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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その108 再び問われるメンタルヘルス
交通リスクコンサルタント 小林 實

故意による墜落事故

 「もし」とか、「たら」「れば」というのは事件や事故にはあり得ませんが、皆さんの記憶にも新しいドイツ・ジャーマンウイングスの航空機墜落事故は、もし会社側が副操縦士の精神的な問題を事前に発見して彼の搭乗を禁じていたとすれば、起きることはなかったでしょう。ニューヨークで起きた9.11のテロ以降、ハイジャックを防止するためにコックピットのドアロックが強化されたのですが、この副操縦士は、強化されたドアロックを悪用して、トイレに立った機長の入室を拒み、航空機を故意に墜落させるという暴挙を敢行したのです。もし9.11が起きなければ、外から開けられないような頑丈なドアの構造にはなっていなかったかもしれません。しかし、今回のように機長がトイレに立たなくても、うつ病だった彼はいつか航空機による自殺のチャンスを狙ったことでしょう。
 副操縦士の自殺行為に140人以上もの人々が道連れにされたことは、まことにお気の毒としか言いようがありません。幸いボイスレコーダーが発見され、事故の経緯が判明しましたが、こうした記録装置が見つからなければ、原因調査はもっと長引いたはずです。
 確率的にきわめて低い事故とはいえ、過去に発生したこの種の事故による教訓、すなわち、「負の遺産」というものを忘れてはいないでしょうか? 世界の航空機事故は年々減少傾向にあり、空の安全は当たり前という風潮になると、過去のこの種の異常な事故は風化してしまいがちです。

異常な行動の前には無力

 操縦士の異常行動は、過去にいくつかの事例が報告されています。1982年、つまり今から30年ちょっと前に起きた日本航空機による羽田沖での逆噴射による墜落事故は、機長自身の「統合失調症」が原因でした。当時、日航はこの機長の精神的な異常を知りながら、日航にはそうしたパイロットはいない―として、これを放置していた責任が大きく問われました。
 また、アメリカのジェットブルー機も、似たような事件を起こしています。これは、機長が操縦中に白昼夢で「殺される! 暗号を探せ! 着陸だ!」と叫んだため、副操縦士が危険を感じ、機長がトイレに行くため席を離れたすきにコックピットのドアをロックして緊急着陸し、事なきを得た―というものです。
 地球上の空には今、何機の民間機が飛んでいるでしょうか。おそらくは数万機という大きな数字になるでしょう。ということは、少なくともパイロットもその数だけいるわけですが、彼らはすべて精神的にも健康なパイロットであるべきで、今回のような問題のあるパイロットに操縦させてはならないのです。安全のための多重防御システムを適用しているハイテク機であっても、こうした異常なパイロットの行動の前には無力になってしまいます。
 最近乗ったアメリカのUA機で、珍しいシーンを目にしました。それは、コックピットの乗員がトイレに行く際、トイレの前の通路にネットを張って一般客の使用を禁じていた光景です。何だろう…と思っていると、機長や副操縦士が用を足す間、トイレのドアは開け放したままだったのです。そのときはたまたま女性の機長でしたが、それでもドアは開けたままでした。おそらく、トイレのドアが故障したりして出られなくなるのを防ぐためでしょう。多少大げさな感じですが、ここまでリスク管理を徹底している航空会社も実はあるのです。
 パイロットらのメンタルヘルス管理の基準は、国によって若干異なります。たとえば、今回の事故を起こしたジャーマンウイングス社があるドイツでは、原則として医師に守秘義務があり、副操縦士の具体的な診断内容を会社側が十分把握することが難しかったそうです。また、心理検査にも国際的な一定の基準がなく、対応はそれぞれの国に任されているというのが実態です。
 しかしながら、多くの乗客の命を託され、ハイテク機器を扱う操縦士については、彼らの健康管理、ことにメンタルヘルスのチェックは十分になされる必要があるでしょう。なぜなら航空機の場合、観光バスの運転手が意識を失ったのに気付いた乗客が、運転手に代わって何とか車を停止させて事態を収拾するようなケースとは事情が異なるからです。

予兆を事前に捉える

 わが国では、労働契約法による努力義務であった安全配慮義務が、2008年に法的義務として事業主に課されたことから、メンタルヘルス対策は企業にとって喫緊の課題となっています。しかし、面接などで当事者に申告させたとしても、問題や異常があると自己申告があることは極めてまれで、「いつもと同じである」とか「変わったところはない」という回答が多いのが現実です。
 人体にかかるストレスには、作業環境が劣悪なために生ずる「物理的ストレス」や、病原菌のリスクといった「生物的ストレス」、さらには、人間関係のトラブルや不安・憎しみといった「精神的ストレス」などがありますが、このうち最も多く、かつ解決の難しいのが精神的ストレスです。つまり、人間が社会生活をしていくうえで、精神的障害が発症することはままあるのです。WHO(世界保健機構)の定義によれば、こうした精神的ストレスには認知症(アルツハイマー型)や、薬物などへの依存症も含まれていますが、多くはうつ病などの精神疾患がメンタルヘルスの問題となっています。
 メンタルヘルスとは、すべての勤労者を対象とした「トータルヘルス」の視点から、心の健康問題を扱うものです。つまり、精神的健康が保たれているということは、単に病気ではない―というだけでなく、身体的、心理的、社会的にも健康であるという、広くかつ積極的な概念といえます。
 2007年の厚生労働省の調査によると、企業のメンタルヘルスへの取り組みは進んできているようですが、従業員が300人以下の規模の事業所では、労働者の数が少ないこともあって、職場の閉鎖性といったものが一種の職場風土となり、ストレスが生じやすいことも指摘されています。自分がいくら努力しても結果が報われない―といったようなことから欲求不満が生じやすく、これが心因性のうつ病へと進むと、仕事からの逃避、最悪の場合は自殺願望・過労死に至ることもあります。自殺の危険因子はいろいろありますが、周囲からのサポートが得られない孤独な精神状態が一番の問題です。産業カウンセラーや産業医をはじめとした管理者は、こうした予兆を事前に捉えて予防措置をとる必要があるでしょう。

 

小林實(こばやし・みのる)

 1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所 勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
 『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。

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第136回
残酒(のこりざけ)運転
第135回
マナーについて
第134回
沈着な判断と行動が鍵
第133回
血液型と性格
第132回
忖度こそ安全マナー
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タイヤ以外、何に触れても事故である
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レジリエンスと安全管理
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「安全神話」は崩壊したか?
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新人教育のヒント
第109回
自動運転を考える
第108回
再び問われるメンタルヘルス
第107回
ハイタクと安全管理
第106回
何を認知するのか?
第105回
交通安全標語の変遷
第104回
なぜゴリラは見落とされるのか
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10年後の交通を読む
第102回
若者との接し方 指導教官の話から
第101回
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第100回
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第99回
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第97回
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