★今回の「雑記」は、昨今、マスコミでも注目されている国民の「安全」にかかわる2つの厄介な問題について考えてみたいと思います。2つの厄介な「安全」問題とは、「安全保障関連法案」衆院強行採決と小樽(ドリームビーチ)飲酒運転ひき逃げ事件の地裁判決のことです。いうまでもなく、この「雑記」は、交通安全を本領とするもので、その点からすると、「安全保障関連法案」衆院強行採決問題を扱うというのは、本領逸脱ではありますが、衆院で強行採決された「安全保障関連法案」が、国民の最も基本的な「安全」にかかわる重要問題であり、かつ、学者・研究者の積極的な関与というのが重要なキーワードになるという点で、小樽(ドリームビーチ)飲酒運転ひき逃げ事件の地裁判決問題と繋がると考えて、あえて取り上げてみました。
★まず、「安全保障関連法案」衆院強行採決問題ですが、7月16日、今国会の最大の焦点とされていた「安全保障関連法案」が、野党(民主党、維新の党、共産党、社民党)が採決に反発して退席するなか、自民、公明両党などの賛成多数で可決され、衆院を通過し、参院に送られましたが、いわゆる「60日ルール」もあり、9月27日までの会期内成立が確実になったということです。周知のように、この関連法案の中核は、いわゆる「集団的自衛権」の行使を認める、ということにありますが、衆院特別委員会に招致された与党推薦の憲法学者を含めた参考人全員(3人)が憲法違反と陳述したほか、全国の憲法学者のほとんどや他の学者・文化人等多くの識者らがその違憲性を訴え、また、衆院国会審議の政府説明に関しても、「まだまだ説明不足」であり、「早急な採決は反対」との世論が圧倒的多数を占め、安倍晋三総理自らも「説明不足」、「国民理解の不十分さ」を認めているにもかかわらず、戦後70年の大きな節目を迎える今年、あえて強行採決をし今国会での成立を期した、その真意はどこにあるのか、多くの疑念が残り、今後の成り行きを注視していくことが必要だと思っていた矢先の7月20日、「安全保障関連法案に反対する学者の会」の賛同者が1万人を超えたこの日、東京都内でその賛同者の学者約150人が記者会見をし、「『手遅れにならないうちに』とこれだけの研究者が、やむにやまれぬ思いで集まった」(上野千鶴子東大名誉教授)と危機感を示し、廃案を求める抗議声明を発表し、7月31日には、大学生らでつくる「SEALDs(シールズ)」と同会が共同で国会への「請願デモ」と抗議行動を行うとの新聞報道がありました(朝日、毎日、日経、北海道新聞、7月21日朝刊)。
●「7月15日衆議院特別委員会、翌16日本会議で、集団的自衛権の行使を容認することを中心とした違憲性のある安全保障関連法案が強行採決されたことに、私たちは強い怒りをこめて抗議します。
各種世論調査では、戦争法制としての本質をもつ安全保障関連法案に反対が多数となり、8割を超える大多数が今国会での成立は不必要としていた状況の中での強行採決は、主権者としての国民の意思を踏みにじる立憲主義と民主主義の破壊です。
首相自身が、法案に対する「国民の理解が進んでいない」ことを認めた直後の委員会採決強行は、現政権が国民世論を無視した独裁政治であることを明確に示しています。
衆議院憲法審査会で3人の憲法学者全員が安全保障関連法案は「違憲」だとし、全国のほとんどの憲法学者が同じ見解を表明しているにもかかわらず、今回の強行採決が行われたことは、現政権が学問と理性、そして知的な思考そのものを無視していることのあらわれです。
戦後の日本は憲法9条の下で、対外侵略に対して直接的な関与はしてきませんでした。政府は「安全保障環境の変化」を口実に、武力行使ができる立法を強行しようとしていますが、戦後日本が一貫してきた隣国との対話による外交に基づく信頼関係こそが、脅威を取り除いてきたという事実を見失ってはならないと思います。
私たちが6月15日に表明した見解は、多くの学者、大学人に共有され、いくつもの大学で、学生と教職員が一体となった取り組みが行われました。私たちは参議院での審議を注意深く見定めながら、立憲主義と民主主義を守り、この法案を廃案にするために、国民とともに可能なあらゆる行動を実行します。 2015年7月20日」
★以上が「安全保障関連法案に反対する学者の会」が発した抗議声明ですが、安倍晋三総理がこの抗議声明を目にしたかどうかは定かではありませんが、日本経済新聞(7月21日朝刊)の記事によると、同日(7月20日)の民放(フジテレビ)の番組に出演した安倍総理は、日本やアメリカに例えた家の模型を使い、「火事」や「泥棒」の例え話を交え、「安全保障関連法案」について「戦争法案とか徴兵制とか(言われるのは)全部間違っている。参院審議を通じてわかりやすく説明していく」と強調し、報道各社の世論調査で内閣支持率が低下していることに対しても、「法案への支持が低く理解が進んでいない中でこういう結果になっている」と分析したうえで、「支持率だけを大切にするなら、こういう法案を通そうとは思わない。支持率のために政治をやっているのではなく、支持をいただきながら、やるべきことをやる」と訴えた、とのことです。「安全保障関連法案」を「火事」や「泥棒」の例え話を用いて説明することが、そもそも、次元が明らかに異なる問題で、「分かりやすさ」を盾にした一種の「ごまかし」ではないかと、大いなる疑念を感じますが、いずれにしろ、安倍総理自らが認めるように、大多数の国民の理解が得られていない状況の下で強行採決して衆院を通過させ、参院に送ったことは、やはり拙速すぎる暴挙だと思わざるを得ません。特に憲法学者のほとんどが「違憲」だとしているにもかかわらず強行するその姿勢には、学者・研究者の見識よりも政治家の「政治的判断」のほうが優位性を有するなどの独善的すぎる強い「思い込み」を感じ、危惧を抱かざるを得ません。確かに、ことによっては、学者・研究者の見識よりも政治家の判断・決断が優る場合もないわけではありませんが、ほとんどの憲法学者が「違憲」だといい、大多数の国民が理解不十分で拙速すぎるとする中での、それらに反した政治家の決断は、やはり、独裁政治の謗りを免れないと思いますが、これら一連の動きの中で、「雑記子」が特に注目するのは、1万人を超える学者・研究者が結集し、その見識を持って行動を起こしたことです。特に国民の安全にかかわる問題に関しては、それが政治問題化しているときほど、政治がミスリードしないように学者・研究者は積極的に関与すべきだと思うからです。
★さて、次はこの「雑記」の本領問題である小樽(ドリームビーチ)飲酒運転ひき逃げ事件の地裁判決に関してですが、去る7月9日、札幌地裁で裁判員裁判判決公判が開かれ、裁判長は「危険運転致死傷罪」の成立を認め、被告(32歳男)に検察の求刑通り懲役22年を言い渡しました。この事犯は、昨年2014年7月、北海道小樽市銭函の海水浴場(小樽ドリームビーチ)に出入りする歩車道の分離がない幅員5メートルほどの狭い市道で、酒気を帯びて時速50〜60キロの速度で運転中、15〜20秒間スマートフォンを見ていて、前方を歩行中の海水浴帰りの4人の女性を見落として衝突し、3人を死亡させ、1人に重傷を負わせたにもかかわらず、その場から立ち去り、飲酒運転ひき逃げ事件を引き起こした、というものです。
★当初、札幌地検は、被告が酒気を帯びて運転していたことは明らかだが、飲酒の影響で「正常な運転が困難な状態」であることを自覚しながら運転した―という「危険運転致死傷罪」の要件には該当せず、運転中にスマートフォンを見るため15秒から20秒間も進路前方から目をそらしていたこと(脇見運転)が直接の事故原因とみて「過失運転致死傷罪」と道路交通法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)で起訴しましたが、被害者家族らは納得せず、「危険運転致死傷罪」の適用を求める要請書を地検に提出し、署名活動をしてその署名簿を地検に提出し、最高検察庁にも上申書を提出したりして活発な活動を行いました。そして、被害者家族らが6回にわたり地検に提出した署名数は累計7万人を超えるものになったということですが、こうした被害者家族らの活動を受けての結果なのか、地検は補充捜査を経て昨年10月に「危険運転致死傷罪」に切り替える異例の訴因変更を札幌地裁に請求し、同年11月に札幌地裁はこの訴因変更の請求を許可しました。さらに、地検は今年6月に至って「予備的訴因」として当初の「過失運転致死傷罪」と道路交通法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)の罪状を追加するよう札幌地裁に請求し、札幌地裁はこの「予備的訴因」の追加を許可するという、異例の経緯をたどり、去る6月29日、裁判員裁判の初公判が開かれ、7月9日に、裁判長は「危険運転致死傷罪」の成立を認め、検察の求刑通り懲役22年の実刑判決を言い渡した―というのがこれまでの一連の経過です。
★したがって、この裁判の争点は、裁判に至る一連の経緯からしても明らかなように、被告・弁護側が主張するように、「あくまでもこの事故の原因はスマートフォンの操作による脇見運転で、飲酒していなくても起きたもので、過失運転致死傷罪にとどまる」のか、はたまた、検察主張のように「スマートフォンの操作による脇見運転が飲酒の影響の結果で、正常な運転が困難な状態であることを自覚しながら運転していたという危険運転致死傷罪の適用要件に該当する」のか、にありましたが、判決は検察側の主張を全面的に認めたもので、「被告は当日の午前4時30分から正午すぎまでの7時間半近く、・・・略・・・、分かっているだけで生ビール中ジョッキ4杯、缶酎ハイ4、5杯、焼酎のお茶割り1杯を断続的に飲み続け、完全に酔い潰れた。2時間程度寝込んだ後も、・・・略・・・、第三者から見ても、まだ酒が残っているとうかがわれる行動をとっており、運転開始直前でも、“まだ二日酔いのような状態で体がだるく、目もしょぼしょぼしていた”というのだから、酒の影響による体調の変化を自覚するほどの酔いが残っていたと認められる。・・・略・・・、そもそも時速50キロから60キロで車を走行させながら、15秒から20秒も下を向き続ける運転態様自体が、“よそ見”というレベルをはるかに超える危険きわまりない行動だ。自殺行為に等しく、正常な注意力や判断力のある運転者であれば到底考えられない。正常な運転が困難な状態にあったことが客観的に見て明らかだ。・・・略・・・、被告は、“酒が残っていなくても今回の事故を起こしていた”と述べるが、何の根拠で酒の影響が全くないと言い切れるのか理解に苦しむ」と断じて、2006年に福岡市で市職員が引き起こした幼児3人を死亡させた飲酒ひき逃げ事件の確定判決(懲役20年)を上回る量刑、懲役22年の実刑を選択しました。
★判決後、記者会見に臨んだ遺族らは「親としての責任を果たそうという思いでここまで来た。良い結果となり、非常にうれしい」、「被告は真摯に受け止め、控訴しないでほしい」(北海道新聞、2015.7.10朝刊所載)との所感を述べていますが、被告弁護人は「弁護人の主張する事情に触れられずに判断されたのは残念。控訴は被告と相談した上で判断したい」(北海道新聞、2015.7.10朝刊所載)としていましたが、7月23日に至って、被告は地裁の判決を不服として札幌高裁に控訴しましたので、今後の展開がより一層注目されます。また、刑法学者や弁護士等の専門家においては、「市民の飲酒運転に対する厳しい感覚が反映された判決で、危険運転致死傷罪の適用は妥当な判断だ」とする刑法学者のコメントがある一方、「危険運転致死傷罪の成立に導くために相当無理を重ねている。福岡事件の最高裁決定の論拠に依拠し、『正常な運転が困難な状態』だったことを裏付ける客観的事実に乏しく、主観的に同罪を認定した」(福岡事件の被告側主任弁護人・春山九州男弁護士)との批判のほか、「問題のある判決だ。スマートフォンの操作で前を見ていなかったことが、アルコールの影響といえる根拠が弱い。被告はいつもどんな運転をして、飲酒で運転にどう影響があったのか、行動に着目すべきだ。スマートフォンを操作しながら直線道路を走行していたことは逆に、運転ができたとも言える。そうした点への言及が少なく、感情的な判決だと感じる。福岡の裁判では運転行動に対して危険運転致死傷罪が成立したのに対し、今回の判決は悪い意味で適用の幅を広げた。根拠が曖昧という悪い先例になりかねない」(交通事故に詳しい高山俊吉弁護士。いずれも北海道新聞、2015.7.10朝刊所載)との厳しい指摘もあります。
★被害者遺族の心情を思いやると、「妥当な判決で、控訴しないでほしい」という意向も十分に理解できますし、この種の悲惨な結果をもたらした事故の被告に対する裁判判決としては、これもやむを得ないか・・・、とも思いますが、事故の再発防止という観点からすると、やはり、相当に心情的で、再発防止に役立つ何物も見いだせない判決だという感想を禁じ得ません。先に紹介した高山俊吉弁護士のコメントにあるように、スマートフォンを操作しながら、幅員5メートルほどの狭い直線路を蛇行もせず、時速50キロから60キロもの速度で走行していたこと、事故後、現場から逃走し、近くのコンビニで煙草を予定通り買ったことなどからすると、飲酒の影響で「正常な運転が困難な状態」ではなかったことが逆にうかがえるからです。もちろん、事故後44分後に自首し逮捕されたときに行われた呼気検査の結果、呼気1リットル当たり0.55ミリグラムのアルコールが検出されたことから酒気を帯びていたことは明らかで、何らかの飲酒の影響があったことも否定できませんが、「正常な運転が困難な状態」にあり、それを被告が自覚していた―と断じるには、やはり、根拠に乏しいと思わざるを得ません。そもそも、この事件にかかわらず、「飲酒運転事故」のほとんどすべてが、「酒気帯び運転」という、明らかな違反で、かつ、悪質違反行為であるためか、それが、即、事故原因だとされていますが、いわゆる「酩酊状態」の「酒酔い運転」でない限り、「酒気帯び運転」そのものを事故原因とみるのは刑事訴追要因としてはともかく、事故に至った経緯の解明、事故発生のメカニズムを解明するという点ではほとんど役立ちません。「飲酒」が運転者にどのような悪影響を与え、どのような運転支障をきたし、事故に至ったのか―等について、精密・科学的な解明がなされなければ、最も肝心な再発防止には何も寄与しないと思うのです。もちろん、飲酒の一般的な悪影響については、いくつもの科学的成果が出されていますが、飲酒による影響は個人差が大きいため、特に、飲酒運転事故の裁判に当たっては、個別事犯ごとの科学的検証が必要不可欠だということですが、これまでのその種の裁判のほとんどにおいて、そうした取り組みがなされてこなかった、そのことを問題視する必要があると思うのです。特に、本稿で取り上げた「小樽飲酒運転ひき逃げ事件」のように、「危険運転致死傷罪」の適用要件を満たしているのか、「正常な運転が困難な状態」にあったのか、その判断が分かれる場合は、なおさら、飲酒の影響についての精密で科学的な解明を行ったうえで、判断を下していくべきで、いわゆる一般的常識からみて「到底考えられない」とか、「理解に苦しむ」という心情を基にした判決は、如何に多くの「市民感覚」にマッチしているとしても、厳正であるべき裁判において、あってはならないことだ考えます。
★等々と記述している間に、本稿は、いつもより、いささか長文になってしまいました。そこで、冒頭に述べた今回のキーワード、「学者・研究者の積極的な関与」をここで繋げ、稿を結ぶことにしましょう。すなわち、先に述べた「安全保障関連法案」衆院強行採決問題では、学者・研究者の積極的な関与、その知見等を無視して政治判断するという暴挙が行われましたが、小樽飲酒運転ひき逃げ事件の地裁判決では、きわめて残念ながら、学者・研究者らの積極的な関与が見られないままに、また、裁判所においても、科学的検証を取り入れることなく、心情や「一般的常識」を優先させた判決に至った、その点で共通性を感じ、大いなる疑念を抱いたのですが、「小樽飲酒運転ひき逃げ事件」の方は、被告が高裁に控訴したので、高裁裁判においては、ぜひ、「正常な運転が困難な状態」にあったのか否かについて、精密で科学的な検証と解明を行ってほしいと願いますが、ともあれ、事、国民の「安全」にかかわるすべての問題の解決に当たっては、特別に、学問的・科学的検証や知見に基づく情報公開を徹底して透明性を確保したうえで、疑念や曖昧さが少しでも残らないように論議を極め、結論を導く、という鉄則を堅持すべきだと、強く考えます・・・。(2015年7月24日)