★去る9月8日早朝(日本時間)、南米・ブエノスアイレスで開催されていたIOC総会で2020年の夏季オリンピックの東京開催が決定され、テレビ等マスメディアではこの久々の大朗報を賑々しく取り上げ、国民の多くも喜びました。マスメディアが伝えるところによると、最終のプレゼンに臨んだ安倍総理が「(福島原発の危険は)政府が前面に出て完全にコントロールしている」、「汚染水は限られた狭い領域内にブロックされており」「東京は安全である」と自信満々でスピーチした、それが大きな説得材料になった―との見方も伝えられていますが、実態は、汚染水漏れがその後も次々に発覚し、その対策はおろか汚染水漏れの原因すら判明しておらず、コントロールもブロックも極めて不完全な状況にあります。にもかかわらず、あの自信満々のスピーチ、それができるエネルギーは、いったいどこから出てくるのか・・・、「雑記子」は首を傾げざるを得ませんが、もしかしたら、当の本人は本当に「完全にコントロールされ、ブロックされている」と思い込んでいるのかもしれません。
★もし、そうだとしたなら、改めて「思い込み」が持つ恐ろしさ・危うさを痛感せざるを得ませんが、今度のIOC総会での安倍総理の自信満々のスピーチは、当人が仮にそう信じ込んでいたとしても、あの大震災・原発事故にかかわる被災者等の多くが、「そのスピーチは事実と異なる」と苦笑していると思いますので、多少なりとも救いがありますが、世の中には、ほとんど誰もが疑念を持たない「思い込み」も少なからずあり、交通安全においても例外ではありません。この「雑記」では、交通安全にかかわるそうした「思い込み」のいくつかを取り上げて検証してきましたが、今回は、来る9月21日から30日に実施される恒例の「秋の全国交通安全運動」に関連させ、過去にも取り上げたことがある、いわゆる「手上げ横断」の「思い込み」を再度、取り上げ、正しておきたいと思います。
★まず、ちなみに、今度の「秋の全国交通安全運動」の「重点」は、従前とほとんど同様、(1)夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止(特に、反射材用品等の着用の推進及び自転車前照灯の点灯の徹底)(2)全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底(3)飲酒運転の根絶の三つが「全国重点」となっているほか、「子どもと高齢者の交通事故防止」を「運動の基本」にするとされ、そのための推進項目として、「参加・体験・実践型の交通安全教育等の推進による交通ルール・交通マナーの理解向上と安全行動の促進」が掲げられていますから、全国いくつかの現場では、幼児・児童らを対象にした、いわゆる「交通安全教室」等が実施され、いわゆる「手上げ横断」の指導が繰り返される可能性があります。また、近年では、大手の宅配運送会社が自社の宅配運転者を組織して幼児・児童らを対象にした「交通安全教室」等に、いわゆる出前講習しており、その模様をテレビコマーシャルに活用し、頻繁に放映されていますが、その中にも「手上げ横断」の場面が登場しています。宅配運送会社の宅配ドライバーによるこの種の安全活動は大いに推奨されるべきですが、その指導内容に、重要指導項目と思い込んでか、「手上げ横断」を取り上げているのは「画竜天睛を欠く」ことにもなりますので、以下の「雑記」を参考にして、ぜひ、ご一考願いたいものです。
★「雑記子」の調査によると、今から半世紀ほども前の1963年(昭和38年)の秋の全国交通安全運動の重点推進事項の一つとして、歩行者が横断歩道を渡るときは、必ず手を上げて合図をし、車が止まったことを確かめてから渡り始める、また、運転者は車を止めて歩行者に手を振る―という「手で合図し合う運動」が推奨され、翌年の春の全国交通安全運動では、「横断歩道、人も車も手で合図」というスローガンも掲げられましたが、これが、いわゆる「手上げ横断」の発端です。
★こうした運動が推進されるようになった背景には、当時の横断歩道の多くには信号機も少なく、そうした「横断歩道を渡る歩行者のなかには、車の流れを無視してゆうゆうと歩くものがいる。また、横断歩道で停止している車の脇を平気ですりぬけていく運転者も多い。これはいずれも連帯感が欠けているためである」(読売新聞・S38・10・7社説)といわれるような状況があり、これを正すためには、横断しようとする歩行者が手を上げて「お願いします」と車に合図をおくり、運転者が車を止めて手を振り「どうぞ」と会釈をし、社会的連帯感を育成することが大切であり、その手段として「手で合図し合う運動」、「横断歩道、人も車も手で合図」ということが推進されたのです。
★しかし、この「手で合図し合う運動」がいつの間にか変質し、横断歩道や信号機の有無にかかわらず「手を上げたまま横断する」という、趣旨もアクションも当初とはまったく異質の歩行者だけに課せられる「安全な横断の方法」の典型的事例として指導現場に流布し、定着してしまった―というのが、いわゆる「手上げ横断」の実態なのです。
★ちなみに、1967年(昭和42年)に当時の文部省体育局監修により日本学校安全会が発行した小学校向けの『交通安全指導資料―第1集』の第2章の指導事例・小学2年生に対する「道をよこぎるとき」という主題の項には、信号機のある交差点、信号機のない交差点ともに、「右折車、左折車のある場合には、手を上げて合図をし、停車したのを確かめてから渡り始める」とあり、また、小学1年生に対する「みちをよこぎるとき」という主題の項の「指導のねらい」には、「右、左をよく確認し自動車に合図をして渡るようにさせる」とあり、当初の「手で合図し合う運動」の趣旨は活かされています。しかし、その「指導上の留意点」には、「手をあげたり、運転者の顔を見るのは、これから渡るという合図である。手をあげただけで安全であると考えないように指導することがたいせつである」と記されているのをみると、すでにこの時点で、歩行者と運転者の意思疎通法、会釈手段としての横断する前の「手上げ」は形骸化し、安全確認もなしに、手を上げたまま横断する―という危険行動に転化していたことをうかがわせます。
★そうした実情を考慮した結果かどうかは定かではありませんが、1972年(昭和47年)に出された国家公安委員会告示『交通の方法に関する教則』では、「近くに横断歩道や信号機などの横断施設があるときは、必ずその施設を利用して横断しましょう」とあり、「手上げ」の記述はありません。ただ、「近くに横断歩道や信号機などの横断施設がないところでは、右左の見通しがきくところで、車のとぎれたときを選んで横断しましょう」という記述に続いて、「車がくる道路を横断するときは、手をあげて合図をし、車が止まったのを確かめてから渡りましょう」とされていますが、あくまでも当初の趣旨通り、横断する前の意思表示としての「手上げ」であり、横断中も手を上げたまま渡る―というものではありませんでした。
★しかも、その『交通の方法に関する教則』も1978年(昭和53年)に改正され、「手をあげて合図をし、車が止まったのを確かめて・・・」という記述もなくなり、「車が近づいているときは、通り過ぎるまで待ちます」という方法に変更され、「手上げ」の記述はいっさいなくなっています。さらに、1998年(平成10年)9月には、交通安全教育を行う者が効果的かつ適切な指導を行うことができるようにするために基準となる教育内容等を定めた『交通安全教育指針』が国家公安委員会告示として出されましたが、それにも「手上げ横断」の記述はいっさいありません。
★にもかかわらず、いまだに多くの指導現場では、当初の趣旨も忘れ去られ、すっかり形骸化した異形の「手上げ横断」を金科玉条のごとく指導し、せっかくの『教則』や『指針』が活かされていない実情のもとで、毎年、春や秋の全国交通安全運動の初日等に、警視総監自ら幼稚園児らと一緒にその異形・異端の「手上げ横断」を実践して見せ、それをまた、多くのマスメディアが、あたかも交通安全のシンボルであるがごとく報道する―という実情が続いているのは、何とも苦々しい限りだと思うとともに、いわゆる「交通安全教育」を行う指導者が不勉強で、『教則』や『指針』という交通安全教育を行うための最低限の資料をも点検せず、自らの「思い込み」による「常識的知識」による指導・教育を繰り返している、そうした交通安全教育の実情を嘆かずにはいられません。(2013年9月17日)