★今回の「雑記」は、前回に引き続き、近年、「安全運転義務違反」を主違反とする交通事故の占率が年々高くなっている交通事故発生状況にかんがみ、道路交通法第70条の「安全運転義務違反」とは何か―を検証・論述する予定でした。しかし、3月11日午後2時すぎ、マグニチュード9.0といわれる東北太平洋沖を震源とする巨大地震が発生し、北海道、青森県から千葉県に至る太平洋沿岸の広大な地域が激震と大津波とそれによる火災に見舞われて壊滅し、当日から2週間を過ぎた今現在1万人を超える死者が確認され、2万人を超えると思われる行方不明者がいるほか、今なお、20万余の多くの人々が必要最小限の救援物資等も満足に行き届かない劣悪な環境の避難所で先の見えない厳しい避難生活を強いられています。そのうえ、東京電力の福島第一原子力発電所が激震と大津波でダメージを受け、発電がストップしただけでなく、核燃料の冷却ができなくなり、放射性物質が漏れ出し、近隣の多くの人々に避難指示が出され、農産物や水源の放射能汚染による出荷停止、摂取制限も行われ、原発事故の終息の見通しが立たないばかりではなく、さらなる大惨事に発展する可能性すら否定できない―という状況にある今日、この「雑記」でも今度の大震災に触れざるを得ません。大震災の核心は、多くの人命が損なわれ、生き残った大勢の人々の暮らしの安全が根底から脅かされている―という、まさしく「安全」にかかわる大問題だからです。
★まず、連日のテレビ報道によると、多くの専門家が「今度の大地震は想定を超えたものであった」ということを指摘している一方で「千年に一度の大地震」ともいわれています。そこで、手元にあるいくつかの歴史文献で調べてみると、西暦869年、清和天皇の御世、藤原北家の藤原良房が皇族以外で初めて摂政となって天皇を後見し実権を握っていた貞観11年の5月、陸奥(東北地方)で大地震が発生し、1,000人以上が死亡したとの記録がありましたが、近年、地元の研究者の調査によると、この大地震で発生した大津波は内陸数キロの地点まで達していたことを示す痕跡が発見されており、今度の大地震・大津波に匹敵する規模の大震災がおよそ千年前にも発生していたことがわかっています。この点からすると、「想定外の大地震であった」という見解は何とも虚しいものに思えてなりません。
★ちなみに、西暦869年貞観11年の8月には摂政の藤原良房が中心となった勅撰史書『続日本後紀』20巻が完成されていますが、その数年前の貞観6年には富士山が大噴火し、溶岩流が多くの農家を飲み込んだほか、本栖湖や剗海(せうみ)に流れ込み、剗海が分断され西湖と精進湖ができあがり、青木ケ原の溶岩流もこのときのものということが報告されています。
★こうした歴史的事実からしても、「千年に一度」くらいの頻度だとはいえ、地震列島ともいわれる日本列島には、今度の東北関東大震災規模の大地震・大津波が発生する可能性があったことは否定できないはずですが、にもかかわらず、専門家と呼ばれる人たちの多くから「想定外」という釈明が出てくるのはなぜなのか・・・、何とも解せない問題点の一つです。特に東京電力の福島第一原子力発電所は、少なからぬ研究者が大津波襲来の可能性を指摘していたにもかかわらずその対応策をまったく講じてこなかった―、その裏には「日本の技術は世界一、原発事故は起きるわけがない」という「安全神話」が根を張っていたと思われてなりません。「そもそも安全など存在しない。常にあるのは危険である」(日本ヒューマンファクター研究所長・黒田勲)という安全思想の根幹が欠如していたに違いありません。
★もちろん、「千年に一度」の大震災にも機能する万全な備えをすべきかどうか―は、現実問題として意見が分かれるところでしょうが、少なくとも危機管理としては、そうした規模の大地震や大津波が発生した場合にその被害を最小限にするため、どのように対処すべきか・・・、その処方はしっかり検討され、周知しておくべきでした。しかし、いまだ記憶に新しい阪神淡路大震災や新潟県中越沖地震などから多くの教訓を得、さまざまな対応が取られてきたことは確かでしょうが、それらはいわば「局地的」震災に対する対応策だったに過ぎず、今度のような広域にわたる大震災を想定した対応策は皆無に等しかったことが図らずも露呈されたのです。
★ともあれ、今はまず、被災者の救済対策に万全を期し、一日でも早く復興再建プランを策定することが急務ですが、同時並行的に近い将来、高い確率で予測されている東海地震や東南海地震等が同時発生することも視野に入れた巨大震災対策の確立も急務であることをあえて強調しておきたいと思います。特に、いまだ予断を許さない状況にある福島原発の実情をみるとき、日本全国にある稼働中の原発50数基の耐震対策と被災対策の抜本的見直しが不可欠です。そのいずれもが、これほどの大地震や大津波の襲来がまったく想定されていないからです。原発の安全確保はエネルギー問題とも密接に関係し、その安全が損なわれれば産業や経済活動の根幹が揺らぐだけでなく、人々の生命や暮らしの安全が大きく脅かされることが今度の震災で明白になりました。日本の原発は安全だ―という「安全神話」は根底から覆ったのです。今こそ、「安全第一」というスローガンを安直な免罪符として掲げるだけでなく、その安全思想の根幹の真意をしっかり認識し直し、何をさておいても「安全第一」を旨とした国づくりのために、まず、政治・行政・産業界等が率先して真摯に取り組む姿勢に転換することを願ってやみません。(2011年3月28日)