![]() |
![]() ![]() |
一口に交通違反といっても千差万別で、「静的違反」と称する駐車違反のような軽微なものから、「動的違反」と称する運転中の違反行為を問われるものまでがあります。よく「交通三悪」と言われますが、これは、重大事故につながりやすい違反である「無免許運転」「飲酒運転」「著しいスピード違反」を指します。
ずいぶん前のことですが、交通違反の悪質性に関する調査を行ったことがあります。駐車違反の悪質性を「1」としたとき、ある違反がどれくらい悪質なのか—を検証したわけですが、結果はきわめて当たり前ですが、例えばウイスキーを大量に飲んで運転した場合や、40キロの速度超過をした場合などは、きわめて悪質性が高い—という結果になりました。こうした違反はきわめて悪いことと皆さんもわかっているはずなのですが、それでもこれを犯す人が少なくありません。
こうした交通三悪のなかで、「無免許運転」が相も変わらず横行していることには、「見つからなければよい…」という安易な心理が働いているとしか思えません。例えば、免許試験に落ちてしまったが、教習所で運転のノウハウは習得している—とか、免許を取得できる年齢より前から車を運転しており、免許を取らないまま運転を続けている—といった、いわば「確信犯」のケースも結構あるのではないでしょうか。
当初は「悪いことをしている」という意識で、かなり慎重に運転していたのかもしれませんが、次第に「自分は無免許運転をしている」といった罪の意識は薄れてしまうのでしょう。飲酒運転やスピード違反などの取締り現場では免許証を確認しますが、そうした取締りに引っかからない限り、無免許運転の摘発は難しいことも事実です。
無免許運転といえば、昨年4月、京都府亀岡市で無免許の少年が運転する車が集団登校中の児童の列に突っ込む—という事故がありました。この事故は、少年が前日の未明から長時間にわたり軽乗用車を運転し、30時間以上のちに居眠りをしたまま、狭い道路を時速50キロ以上というスピードで暴走したことによって発生したものですが、京都地検が「危険運転致死傷罪」の適用を断念したことに対して、遺族らから猛烈な反発がありました。10人もの人を死傷させた犯人への怒りは当然ですし、到底納得できない判断をした地検への反発もあったのでしょう。
京都地検は、無免許とはいえ過去に運転を繰り返していたことから、少年は運転技能を有しており、「危険運転致死傷罪」の適用条件の一つである「未熟な運転技能」を満たしていない—と判断したわけです。また、京都地裁も、居眠り運転を「過失」と判断し、求刑5-10年に対して、5-8年の不定期刑を言い渡しました。
我々、安全を管理する立場からすれば、運転技能というのは、単に「車を操縦できる」ことだけで成り立つものとはいえません。道路交通法97条の2によれば、教習所において技能検定に合格すれば、技能試験は免除する—とされていますが、もし、この少年が教習所で適切な教育を受けていたとすれば、このような無謀な運転行動には出なかったかもしれません。
下の図は、運転教育に要する時間とその難しさの関係を示したものです。まず運転の「知識」があり、ついで「技能(身構え)」、さらに「運転態度(心構え)」で成り立っています。まず、運転の基本である「知識」が、この少年にはあったのでしょうか。仮にあったとしても、自己流に構築されたものでしかありません。次の「技能」についても、その幅は狭いでしょう。さらに「運転態度」というものは、仮に本人がその重要性をわかっていたとしても、「やらない」という方向に傾きやすいものです。
こうした点から、無免許運転を繰り返していたことで技能を有する—とした地検の判断は、非常に短絡的といえるのではないでしょうか。運転のスキルというのは、単にテクニカルなスキルだけでなく、意識や態度といった広範囲のものを含めてのスキルだと、我々は考えます。
現在、国会で審議中の新法「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」の案によれば、無免許運転で事故を起こした者に対する最高刑を引き上げるということですから、こうした事故の再発に歯止めがかかることをぜひとも期待したいものです。また、刑期を終えたこの少年が、また無免許運転を繰り返すかもしれない…という再犯の可能性があることも忘れてはならないでしょう。
(2013年4月)