★2013年(平成25年)6月公布の道路交通法の一部改正により、2年後の今年6月13日までに施行することが決まっていた「悪質な自転車利用者に対する安全講習の義務化」にかかわる道路交通法施行令の一部改正が去る1月23日に公布され、今年の6月1日に施行することが決定しました。この施行令の一部改正により、信号無視や一時不停止、酒酔い運転、ブレーキのない自転車の運転など、14の違反行為を「危険行為」とし、これらいずれかの危険行為をした自転車利用者(運転者)は、基本的に、まず警察官から指導・警告書を受け、それに従わなかった場合に交通切符、いわゆる「赤切符」を交付され、罰金等の刑事罰が科せられます。そして、「赤切符」の交付を2回以上(新聞報道の一部では「3年間に」とあるが、施行令にはその規定がみられない)受けた者に「安全講習」の受講が義務づけられ、受講しなかった場合は5万円以下の罰金刑が科せられる―というもので、「安全講習」は3時間、その具体的な内容や方法などは施行までに決めるとされています。
★この道路交通法一部改正のねらいは、近年、増加の傾向にある自転車が加害者になる交通事故を抑止するとともに、社会問題化している自転車利用者の劣悪な順法意識等の改善に資するというものですが、果たして、いわば懲罰としての「安全講習」の義務化がどれだけ効果を発揮するか、「雑記子」はいささか懸念を抱かざるを得ません。というのも、端的に言えば、問題解決に至る手順がまったく逆だ、と思うからです。つまり、自転車が加害者になる交通事故の増加は、自転車利用者の順法意識等の劣悪化がその1つの要因になっていることは確かだと思いますが、問題は、なぜ、自転車利用者の順法意識等が劣悪化したのか、です。この点を解明しないで、懲罰としての「安全講習」を義務化しても、一時的、部分的効果はあるかもしれませんが、「危険行為」を繰り返してきた自転車利用者の順法意識等の改善が図られるような「安全講習」が実現できるとは思えないからです。すなわち、自転車利用者の順法意識等が劣悪化した根本的要因が明らかにされなければ、どのような内容・方法の「安全講習」が効果的なのか、という最も肝心な部分の答え、方向性を見いだせるはずがないということです。現に、「安全講習」の時間枠は「3時間」と決まっているのに、肝心の講習内容や方法はまだ決まっていません。これは、やはり、手順が逆だと言わざるを得ません。つまり、自転車利用者の順法意識等が劣悪化したのは、これこれの要因によると考えられるから、その改善を図るためには、このような内容・方法の講習(教育)が必要だ、したがって、その所要時間は○○時間必要・・・という手順によって決められるべきものだということです。にもかかわらず、講習の時間枠だけがあらかじめ決定され、施行までに講習の内容・方法を決めていくという真逆の手順では、果たして、「安全講習」の受講対象となった自転車利用者の順法意識等の改善に資する「安全講習」を実現することができるのか、大いなる疑義を抱くとともに、結局は、せっかくの「安全講習の義務化」も懲罰の1つとしての役割に終始してしまうのではないかと懸念します。
★過去の「雑記」でも、何度となく述べてきましたが、自転車利用者の順法意識等が劣悪で、無法・無秩序な通行が横行しているのは、そもそも、自転車利用者が守るべき、いわゆる「自転車の交通ルール」が、道路交通の実態とかけ離れた形骸的なものになってしまったことが最大の要因です。まず、周知のように、現行の道路交通法では、「自転車」は「自動車」と同じ「車両」の一種として定義されています。したがって、自転車は「車道通行が原則」と規定されており、歩道通行による自転車の加害事故が増加傾向にある今日、改めて「自転車は車道通行が原則」というキャンペーンを大々的に展開することを「自転車の安全対策」の主要な柱の1つとして推進するとともに、先に紹介した自転車による「危険行為」の1つに「歩道での歩行者妨害」を規定し、「安全講習の義務化」の対象にもしたわけです。しかし、自転車利用者の多くが、「車道通行が原則」の規定を守らず、歩道通行をするようになったのは、自転車利用者に対する「ルール教育」やキャンペーン等が必ずしも組織的・系統的に十分に行われてこなかったことにより「自転車の交通ルール」自体をよく知っていない、ということもあると思いますが、「車道通行」をすることによる自動車との交通事故の脅威・危険を強く感じ、いわば、自己防衛として「歩道通行」を選択せざるを得ない、という道路交通の現状のもと、ルールを守れば自らの安全が損なわれるという「ルールと安全のかい離」こそが自転車利用者の順法意識の劣悪化の最大要因だということです。
★もちろん、ルール(道路交通法)上においても、自転車の安全を確保するための取組みもなされてはきました。たとえば、自転車と自動車との交通事故が目立ってきた1970年(昭和45年)には、道路交通法の一部改正によって「自転車道」の定義が新設され、車道の一部に縁石線等によって区画された自転車専用のスペースの敷設を促進することとしました。しかし、せっかく設置した「自転車道」の規定にもかかわらず、その実際の設置はあまり促進されなかったため、自転車は、依然として交通事故の危険にさらされる「車道通行が原則」のもとにおかれた結果、自己防衛としての「歩道通行」を選択せざるを得ない状況が続きました。そして、昭和50年代に入ると、全国の交通事故発生件数が再び増加の傾向に転じはじめ、なかでも、いわゆる「自転車事故」の増加が顕著になり、自転車利用者の圧倒的多数が「車道通行」に一層の危険・脅威を感じ、自己防衛のため「歩道通行」をせざるを得ない状況が拡大しました。警察庁等は、これによる法秩序の乱れをおそれたためか、1978年(昭和53年)12月に道路交通法の一部改正を行い、「普通自転車」の「歩道通行可」の規定を新設・施行しましたが、これが、自転車の「歩道通行」の一般化にさらなる拍車をかけることになった―と思います。もちろん、この「歩道通行可」という改正規定は、あくまでも例外的なもので、「普通自転車の歩道通行可」の道路標識(または後に規定された道路標示)が設置されている歩道に限って「通行することができる」というものであり、「通行しなければならない」という義務規定ではありません。また、「自転車」のすべてが「通行することができる」というものでもなく、このとき同時に新規定された「普通自転車」のみが「通行することができる」というもので、一般的に普及している自転車の大多数はこの「普通自転車」に該当しますが、ツーリング専用の自転車や、いわゆる「マウンテンバイク」などのなかにはこれに該当しないものも当然あります。しかし、自転車利用者の多くにそれが周知徹底されたとは言い難く、また、「普通自転車の歩道通行可」の道路標識・標示も周知徹底されなかったことと相まって、「普通自転車」であるか否かにかかわらず、また、標識・標示の有無にもかかわらず、多くの自転車利用者の「歩道通行」が当然のように一般化してしまった、ということです。つまり、道路交通法の一部改正による「自転車の安全確保」の意図はよかったが、その実現・実施がきわめて中途半端であったことが、自転車利用者の順法意識の劣悪化をもたらした、ということです。
★そこで、次に考えなければならない問題は、せっかく道路交通法の一部改正を行って「自転車道」の設置を規定したにもかかわらず、なぜ、その設置・整備が促進されなかったのか・・・、また、「普通自転車」の「歩道通行可」の規定が新設・施行されたにもかかわらず、なぜ、その周知徹底が図られなかったのか・・・、という点ですが、この問題点の回答は比較的容易です。国および地方公共団体等道路管理者において、「自転車道」の設置・整備や「普通自転車」の「歩道通行可」にかかわる標識・標示の整備および広報活動を積極的に推進し得るだけの財政的余裕がなかったということが直接的な大要因だと思いますが、それにしても、交通管理者である警察庁があえて道路交通法の一部改正を行い、「自転車道」等の新規定を設けるまでして「自転車の安全確保」を推進しようとしたのに、なぜ、道路管理者である国や地方公共団体等が積極的にその設置・整備等を推進しなかったのか、また、交通管理者である警察庁等は、道路管理者である国や地方公共団体等にその設置・整備の促進を執拗に働きかけてこなかったか・・・という疑問が残りますが、それは、「自転車道」や「普通自転車」の「歩道通行可」等の新規定を設けはしてきたが、「自転車」は「車両」の一種であり、あくまでも「車道通行」が本来の通行区分であるという大原則が最大のネックになっていたからではないかと考えます。すなわち、「自転車」は「車両」の一種であり、「車道通行」が大原則である限り、「自転車道」や「普通自転車」の「歩道通行可」の設置・整備等はあくまでも例外的対応で、第一義の課題にはなり得ないがために、その設置・整備等の積極的促進がなされなかった、ということです。さらにいえば、道路交通法における「自転車は車両の一種」という規定そのものが、すべての「自転車の安全対策」が中途半端に終始し、迷走している元凶だと考えます。
★つまり、「自転車」は「車両」の一種であり、「車道通行」が大原則とする道路交通法の下にある限り、自転車利用者は「自転車の交通ルール」を順守しようとすれば自身の安全が損なわれ、また、例外的規定の「歩道通行」をすれば、歩行者に迷惑と危害をもたらす、という悪循環が必然的に生じ、自転車は、車道でも歩道でも独自の市民権を得られないどっちつかずの中途半端な存在となり、それこそが自転車利用者の「順法意識」劣化の最大要因になっているということです。したがって、この悪循環を断ち切り、「自転車の安全対策」を真に前進させるためには、半世紀以上も前に制定された現行の道路交通法上の「自転車」の中途半端な「位置づけ」を抜本的に改め、「自転車」を、歩行者、自動車と並ぶ独自で一般的な道路交通手段としての「位置づけ」を確立し、明確な市民権を与えることが必要不可欠だと思います。そして、この実現を図るためには、現行法の一部改正という「つぎはぎ」で補てんするのではなく、半世紀前と質・量ともに大きな変化を遂げている道路交通状況を踏まえた新時代にふさわしい新たな道路交通法を創りあげなければならないと考えるものです。なお念のため、現行の道路交通法における、いわゆる「自転車の交通ルール」では、そのルールを守ろうとすれば自らの安全が損なわれるという「ルールと安全のかい離」は、「車道通行」か「歩道通行」か、という、いわゆる「通行区分」上の問題点だけでは決してありません。自転車にかかわる「ルールと安全のかい離」はそのほかにも少なからず存在しますが、ここではその代表的・典型的事例を以下に紹介して今回の結びとしましょう。
★繰り返し述べてきたように、現行の道路交通法において「自転車」は、「車両」の一種ですから、右左折等においては、自動車・原付と同様、所定の「合図」を実行しなければならないとされています。しかし、ほとんどすべての自転車にはウインカー(方向指示器)が装備されていない結果、道路交通法施行令第21条第1項に規定する「手(腕)による合図の方法」を実行しなければならないこととなります。このため、小学生などを対象に行われてきた「自転車の青空安全教室」などでは、長年にわたり「手(腕)による合図の方法」の実技指導を行ってきました。そして、(一財)全日本交通安全協会主催で毎年行われている「交通安全子供自転車全国大会」においても、「手(腕)による合図の方法」の実行具合が重要なチェックポイントにもなっています。しかし、長年にわたり、このような実技指導が繰り返し行われてきたにもかかわらず、その実技指導を受けたはずの子供たちや、かつての子供たち、つまり、現在の多くの自転車利用者が実際の道路交通場面でそれらの合図を実行している姿を見かけたことは、少なくとも、「雑記子」には一度もありません。さらに子供たちを含む一般の自転車利用者のみならず、その指導・取締りにあたる立場の警察官が自転車で通行している姿も時折見かけますが、彼らが右左折等にこの「手(腕)による合図の方法」を実行している姿を見かけたことも一度もありません。つまり、現行の道路交通法に規定されている「手(腕)による合図の方法」はほとんどまったく実践されていないのです。なぜ、このような明確なルール違反が蔓延したのか・・・といえば、その答えも明確で、ルールと安全があまりにも大きくかい離しているからです。
★たとえば、右折しようとするとき、右折しようとする地点(たとえば交差点の手前の側端)から30メートル手前の地点から合図を開始し、右折行為が終了するまでその合図を継続しなければならないと規定されていますので、ウインカー(方向指示器)が装備されていない自転車がこの合図を実行するためには、片手でハンドルを握り、もう一方の手(腕)で合図をする、つまり、最も事故発生の危険性が高い地点である交差点内やその付近において、自転車の危険な行為の1つでもある「片手運転」をしなければならないことになりますので、これは、如何に「ルール」とはいえ、誰もがその実行を嫌うのは当然で、これこそ、「ルールと安全の大きなかい離」の典型といえるでしょう。にもかかわらず、「右左折時等に所定の合図を実行しましょう」という「ルール教育」が、今日まで営々と金科玉条のごとく繰り返されてきたのです。その結果、そうした「ルール教育」を受けた子供たち等が、少なくとも、「自転車の交通ルール」というのは、しょせん、建て前的な形式にすぎないものだ・・・との意識を知らず知らずのうちにも強め、「順法精神」を希薄化する最大要因になってきたのだと考えます。したがって、今、「自転車の安全対策」上、大きな課題の1つになっている「自転車利用者のルール・マナーの改善・向上」を図るためには、現行の道路交通法上に厳然と存在する「ルールと安全の大きなかい離」を抜本的に解消する大改革を行わない限り、その実現はきわめて困難だと思います。だからこそ、繰り返しになりますが、現行の道路交通法が制定・施行された半世紀以上も前とは質・量ともに大きな変化を遂げている道路交通状況を踏まえた新時代にふさわしい新たな道路交通法を創りあげなければならないと切に思うのです。(2015年3月16日)