★3月11日に発生した大地震から早くも3か月が経過しました。しかし、激震や大津波で壊滅的に被災した地域の復旧・復興が、いまだにそのめどすら立っていないばかりか、東京電力・福島第一原発は危機的な状況がむしろ拡大している―という現状を前に、我が国の危機管理のお粗末さにただただ呆れ、嘆かわしさと苛立ちがつのるばかりの今日この頃ですが、それもこれも、被災地の実情、被災者の窮状に立った臨機応変な対応をまず迅速に実施し、中長期的な復旧・復興対策はその後に、という緊急時の対応策の基本的視点が当局者に欠落しているのが最大の問題点だと思わざるを得ません。
★と同時に、「雑記子」がかかわってきた交通事故防止・交通安全という限られた分野ではありましたが、長年にわたって「安全思想の普及浸透」のための諸対策、広報キャンペーンや教育指導が行われてきましたが、それも、しょせん、交通事故防止・交通安全という限られた分野でのことでしかなく、本物の「安全思想の普及」にはほど遠いものであった―ということを痛烈に思い知らされ、じくじたる思いに駆られています。
★そこで、「安全思想」とは、「そもそも安全など存在しない。常にあるのは危険である」(日本ヒューマンファクター研究所長・黒田勲)という根本的思想をベースに、「起こり得る可能性があるものは、確率が低くても、現実には必ず起こる」(柳田邦男「想定外か?問われる日本人の想像力」・『文芸春秋』2011・5月号所載)と考え、「究極の安全対策は『想定外を想定する』ことに尽きる」(村串栄一「東京電力、なぜ幹部は逃げ腰なのか」・『文芸春秋』2011・5月号所載)とするのが本物の「安全思想」であり、この「安全思想」は、交通事故や労働災害はもとより、大震災などの自然災害にも共通する思想であることを改めて確認しておきたいと思います。
★こうした本物の「安全思想」が根づかず、「安全第一」という鉄則を表す言葉だけが、空念仏、免罪符としていたるところで散見される実態の大きな要因の一つとして、「安全」が、いわゆる「ルール順守」やマナーといった、いわば倫理的問題として語られる風潮が強かったうえ、肝心の「ルール」も現場の道路交通参加者の実情や変化を踏まえ、守るに値するルールになっているか等の根本的問題が論議されず、「ルール順守」という建前だけが優先されてきた―ということが挙げられると思います。
■根本的問題点が欠けている自転車の安全利用議論を嘆く・・・
★現在進行形の状態にある東日本大震災にかかわる深刻な諸問題が山積みされているため、特に震災被災地の東北地方の自治体等では、今や、交通安全問題は、二の次三の次の問題になっている―というのが「雑記子」の最大の難問ですが、ともかく、この「雑記」の本題である交通安全に立ち戻り、現状の安全議論の「ルール順守」にかかわる大きな落とし穴を述べてみたいと思います。
★ご承知のように、10年ほど前からの交通事故死の劇的な減少傾向が全国的に依然として続いていることもあって、近年、交通安全への関心は年々薄れているというのが残念ながらの実情ですが、そのなかにあって、自転車の安全利用については相応の関心がもたれ、さまざまな論議が比較的活発化しているといえます。
★いわく、交通事故そのものは減少傾向をたどっているのに、「自転車事故」は、せいぜい「横ばい」状態にあり、しかも、自転車が歩行者に危害を与えた事故は10年前の1.5倍に増加している。そしてそれは、何よりも自転車利用者の「ルール順守意識」や「安全意識」の低さによるもので、裁判所でも「歩道上での自転車と歩行者の事故の場合、歩行者には過失はない」という「新基準」を公表し、自転車の加害者に対する賠償命令も年々厳しいものになっている。だからこそ、自転車の走行環境の整備をはじめ、国の総合的な自転車政策が必要としながらも、自転車利用の悪質違反者の取締りや罰則の強化、交通安全教育の充実がまず必要とされ、小学生・中学生に対する「自転車免許証の普及」や自動車学校等での「自転車安全利用教室」の開催等の安全教育の改善などが論議されています。
★しかし、自転車利用者の乱脈通行は、「順法意識」や「安全意識」が劣悪なためではありません。そもそも、いわゆる「自転車の交通ルール」が形骸的で乱脈を極め、非現実的で理不尽な代物であることが元凶なのです。
★以前にもこの「雑記」で取り上げたことがありますが、自転車は「車両」の一種として位置づけられ、自転車は「車道通行」が原則とされ、自転車利用者には、自動車のドライバーとほぼ同様、「車両の運転者」としてのさまざまな義務や規制がかけられていることが、その最大の問題点です。
★自転車には、確かに車輪があり、その点では「車両」とみなすのも妥当かもしれません。しかし、牛や馬および牛や馬に牽引されたソリ、犬ゾリなど、車輪がないものも自転車と同様「軽車両」とされ、「車道通行」が義務づけられている一方、「スノーモービル」や「サンドバギー車」はこの範疇に入っていない―という、何とも奇妙な規定になっており、これら「軽車両」を利用する者は、都道府県公安委員会の運転免許証の取得を必要とする「自動車等」(自動車・原付)のドライバーと同様に、「車両の運転者」として一括され、道路通行上のさまざまな義務が規定されているのです。
★しかし、「自動車等」のドライバーは、都道府県公安委員会の運転免許証の取得を必要としますので、必然的に道路交通法を学ぶことになりますし、また、運転免許証の更新も義務づけられていますから、最新の道路交通法の一部改正等の情報を得る機会も法的に整備されていますが、自転車利用者など「軽車両」の「運転者」は、都道府県公安委員会の「運転免許証」も必要としないため、道路交通法を学ぶ必然的機会は皆無です。それにもかかわらず、一括「車両の運転者」として「自動車等」とほぼ同様の義務や規制がかけられる―というのはあまりにも大雑把で、理不尽であり、この点にこそ、現下の「自転車の安全利用問題」の根源があると言わざるを得ません。
★そもそも、現行の道路交通法は、毎年のように一部改正を繰り返してきたとはいえ、「車両」の定義づけなどの基本的規定は、半世紀も前の1960年(昭和35年)に道路交通法が初公布・施行されたときのままなのです。この半世紀の間に、現実の道路交通状況は、量的にも質的にも大きな変貌を遂げているにもかかわらず、自転車をはじめ、牛や馬および牛や馬に牽引されたソリ、犬ゾリ、そして牛馬車やリヤカー、荷車までもが「自動車等」のドライバーと同様に「車両の運転者」だとするのは陳腐の極みです。
★また、自転車通行の乱脈ぶりに業を煮やした警察庁は、07年に自転車利用者の指導取締りを強化するよう全国の警察本部に通達を出し、それ以来、各都道府県警察でも取締りを強化し、悪質違反者を摘発し、違反切符(赤切符)を交付した件数も年々増加しており、新聞等の報道によると、各都道府県警察では、そうした取締りをさらに強化する方針だ―と伝えていますが、自転車利用者の悪質違反の摘発・赤切符の交付を簡単に推奨するわけにはいかない根本的問題がありますし、警察の現場でも、新聞等のメディアで報じるほどには自転車利用者の悪質違反の摘発・赤切符の交付を行っていない―というのが実情です。
★念のため、交通違反で摘発され、いわゆる「赤切符」が交付されるというのはどういうことなのか、改めて確認しておきましょう。自転車利用者の場合、たとえば、道路交通法上の「信号無視」で摘発され、「赤切符」が交付されると、刑事手続き(ほとんどの場合は簡易裁判)を経て、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」で処罰され、いわゆる「前科一犯」となります。
★しかし、運転免許を保有している「自動車等」のドライバーが「信号無視」で検挙された場合は、原則的に、いわゆる青切符(交通反則切符)が交付され、最悪の「赤信号無視」の場合でも、所定の期間内に反則金(普通自動車では9千円)を納付すれば、「違反点2点」が付くだけの行政処分で済み、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」という刑事罰は受けず、いわゆる「前科」にもなりません。
★つまり、まったく同様の交通違反で検挙されたにもかかわらず、片や「運転免許」という国家資格を有している自動車等のドライバーは行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事罰を受ける―という実情にあり、これはどう考えても理不尽・不平等と言わざるを得ません。
★もともと、運転免許保有者に対する「反則金・違反点数制度」は、道路交通法施行当初からあったわけではなく、当初は自動車・原付の運転者が交通違反で検挙された場合、今の自転車利用者に対すると同様、刑事手続き(裁判)を経て刑事罰が適用されていましたが、運転免許保有者と違反検挙者の急増という事態に対し、刑事手続き(裁判)が膨大に膨れ上がり、処理しきれない事態が懸念されたうえ、そのまま推移すれば「一億総前科者」になりかねないという異常事態も懸念されたなか、いわば苦肉の策として40年以上も前の1968年に「反則金制度」が、翌69年に「違反点数制度」が施行されたわけですが、そのとき、運転免許制度のない自転車はその「反則金・違反点数制度」の適用対象外にされ今日に至った、それが先に述べた理不尽・不平等の根本的背景です。
★もちろん、「反則金・違反点数制度」の導入が論議された当初には、いわゆる「三権分立」の観点からして、一行政機関でしかない警察に「司法権」に近似した権限を委ねるというのは問題である―という議論も出されましたが、法曹界での真摯な検討がないままに導入が決定され、40年以上の長きにわたって放置されてきたというのは、法曹界の明らかな怠慢であると思わざるを得ません。そして、今日、「自動車等」のドライバーが行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事処分を受ける―という理不尽・不平等をもたらしていることに対しても、法曹界から何の対処もみられない、これも大いなる問題です。
★自転車の安全利用を議論するとき、現行の道路交通法(交通ルール)の陳腐さ、理不尽さを根源的に問い直すことなく、「ルール順守」をいくら声高に叫んでも空念仏に終わるだけでなく、むしろ、ルール軽視の土壌を拡大することにもなりかねない―と懸念せざるを得ません。
★半世紀を経て大きく変貌した実情にそぐわない道路交通法上の陳腐さを根源的に問い直すことも、未曾有の大震災により、再生日本の在り方が根源的に問われている今日の課題の一つであることを確認しておきたいと思います。(2011年6月17日)