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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その140 台車事故を考える
交通リスクコンサルタント 小林 實

新幹線の高い安全性

 我が国の新幹線は、約半世紀にわたり定時運行、安全確保といった面で大きな実績を上げています。中越地震で走行中の上越新幹線が脱線した際、日本のマスコミはそれを大きく取り上げ、安全神話の崩壊などと批判しましたが、海外では、時速200キロで走っている列車が脱線したのにケガ人が一人も出なかったことから、むしろ日本の安全技術を称賛する記事が多かったくらいです。
 ところが、昨年12月、走行中の東海道・山陽新幹線「のぞみ」の台車に亀裂が生じた―というトラブルがあり、直ちに国土交通省は「重大インシデント」に指定して調査に入りました。鉄道では、記録が残る2001年以来48件のトラブルが重大インシデントに指定されていますが、新幹線が対象になったのは今回が初めてであり、いかに事態が緊急性を帯びていたかがわかります。
 ただ、今回のケースでは、台車の亀裂と油漏れの発生という複数のトラブルが同時に発生したことから重大インシデントに指定されたようです。しかし、台車に大きな亀裂が生じたという異常事態であれば、たとえ原因が一つでも指定されてしかるべきものでしょう。仮に、台車の亀裂だけに収まらず最悪の事態が発生したと想定しますと、時速300キロというスピードで乗客が1,000人もおり、しかも高架を走行中であったりすれば、その結果は極めて深刻なものとなったはずです。

伝承は風化する…

 実は、過去にも新幹線で同じようなトラブルが発生しています。2010年3月、山陽新幹線の博多発N700系「のぞみ56号」で、部品の摩耗によって走行中に床下から異音と白煙が出て、乗客がその車両から避難した―というケースです。幸い、新神戸駅で乗客600人全員を降ろして事態は収拾したのですが、その後の運行再開にかなり影響したものです。
 当時、このインシデントをマスコミはあまり大きく扱っていなかったように記憶します。このことから、床下から異音があってもあの程度なら大丈夫だ―とする認識が、ことにJR西日本の新幹線担当者の間で共有されてしまったのではないかと思います。
  「組織事故」を著したジェームズ・リーズンは、「安全文化」におけるポイントの一つとして、「報告の文化」もしくは「伝承の文化」を尊重せよ―と言っていますが、昨年のインシデントでは、これが風化していたのではないでしょうか。過去のインシデントが時とともに風化するのはよくあることですが、あれから新幹線の安全性がさらに向上したこともあり、8年前の出来事が現在の担当者に伝承・共有されていなかったのかもしれません。このことは、岡山-新神戸間を走行中、司令員からの「走行に支障があるのか」という問いかけに、現場の保守担当者が「そこまではいかないと思う」という、かなり安全サイドに振ったような回答をしていることからも推察できます。
 同じようなトラブルが発生したとき、「何か重大な事態ではないのだろうか?」という疑念が生じないのは、かつて何とかなった悪しき成功体験だけが彼らの頭の中に刷り込まれていた結果と考えられます。JR西日本では、例の福知山線の脱線事故以来、「安全が確認できない場合、躊躇なく列車を止める」と規定しているそうですが、今回はこの規定が無視されました。これは、かつての悪しき成功体験が共有されていたこと、そして、新幹線は在来線と違う高度なシステムで運用されている―といった「偏見」ともいえる意識も働いたことによるものと思われます。

組織事故という要因

 トラブルの直接的な原因はハード面での「台車の亀裂」でしたが、その後の調べによると、事態の緊急性を見逃してそのまま3時間も走行を続けたのは、司令室と現場との事態のとらえ方に温度差というか、齟齬(そご)があったためです。新幹線には輝かしい安全実績があり、このいわゆる安全神話による「大したことはない、走行に支障なし」というような意識もあったのでしょう。現場と指令室とのやり取りを見ますと、各部署における責任の分担が不明確で、「たらい回し」のような感じでもあり、新幹線という極めて高度でタイトなシステムにおける責任の所在を改めて問う必要があるでしょう。
 トラブルを抱えながら走行を続けることで事態はさらに深刻になる―というプロセスは、先述のリーズンが書いた「組織事故」でも解説されています。それは、システムにおける「深層防御」が次々と破られる過程を示したもので、昨年のインシデントの場合、現場と司令室との間における楽観的なコミュニケーションという「人的要因」、台車の亀裂を目視できないという「技術的要因」、命令系統の不備という「組織要因」が相互依存的に関係しています。
 組織事故には「局所的誘発要因」と「潜在的要因」があり、これらの要因が相互に作用して事故が発生するといわれていますが、昨年のケースでは、8年前に発生した事態が風化して共有されていなかった「誘発的要因」と、何が起きても新幹線のシステムはトラブルを食い止められる―というフェールセーフの自負による「潜在的要因」とが働いています。

人間や組織の柔軟性が重要

 昨年のインシデントでもそうだったように、何かに成功するか、それとも失敗するかは紙一重です。そして、その差というのは、そこに関係する人たちの見通しというか、洞察力の違いだ―とする理論が最近注目されています。これは、レジリエンス工学(Resilience Engineering)と呼ばれる研究領域で、人間や組織の持つ柔軟性であるとか、洞察能力といったものが種々の環境条件(事象)に対応する際にきわめて重要だ―とするものです。
 つまり、安全対策を考える上では、幅の広いレジリエント(強靭)なアプローチが必要だ―ということです。幸い、昨年のインシデントでは、JR東海が名古屋駅で車両の目視点検を行い、運行を停止できましたが、これは、最後の深層防御が有効だったということです。
 阪神淡路大震災が発生してから23年の月日がたち、この記憶が風化してしまうのを危惧する声が上がっています。これからの若い人たちにも、この体験をきちんと伝承していくことが大切でしょう。新幹線の運行に当たっても、こうした過去のインシデントを風化させずに、しっかりと伝承することを是非期待したいものです。

 

小林實(こばやし・みのる)

 1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
 『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。 

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バックナンバー

第144回
かくれんぼができない子供たち
第143回
これからの安全管理
第142回
「駐車場」というワナ
第141回
脅かされる歩行者空間
第140回
台車事故を考える
第139回
「注意」の落とし穴
第138回
デイサービスと安全管理
第137回
企業と労働災害
第136回
残酒(のこりざけ)運転
第135回
マナーについて
第134回
沈着な判断と行動が鍵
第133回
血液型と性格
第132回
忖度こそ安全マナー
第131回
タイヤ以外、何に触れても事故である
第130回
現場の声を聞く
第129回
運転の自動化とドライバー
第128回
人類は変化を続けている
第127回
眼の動きを捉える
第126回
プロアクティブな安全管理
第125回
次世代に向けた安全管理
第124回
思い込みの心理
第123回
これからの交通社会は?
第122回
レジリエントな発想
第121回
レジリエンスと安全管理
第120回
トンネルのリスク
第119回
突然死のリスク
第118回
バスの暴走
第117回
オアフ島と交通渋滞
第116回
安全管理八策
第115回
安全の費用対効果
第114回
交差点での安全運転
第113回
自転車事故と保険
第112回
感電のリスク
第111回
「安全神話」は崩壊したか?
第110回
新人教育のヒント
第109回
自動運転を考える
第108回
再び問われるメンタルヘルス
第107回
ハイタクと安全管理
第106回
何を認知するのか?
第105回
交通安全標語の変遷
第104回
なぜゴリラは見落とされるのか
第103回
10年後の交通を読む
第102回
若者との接し方 指導教官の話から
第101回
若者とクルマ離れ
第100回
異常気象と安全運転管理
第99回
どうする物損事故
第98回
ミラーの効用
第97回
「ハザード」の捉え方
第96回
「手術なき医学」からの脱却
第95回
二つの鉄道事故に学ぶ
第94回
歩道橋について考える
第93回
死亡事故の減りにくい部分
第92回
交通違反の悪質性
第91回
見える化
第90回
ハインリッヒの法則の逆読み
第89回
カクテルパーティー効果
第88回
指差し称呼
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コミュニケーション・ミス
第86回
企業とゾンビ族
第85回
ハイブリッド
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「運転技能」について
第83回
金魚のフン
第82回
5回のなぜなぜ
第81回
天井板崩落事故に学ぶ
第80回
荷役事故と交通事故
第79回
安全管理の格付け
第78回
交通KYTの限界
第77回
中小企業と安全管理
第76回
高年齢者の再雇用問題と企業リスク
第75回
「ハザード」の持つ意味
第74回
仮眠と過労
第73回
ハンドルを握る重み
第72回
厳しくなるメンタルヘルス対策
第71回
事故防止のために事業主は何をすべきか
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多発するトレーラー事故〜プロドライバーの資質を問う
第69回
交通での安全マネジメント
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「ゼロ」の持つ意味
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スウェーデンとアルコール
第66回
北欧・コペンハーゲンの自転車道
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モラルハザード
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ある学者の死を悼む
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青矢印信号の謎
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120万という数字
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加賀屋さんにみるCSR
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第37回
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第34回
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第33回
40年の功と罪
第32回
キャリーバッグと事故
第31回
KYTの落とし穴
第30回
ゲリラ化する災害
第29回
エスキモーと白
第28回
マニュアルにないもの
第27回
あっ、カエルが跳び出すよ!
第26回
経年劣化
第25回
我輩は「ジコ」である
第24回
タイタニック症候群
第23回
感覚の研ぎ澄まし
第22回
若い世代と安全管理
第21回
近づくもの・遠ざかるもの
第20回
自己防衛の殻を破る
第19回
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ベトナムとヘルメット
第16回
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