★前回の「雑記」では、「交通事故(人身事故)の85%以上が時速40キロ以下の「事故直前速度(危険認知速度)」で発生しているにもかかわらず、安全運転確保の鉄則として「スピード出しすぎ注意!」が安全運転キャンペーンのさまざまな場で繰り返し叫ばれている、その不合理性について述べましたが、ちょうどその当時、自民党の古屋圭司国家公安委員長の発言、つまり、「歩行者が出てくる等の危険がない道路で、制限速度を20キロオーバーしたことが取締りの対象になっているのは疑問」、「取締りのための取締りになっている傾向があり、警察の信頼という視点からも疑問符がつく」という発言を巡って賛否両論が新聞等のマスコミを賑わしていたことには触れませんでしたが、つい先日、7月18日の新聞報道によると、警察庁は、交通事故の抑止に効果的な取締りや速度規制の在り方について話し合う有識者懇談会を古屋国家公安委員長の主催で設置すると発表、8月1日に初会合を開き、年内に報告書をまとめるとのことで、まずは、一歩前進と評価できると思います。
★しかし、この有識者懇談会が、果たして「効果的な取締りや速度規制の在り方」問題の根源に至るまでの抜本的領域にまで踏み込んだ議論をするだろうか・・・、あくまでも運用上の改善というレベルにとどまるのではないか・・・と懸念しています。というのも、古屋国家公安委員長が疑問を呈したのは「歩行者が出てくる等の危険がない道路(規制速度時速50キロ)で、制限速度を20キロオーバーしたことが取締りの対象になっている」ということで、いわば、現行の速度違反の取締りが「取締りのための取締りになっているのではないか・・・」という運用上の疑問だったからです。しかし、問題の根源は、最高速度を時速70キロにしても安全確保上、特段の問題が生じないと思われる道路を、なぜ、時速50キロに規制しているのか―であって、その規制速度の妥当性こそが問われるべきで、その点を差しおいたまま、20キロオーバー程度の違反は取締るべきではないというのは、順法を訴える立場にある国家公安委員長の発言としては軽率だと言われるのもやむを得ないと思います。
★この「雑記」でも以前に何度か触れたことがありますが、最高速度を時速70キロにしても安全確保上、特段の問題が生じないと思われる道路を、なぜ、時速50キロに規制しているのか―、そうした現行の規制速度の根拠となっているのは道路交通法上の最高速度制限(法定速度)で、この道路交通法が制定施行されたのは今から半世紀以上も前の1960年(昭和35年)のことで、その道路交通法では、「道路標識等による指定がない道路では政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならない」(法第22条)と規定され、政令(道路交通法施行令)の第11条において、「自動車(原動機付自転車を除く)の最高速度は時速60キロ」と定められました。また、1963年(昭和38年)の「高速自動車国道」開設に伴う一部改正により、この「法定速度」は、高速自動車国道の本線車道を除く一般道路、自動車専用道路、高速自動車国道の「非分離の二車線区間」のすべてに適用されることになり、一般的には、一般道路の「市街地」では時速40キロ、「非市街地」では時速60キロが法定の最高速度として理解されているものですが、道路交通法上、自動車(原動機付自転車を除く)の「法定最高速度」は、高速自動車国道の本線車道を除く一般道路等では、あくまでも、時速60キロというのが唯一の規定で、「市街地」では時速40キロというのは、あくまでも、公安委員会による規制の結果であり、また、道路標識等によって、時速50キロや時速30キロを最高速度として指定している道路も少なくありませんが、それらのすべては「法定の最高速度」である時速60キロが基準となっているものです。したがって、速度規制の在り方や速度違反の取締りが「取締りのための取締りになっているのではないか・・・」という疑問の根源は、半世紀以上も前に制定された「法定最高速度」が、そもそも現状の道路交通状況にそぐわないものになっていることにあるのです。
★ちなみに、道路交通法が制定施行された1960年(昭和35年)当時の道路状況は、たとえば、主要な幹線国道ですら、その多くが未舗装の砂利道で、歩車道の分離さえなかった、にもかかわらず、「法定最高速度」は時速60キロとされたのです。しかも、その「法定最高速度」は、当時の国産車のエンジン性能等の観点からしても、おそらく、「目いっぱい」の上限に近い最高速度で、極めて妥当な数値であったろうと思われます。しかし、それ以降、国産車のエンジン性能等は日進月歩で急速に向上し、今や、日本メーカーの自動車は、エンジン等の性能はもとより、燃費や安全性能の観点からしても、世界に誇れる優良車になっているほかに、道路舗装等の改善も行き渡り、少なくとも日常生活圏の道路のほとんどが舗装路となり、歩車道の分離等の安全施設整備も行き渡っており、半世紀前の道路交通状況とは質量ともに雲泥の違いがある、そういう実情の下で、半世紀以上も前に制定された「法定最高速度」がどれほどの妥当性・合理性を有しているのか・・・甚だ疑問、それこそが検討されるべき問題の本質だというのが「雑記子」のかねてからの主張です。なおちなみに、警察庁では、現行の「法定最高速度」や「規制速度」と道路交通の実情との間に見直すべきギャップが少なからずあることを認め、一般道路等の規制速度を見直すガイドラインを作り、一般道路等においても、交通状況等によっては最高速度を時速70キロや80キロに引き上げ、あるいは逆に時速30キロや20キロに制限するという作業を進行しつつありますが、こうした作業は、あくまでも「運用上の見直し」で、確かに、それで事足りる部分も少なくないとは思いますが、半世紀以上も前に制定された「法定最高速度」が今日どれほどの妥当性・合理性を有しているのか・・・の疑問がそれによって払拭できるものではありません。やはり、半世紀前と今日の道路交通状況の大きな変化を直視し、かつ、将来の道路交通状況の変化を見据え、「法定最高速度」そのものを改定することこそが本筋と考えます。
★ただ、「法定最高速度」の引き上げには根強い抵抗感があることは確かです。いわく、現行の「法定最高速度」や「規制速度」でも、「スピードの出しすぎ」による事故が多発しているのに、「法定最高速度」を引き上げれば、なおさら「スピードの出しすぎ」による事故が増加する―というのがその抵抗感の最大の根拠だろうと思います。しかし、前回の「雑記」でも取り上げましたように、そもそも、「スピードの出しすぎ」による事故が多発している―ということ自体が事故の実態とは相反する「思い込み」なのですから非常に厄介な代物といえます。前回の「雑記」と重複しますが、非常に重要な問題なので、「事故直前速度」の実態を改めて紹介してみましょう。すなわち、2011年以前過去3年間の平均データでみると、全国で年間70万件ほどに上る人身交通事故の60%ほどは時速20キロ以下の「事故直前速度」で発生している―というのが実態で、「時速40キロ以下」でくくれば実に85%以上の事故がその範囲に入ってしまいます。また、「違反種」別の事故発生状況をみても、「最高速度違反」が「主違反」とされたものはわずか1%未満しかない―というのが実態です。さらに死亡事故に限ってみても、高速道路での事故を含めて時速80キロを超えた「事故直前速度」での死亡事故は数%にとどまり、時速40キロ超から60キロ以下での死亡事故が40%ほどを占めてはいますが、時速40キロ以下での死亡事故が40%以上を占めているのが実態で、「最高速度違反」が「主違反」とされた死亡事故も7%ほどしかありません。さらにいえば、弊社編集部が(公財)交通事故総合分析センターから入手した基礎データを基に分析検証した結果によれば、人身交通事故の95%、死亡事故の60%は「規制速度以内」の速度で発生している―という実態もあります。つまり、交通事故統計データの分析結果からする限り、「スピードの出しすぎ」による事故が多発しているとか、ハイスピード走行になるほど事故が発生しやすい―といえるデータや科学的根拠は何もないのです。
★もちろん、安全という問題には、事故の未然防止だけではなく、事故後の被害軽減という問題も含まれ、その観点からすれば走行速度が低いほど、事故時の被害は軽減されることは確かですから、妥当なレベルでの速度規制が必要であることは言うまでもありません。しかし、事故の未然防止、安全運転の確保という観点からは、走行速度が高くなるほど事故発生の危険性が無条件に高くなる―という単純な因果関係には決してないという点を厳格に認識した上で「法定最高速度」や「規制速度」の妥当なレベルを検討すべきです。もちろん、一口に「妥当なレベル」といっても、単純明快で不変な答えが存在する問題ではありませんので、多角的な観点での議論を通し、大多数のドライバー等が納得できる「法定最高速度」や「規制速度」を制定すべきですが、その一つの目安になると考えられるのが「実勢速度」や「平均走行速度」でしょう。ちなみに、「実勢速度」というのは、その道路を走行する大多数のクルマが実際にそのスピードで走っている速度であり、国交省が定期的・定点的に行っている交通量調査の際などに計測されている「平均走行速度」と近似していると思われるものですが、いずれにしろ、あくまでも一つの目安にすぎません。要は、せっかくの有識者懇談会が、「効果的な取締りや速度規制の在り方」という運用上の問題点等をまとめ上げるにとどまらず、現行の「法定最高速度」が道路交通の実態にマッチングしているかどうか、問題の根源に踏み込んだ論議を期待すると同時に、有識者懇談会の論議のみで報告書をまとめ上げるのではなく、有識者懇談会の論議の過程をも公開し、広くドライバー等国民の意見も聞きながらまとめ上げるという手順を踏んでいただきたいと願うものです。(2013年7月26日)