★毎年恒例の「春の全国交通安全運動」がこの4月6日から15日までの10日間にわたって展開されています。とはいっても、問題の交通事故が、全国的には、この10年間ほど着実な減少傾向をたどっており、なかでも懸案だった交通事故死者数は劇的な減少傾向をたどり、2009年から昨年までの3年間、連続して5,000人を割り込んでいることと、地方自治体の財政悪化が拡大していることが相まってか、「運動」の内実、市町村等各地域での交通安全を推進する諸活動は、その数・規模が年々縮小しているのが実情で、今年の「春の全国交通安全運動」でも、初日また前日にこそ、「運動」のスタートを知らせるセレモニー行事が相応に行われたことがテレビ・新聞等のメディアで報じられましたが、それ以外は「運動」実施中を知らしめる動きがあまり見聞きされず、かつてに比べれば、何とも盛り上がりに欠けた「運動」になっているというのが実感です。
★ただ、この「運動」の期間が小学校や幼稚園等の新入学・新入園の時期に重なっていることもあって、新入学・新入園児童に対する「交通安全教室」だけは、「運動」のスタートを知らせるセレモニー行事としても恰好のものとあってか、テレビ・新聞等のメディアでも、その実施がしばしば報じられていました。しかし、そうした「交通安全教室」での指導状況をみると、交通安全指導や交通安全教育のお粗末さに落胆せざるを得ません。お粗末な交通安全指導や交通安全教育とは、この「雑記」でも、以前に取り上げましたが、「手を上げて横断歩道を渡りましょう」というあの厚顔無知な指導が相変わらず繰り返されていることです。
★以前の「雑記」の繰り返しになりますが、いわゆる「手上げ横断」というのは、今から半世紀ほども前の1963年(昭和38年)の秋の全国交通安全運動の重点推進事項の一つとして、歩行者が横断歩道を渡るときは、必ず手を上げて合図をし、車が止まったことを確かめてから渡り始める、また、運転者は車を止めて歩行者に手を振る―という「手で合図し合う運動」が推奨され、翌年の春の全国交通安全運動では、「横断歩道、人も車も手で合図」というスローガンも掲げられましたが、これが、いわゆる「手上げ横断」の発端です。
★こうした運動が推進されるようになった背景には、当時の横断歩道の多くには信号機も少なく、そうした「横断歩道を渡る歩行者のなかには、車の流れを無視してゆうゆうと歩くものがいる。また、横断歩道で停止している車の脇を平気ですりぬけていく運転者も多い。これはいずれも連帯感が欠けているためである」(読売新聞・S38・10・7社説)といわれるような状況があり、これを正すためには、横断しようとする歩行者が手を上げて「お願いします」と車に合図をおくり、運転者が車を止めて手を振り「どうぞ」と会釈をし、社会的連帯感を育成することが大切であり、その手段として「手で合図し合う運動」、「横断歩道、人も車も手で合図」ということが推進されたのです。
★しかし、この「手で合図し合う運動」がいつの間にか変質し、横断歩道や信号機の有無にかかわらず「手を上げたまま横断する」という、趣旨もアクションも当初とはまったく異質の歩行者だけに課せられる「安全な横断の方法」の典型的事例として指導現場に流布し、定着してしまった―というのが、いわゆる「手上げ横断」の実態なのです。
★ちなみに、1967年(昭和42年)に当時の文部省体育局監修により日本学校安全会が発行した小学校向けの『交通安全指導資料―第1集』の第2章の指導事例・小学2年生に対する「道をよこぎるとき」という主題の項には、信号機のある交差点、信号機のない交差点ともに、「右折車、左折車のある場合には、手をあげて合図をし、停車したのを確かめてから渡り始める」とあり、また、小学1年生に対する「みちをよこぎるとき」という主題の項の「指導のねらい」には、「右、左をよく確認し自動車に合図をして渡るようにさせる」とあり、当初の「手で合図し合う運動」の趣旨は活かされています。しかし、その「指導上の留意点」には、「手をあげたり、運転者の顔を見るのは、これから渡るという合図である。手をあげただけで安全であると考えないように指導することがたいせつである」と記されているのをみると、すでにこの時点で、歩行者と運転者の意思疎通法、会釈手段としての横断する前の「手上げ」は形骸化し、安全確認もなしに、手を上げたまま横断する―という危険行動に転化していたことをうかがわせます。
★そうした実情を考慮した結果かどうかは定かではありませんが、1972年(昭和47年)に出された国家公安委員会告示『交通の方法に関する教則』では、「近くに横断歩道や信号機などの横断施設があるときは、必ずその施設を利用して横断しましょう」とあり、「手上げ」の記述はありません。ただ、「近くに横断歩道や信号機などの横断施設がないところでは、右左の見通しがきくところで、車のとぎれたときを選んで横断しましょう」という記述に続いて、「車がくる道路を横断するときは、手をあげて合図をし、車が止まったのを確かめてから渡りましょう」とされていますが、あくまでも当初の趣旨通り、横断する前の意思表示としての「手上げ」であり、横断中も手を上げたまま渡る―というものではありませんでした。
★しかも、その『交通の方法に関する教則』も1978年(昭和53年)に改正され、「手をあげて合図をし、車が止まったのを確かめて・・・」という記述もなくなり、「車が近づいているときは、通り過ぎるまで待ちます」という方法に変更され、「手上げ」の記述はいっさいなくなっています。さらに、1998年(平成10年)9月には、交通安全教育を行う者が効果的かつ適切な指導を行うことができるようにするための基準となる教育内容等を定めた『交通安全教育指針』が国家公安委員会告示として出されましたが、それにも「手上げ横断」の記述はいっさいありません。
★にもかかわらず、いまだに多くの指導現場では、当初の趣旨も忘れ去られ、すっかり形骸化した異形の「手上げ横断」を金科玉条のごとく指導しており、それをまたマスメディアも、あたかも交通安全のシンボルであるがごとく「手上げ横断」の指導情景を報道し、一般にもさらに流布する―という悪循環が固まっていくというわけです。指導者が、せっかくの『教則』や『指針』をまったく活用していないばかりか、『教則』や『指針』に目を通したこともない―とまで疑われる状況が垣間見えるのです。何かといえば、「ルール順守」を口にする交通安全指導者が、その指導・教育の「ルール」ともいうべき『教則』や『指針』に準拠しない指導・教育を行うことは明らかな「ルール違反」です。そのうえ、子どもたちには金科玉条のごとく「手上げ横断」を指導しながら、指導者自身はまったくそれを実践しない―、という裏切りまで行っている、そんな指導者の指導・教育が子どもたちの交通事故防止能力や交通安全意識の向上に寄与するはずがない―と苦々しく思うものですが、いかが・・・。(2012年4月12日)