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最終更新日:2017年6月19日

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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その78 交通KYTの限界
交通リスクコンサルタント 小林 實

危険に対する感度を高める

 1973年といいますから今から40年近く前、日本から欧米に「安全衛生視察団」なるものが派遣されました。当時、日本の産業界の安全衛生というのは、まだその緒に就いたばかりであり、欧米には相当水をあけられていたので、何でも見てやろう—と派遣されたのです。
 その安全衛生視察団がベルギーのソルベイ社の工場を視察したときのことです。机の上にあった1枚のシートが一人の団員の目に留まりました。それは、ベルギーで交通安全教育用に作られた危険予知訓練のためのシートでしたが、日本の企業での災害防止にもきっと役立つと考え、もらって帰ったのが「KYT(危険予知トレーニング)」の始まりです。このシートはその後いろいろ改良され、今やKYTは企業における安全のツールとして広く使われています。
 KYTの目的は、潜在的な危険を意識にのぼらせ、それを習慣化することで危険に対する感度を高めることです。その第一段階である「現状把握」においては、その場面にどんな危険が潜んでいるか—を拾い出す作業を行うわけですが、ここでは個人差が発生します。なぜなら、人によって危険の感受性に差があるからです。次に「目標設定」の段階では、「わたし(たち)はこうするのだ」ということを具体的に決め、危険に対する意識や行動の共有化を図ります。これが、ルールを守る職場づくり、さらには安全を重視した企業体質づくりへとつながるわけです。
 一般の事業所での安全管理においては、ハード面での対策、例えば注意喚起を図るために標識を設置したり、転落事故を防ぐために滑り止めや手すりを設置したりします。そしてソフト面でも、KYTなどを通して、危険の感受性に個人差が出ないよう訓練をします。一方、交通場面においては、もちろん標識の設置であるとか、路面の改良といったハード面での対策はしますが、それ以上に、ドライバーなど交通参加者に対するソフト面での対策が必要になってきます。「交通KYT」は、そうした目的で行われている対策の一つです。

見えるものすべてが「危険」ではない

 ただし、工場などの現場は比較的静的な場であるのに対し、交通場面は極めて動的であり、時々刻々と環境が変化します。したがって、以前から行われている静止画面(絵や写真)を用いた交通KYTには限界があると考えられます。
 普通ですと、「この画面のなかにある危険な対象を拾ってください」といった指示に従い、見えているもの、あるいは見えていないが次の時点で顕在化するもの(例えば脇道から出てきそうな自転車など)を予測し、それを拾い出す作業を行います。確かに、これにより、気がつかなかった危険を共有化することはできますが、車を取り巻く環境は移動を繰り返しますし、空間の構造も絶えず変化を続けます。つまり、実際の運転場面での予測とは、かなりかけ離れたものといえます。
 あなたが車を運転しているとしましょう。かなり遠方に歩行者がいたとします。当然、そこに歩行者がいることは意識します。しかし、それが危険な存在であるか否かの判断は、普通その時点ではしないでしょう。もちろん、至近距離にいる歩行者でしたら、直ちにこれを“ハザード”として知覚し、対応を考えます。
 ところが、交通KYTでは、こうした遠いところにいる歩行者も危険な対象として拾い出させます。絵や写真のなかから危険なものを拾い上げることは、それ自体一つの訓練でしょうが、現実の運転においては、見えるものすべて(見えないものも含めて)を危険な対象としては受け止めていません。あくまでも、それらが存在することを意識するだけではないでしょうか。

運転中の認知メカニズムとは異なる

 自分の車の周辺にある“ハザード”に対する知覚は、実際に危険につながる確率が高いといえます。例えば、前の車が急ブレーキをかけたり、並進している車が急に幅寄せしてきたり…といったものです。また、信号待ちで停止しているときでも、隣に止まっている大型車の陰から歩行者が渡ってくるかも…などと意識する必要があります。しかし、対向車を「危険」として意識するかどうかは、例えばそれが急にこちらの車線にはみ出してくるなど、いわば異常な状態以外は「危険」として受け止めないでしょう。もちろん、対向車の存在を意識することは重要ですが、いちいち「これは危険だ、あれも危険だ」と意識していたら運転などできないでしょう。
 ところが、高速道路をハイスピードで走行する際には、後方から高速で接近してくる車や、近くの追越し車線を走っている車の動向など、至近距離へのハザード知覚を高めるだけでなく、本線上の渋滞の最後尾車や路上の落下物の有無など、かなり遠方の異常の検出にも気を使わなければなりません。
 このように、ドライバーは自分を取り巻く交通環境に応じて認知・判断を繰り返しているわけですが、交通KYTでは、実際の運転とは異なる静的な空間において、危なそうなものを余裕をもって拾い出すことができます。こうした技能の必要性をもちろん否定するものではありませんが、運転という動的な空間での、瞬時に変化する認知メカニズムとは異なるものだ—ということを認識しておくことが重要でしょう。

 

筆者プロフィール

小林實(こばやし・みのる)
 1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
 『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。

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