★この3月11日、2011年3月11日に発生した東日本大震災から8年目を迎えました。東京・国立劇場で開催された政府主催の追悼式で安倍晋三総理は「被災者一人ひとりの状況に寄り添いながら、今後も避難生活の長期化に伴う心身のケアなど生活再建のステージに応じた切れ目のない支援に力を注ぐ」と述べたということです(日本経済新聞2018.3.12所載記事)。しかし、確かに岩手・宮城県などの津波被災では「かさ上げ」、「高台地造成」がほぼ済み、その地での「災害公営住宅(復興住宅)」もほぼ予定通りその完成に近づいているとのことですが、それらの住宅等に移り住み被災地での生活再建を目指す被災者は予想外に増えていません。被災避難生活者として受けていたさまざまな支援が打ち切られるだけでなく、借り受けた各種特別融資金の返済や猶予されていた税金等の納付もしなければならなくなるうえに、それらに見合うだけの収入を得られる仕事のメド等が立たないからです。また、福島第一原発事故で強制退去を強いられた「帰還困難区域」でも、その解除が進んではいますが、「汚染土壌等地域」がいまだ隣接しており、元の農業・水産業で生活を営むことが見通せない等々の理由で帰還する人は極めて少数というのが実態です。元住民の意向や苦渋等を汲み取ることなく「帰還困難区域」解除という目的だけが優先されており、安倍晋三総理が述べた「被災者一人ひとりの状況に寄り添いながらの生活再建」という状況には程遠いと嘆く元住民・被災者が多くいるのが実情で、「被災者一人ひとりの状況に寄り添いながらの生活再建」が単なる「リップサービス」に終わらないことを切望すると共に、私ども国民・市民の多くが政府の動向を注視していくことが何よりも大切・必要だと切に思う日々ですが、この「雑記」の本領である交通安全界でも、ユーザー・国民との連携等の「社会受容性の確保を図っていく」としながら、一向にその動きが伴わないままに、政府の日程目標達成だけを目指し、性急に事を進めているように思えてならない重大な懸案があります。
★その懸案とは昨年の「雑記」でも何度か取り上げた「自動運転システムの実用化」です。政府は人手不足や地方での移動弱者の解消を図るため、(1)過疎地など地方で運転者が乗車しない「自動運転車」を導入して行う移動サービスと(2)高速道路で運転者がいる先頭車が複数の無人の後続車両を率いるトラックの隊列自動走行を2020年度までに実用化するとし、「その前提条件は、ITS(高度道路交通システム)・自動運転を利用し、共存することとなる市民が、そのメリットのほか、その導入に係る社会的コストやシステムの限界などを事前に把握しつつ参加することが不可欠である。特に、新たな技術である自動運転システムの社会の導入にあたっては、上述の制度面での整備のみならず、その社会受容性の確保が前提となる」「ユーザー・市民視点で、ITS・自動運転の発展に伴い、自動運転システムがどのように普及し、社会がどのように変わっていくのか、自動運転システムが社会全体の中でどのように位置づけられるのか等を分かりやすく示すことにより、市民との連携、社会受容性の確保を図っていくものとする」(『官民ITS構想・ロードマップ2017』―多様な高度自動運転システムの社会実装に向けて―中の「5.ITS・自動運転のイノベーション推進に向けた取組」より抜粋。アンダーラインは雑記子による)として、「ユーザー・市民視点」の必要性・重要性を強調しています。
※上述の制度面での整備とは、高度自動運転システムの安全基準、「システムによる運転」にかなう交通ルール等、事故時等における責任関係などです。
★しかし、内閣府による「道の駅」を拠点とした自動走行サービスの実証実験、経済産業省による遠隔監視での無人走行実験、各種民間団体による公道での無人走行実験等が全国各地で行われており、「自動運転システムの実用化」に向けた技術開発や実証実験が急ピッチで進められていることは新聞やテレビ等の報道でもよく見聞きしますが、「ユーザー・市民視点」で、「自動運転システムがどのように普及し、社会がどのように変わっていくのか」等を分かりやすく示し、「市民との連携、社会受容性の確保を図っていく」ための動きは、ほとんど全くと言ってよいほど見聞きされず、「自動運転システム」の導入に当たって不可欠とされる「ユーザー・市民視点」や「市民参加」等が単なる「リップサービス」になっているように思えてなりません。特に「雑記子」は、「制度面での整備」、なかでも道路交通法等関連法の整備の進捗状況が気掛かりです。もちろん、昨年2017年5月に策定・公表された「『官民ITS構想・ロードマップ2017』―多様な高度自動運転システムの社会実装に向けて―」中の「5.ITS・自動運転のイノベーション推進に向けた取組」の、「高度自動運転システム実現に向けた制度面の課題(大綱策定)」の項でも、「高度自動運転システムの実現のために必要な交通関連法規の見直しを含む制度整備の方向性を検討する必要があり、2017年度中を目途に、高度自動運転実現に向けた政府全体の制度整備に係る方針(大綱)をまとめるものとする」と明記していますが、その2017年度もまもなく終わります。
★ただ、新聞報道(日本経済新聞2018.1.27)によると、政府は5月をメドに「自動運転に係る制度整備大綱」をまとめ、来年2019年の通常国会で道路交通法など関連法の改正案を提出する見通しだということですから、多少の遅れはあるものの相応に進捗してはいるとみられます。けれども、それら関連法の改正案は「レベル3―4」の、運転者が全く不要の「完全自動運転」の一歩手前の「高度運転自動化」の段階に見合う、いわば暫定的な改正案になると思われます。
※ちなみに、2016年5月策定・公表の「『官民ITS構想・ロードマップ2016』―2020年までの高速道路での自動走行及び限定地域での無人自動走行移動サービスの実現に向けて―」では、「自動走行システムの定義」として、米国運輸省NHTSA(道路交通安全局)の定義を踏まえて「レベル1・単独型」、「レベル2・システムの複合化」、「レベル3・システムの高度化」、「レベル4・完全自動走行」の4段階に区分されていましたが(※太字・ゴチック体は「雑記子」による、以下同じ)、『官民ITS構想・ロードマップ2017』では、「自動運転レベルの定義」として、従前の米国運輸省NHTSAによる定義に変え、SAE(Society of Automotive Engineers)InternationalのJ3016(2016年9月)の定義を採用し、「SAEレベル0・運転自動化なし」、「SAEレベル1・運転支援」、「SAEレベル2・部分運転自動化」、「SAEレベル3・条件付運転自動化」、「SAEレベル4・高度運転自動化」、「SAEレベル5・完全運転自動化」の6段階に区分しています。
※暫定的な改正案・・・運転者が全く不要の「完全自動運転」の公道での実走行を実現するためには、自動運転と道路交通に関する条約(ジュネーブ道路交通条約ほか)との整合性を図る必要があるため、国連において国際的議論が進められています。しかし、1949年に制定され、約100カ国が批准しているジュネーブ道路交通条約には「車には運転者がいなければならない」、「運転者は常に車両を適正に操縦し、速度を制御しなければならない」との規定もあり、これを基に日本の道路交通法でも、「運転者はハンドル等を確実に操作し、道路交通状況等に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない」という安全運転義務を課していますが、「自動走行(車)」を実用化するために日本の道路交通法を改正するためには、まず、ジュネーブ道路交通条約の改正が必要不可欠となりますが、その改正を図るためには約100カ国におよぶ批准国の3分の2以上の賛成が必要となります。しかし、そもそも、「自動運転(走行)車」の普及に関心のある国はわずかで、会議にすら出ない国も多く、国際的な新たなルールづくりは極めて難航しているのが実情です(※日本経済新聞2018.3.17掲載記事参照)。そこで、世界主要各国の一部(ドイツ、米ミシガン州等)においては、運転者が全く不要の「完全自動運転」の一歩手前の「高度運転自動化」や「条件付運転自動化」(レベル3以上)の段階に見合う法制度の在り方の検討が進められていることもあり、日本もこの潮流に乗り遅れまいとしてか、まずは、「レべル3」以上の「運転自動化」の実用化をはかるものと思われますので、「暫定的な改正案」と表しました。つまり、現時点では、「レベル5」はもちろん、「レベル4」を含めた「レベル3」以上に適合する国際的ルールづくりは、そのメドすらたっていないのが実態なのです。
★もっとも、こうした、いわば暫定的な法改正でも、確かに、2020年度までに実用化する―としている(1)過疎地などでの「自動運転車による移動サービス」および(2)高速道路での「トラックの隊列自動走行」には適合することが可能なのでしょうが、それにしても、果たして、1〜2年の短期間で、「ユーザー・市民の理解を得つつ、連携を図って関連法の整備を実現する」ということができるのか、はなはだ疑問、結局は、ユーザー・市民の理解・認識が不十分なままに、ある日、唐突的に、否応なく大変革を強いられるという事態を迎えるのではないかと危惧せざるを得ないのです。改めて確認しておきますが、運転者が全く不要の「自動走行車」の実用化というのは、これまでの「クルマ社会」の基盤を根本的に覆す大革命です。ちなみに、『官民ITS構想・ロードマップ2017』では、「ITS・自動運転システムの位置づけ」として次のように記述されています。すなわち、「自動車は、1908年のフォードによる大量生産方式の開始以来、世界中に急速に普及し、現代の生活に不可欠なものとなっている。この100年以上にわたって、漸次的かつ継続的なイノベーションが進み、この結果、現代の高度な自動車が構築されてきている。しかしながら、ガソリン駆動、運転者による運転といった、その根本的な構造にこれまで変化はなかった。この自動車の根本的な構造については、今後、10〜20年の間に、非連続的かつ破壊的なイノベーションが起きるものと予想されている。具体的には、ハイブリッド化・電気自動車化の流れに加えて、近年のIT化・ネットワーク化の進展に伴う、自動運転システム化の流れである」。
★つまり、『官民ITS構想・ロードマップ2017』では、「自動運転システム化の流れ」を、「非連続的かつ破壊的なイノベーション」、つまり、技術革新として捉えています。確かに、「自動運転システム化の流れ」それ自体はイノベーション(技術革新)の賜物であることに違いはありませんが、その新技術によって登場する「自動走行車」は、道路交通関連の法体系を変え、自動車ユーザー間の人間関係をも変えるなど、様々な社会変革も強いることになるだろうと考えられますから、単なるイノベーション(技術革新)というよりは、「クルマ社会」の基盤を根本的に覆すほか、社会構造や人々の生活様式等の変革を強いられる大革命、18世紀後半、イギリスから始まった「産業革命」にも匹敵する大革命として捉えるほうがその実態をより正確に認識しやすいと考えます。しかも、その大革命は、言うところの「非連続的かつ破壊的なイノベーション」を基に、国の政策として、いわば意図的・計画的に行うことなのですから、それ故にこそ、前掲の『ロードマップ』にも明記されているように、ITS・自動運転を利用し、共存することとなるユーザー・市民が、そのメリットのほか、その導入に係る社会的コストやシステムの限界などを事前に十分に理解・把握しつつ、その参加を促進しながら推進していくことが不可欠、大前提でなければならないのです。
★しかし、にもかかわらず、ユーザー・市民の理解・認識を得つつ、その参加を促進するための動きがほとんど見られないままに、政府が目論む『ロードマップ』・日程達成ありきで、イノベーション(技術革新)だけが性急に推進されている実情は、3.11東日本大震災の復旧・復興が「被災者一人ひとりの状況に寄り添いながらの生活再建」を図ると言いながら、それが単なる「リップサービス」に終わっていると嘆く多くの元住民・被災者を生み出した構図と酷似しているように思えてなりません。重ねて、歴史的な大革命ともいえる「自動運転システム化」の「非連続的かつ破壊的なイノベーション(技術革新)」の推進は、「ITS・自動運転を利用し、共存することとなるユーザー・市民が、そのメリットのほか、その導入に係る社会的コストやシステムの限界などを事前に十分に理解・把握しつつ、その参加を促進しながら推進していく」という正常軌道に戻して『ロードマップ』の日程を見直すことを願ってやみません。折しも、3月14日、「車いすの天才科学者」として知られる英国ケンブリッジ大学の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士の死去(76歳)が報じられました。3月15日の日本経済新聞のコラム欄『春秋』によると、AI(人工知能)の今後の技術進歩について尋ねられたホーキング博士は「完全なAIの登場は人類の終焉につながる」と述べたそうですが、「自動運転システム化」の実用化がその踏み出し・第一歩にならないよう万全を期すことを切望して本稿の結びとしようとした本日、3月20日、NHK・TVの朝のニュースで、米アリゾナ州の州都フェニックス近郊で、18日深夜、運転者在の「自動運転」実験走行中の車が歩行者をはねて死亡させるという事故が発生したことが報じられました。「自動走行(車)」の実用化に当たっては、『ロードマップ』で表明している日程、あまりにも性急すぎて無理がある日程を見直し、「安全第一」、そして「ITS・自動運転を利用し、共存することとなるユーザー・市民の理解と共感、社会受容性の確保」を最優先にして慎重に進行させるべき課題であることを重ねて強調しておきたいと思います。(2018年3月20日)