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最終更新日:2017年6月19日

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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その96 「手術なき医学」からの脱却
交通リスクコンサルタント 小林 實

その場しのぎの対策

 我が国の年間の交通事故死者数が最も多かったのは1970年(昭和45年)のことで、年間1万6,765人という死者数は、現在の約4倍もの数字です。マスコミもこれを「交通戦争」という言葉で表現し、ダンプカーなどによる大きな事故が毎日のように新聞紙面をにぎわしていました。
 当時、我が国の安全対策はようやくその緒に就いたばかりで、横断歩道、信号機といった安全施設の整備も、ほとんどゼロに近いところからの出発でした。こうした死者の急増を受けて行政は、安全施設の整備など主にハード対策を実施し、その結果、死者数は見事に減少し始め、9年後の1979年(昭和54年)には年間8,466人にまで減らすことができたのです。しかしその後、再び増加に転じ、1988年(昭和63年)には再び1万人を超えました。マスコミはこれを「第二次交通戦争」と呼び、このころから我が国の交通安全対策の見直しが叫ばれました。
 例えば、NHKではプロジェクトチームを作り、「死者半減 西ドイツはこうして成功した?第二次交通戦争への処方箋」と題する番組を放映しました。この番組は、それまでの20年間、徹底的な交通安全対策を進めた西ドイツ(現在のドイツ)が死者半減に成功したその背景と、第二次交通戦争に直面し、ある意味で対策が手詰まりの状況にあった我が国における問題を取り上げて比較したもので、なかでも事故原因の分析調査における彼我(ひが)の違いが注目されました。
 当時、東京大学におられた交通工学の権威・越正毅教授は、日本の安全対策を「解剖なき医学」と評されました。「ろくに調べもしないで対処しようとするのは、杉田玄白以前の医術である。簡単な病気ならまだしも、難病となればお手上げであり、今や我が国は交通事故という難病にかかっている」というのが氏の持論でした。つまり、どのような原因でこの事故は発生したのか、そのプロセスを深く掘り下げていくことによって最も有効と思われる対策を講じていくべきところを、我が国ではやっていなかった―ということです。これは、行政が原因追究をおざなりにしていた、つまり、解剖をすることなくその場しのぎの対策をやってきたことへの反省でもありました。
 病気を完治させるに至らなければ、同じような事故は再発します。氏は杉田玄白を例にされたので「解剖なき」と言われましたが、現代では「手術なき医学」と表現したほうが現実的かもしれません。こうした社会的ニーズを踏まえて、我が国でも「交通事故総合分析センター」が創設され、事故の体系的な調査・研究が始まりました。

「ミクロ分析」から見えてくるもの

 ところで、交通事故の分析は、大別すると「マクロ分析」と「ミクロ分析」があります。「マクロ分析」とは、事故の全体的な傾向を知るためのもので、事故統計などで示されるものです。一方、「ミクロ分析」というのは、個々の事故を精査して真の原因を追究するものですが、先ほどの越氏の指摘は、この「ミクロ分析」の不十分さを語ったものです。確かに、事故原因を精査することによって、再発防止の手段は徐々に構築されつつありますし、ことにハード面の対策が進み、いわゆる「事故多発地点」はなくなりつつあります。
 しかし、運転者が事故原因となっているもの、すなわち「ヒューマンファクター」が事故の主たる原因である場合、問題は容易ではありません。運転者の犯したミスというのは、「スピードの出しすぎ」であるとか、「前方不注視」などの「安全運転義務違反」といった違反行為に分類されますので、安全指導の場では「スピードを落とせ」とか「前をよく見て運転せよ」といった指示だけで終わりがちです。ところが、そのように指示された運転者からすれば「そんなことはわかっている…」となって、いわゆる認知的不協和(※)を解消するために「自分のやり方を通す」ことになりがちですので、行動を修正することはきわめて困難です。
 そうした点で、「手術なき医学」からの脱却は、企業においても効果的ではないでしょうか。発生した事故や、事故寸前のインシデント、ヒヤリハットの当事者の協力を得ながら事例を一つひとつ細かく分析し、深掘りしていくことによって、取るべき対策が必ず見えてくるはずです。
※認知的不協和=人が、自分のなかで矛盾する認知を同時に抱えた状態、また、そのときに覚える不快感

死者さえ減れば安全なのか…

 さて、今後の交通事故の推移ですが、仮に近年の減少傾向を維持したとして、10年後、24時間以内死者数は3,000人台に収まる可能性が高いでしょう。しかしながら、年間の死者数がここまで減ったとしても、はたして、安全・安心な国民生活が実現した―と言えるでしょうか。
 死亡には至らないまでも、物損事故を含めた事故の総数はそう簡単に減らないものと予想され、むしろ増える可能性さえ残っています。重度後遺障害者の数にしても、現時点で年間2,000人から3,000人台を推移していますが、この数は、今後もあまり減ることは期待できません。むしろ、車の衝突安全性能などハード的な対策が進化することによって、高止まりする可能性のほうが高いといえます。今後も「手術なき医学」からの脱却は進むでしょうが、死亡事故ばかりに目を向けるのではなく、重傷事案なども重視した対策に期待したいものです。

 

筆者プロフィール

小林實(こばやし・みのる)

 1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所 勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
 『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。 

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