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最終更新日:2017年6月19日

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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その104 なぜゴリラは見落とされるのか
交通リスクコンサルタント 小林 實

パス回しの実験

 今年、日本人学者3人がノーベル物理学賞を同時に受賞されたことが大きな話題となりました。このノーベル賞に対抗したわけではないでしょうが、「イグノーベル賞(Ig Nobel Prize)」というものもあります。イグノーベルとは英語の「ignoble(品がない、不名誉な)」に引っ掛けた名称で、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して毎年与えられている賞です。この賞は1991年に創設され、日本人も何人か受賞しており、「玉ねぎを切るとなぜ涙が出るのか」の研究などがその一例です。そして、今回ご紹介する「パス回しの実験」という研究も2004年に受賞しています。
 この研究について、文春文庫から「錯覚の科学」と題した一冊の文庫本が出版されています。その原題は「The Invisible Gorilla(見えないゴリラ)」というもので、人間のいろいろな錯覚というものを多角的に取り上げ、解説していますが、その冒頭の第一章(実験1)の表題が「えひめ丸はなぜ沈没したのか?」です。
 「えひめ丸」とは愛媛県立宇和島水産高校の練習船で、2001年2月、ハワイ沖で急浮上したアメリカ原子力潜水艦に衝突されて沈没し、乗務員と実習生合わせて9名の命が奪われたことは皆さんの記憶にもあるでしょう。事故の原因は、他の対応に急いでいた―など情報伝達上のミスなどが挙げられていますが、この本の著者は、潜望鏡で海上を監視していた艦長が「こんなところに練習船なぞいるはずがない」という先入観から、えひめ丸が潜望鏡の視野に入っていたにもかかわらず見落とした―という事実を重視し、緊急場面では見落としが生じる危険性があることを指摘しています。
 それを裏付けるものが、著者の一人であるイリノイ大学のダニエル・シモンズらが行った「パス回しの実験」(2000年)です。この実験では、黒と白のシャツを着たバスケットボール選手がパスを行っている動画を用い、被験者には、黒いシャツの選手のパスは無視して、白いシャツを着た選手のパスの回数を正確に数えてもらう―という課題を与えました。実はその最中、黒いゴリラの着ぐるみが約9秒間登場し、動画上を横切るのですが、被験者はパスの回数の勘定に注意が集中しているため、被験者の半数以上がこのゴリラに気づかなかったそうです(この動画はインターネットで視聴することができます。http://www.theinvisiblegorilla.com/)。
 自分が注意を集中させているもの(この場合はボール)はとりわけ鮮明に見えるので、細部にわたるまで見逃さないぞ―という意識を生むのですが、この意識が逆に、他のものの見落としを生むわけです。特に、予期しないものの出現は無視されやすく、少なくとも被験者の網膜上にこのゴリラの像は写っていたはずなのですが、大脳での処理過程で無視された―ということです。これは、特定の対象に対する過度な注意集中の結果であり、もしも、ボールをカウントしている際に「変なものが出るかもしれないので注意しておいてください」といった指示を与えたとしますと、被験者はボールのカウントのほうを間違える可能性が高くなります。当時、この実験結果は多くのマスコミにも取り上げられ、反響を呼びました。

スマホが「注意」に与える影響

 さて、車を運転するときは、一定の幅で注意の水準を保ちながら、「注意の分散」と「注意の集中」の両方を行っています。多くの場合、運転中は道路の前方に注意を向けていますが、道路の周辺部分にも注意を向ける必要があります。ところが、運転が未熟な初心者などですと、前方の状況に注意が集中しすぎてしまい、視野の周辺部分にまで注意が行き届かないことが多く、自転車などが急にとび出してきても発見が遅れがちです。
 また、最近はスマートフォンが普及し、電車に乗るとほとんどの人が画面に夢中になっています。これも注意の集中状態であり、画面に注意が向けられていますから、周囲の状況はいわば「周辺視」の状態になります。これが電車に乗っているときなら良いのですが、ホームを歩いているときや、階段を昇り降りしているときなどは衝突や転落のリスクがあり、最近この種の事故が増加しています。
 運転中に携帯電話やスマホを使用することは、もちろん法律で禁止されていますが、仮に使ったと仮定しましょう。通話に夢中になると、どうしても前方への注意は付加的になり、交通状況への対応にはミスや遅れが生じがちです。慣れてくると、携帯やスマホを使いながら運転することは容易に思えるのですが、一方で何かを聞き取り、もう一方で何かを考えると、脳のなかで注意力を必要とする仕事量が増え、作業の質は落ちます。つまり、想定外の危険をはらんだ事態が発生した場合、それを見落とす可能性が高い―ということです。だからこそ、運転中は携帯での通話など他からのノイズを排除しながら、交通状況に素早く対応するため、常に注意水準を適当な高さに保つことが必要なのです。

通話の相手は運転状況が見えない

 では、見えない相手と携帯やスマホで通話をすることと、助手席の人と会話することは、なにが違うのでしょうか? 助手席の人は、運転者と同じく前方の交通状況に気を配っている場合が多いので、前方の交通状況に応じて会話に強弱がつけられますし、会話を一時中断することもできます。
 ところが、電話の相手だとどうでしょう? ドライバーが運転に注意を集中しているような場合、運転が主で、会話は従の関係になりますから、会話が途切れたりします。しかし、電話の相手はドライバーの置かれている状況を把握できませんので、「なに? よく聞こえない」などと言いますと、ドライバーの注意は携帯やスマホのほうに偏りやすくなります。こうしたときに前方の状況に異変が起きたとすると、先ほどのゴリラの例でもお分かりのように、異変に気づくのが遅れてしまうケースがあるわけです。
 運転中に携帯で通話することくらい、前をちゃんと見ていれば大丈夫と言う人もいるでしょうが、「見えているはずのものが見えない」という予期せぬ事態は、その人がまだそうした事態に遭遇していないだけであって、実際に起こり得ることなのです。
 したがって、企業の安全運転管理者は、運転中に従業員が携帯やスマホを使用しないよう徹底する必要があります。注意力には限界があり、どんなに注意力を高めても「不注意」は本質的になくなりません。「不注意」という心理状態は必ず存在することを認識し、安全指導を行うことが肝心です。

 

小林實(こばやし・みのる)

 1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所 勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
 『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。 

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第132回
忖度こそ安全マナー
第131回
タイヤ以外、何に触れても事故である
第130回
現場の声を聞く
第129回
運転の自動化とドライバー
第128回
人類は変化を続けている
第127回
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新人教育のヒント
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自動運転を考える
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再び問われるメンタルヘルス
第107回
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第105回
交通安全標語の変遷
第104回
なぜゴリラは見落とされるのか
第103回
10年後の交通を読む
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若者との接し方 指導教官の話から
第101回
若者とクルマ離れ
第100回
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第99回
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第98回
ミラーの効用
第97回
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第96回
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第95回
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第94回
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第93回
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第89回
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第88回
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第86回
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第85回
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第84回
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第83回
金魚のフン
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5回のなぜなぜ
第81回
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第80回
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第79回
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第78回
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第76回
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第72回
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第71回
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第69回
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