★今回の「雑記」は、前回に引き続き、3月11日に発生した東日本大震災によって露呈された「安全問題」のいくつかを述べてみます。
★いきなり、身内の話で恐縮ですが、弊社の被災状況を報告させていただきます。といっても、札幌本社が被災したわけではありません。仙台市にある弊社の仙台事務所の社屋および社員の被災状況です。
★まず、仙台市の泉区にあった事務所の社屋は巨大地震の揺れにより、内部のスチール収納棚などが倒れ、机上の事務備品なども床に落下し、まさしく足の踏み場もないくらい散乱したばかりでなく、地盤の一部が沈下し、社屋が傾斜したほか外壁のパネルの一部もはがれ落ちるなど、いわゆる「半壊状態」の被害を受けました。幸い、たまたま居合わせた社員の3人は無事でしたが、地震発生直後には電話連絡が取れたものの、間もなく、通常電話も携帯電話も、そしてインターネットも機能不全に陥り、本社との連絡が取れなくなったばかりでなく、仙台事務所の社員の家族との通信手段も途絶え、その安否確認ができないままに日が暮れました。
★翌日、何度かの試み中、幸運にも繋がった電話連絡によると、3人の社員のうち、2人の家族と自宅の無事は判明しましたが、名取市閖上に自宅があった社員の家屋は津波に襲われて全壊、妻子の無事こそ確認できたものの、別々の避難所に分かれ、再会するまでに2、3日を要したばかりでなく、近所に住まいしていた義父母と義姉は津波に飲み込まれて行方不明という最悪の被害を受けたことが分かりました。
★結局、津波に飲み込まれた義父母と義姉は1週間ほど後、逃れる途上であったろう車のなかで遺体となって発見されましたが、その間、札幌本社の社員はもちろん、仙台在住の社員も何もできず、いたたまらない気持ちで無為な日々を過ごすのみで、ただただ、この大震災の被害の大きさを身近に感じ唖然とするばかりでした。
★こうしたなかで、痛切に思った問題点の一つは、携帯電話の無能さと、その携帯電話に頼り切った我々の日常生活に潜む危うさでした。小型化、多機能性こそは驚くほどのスピードで進化していますが、最も肝心な通信手段としての携帯電話は、こうした災害時にこそ役立ってほしいものですが、それがまったく役立たなかったのです。あちこちに点在している中継局が巨大地震による停電等でその機能を失ったためとのことですが、蓄電池の性能・技術も日々高度に進化し、また、海外との通話も一般的になってきている携帯電話の機能技術をもってすれば、こうした災害時にこそ最も有力な通信手段として機能する携帯電話システムを構築することは決して難しいことではないはずです。ただ、小型化、多機能化を優先するあまり、災害時にこそ最も有力な通信手段になり得るという携帯電話の中枢的機能の維持対策がなおざりにされた結果にすぎないと思わざるを得ません。それだけに、もし、携帯電話がこの大震災時にも機能していれば救えた命が多数あったに違いありませんし、避難者の救援等ももっとスピーディに効率的に行われたはずだと悔やまれてなりません。今後とも、様々な大震災が予測されている日本列島の現在、NTT等の電話会社は、そうした災害時にこそ機能する携帯電話のシステム構築に心血を注ぎ、早急にその実現を図ってほしいものです。
★ともあれ、零細企業である弊社も、今度の大震災で直接・間接に思わぬ大きなダメージを受け、どうやって立て直すべきか苦悩しているうちに、日は瞬く間に過ぎ去り、大型連休も明け、大地震発生から2か月にもなる今日、この「雑記」の更新も、前回から1か月以上も途絶えていたことに気づいた次第です。ともかく、気を取り直して前に進むしかありません。
★今、改めて考えます。今度の大震災で少なからぬダメージ受けた弊社は、今後どうやって立て直しを図っていくべきか・・・。弊社は、現代社会に潜む身近な災害=交通事故を防ぐために、交通事故は(故意に)「起こすもの」ではなく、だれもが相応に事故防止を心掛けているはずにもかかわらず一定の確率で「起きるもの」である―という交通安全思想の根本的視点に立って、交通安全のジャンルでそうした「安全思想」や「安全知識」等の普及を事業化し取り組んできました。
★そして、幸いにも、この10年ほど、全国の交通事故死者数は劇的な減少化をたどり、人身交通事故件数も減少傾向に転じている―という状況にあって、もしかしたら、「安全思想」や「安全知識」等の普及が相当程度に浸透した結果なのかもしれない・・・と思うこともなかったわけではありませんが、今度の大震災を見る限り、少なくとも政府関係機関や東京電力などの関連企業等の対応は「安全第一」を旨とする「安全思想」のかけらも見られない―といっても過言ではなく、また、人々のなかにも、「安全思想」が浸透していた―とはいえない状況も垣間見えました。
★交通事故にかかわる「安全思想」と自然災害にかかわる「安全思想」は、もともと別物だといわれればそれまでですが、「安全第一」に象徴される「安全思想」は、いわゆる労働災害はもとより、今度の大震災などの自然災害にも基本的に通用する思想であり、だからこそ、「交通安全思想」の普及浸透を図ることが労災防止や災害防止などにも寄与し得る―という信念をもって交通安全に取り組んできた弊社は、今こそ、「安全思想」の普及浸透を図る事業に取り組んでいくべきだ―という原点を、まず、改めて確認することが弊社再生の一歩だと自らに言い聞かせている今日このごろです。
★そしてまた、今度の大震災で露呈された「安全問題」の大きな課題の一つとして、「ハードに頼りすぎた安全」、「ソフトを軽視した安全」という問題を考えざるを得ません。
★いまだに緊急事態を脱しきれない東電福島原発の事故は、大地震が引き金になったとはいえ、日本の原発技術は世界一という、まさしく「ハードに頼りすぎた安全神話」が基となったまぎれもない人災であることは、今や誰の眼にも明らかですが、大津波に被災した地域にも、十分・堅牢な防潮堤が築かれているなどの「ハードに頼りすぎた安全神話」や、「津波が来襲してもコンクリート造りの建物の3階に避難すれば大丈夫!」などといった過去の経験則に頼りすぎた不確かな「ソフト」があった故に被害の拡大を招いたという一面があったことも事実です。
★「安全思想」の鉄則の一つとして、ハードの安全が高まるほど、ソフト(人間)の安全対処能力は低下する―というのがあります。あるいはまた、ハード技術がどんなに高度化しても、その陰には必ず未知の危険が潜む―という鉄則もあります。交通安全を通じて学んできたこうしたノウハウを、今後は交通安全のみならず、現代社会に多様に存在する安全問題全般にどう活用していけるか・・・、それこそが弊社が再生するために乗り越えなければならないハードルであることも確かだとも自らに言い聞かせています。(2011年5月11日)