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これは、かつて大学生に対してアンケートをした結果です。教習所へ通った際に、「最も記憶に残った指導員の印象は?」という問いに対し、教習中に褒められたこと―という答えが一番多く、あまり記憶に残らなかったこととしては、叱られたことや怒鳴られたことを挙げています。つまり、自身の感情に投影されたイメージとして、好ましい印象というのは記憶に持続効果をもたらしますが、逆に悪い印象というのはできるだけ消去したいとする意識が働き、記憶にも残らないことを示しています。
「相手を叱る」というのは極めて感情的であり、どちらかというと認知的な不協和の状態を作りやすく、相手のお叱りをハイハイと聞いてはいても、内心、「そんなことはわかっている…」というように、相手の意見を受け入れるよりも自説を通すことによって不協和を解決するわけです。このため、学習の効果は上がらず、どうしても言われたことだけその通りにやるという「指示待ち人間」を形成しがちで、積極性の高い応用動作を要求される運転行動を形成するにあたっては、叱ることは禁物ということになります。
逆に「褒める」という行為は、コーチングの技法のなかでも重要なポイントであることは前回指摘しました。これにより、相手は自分のことをよく理解してくれている…という「共感」を生み、より積極的な行動が期待されるわけです。別な言い方をすれば、「やらされ感」からの脱却ということでしょうか。言われたからやる、仕方なくやる―のではなく、「やろう → やれる → やりたい」というように、承認のスキルを用いて、相手から積極性を引き出すことができます。ただし、「褒め殺し」という言葉があるように、程度を超えての褒め言葉は相手に不快感を与えてしまい、逆効果になることには留意しましょう。
さて、運転教習の場ですが、教習カリキュラムの前段では、機器の扱い方であるとか法令の理解といった、いわゆる詰め込み型のティーチングが主体となります。しかも集団での授業という形ですので、個人個人の特性に合わせたコーチングの形式がとりにくいといえます。このように、運転教習のごく初期の段階では、生徒は全く未知の世界に入ることから、当然、ティーチングに徹する必要があります。
しかし、徐々に車に慣れてきて基本動作ができ上がってきますと、運転の世界も少しずつ広がってくるようになり、いろいろな運転行動も自分で考えてやるようにもなります。この段階になると、いわゆる「手取り足取り」のティーチングから徐々にコーチングを組み入れる必要があります。
教習カリキュラムが進行し、路上教習というレベルになりますと、指導員と教習生とは一対一の関係となります。さらに、運転席の生徒と助手席の指導員との位置関係も横並びで平等になり、コーチングにふさわしい形といえます。こうするのだ、こうすべきだ、と説得するのではなく、なぜこうした方がよいのか、この辺りをコーチングの技法により進めることにより、生徒は納得するでしょうし、将来同様な場面において自発的に好ましい行動がとれるようになるわけです。
例えば、路上教習で信号交差点を左折する場面を想定しましょう。生徒がウインカーを出し忘れて左折したとします。その際に指導員の先生が「はい、ウインカーを出して!」と指示しますと、生徒はあわててウインカーを出すでしょう。しかし、これは「言われたことをやる」だけであり、教習効果は上がりません。これに対し、車を安全な場所に止め、あの交差点での行動を振り返らせ、ウインカーの出し忘れという行動について、「なぜウインカーを出すことが必要か?」を考えさせることにより、自力で行動を修正できるよう促すことが可能となります。
次に、左折時に左方のバイクに気づくのが遅れ、急ブレーキをかけて停止したとします。このとき生徒は相当あがっていますから、この場でのコーチングは、うまく停止したことを褒める程度にします。そして、落ち着いてから「あのとき急ブレーキをかけたけど、なぜ左側のバイクの挙動に気づかなかったの?」というように問いますと、きっと生徒は、相手のバイクが急に眼に入ってきたのでどうしようもなかった…というように自己弁護するでしょう。
これに対し、「ちょっと危なかったね。でも、よく急ブレーキをかけられたね。君の腕もずいぶんと上がったものだ」などと、むしろ援護射撃をします。生徒は、指導員の先生は自分のやったことを正当化してくれた…と感じるでしょう。そして次の段階で、「あのとき、急ブレーキを踏まなくても済んだかもしれない。それを考えてみよう」と言い、教習生から答えを引き出すようにします。
「当然のことだけど、もし左側のバイクの動きをもう少し早く察知できていたら、急ブレーキを踏む必要はなかったかもしれないね。そういえば、ウインカーは出していたようだったけど、安全は確かめたのかな?」と問いますと、生徒は「実は、よく見ていなかったのだと思います」などと自分の印象を述べるでしょう。こうすることで、「なるほど、そうすると次からは、近くにいるクルマやバイクの動きに敏感になったほうがいいね」と、その後の応用動作のきっかけが作れるわけです。
こうしたやり取りを通して、生徒自らが出した答えをきっかけに、その後の生徒の運転動作が良い方向に進むことになります。一方、指導員が「もっと周りをしっかり見て運転しろよ!」と言えば、これはコーチングではなくティーチングになってしまいます。このとき生徒は無条件にハイハイと指導員の言葉に反応するでしょうが、この叱責は、先にも述べたように頭に残らず、右から左へと流れてしまいます。そして、将来同じような場面に遭遇しても、言われたことだけをやるという運転態度が崩れず、期待したような進歩がみられない…という結果を生むのです。
こうした運転教習の場はもちろんですが、企業での安全運転教育の場においても、管理者や指導者の皆さんは、一方的に教え込むティーチングのみならず、コーチングという指導法がドライバーの安全意識向上のカギになる―ということをしっかり理解し、その手法の習得・活用に努めてほしいと思います。
(2018年7月)