★異常気象による酷寒・酷暑、大雨・大干ばつ、大規模山火事等々、未曾有の自然災害が世界各地で発生したほか、世界を揺るがす政治の混迷、暴走が各国で相次いで発生し、多くの人々が様々な底知れぬ不安にさいなまれながら過ごした1年だった、と言える2017年も終わりましたが、この「雑記子」の領分である日本の交通事故の2017年中の発生状況は「不幸中の幸い」というべきか、全国の交通事故死者数が1996年(平成8年)以降20年以上にわたって減少傾向をたどり、2016年に続いて4千人台を割り込むという好結果を残して新年を迎えました。
★新年2018年1月4日に警察庁交通局交通企画課が発表した資料によると、2017年に全国で発生した交通事故死者数(いわゆる「24時間死者数」、以下同じ)は、前年比210人減の3,694人となっています。警察庁が現行とほぼ同様の形で交通事故死者数の統計を取り始めたのは戦後間もない1948年(昭和23年)からですが、それ以降で全国の年間の交通事故死者数の最少記録となっているのは、1949年(昭和24年、3,790人)の記録で、以来、実に68年ぶりにその最少記録を更新したのが昨年の事故死者数で、「怪」記録というべきものです。もちろん、全国の年間の交通事故死者数が68年ぶりに最少記録を更新したことは喜ぶべき慶事で、素直に快記録と記すべきでしょうが、にもかかわらず、敢えて「怪」記録と記したのは、当時と今日の道路交通状況の劇的差異・変遷、さらには1971年(昭和46年)以降45年余りにわたって交通事故の発生状況と交通安全対策の状況等を取材し、関連情報を発信する仕事に携わってきた「雑記子」の経験的見識等からすると、喜ばしいことには違いありませんが、にわかには信じ難い奇怪な記録であるという側面もあり、そのことにももっとスポットがあてられて然るべきだと考えるからです。
★まず、公益財団法人・交通事故総合分析センター発行の「交通事故統計年報」と「交通統計」の「平成28年版」に所載のデータを基に、警察庁が現行とほぼ同様の形で交通事故死者数の統計を取り始めた1948年(昭和23年)以降の全国の年間の交通事故死者数と交通事故(いわゆる「人身交通事故」、以下同じ)発生件数の変遷の概略を確認してみると、敗戦後間もなくの1948年(昭和23年)には全国で21,341件の交通事故、3,848人の死者が発生したと記録されています。また、翌年1949年(昭和24年)には、それ以降の最少となる交通事故死者数が記録されていますが、その死者数とは前年比58人減の3,790人で、この年の交通事故発生件数は前年よりも3,772件多い25,113件となっています。そして、その翌年、1950年(昭和25年)には、死者数が4千人を突破し4,202人、交通事故発生件数も3万件を突破して33,212件となったのを機に、以降、毎年、交通事故件数も事故死者数も増加の一途をたどり、1956年(昭和31年)の交通事故発生件数は10万件を突破して122,691件、死者数は6,751人、その3年後の1959年(昭和34年)には交通事故発生件数が201,292件となり20万件を突破、死者数も1万人を超え10,079人、その翌年、道路交通法が制定・施行された1960年(昭和35年)には前年の2倍以上となる449,917件を記録、死者数は12,055人、さらにその3年後の1963年(昭和38年)には交通事故発生件数が50万件を突破、そして、その6年後の1969年(昭和44年)には交通事故発生件数が、いわゆる「第1次交通戦争」のピークとなる720,880件を記録、その翌年の1970年(昭和45年)には戦後、最多となっている死者数16,765人を記録、「交通安全対策基本法」が施行されました。
★そして、その翌年、1971年(昭和46年)から「交通安全対策基本法」の規定に基づく「第1次交通安全基本計画」の策定・実施に相まってか、交通事故の発生件数も事故死者数も減少傾向をたどり始めましたが、交通事故の発生件数は1977年(昭和52年)の460,649件を、事故死者数は1979年(昭和54年)の8,466人をボトムに再び増加傾向に転じ、交通事故の発生件数は年々増加し、2004年(平成16年)には最多となる952,720件もの交通事故発生件数を記録するに至りました。また、交通安全対策上、最大の懸案とされていた交通事故死者数も1980年(昭和55年)以降ほぼ毎年増加の傾向をたどり、1988年(昭和63年)には再び1万人を突破する10,344人を記録し、「第2次交通戦争」と言われる状況に入りましたが、事故死者数は1992年(平成4年)の11,452人をピークに再び減少傾向に転じ、特に2003年(平成15年)に8千人台を割り込む7,768人を記録してからは、劇的・驚愕的な減少傾向をたどり、昨年2017年(平成29年)には、先にも紹介したように3,694人にとどまり、1949年(昭和24年)以降、実に68年ぶりに最少記録を更新するという好結果をもたらしました。ちなみに、年間の事故死者数3,694人というのは、最多記録となっている1970年(昭和45年)の死者数16,765人に比較すると、実に5分の1近い数値になります。なおまた、交通事故の発生件数自体も、2005年(平成17年)以降の10年間余りは毎年減少の傾向に転じ、昨年2017年(平成29年)の全国の交通事故発生件数は472,069件(2017年末の速報値)にとどまり、「第1次交通戦争」以後のボトム、1977年(昭和52年)の460,649件に近い件数にまで減少しました。
★こうした結果だけからすれば、昨年2017年(平成29年)の全国の交通事故発生件数、事故死者数はまぎれもなく感嘆すべき快記録であるといえますが、警察庁が現行とほぼ同様の形で交通事故死者数の統計を取り始めた1948年(昭和23年)当時の道路交通状況と、今日のそれとでは質・量共に大きな格差があります。ちなみに、道路交通状況を端的・象徴的に示す自動車保有台数や運転免許保有者数を、公益財団法人・交通事故総合分析センター発行の「交通統計」(平成28年版)所載のデータで比較してみると、1948年(昭和23年)の全国(沖縄県を含まない)の自動車保有台数はわずか233,113台、2016年(平成28年)の全国の自動車保有台数は81,602,046台となっていますから、1948年(昭和23年)当時に比べ、今日の自動車の保有台数はけた違いに膨れ上がり、実に350倍にもなっているのです。また、全国の運転免許保有者数は2016年(平成28年)末現在、82,205,911人となっていますが、1948年(昭和23年)のデータは、平成28年版の「交通統計」には記載されていません。そこで、過去の関係資料をさかのぼって調べてみると警察庁交通局発行の昭和36年版「交通事故統計(年報)」に「年別運転免許数」という統計資料が記載されているのを見つけましたが、1948年(昭和23年)の「運転免許所有者数」の欄のほか、昭和20年代の「運転免許所有者数」の欄も空白で、唯一、1952年(昭和27年)の「運転免許所有者現在数」だけが記載されており、それによると、昭和27年の「運転免許所有者現在数」は1,252,938人となっています(沖縄県を含まない)。これから推測すると、1948年(昭和23年)当時の運転免許保有者数は100万人未満であったろうと考えられますが、統計数がある1952年(昭和27年)の「運転免許所有者現在数」1,252,938人と、最近年2016年(平成28年)末現在の運転免許保有者数82,205,911人とを比較してみても実に65倍以上の大きな格差が生じています。ちなみに、1952年(昭和27年)当時の人口(沖縄県を含まない)を調べてみると、8,585万余人ということですから、人口当たりの運転免許保有率は1.5%弱、つまり、国民およそ70人につき1人が運転免許を持っていたことになります。これに対し、最近年2016年(平成28年)は、人口が1億2,693万余人で、このうちの運転免許保有者は82,205,911人ですから人口当たりの運転免許保有率は65%、国民1.5人につき1人が運転免許を持っており、かつ、16歳以上の運転免許(「原付免許」を含む)取得資格年齢層(運転免許適齢人口)に限ればそのほとんどが運転免許を保有しているという、文字通りの「国民皆免許」状況で、昭和20年代後半の状況とは明らかに隔世の感があります。
★さらに、戦後間もなくの昭和20年代後半の国内の道路のほとんどは、歩車道の区分もなく、未舗装で幅員も狭く、国道といえども未舗装路が大半で、信号機も少なく、また、自動車もそのほとんどは貨物車または貨物兼用車で、乗用車は希な存在であり、かつ、そのエンジン性能等も劣悪なものでしたから、たとえば、1952年(昭和27年)の自動車保有台数当たりの交通事故発生率を算出してみると、12分の1、つまり、年間に自動車12台のうち1台という極めて高い割合で交通事故を引き起こしていたことになります。また、運転免許所有者数当たりの交通事故発生率を算出しても21分の1、つまり、運転免許所有者21人のうち1人という非常に高い率で交通事故を引き起こしていたという状況にありました。これに対し、関連統計数が出そろっている最近年2016年(平成28年)の自動車保有台数当たりおよび運転免許保有者数当たりの交通事故発生率を算出してみると、自動車保有台数当たりでは163分の1、つまり、自動車163台のうち1台という割合で、また、運転免許保有者数当たりでは165分の1、つまり、運転免許保有者165人のうち1人という割合で交通事故を引き起こしているということになりますから、1952年(昭和27年)に比べると、交通事故発生率は格段に改善されており、やはり、隔世の感があります。しかし、道路交通環境も格段に整備され、交通安全対策も拡充され、自動車の安全性能も格段に高まったとはいえ、昭和25年前後に比べても、自動車の保有台数が200倍以上に膨れ上がり、自動車の交通量もけた違いに増大している今日、交通事故死者数が68年前と同程度にまで減少したというのは、やはり、歓迎すべき快記録だとは思いますが、それでも、敢えて、「怪」記録と記するのは以下のような理由によります。
★すなわち、確かに交通事故死者数は68年前の昭和20年代前半のレベルにまで減少してはいますが、交通事故の発生件数は昭和25年前後の10数倍も発生しているなかで死者数だけが劇的・驚愕的に減少している、その点に奇怪さを感じるからです。ちなみに、昨年2017年(平成29年)の交通事故発生件数472,069件(2017年末の速報値)というのは、「第1次交通戦争」のピーク時(1969年・昭和44年=720,880件)や「第2次交通戦争」以降のピーク時(2004年・平成16年=952,720件)に比べれば大幅に減少してはいますが、それでも、「第1次交通戦争」のボトム時(1977年・昭和52年=460,649件)には及んでいません。そして、この「第1次交通戦争」のボトム時の交通事故発生件数460,649件によって発生した死者数は8,945人でしたから、昨年2017年(平成29年)の交通事故発生件数472,069件(2017年末の速報値)による死者数が4千人台を前年に引き続いて割り込み3,694人にとどまったことに代表される近年の交通事故死者数の劇的・驚愕的な減少状況は、やはり、未曾有の「怪」現象だと、捉えざるを得ないのです。もちろん、1970年(昭和45年)に「交通安全対策基本法」が制定され、その規定に従って「交通安全基本計画」が策定され、5年ごとに第1次から第10次にわたって交通安全を確保するための諸対策が実施されてきたことなどによる、いわゆる「対策効果」という側面があることは確かでしょう。しかし、少なくとも、2008年のいわゆる「リーマン・ショック」以降は、国や地方公共団体の財政が悪化するなか、たまたまか、交通事故発生件数、なかでも事故死者数が劇的・驚愕的な減少傾向をたどっていたことと相まってか、国や地方公共団体等の交通安全対策予算は年々減少してきましたので、「交通安全基本計画」に盛られていた「講じようとする施策」等の実施状況は以前に比べ明らかに停滞していることも確かです。
★にもかかわらず、交通事故死者数が文字通り劇的・驚愕的な減少傾向をたどっているのはなぜか・・・、その要因としては、車の「衝突安全性能」の飛躍的向上と普及、シートベルト着用やエアバッグ装備の普及、救急救命医療・体制の拡充等が考えられますが、それらがどのように作用して、どれほど死亡事故抑止に貢献しているのか―といった点は必ずしも科学的に検証されているわけではありません。また、「事故直前速度の低下」も事故死者減少の要因の一つと見られていますが、なぜ、「事故直前速度」が低下しているのかも未解明です。ですから、交通事故死者数の劇的・驚愕的な減少ぶりは、もちろん、大いに歓迎すべきことには違いありませんが、やはり、「怪」現象と言わざるを得ないのです。ちなみに、政府は「2020年までに年間の交通事故死者数(24時間死者数)を2,500人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」という目標を掲げていますが、警察庁は平成29年版(2017年版)の「警察白書」の中で「交通安全対策の歩みと展望」と題する特集を組み、「死者数が減少しにくい状況となっている中で、今後は、交通事故の直接的な要因を取り除く対処療法的対策のみでは(政府)目標を達成することは困難である」との認識を示していますが、こうした現状認識が出てくるのも、あるいは、現状の交通事故死者数の劇的・驚愕的な減少ぶりにある種のいぶかしさ・危うさを感じている結果なのかもしれません。いずれにしても、68年ぶりに戦後の最少記録を更新した昨年2017年(平成29年)の交通事故死者数の状況を「結果良ければすべて良し」として手放しで喜ぶのではなく、交通事故発生件数そのものは、減少傾向をたどっているとはいえ、「第1次交通戦争」のボトム時(1977年・昭和52年)前後の状況にも及んでいないなか、死者数だけが、なぜ、劇的・驚愕的に減少しているのか―という問題意識を持って、その解明に向けた取り組みをしっかり行うことこそが当面の大きな課題であることを強くアピールして本稿の結びとします。(2018年1月26日)