自動運転車(自動走行車)の実用化に伴う道路交通法上の根源的問題点も具体的に指摘してみようと思います。
★まず、旧時代の遺物、形骸化し死語と化している典型としては、「原動機付自転車」の規定が挙げられます。道路交通法第2条の第1項第10号には、「原動機付自転車」とは、「内閣府令で定める大きさ以下の総排気量又は定格出力を有する原動機を用い、かつ、レール又は架線によらないで運転する車であって、自転車、身体障害者用の車いす及び歩行補助車等以外のものをいう」と定義づけされていますが、今日では単に「原付」と呼称されるのが一般的ですが、本来は、あくまでも「原動機付」自転車、つまり、自転車の亜種として定義づけられているのです。しかし、そのことを認識している人は多分、極めて少数、というのが実情だと思います。そこで、「雑記子」は機会あるごとに、「原付」は自転車の一種(亜種)だと思うか・・・と問いかけることを多くの人々に試みてきましたが、そう問われた人のすべてが「いや、自転車とは思えません。明らかにオートバイ(自動二輪車)の一種でしょう」と答えますので、「道路交通法では自転車の一種(亜種)と思われる定義づけをしているのです」と応じると、「それは不自然ですネ」と応じ、納得し難い顔をします。つまり、一時期(1988年・昭和63年)、全国の保有台数は1,400万台を超え、以後、次第に減少してはきましたが、2016年(平成28年)末現在でも全国でおよそ600万台も保有され、手軽に利用しやすい車として普及してきた「原動機付自転車」は、運転免許不要の自転車とは明らかに異なる車両、オートバイ(自動二輪車)の一種だと認識している人が圧倒的多数を占めているのが実態なのです。にもかかわらず、この定義を改正せず、半世紀以上もの永きにわたって放置してきたことは、関係当局および立法府である国会の明らかな怠慢以外の何物でもないと思わざるを得ません。
★ちなみに、この「原動機付自転車」の定義づけがある道路交通法が公布・施行された1960年(昭和35年)以前には、圧倒的多くの庶民にとって、自動車やオートバイ(当時はスクータータイプが主流だったか?)はまだまだ「高嶺の花」であり縁遠いものでしたが、そうした庶民の中で、自転車に農作業や漁船等に使われていたエンジンやモーターを取り付けて手製オートバイとして乗り回す者が現れ、これを規制する必要が生じた、これが「原動機付自転車」の定義づけの根拠であったと記憶しています。ですから、1960年(昭和35年)当初の道路交通法の定義には相応の妥当性があり、「総理府令で定める大きさ以下の総排気量又は定格出力を有する原動機を用い、かつ、レール又は架線によらないで運転する車をいう」とだけシンプルに規定され、現行道路交通法の当該定義の後段にある「自転車、身体障害者用の車いす及び歩行補助車等以外のものをいう」という規定はなく、かつ、「総理府令で定める大きさ以下の総排気量又は定格出力」も現行の内閣府令規定よりも大きいものでした。しかし、「原動機付自転車」の定義づけができた結果、自動車メーカー等が一般庶民の需要を見込み、この定義を満たす小型のオートバイを製作・販売し出したことにより、庶民等の手作りによる「原動機付自転車」は姿を消し、「原動機付自転車」と称する小型オートバイが普及し出した―というのが「原動機付自転車」の経緯の実情です。もちろん、「原動機付自転車」も「原動機付」車両である限り、運転免許の取得が必要であることは1960年(昭和35年)当初の道路交通法でも明確に規定されていますが、その免許取得は、いわゆる交通ルールの理解度をチェックするための「学科試験」のみで、運転実技の試験はありませんでしたから、16歳以上の誰もが容易に「原付」免許を取得することができました。そして、「原動機付自転車」として販売・普及した車は、その姿形からしても明らかに小型のオートバイ(自動二輪車)そのものであり、到底、自転車の亜種と言える代物ではなくなりました。つまり、「原動機付自転車」という「定義」上の呼称と実物は大きく乖離し、「原動機付自転車」という用語は明らかに形骸化・死語化しているのです。ですから、この実態に目をそむけず、早急に見直し、抜本的に改革すべきなのです。
★次にまた、現行の道路交通法が公布・施行されて以来、半世紀以上の時間を経過し、道路交通の状況が、当時とは、量的にはもちろん、質的にも大きな変化を遂げた今日、半世紀以上も前の規定がいまだに活き続けている結果、道路交通の事情と大きな齟齬をきたしているばかりではなく、ドライバー等の遵法意識にも悪影響を与えている規定の代表例と考えている事例を紹介してみます。それは、道路交通法第22条第1項の、いわゆる「法定最高速度」の規定です。その現行(1971年・昭和46年一部改正) 道路交通法の第22条第1項をみると、「車両は、道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度を、その他の道路においては政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならない」とあり、一般的には「法定最高速度」と称されているものの、厳密に言えば、「法律」の規定に基づき、内閣が発する命令、つまり、「政令(道路交通法施行令)」に規定されているもので、国会・衆参両院の審議を得て制定された「法律」そのものではないことをしっかり認識しておくことが必要だと思いますが、その「政令」をみると、自動車の最高速度は時速60キロ(※いわゆる「原動機付自転車」は時速30キロ)と定められています。ちなみに、1960年(昭和35年)に公布・施行された当初の道路交通法第22条第1項の規定も、やはり、「政令で定める」とあり、その政令でも、最高速度は、やはり、時速60キロと規定されています。
※ちなみに、1960年(昭和35年)に公布・施行された当初の道路交通法第22条第1項の規定は現行のものよりもシンプルで「車両が道路を通行する場合の最高速度は、政令で定める」とだけあり、また、現行の同条第2項は、路面電車およびトロリーバスに関する最高速度について規定していますが、昭和35年公布・施行当初の同条第2項は、路面電車およびトロリーバスに関する最高速度とはまったく別ものの公安委員会による指定、つまり、「公安委員会は、区域又は道路の区間を指定し、当該区域内の道路又は当該道路の区間を通行する車両について、前項の規定に基づく政令で定める最高速度と異なる最高速度を定めることができる。この場合において、前項の規定に基づく政令で定める最高速度をこえる最高速度を定めようとするときは、公安委員会は、当該道路の管理者の意見をきかなければならない」という規定でした。また最高速度を具体的に定める「政令」の規定も、自動車と原動機付自転車というシンプルなものではなく、普通乗用自動車、自動二輪車、大型自動車、乗用以外の普通自動車等々に分けて規定されていましたが、最高速度時速60キロというのは普通乗用自動車のみで、他種車の最高速度はそれ以下でした。
★ともあれ、今の道路交通法が公布・施行された1960年(昭和35年)当初、普通乗用自動車に限るとはいえ、その最高速度は時速60キロであったことは厳然たる事実で、その後、半世紀以上の時を経ましたが、その間、私たちの生活環境は信じ難いほど、目まぐるしく様変わりして、道路交通の状況も量的にも質的にも大きな変化を遂げてきましたが、いわゆる「法定最高速度」は、基本的に半世紀以上も前の1960年(昭和35年)当初のままです。ちなみに、1960年(昭和35年)当時の道路は、全国的に見れば、幹線国道といえども未舗装路が少なくなく、地方の道路のほとんどは未舗装の砂利道・土道で、歩車道の分離もほとんどなく、信号機も少なかった、その上、自動車のエンジン性能等もどちらかと言えば劣悪で、「エンスト」やタイヤのパンクも日常茶飯事だった、そんな状況のもと、普通乗用自動車と自動二輪車は時速60キロ、大型自動車や乗用以外の普通自動車は時速50キロの最高速度で走ることができたのです。その後、まさに日進月歩で道路整備が促進され、今では国道、都道府県道、市町村道はもちろん、地方の農道に至るまで、そのほとんどが舗装路となり、かつ、歩車道が分離されている道路が大半を占め、信号機等の安全施設も拡充し、かつ、自動車のエンジン性能等の走行性能は世界に冠たる信頼を得るほど優れたものになっているほか、いわゆる「衝突安全性能」も飛躍的に向上し、「安全運転支援システム」搭載車も普及し始めた、にもかかわらず、半世紀以上もの旧時代に公布・施行された「法定最高速度」が金科玉条として活き続けているのは、どう考えても合理的・妥当なことだとは思えないのです。だからこそ、多くの道路で「法定最高速度」または「規制最高速度」と、いわゆる「実勢速度」との乖離が生じ、多くのドライバーにとって「法定最高速度」または「規制最高速度」は「建て前」として形骸化し、遵法意識の低下を助長する大きな要因にもなってきたと思うのです。
★この一事をもってしても、半世紀以上も前の「旧時代」に公布・施行され、急場しのぎの一部改正という「つぎはぎ繕い」補修を繰り返し、もはや甚だしい時代遅れの「ボロ着」となっている現行・道路交通法を潔く脱ぎ捨て、「クルマ社会」の新時代、いや、これまでの「クルマ社会」とはまったく次元が異なる自動運転車(自動走行車)の実用化という文字通りの大革命が行われようとしている新たな「クルマ社会」にふさわしい道路交通法を新調すべく、早急に取り組むべきだと考えますが、指摘しておきたい現行・道路交通法の問題点はこのほかにもまだありますので、その詳細検討は次回に回すこととして本稿は一応の結びとします。(2018年7月20日)