★国語辞典「広辞苑」(岩波書店)によると、「革命」とは、(1)天命をうけた有徳者が暴君に代って天子となること。易姓革命。(2)辛酉(しんゆう)の歳の称。陰陽道で、この年に変乱が多いといい、日本では改元をしてそれを避けるのが慣例であった。(3)(revolution)(イ)従来の被支配階級が支配階級から国家権力を奪い、社会組織を急激に変革すること。「フランス革命」(ロ)急激な変革。ある状態が急激に発展、変動すること。「産業革命」「技術革命」―と説明されていますが、今、革命または革命的と言えば、(3)の(ロ)、「急激な変革。ある状態が急激に発展、変動すること」の意として使用されるのが一般的であろうと思います。事実、つい先ごろの衆院選で圧倒的多数を得た安倍政権の政策看板としても、「人づくり革命」や「生産性革命」が掲げられています。果たして、どのような「人づくり革命」や「生産性革命」を意図しているのか、本当に実現できるのか・・・は、さておき、「雑記子」が、今、最も注目しているのは道路交通の革命です。とは言っても、「道路交通革命」という言葉はほとんど見聞きされませんが、今、確実に進捗している「自動運転車(自動走行車)」や「EV(電気自動車)」、「FCV(燃料電池車)」の開発技術が実現すると、道路交通には、かつてない大変革、すなわち、道路交通の革命が為されることは確実です。
★去る10月27日〜11月5日、東京ビッグサイトで開催された45回目となる「東京モーターショー2017」では、国内外のメーカーがこれまでとはまったく異質の車を多く展示しました。自動運転機能やAI(人工知能)を組み込んだ車、そして、エンジン車ではないEV(電気自動車)の数々がそれです。また、特にEV(電気自動車)の開発競争は、環境対策を強化し、2040年までにエンジン車の販売を禁止するという方針を打ち出しているイギリス、フランス両国をはじめとする欧州、シェール革命で電力価格が下がったアメリカ、都市環境問題が深刻な中国などが、次世代の自動車としてEV(電気自動車)を取り入れる方向で動きだしているというのが世界的な潮流となっています。こうした潮流を受け、EV(電気自動車)の技術開発は自動車メーカーのみならず、蓄電池やモーターの技術の蓄積がある家電メーカーも参入する動きも活発で、新聞報道(2017.10.31日本経済新聞)によると、家電量販最大手のヤマダ電機がEVを開発するベンチャー企業「FOMM(フォム)」と資本・業務提携をしたほか、韓国サムスン電子がEV向けの充電池を開発するとの新聞報道(2017.11.8日本経済新聞)もあり、先行しているテスラ(米)、ダイソン(英)などと熾烈なEV開発競争を展開しようとしています。また、「自動運転車(自動走行車)」の技術開発にはアップルやグーグル等のIT企業も参入しており、新聞報道(2017.11.1日本経済新聞)によると、米グーグルでは、自動運転車の試験場として「架空の町」を作り、公道用を含め600台の試験車を擁し、コンピューター上でも2万5,000台の「仮想の車」を走らせて、不測の事態を想定した2万通り以上のシナリオを自動運転車に学ばせ、運転を担うAI(人工知能)の精度を高め、人に一切頼らない自動運転車の開発を目指しているとのことです。
★もちろん、日本も例外ではなく、政府(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部)は、昨年2016年5月に「官民ITS構想・ロードマップ2016」を策定し、2020年までには「遠隔操作による無人バスやタクシーの実用化を目指す」という計画目標を明示、さらに今年2月には政府の成長戦略をつくる「未来投資会議」の5回目となる会合を開催し、運転者が不要な「完全自動運転車」の一部を2020年度までに実現するための「実行計画」をまとめ、2020年度には高速道路の隊列走行と地方での無人自動車による移動サービスを実用化する―という目標を公表しており、自動走行車の実現化に向けた公道での実証実験が内閣府、国土交通省、経済産業省など政府機関主導のもののほか、数多くの民間機関でも、さまざまに行われ、または近々のうちに行われる予定になっています。また、EV(電気自動車)についても、日産自動車がリードしてその技術開発・販売を行ってきましたが、その販売実績はアメリカ、欧州各国よりも劣っているのが実情です。というのも、日本では、HV(ハイブリッド車)の開発・販売が先行した上に、「脱エンジン」の行く先がEV(電気自動車)なのかFCV(燃料電池車)なのか、定まっておらず、早くからEVを本命視してその開発・販売をリードしてきた日産自動車陣営と、走行距離が長いFCVを本命とみたトヨタ自動車陣営に分かれて競争し、国もまた両方を支援してきたという経緯があるからです。しかし、現時点ではEV優勢という世界的潮流を受けて、トヨタも「東京モーターショー2017」に合わせ、EV用の高出力の次世代電池「全固体電池」を2020年代前半に実用化する計画を発表したほか、ホンダやスズキ、三菱なども次世代のEV車を展示・発表しました。
★そこで、改めて言及しますが、「EV(電気自動車)」や「FCV(燃料電池車)」の開発・普及というのは、日増しに深刻化している、いわゆる「地球温暖化」に呼応する「排ガス対策」としての自動車の「脱エンジン化」に伴う動きですが、EVに供給する電気が化石燃料による火力発電に頼っている限り、現時点では世界的潮流になっているEVも通過点にすぎず、環境負荷全体からすると、FCV(燃料電池車)こそが究極のエコカーだと思われますが、一度EVへの流れができてしまうとその潮流を止め、FCVへの再転換を図るのが至難になるという厄介な問題を抱えています。また、これまでのガソリン車は、数え方によっては、その部品点数は10万にものぼるといわれ、これらの部品を供給する強大な産業構造を有する自動車産業が国の基幹産業としての役割をも担ってきたわけですが、EVの部品数はガソリン車の10分の1で済むことにより、自動車産業界の強大な構造が大きな変革を強いられるなど、問題は山積みで、その道のりは決して平坦ではありません。しかし、「脱エンジン化」→EV(電気自動車)、FCV(燃料電池車)の開発・普及という潮流は「車社会」、道路交通史上の大変革であることは確かですが、それ以上の大改革で、文字通り、道路交通史上の大革命となるのは「自動運転車(自動走行車)」の実現だと思います。もちろん、現実的には、EV(電気自動車)、FCV(燃料電池車)の開発・普及と「自動運転車(自動走行車)」の技術開発が同時並行的に進行しているようにみられますが、敢えて整理区分すれば、EV(電気自動車)、FCV(燃料電池車)の開発・普及は、先にも記したように、地球環境問題、「地球温暖化」に呼応する「排ガス対策」としての自動車の「脱エンジン化」の流れ、すなわち、自動車の動力エネルギーの転換問題であるのに対し、「自動運転車(自動走行車)」の実現は、自動車が運転者という人を介さないで、文字通り、自動走行する乗り物に大変質する道路交通史上もしくは自動車史上の大革命となる出来事だとの大きな質的違いがあることを理解・認識しておく必要があると思うのです。
★そこで、前回の「雑記」では、「(道路交通法など)関連法の抜本的改正など社会的環境整備の進捗状況が見えぬままに進められる『自動走行』実現化に向けた実証実験等性急な動きを懸念・・・」と題し、運転者の存在を大前提として成り立っている道路交通法や自動車の安全基準(保安基準)、自動車損害賠償保障法などの関連法を革命的に変革し、運転者が存在しない自動走行車が共存するという、まったく新たな「クルマ社会」に対応できる関連法の策定・制定が必要不可欠で、政府においては、完全自動走行の実現に向け、どのような法令を整備する必要があるかをまとめた大綱を今年度中に策定し、安全基準に関する規定や事故があった場合に誰が責任を負うべきかなどを規定する関連法の改正案を、2018年にも策定する方針を表明しているが、その策定作業の進捗状況は、少なくとも、多くの一般市民には策定作業が行われているのかどうかさえ、まったく見聞きすることがない故に、運転者が存在しない自動走行車が共存するまったく新たな「クルマ社会」の到来に期待することも少なくはありませんが、それ以上に底知れぬ不安のほうが増大してしまう、という懸念を記しました。
★念のため付言しておきますが、「関連法の抜本的改正など社会的環境整備」というのは、関連法の抜本的改革のみならず、「社会受容性の確保」、すなわち、自動走行(車)を利用し、共存することとなる市民らの理解や賛同を得ておく―ということを含みます。このことは、政府(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部)が策定した「官民ITS構想・ロードマップ2016」において、「自動走行(車)を利用し、共存することとなる市民が、そのメリットを事前に把握しつつ参加することが不可欠である」と、新たな技術である自動走行システムの導入にあたっては、その社会受容性の確保の重要性を明記しています。にもかかわらず、「関連法の改正案」はもとより、今年度中に策定するとしている「どのような法令を整備する必要があるかをまとめた大綱」すら、その策定過程、進捗状況が見えないのです。こうした、「自動走行(車)を利用し、共存することとなる市民」を、いわば「蚊帳の外」においたまま急ピッチで進められる「自動運転車(自動走行車)」実現化に向けての動きに底知れぬ不安を感じ、その不安が増大している―ということを記しました。こうした「自動運転車(自動走行車)」実現化に向けての動きにかかわる懸念は、もちろん、決して「雑記子」固有のものではないはずと思っていましたが、たまたま、今年2017年8月24日の読売新聞(朝刊)の「論点」欄に掲載された≪「自動走行」過大評価を懸念≫と題する論稿を見つけ拝読したところ、「雑記子」とは若干違った観点から「自動走行」の過大評価を懸念し、「雑記子」も大いに同感できる貴重な提言をも行っています。そこで以下に、その論稿の要旨を紹介し、「自動走行(車)を利用し、共存することとなる市民」を、いわば「蚊帳の外」においたまま急ピッチで進められる「自動運転車(自動走行車)」実現化に向けての動きに、重ねて懸念を表明しておきたいと思います。
★≪「自動走行」過大評価を懸念≫と題する論稿の筆者・宮木由貴子氏は、第一生命経済研究所主席研究員、国の「自動走行の民事上の責任及び社会受容性に関する研究」の消費者代表委員の肩書を有する方で、その論稿で述べている懸念は、まず、「自動走行」技術への期待は大きいが、多くの人々がその技術を正確にイメージできているかと言えば、かなり不安である―という懸念を示し、その懸念要因として「(「自動走行」技術にかかわる)用語や呼称の定義が不明確で、統一されていない」ことを挙げています。たとえば、宮木氏はこの論稿で「自動走行」という用語を用いていますが、政府やマスコミ等では「自動運転」との表記が多用されています。ちなみに、「雑記子」も「自動運転(車)」というよりは「自動走行(車)」とするほうがより正確にイメージしやすいと考え、「自動運転(車)(自動走行(車))」もしくは「自動走行(車)」と表現するようにしています。また、宮木氏は、人間が全く関与せずに走る「完全自動走行(車)」も、「レベル5」と言ったり、「レベル4」と言われたりして基準が複数あるのも問題だとしています。さらにまた、いわゆる「自動ブレーキ」についても触れ、多くの人が自動ブレーキを「知っている」としながら、内容を問うと「人がブレーキ操作を行わなくても障害物の前で停止する機能」と過大評価している人が少なくないが、「自動ブレーキ」と通称されているものは、正確に言えば「衝突被害軽減制動制御装置」であり、そのことが消費者に十分認識されていないことにも言及し、自動走行技術実現化へ向けての動きの現状に懸念を示しています。その上で、貴重かつ必須と思われる提言をしているのです。
★すなわち、≪消費者の理解を促進するにあたって、「わかりやすさ」は不可欠である。自動走行技術の現状を正確・簡潔に認識できる呼称を検討し、統一すべきである。(また)「できること」と「できないこと」も消費者にはっきり示す必要がある。(―中略―)自動走行技術を発展させ、実用化するには、事故発生時の責任を明確にするための法整備など難題も多い。そうした議論に消費者自身が参加するためにも、用語を統一して定義を明確にすることは重要だ≫と結んでいます。この提言は、「雑記子」がこれまでこの「雑記」で幾度となく記してきた「自動走行(車)」実現に向けての最大の関門であり・難題でもある「ほとんどすべての国民に日常的にかかわる生活密着型の法律」である道路交通法をはじめ、自動車の安全基準(保安基準)、自動車損害賠償保障法などの関連法を抜本的に見直し、運転者が介在しない自動走行車が共存するまったく新たな「クルマ社会」に齟齬なくきちんと適合できる、文字通り、革命的な関連法体系を適切・迅速に構築していくためには、政府(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部)も、認識しているように「自動走行(車)を利用し、共存することとなる市民が、そのメリットを事前に把握しつつ参加することが不可欠」であり、そうした「社会受容性」を確保しながらすべての関連作業の進捗を図るべきだ―という趣旨からしても、もろ手を挙げて賛同・同意できるものです。というよりは、自動走行(車)を利用し、共存することとなる市民・消費者が、そのメリットを事前に把握しつつ、運転者が介在しない自動走行車が共存するまったく新たな「クルマ社会」を作り上げていく議論に積極的に参加していくようにするためにこそ、用語の統一、定義の明確化は不可欠・必須の課題だと思いますし、それなくしては「社会受容性の確保」は断じてできるものではないと言うべきでしょう。このことを、再三再四、強調し、最も肝心な市民・消費者を「蚊帳の外」においたままでの「自動運転車(自動走行車)の実現化」は、社会に想定以上の混乱と弊害をもたらすことになる―と、政府および関係当事者諸氏に警告して、この項の結びとします。(2017年11月20日)