★毎年恒例の「秋の全国交通安全運動」が9月21日から30日に展開され、10月1日に警察庁が公表した資料によると、運動期間中の全国の交通事故死者数は昨年より一人少ない132人にとどまりましたが、65歳以上の死亡者は昨年と同数に終わり、運動の最重点に掲げられていた「高齢者の交通事故防止」という目標は十分に達成されなかったという状況でした。また新聞報道等ではほとんど紹介されていませんが、人身交通事故そのものの発生件数は昨年よりも10%余も増加した―という結果で終わりましたので、毎年のことではありますが、この全国運動が交通事故防止にどれだけ寄与しているのか・・・は極めて疑問であると言わざるを得ません。
★マンネリ化が指摘されながらも半世紀近くにわたって、正に毎年恒例の行事として実施されてきたこの全国交通安全運動、ここらでしっかり「事業仕分け」してみる必要があると考えます。
★ところで、「秋の全国交通安全運動」の前日、9月20日の北海道版の読売新聞朝刊に「自転車摘発 急増」と題する記事が掲載されました。近年、自転車利用者の法令違反が全国的に増えているのに対し、警察庁は07年に指導取締りを強化するよう全国の警察本部に通達を出したが、それ以来、北海道警察でも取締りを強化し、悪質違反者を摘発し、交通切符(赤切符)を交付した件数も年々増加してきたが、今年はその摘発件数が急増しており、北海道警察は「秋の運動」を機に取締りをさらに強化する方針だ―というのがその新聞記事の要旨です。悪質違反の自転車利用者の摘発・赤切符の交付件数の増加は全国的な傾向で、実際、近年、全国的に自転車利用者の法令違反が目立ち、警察等関係機関への苦情も増加しており、自転車利用者に対する指導取締りの強化を望む一般市民の声も高まっていることは確かです。
★しかし、自転車利用者の悪質違反の摘発・赤切符の交付を簡単に推奨するわけにはいかない根本的問題があることを知る人がほとんどいないのは残念極まりないことです。特に法曹界や立法にかかわる国会議員などに、その根本的問題を是正する動きがまったくといってよいほどみられないのは無知ゆえのことなのか、怠慢ゆえのことなのか、いずれにしても許されざるゆゆしき事態です。
★そこで、念のため、交通違反で摘発され、いわゆる「赤切符」が交付されるというのはどういうことなのか、改めて確認しておきましょう。自転車利用者の場合、たとえば、道路交通法上の「信号無視」で摘発され、「赤切符」が交付されると、刑事手続き(ほとんどの場合は簡易裁判)を経て、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」で処罰され、いわゆる「前科一犯」となります。
★しかし、運転免許を保有している自動車・原付のドライバーが「信号無視」で検挙された場合は原則的に、いわゆる青切符(交通反則切符)が交付され、最悪の「赤信号無視」の場合でも、所定の期間内に反則金(普通自動車では9,000円)を納付すれば、「違反点2点」が付くだけの行政処分で済み、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」という刑事罰は受けず、いわゆる「前科」にもなりません。
★つまり、まったく同様の交通違反で検挙されたにもかかわらず、片や「運転免許」という国家資格を有して自動車や原動機付自転車を運転していた者は行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事罰を受ける―という実情にあるわけで、これはどう考えても理不尽・不平等と言わざるを得ません。
★もともと、運転免許保有者に対する「反則金・違反点数制度」は、道路交通法施行当初からあったわけではなく、当初は自動車・原付の運転者が交通違反で検挙された場合、今の自転車利用者に対するのと同様、刑事手続き(裁判)を経て刑事罰が適用されていましたが、運転免許保有者と違反検挙者の急増という事態に対し、刑事手続き(裁判)が膨大に膨れ上がり、処理しきれない事態が懸念された上、そのまま推移すれば「一億総前科者」になりかねないという異常事態も懸念されたなか、いわば苦肉の策として40年以上も前の1968年に「反則金制度」が、翌69年に「違反点数制度」が施行されたわけですが、そのとき、運転免許制度のない自転車はその「反則金・違反点数制度」の適用対象外にされ今日に至った、それが先に述べた理不尽・不平等の根本的背景です。
★もちろん、「反則金・違反点数制度」の導入が論議された当初には、いわゆる「三権分立」の観点からして、一行政機関でしかない警察に「司法権」に近似した権限を委ねるというのは問題である―という議論も出されましたが、法曹界での真摯な検討がないままに導入が決定され、40年以上の長きにわたって放置されてきたというのは、法曹界の明らかな怠慢であると思わざるを得ません。そして、今日、自動車・原付の運転者が行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事処分を受ける―という理不尽・不平等をもたらしていることに対しても、法曹界から何の対処もみられない、これも大いなる問題です。
★なおまた、近年の自転車利用者の法令違反通行の増加に伴い、自転車利用者の「順法意識の向上」の必要性が叫ばれていますが、道路交通法上の、いわゆる「自転車の交通ルール」が抱えている非現実的で理不尽な諸規定を正すことなく、ルール順守をいくら叫んでも空念仏に終わるだけだ―と懸念せざるを得ません。
★非現実的で理不尽な諸規定というのは、たとえば、自転車は「車道通行が原則」という規定がそれです。もちろん、「自転車の通行可」の道路標識等が設置されている歩道がある場合は、その歩道を通行することが可能ですが、あくまでも歩道を「通行することができる」であって、「車道通行」が原則であることには変わりありません。しかし、自転車利用者のほとんどは、車道通行に大きな危険を感じるからこそ、歩道を通行しているのであり、確かにそのことによって歩行者とのトラブルや事故が増加していますが、だからといって「車道通行」を強いれば、車との事故が増加することは明らかです。ルール順守を叫ぶ前に、この矛盾を正し、整合性と合理性がある規定に改正することが必要です。
★また、自転車は横断歩道を渡る場合、「自転車を降りて押して渡らなければならない」ということも指導されていますが、そのルールに従った行動をとっている自転車利用者はほとんど見かけませんが、順法意識の低さを指摘するよりもそのルールの非合理性をこそ検討し是正すべきです。
★さらにまた、自転車は交差点で右左折する場合、「右左折を開始する30メートル手前から手(腕)による合図をし、右左折を終了するまで継続しなければならない」という規定もあり、子どもたちに対する自転車の安全教室などでは執拗に指導されていますが、実際の交通場面では、自転車で通行している警察官ですらこの合図を実行している姿は、まず見かけたことがありません。なぜ、実行されないか、右左折中、規定の合図を確実に実行すると、結果的にいわゆる「片手運転」を強いられ、危険が増大するからであり、かかる合図をしなくても安全に右左折する方途はほかにいくらでもあるからにほかなりません。つまり、ルールがまったく非合理なものなのです。
★このほか、自転車の交通ルールにはまだまだ非現実的・非合理な規定がありますが、これまで、この非現実性・非合理性を問題視する論議はほとんど見られず、ただただ空念仏のごとく「ルール順守」という言葉を金科玉条のごとく繰り返してきた―というのが実態です。
★エコロジー(自然環境)問題への関心の高まりもあって、自転車利用が促進される一方で自転車の交通事故の拡大・増加が問題視されている今だからこそ、自転車の交通ルールやその違反者の処罰にかかわる根本的問題を多くの人々に知らしめ、しっかりした論議をし、できるだけ整合性と現実性・合理性をもった関連法の改善をこそ急ぐべきだと切に思う今日このごろです。(2010年10月5日)