★先月6月12日、最高裁第2小法廷は、2005年4月に発生、乗客106人もの死者を出した尼崎JR脱線事故(JR福知山線脱線事故)(※「雑記子」注・・・朝日新聞、神戸新聞、サンテレビは愛称の「JR宝塚線」とし、それ以外のマスメディアでは正式名称の「福知山線」としている)で、「業務上過失致死傷罪」で強制起訴されたJR西日本の歴代3人の社長に対し、一、二審での判決を支持し「無罪」としましたが、検察官役の指定弁護士が期限内に異議を申し立てなかったため、6月20日午前0時の時点で無罪が確定しました。無罪が確定した3人とは、事故現場を急カーブに替えた1996年から事故までの間に社長を務めた井手正敬元相談役(82歳)、南谷昌二郎元会長(75歳)、垣内剛元社長(73歳)のことですが、「100人以上が死に、500人以上が負傷した大事故で、誰の責任も問えないなんて残念で情けない、と無念さをにじませた」等と新聞・テレビ等では遺族らの落胆の声を報じたほか、20日午後、大阪市で記者会見を開いたJR西日本の真鍋精志会長は「『裁判で誰も責任を取らないのか』という遺族や被害者のやり場のない気持ちに対し、事故を起こした当事者として申し訳なく、心よりお詫び申し上げる」と謝罪、共に出席した来島達夫社長も「責任の重さを痛感する」と語り、深々と頭を下げたことも報じていますが、これで「一件落着!」というには、遺族や被害者ばかりでなく、一般市民の多くが到底納得しがたいことだと思います。
★しかし、6月14日付の日本経済新聞の記事によると、「『誰ひとり刑事責任を負わないのはおかしい』と思うのはもっともだが、個人の責任追及は厳格に考えなければいけない」。3社長の一審の裁判長は判決読み上げ後、遺族らに語った。日本の刑法は個人の刑事責任しか問えず、たとえ結果が重大でも、多くの部門や社員が複雑に絡む事案で個人の有罪を立証するのは難しい。最高裁は一、二審の妥当性を慎重に検討したが、一審の裁判長と同じく厳格な姿勢を崩さなかった」と解説し、「今回の事故は過密ダイヤなど様々な要因が絡み合って起きたとされており、経営幹部個人に過失はなくても、企業として事故を防げた可能性はある。企業活動が社会の中心となる中、個人の刑事責任しか問えない現行の刑法が時代に合っているかを問いかける司法判断ともいえる。英国では重大な事故などを起こした法人を罰する法人故殺法が導入された。日本でも安全管理体制などに不備があれば、企業を罰せられる法整備が必要だ」という同志社大学の刑法の専門家・川崎友巳教授のコメントを載せています。また、6月21日付の北海道新聞では「刑法対象個人のみ『組織罰』求める声も」という見出しのもと、今度の裁判で浮き彫りになった大企業の業務上の事故で個人の刑事責任を追及する難しさについて解説記事を載せています。裁判の経緯・問題点等を分かりやすく解説していますので、少々長くなりますがその全文を以下に紹介してみましょう。
★(すなわち、今度の)裁判で争われたのは刑法の業務上過失致死傷罪の成立。立証するには、個人が事故を具体的に予測でき、未然に防ぐ義務を怠ったという一連の事実を明らかにしなければならない。1982年に起きた東京・永田町のホテルニュージャパン火災の場合、オーナー社長だった被告が、消防当局からスプリンクラー設置を求められていたのに怠っており、(それが)立証可能だった。一方、(尼崎JR)脱線事故では、自動列車停止装置(ATS)の設置義務が当時なかったことなどから、有罪とは認められなかった。そもそも大企業が起こした事故の場合、「多数の人物が事故に至る過程に関わるため、個人個人の役割や責任は限られてしまい、刑事責任の立証は難しくなる」(ベテラン裁判官)のが実情だ。刑法は個人だけを処罰対象とする。企業の業務上の事故でも刑事裁判では、個人単位の過失責任を追及するため、組織的、構造的な問題の解明につながらないとの指摘は前々からあった。このため脱線事故の遺族の一部は2016年4月、「組織罰を実現する会」を正式結成。最終目標は、個人の有罪無罪にかかわらず、法人の責任を法廷で問い、罰することができる法の整備だ。実現する会によると、欧米の複数の国には、過失罪で法人を罰する規定がある。代表例が英国の「法人故殺罪」。約190人が死亡したフェリー沈没事故を契機に制定を求める声が高まり、2007年に創設された。日本での可能性はあるのだろうか。元検事の村上康聡弁護士は「企業の活動が委縮するほか、事故を起こした企業が刑事罰の罰金を納付し破産すると、被害者への支払いができなくなる事態も生じうる」とマイナス面を挙げる。一方、実現する会事務局の津久井進弁護士は「個人を罪に問えるほどの過失でなくても、組織内で積み重なれば有罪に値する。福島第一原発事故を起こした東京電力がまさしくそうだ」と指摘する。※( )内のアンダーライン部は「雑記子」が補足挿入。
★以上が6月21日付の北海道新聞の「組織罰」に関する記事のほぼ全文ですが、日本での「組織罰」の創設制定の最大のネックになっているのは、この記事の中でも紹介されていますが、元検事の村上康聡弁護士が指摘している「企業の活動が委縮するほか、事故を起こした企業が刑事罰の罰金を納付し破産すると、被害者への支払いができなくなる事態も生じうる」という点でしょう。確かに、そうした懸念はありますが、だからといって、企業等の存続や営業活動に優先権を与え、安全管理義務や事故を起こした場合の責任追及を曖昧にして良いという論理は、事故の遺族・被害者はもちろん、一般市民感情からしても断じて認め難く容認するわけにはいかないもので、圧倒的多数の社会活動が企業や行政の活動を中心として行われ、事故等による人災の多くがそうした活動に関連して発生している現実を踏まえるとき、そうした状況にある今こそ、言い古されてきた「安全第一」の理念を正しく再生・確立し社会の隅々まで浸透することが急務だと思います。そのためには、尼崎JR脱線事故の遺族・被害者らがその実現を目指しているイギリスの「法人故殺罪」等に類する「組織罰」の新設制定も必須の課題ではありますが、その「組織罰」の新設制定に当たっても拙速を避け、現状の問題点を総合的にしっかり洗い出し、妙な偏向・不平等がないものにしなければなりません。
★妙な偏向・不平等というのは、イギリスの「法人故殺罪」等に類する「組織罰」がない我が国においては、周知のように、企業等が引き起こした人災事故等は、刑法の業務上過失致死傷罪が適用できるか、できないか、という点で争われるケースが多いのですが、尼崎JR脱線事故など巨大企業や行政機関にかかわる人災事故等では、「業務上過失致死傷罪」で起訴まで持ち込まれるケースがもともと少なく(尼崎JR脱線事故も当初は神戸地検が嫌疑不十分で不起訴とされたが、近年に新設された「検察審査会」の議決に基づき強制起訴された)、また、裁判に至ったケースでも業務上過失致死傷罪が適用され、有罪とされたケースは極めて少数しかありません。しかも、有罪とされたケースでも、JRや行政機関等の巨大組織がかかわったものはほとんどなく、比較的小規模の企業や、いわゆるワンマン社長が統治し、そのワンマン社長が安全管理義務を怠ったことが明白な場合に限られるという傾向が認められます。例えば、1982年2月発生の「ホテルニュージャパン火災」では社長が有罪、1991年5月発生の「信楽高原鉄道事故」では、運転主任ら3人が有罪、2001年7月発生の「明石花火大会歩道橋事故」では明石警察署の地域官ら5人が有罪となりましたが、有罪とはいっても、「業務上過失致死傷罪」の刑罰は最高刑でも「懲役5年」ですから、「ホテルニュージャパン火災」の社長は禁固3年の実刑判決、「信楽高原鉄道事故」の運転主任らは2年ほどの禁固刑・執行猶予3年、「明石花火大会歩道橋事故」の明石署地域官ら2名は禁固2年6月の実刑、明石市の担当者3名は禁固2年6月・執行猶予5年、という程度の処罰ですんでいる一方、1985年8月発生の「日航機墜落事故」では当時の運輸省や米ボーイング社の幹部ら30人が不起訴、1996年2月発生の「北海道・豊浜トンネル崩落事故」では開発局幹部ら2人不起訴などの例にみられるように大企業・行政機関等の巨大組織の幹部らはもちろん、組織それ自体が有罪とされたことはほとんど皆無です。ですから、今や、もうあり得ないことですが、仮に、JR西日本の歴代3社長に対し有罪の判決が出され、最高刑が科されたとしても「懲役5年」ということにとどまります。乗客100人以上が死に、500人以上が負傷した未曾有の大事故にもかかわらずです。
★しかし、その一方で、たとえば、まだ多くの人々の記憶にも残っていると思いますが、2014年7月に北海道・小樽市の海水浴場出入り口通路で発生した「飲酒ひき逃げ死亡事故」(海水浴帰りの女性4人がひき逃げされ、内、3人が死亡、1人が重傷を負った)の被告(34歳の男性運転者)には「自動車運転死傷行為処罰法」の「危険運転致死傷罪」が適用され、かつ、道路交通法上の「救護義務違反」が併合され、今年2017年4月に最高裁が被告の上告を棄却し「懲役22年」の判決が確定しました。また、2015年6月に北海道・砂川市の国道で発生した飲酒・暴走ひき逃げ死亡事故(「砂川一家5人死傷事故」)の被告(28歳、男性運転者)にも「自動車運転死傷行為処罰法」の「危険運転致死傷罪」等が適用され、やはり今年2017年4月に、札幌高裁が一審・札幌地裁判決を支持して被告の控訴を棄却、被告が上訴権を放棄したことで「懲役23年」の刑が確定しましたが、いずれも、業務上過失致死傷罪の最高刑「懲役5年」と比べれば、格段に重い刑罰です。換言すれば、「業務上過失致死傷罪」の刑罰は、事の重大性に鑑みても、「自動車運転死傷行為処罰法」の刑罰に比べればあまりにも軽すぎる、と思わざるを得ません。というよりも、なぜ、自動車の死傷事故だけが格段に厳罰化され、その他の「業務上過失致死傷罪」の軽すぎる刑罰や限定的すぎる刑罰の範囲等の見直しは放置されたままなのでしょうか・・・、この点で大きな疑義を感じざるを得ません。
★周知のことと思いますが、2001年(平成13年)12月以前までは、飲酒運転等人身交通事故のすべても「業務上過失致死傷罪」によって裁かれ処罰されていました。したがって、飲酒・ひき逃げ事故等、いわゆる「悪質・危険運転」によって複数の人命を奪った事故の被告であっても、「懲役5年」が最高刑の限度でした。そのため、事故被害者の遺族らからは、結果的に殺人(犯)と変わらないのに、遺族らの心情にも反するあまりにも軽すぎる刑罰だ―との批判の声が次第に高まってきたことを受け、2001年(平成13年)12月に刑法の一部改正が行われ、最高刑を「懲役15年」とする「危険運転致死傷罪」が新設・施行されました(※2005年(平成17年)に「20年」に引き上げられた)。しかし、この「危険運転致死傷罪」は、飲酒運転等で、「正常な運転が困難な状態」で運転した場合や「制御困難なハイスピードで運転した」など特定の「危険運転」による事故に限定して適用するもので、しかも、その「危険運転」の定義にあいまいさが多く、かつ、その立証がきわめて難しいため、「危険運転致死傷罪」で起訴されるケースは希にしかなく、結局、圧倒的多数の交通(死傷)事故は、従前通り「業務上過失致死傷罪」によって裁かれるという状況になってしまいました。この結果、「危険運転致死傷罪」の刑罰(最高刑「懲役20年」)と「業務上過失致死傷罪」の刑罰(最高刑「懲役5年」)との間に格差がありすぎるという批判が高まったのを受け、2007年(平成19年)6月に、これを是正するためとして「自動車運転過失致死傷罪」が新設・施行されました。しかし、その最高刑は「懲役7年」ですから、従前の「業務上過失致死傷罪」の最高刑「懲役5年」と大差なく、「危険運転致死傷罪」適用の範囲も従前通りですから、「危険運転致死傷罪」と「自動車運転過失致死傷罪」との量刑のギャップは依然として大きく、「危険運転致死傷罪」の適用拡大、適用ハードルの引き下げを求める被害者遺族らの声は収まることなく、むしろ、一層大きくなりました。そうした世論等の動向を受けてか、「危険運転致死傷罪」と「自動車運転過失致死傷罪」を刑法から分離独立させた新法「自動車運転死傷行為処罰法」が2013年(平成25年)11月公布、2014年(平成26年)5月に施行され、いわゆる「危険運転」の適用範囲が一部拡大され、その「危険運転行為」によって人を負傷させた者は「15年以下の懲役に処する」とし、また、その行為によって人を死亡させた者は「1年以上の有期懲役に処する」と規定されました。この結果、自動車事故の加害運転者に対する刑罰は、従前の「業務上過失致死傷罪」での処罰よりも明らかに、確実に厳罰化されました。
※一般的には「危険運転行為」による死傷事故は「最高刑懲役20年」と解されていますが、これは、刑法第12条の「有期懲役は1月以上20年以下とする」という定めに基づく結果です。
★確かに、「危険運転」により、かけがえのない人命を奪われた被害者遺族らの心情に思いを寄せ、「結果責任」の観点からすれば、「危険運転」による死傷事故の刑罰の厳罰化の潮流は当然のこととも思います。しかし、その一方で、たとえば、尼崎JR脱線事故や東電・福島第一原発事故のように、誰ひとり刑事責任を負わないで済まされているというのは、そうした事故がもたらした人的被害や社会に与えたダメージの大きさを思えば、その「結果責任」の重大性や犯罪性は、「危険運転」による死傷事故のそれよりも軽いとは到底思えません。また、被害者遺族らの心情に思いを寄せても、何らの差があるものでは決してなく、にもかかわらず、先にも紹介したように、尼崎JR脱線事故の遺族らが結成した「組織罰を実現する会」のように、法人の責任を法廷で問い、処罰することができる法整備を求める活動はありますが、飲酒運転等による死傷事故に対する厳罰化を求める動きに比べれば、世論の関心も格段に低く、マスメディアの反応も小さい、というのが実情だと思いますが、なぜ、自動車の死傷事故だけが格段に厳罰化され、尼崎JR脱線事故や東電・福島第一原発事故のような大企業等の組織がその業務遂行上で発生した死傷事故については、その組織自体の刑事責任をも厳しく問う法整備は放置されたままなのでしょうか・・・、再び、改めて問い直さざるを得ません。先ごろ、国会では「改正組織犯罪防止法」が野党はもちろん、日弁連や多くの識者らが「テロ対策」という衣を被った「共同謀議取締り法」だとして反対し、多くの一般国民も政府の説明責任が不十分だとするなか、圧倒的多数の与党勢力を頼り、異例の手続きで採決・成立しましたが、「組織罰を実現する会」などが求めているのは、これとはまったく異なるものであることは言うまでもありません。しかし、この「改正組織犯罪防止法」も、結局は権力の強化に繋がるもので、もしかしたら、社会全体が権力強化の流れが強まっているのを敏感に感じ取り、やむなく「長いものには巻かれろ」の風潮に従わざるをえなくなり、その反動で、知らず知らずの間に「弱いものいじめ」に陥り、何の特権や力を持たない個人の過失による犯罪、なかでも非難しやすい「危険運転」による死傷事故の処罰だけに「結果責任」を際立たせ、厳罰化し、鬱憤を晴らしているのではないか・・・とさえ思いたくなりますが、これが「雑記子」の思い過ごしであることを願うばかりです。(2017年7月20日)