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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その62 モラルハザード
交通リスクコンサルタント 小林 實

保険に入っているから大丈夫…

 モラルハザードという言葉は、もともと保険の用語ですが、「実体的危険」に対応して「道義的危険」と訳されます。これだけですと何だかよく分からないのですが、簡単に言えば、「保険に加入していると、リスクを伴う行動が生じやすい」ということです。例えば、保険に入っているから多少の事故が起きても大丈夫…と運転が乱暴になるとか、健康保険や医療保険に入っていれば診察料の自己負担額が少なくなるため、ちょっとした病気やけがでも病院へ出かける…といったことが該当します。このモラルハザートには、倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的責任を果たさない―という意味まで含める場合もありますが、これは若干拡大解釈だとする批判もあります。
 18世紀後半、ワットが蒸気機関を発明し、これが産業革命で世界中に大きく広がりましたが、当時は機械の使用や管理の仕方がずさんであったことから、あちこちで爆発事故が頻発しました。当時のイギリスでは、「危険のあるところ保険あり」と言われるほどいろいろな種類の保険があり、そのなかで「ボイラー保険」なるものも注目されましたが、これに猛反対したのが世論でした。その理由は、「保険をつくると、管理者は保険に頼って事故防止に注意を払わなくなり、事故を誘発する恐れがあるから」ということでした。そこでイギリス政府は、1882年に「ボイラー爆発法」を制定し、爆発事故に対して厳しい罰則を科しました。これが担保となり市民も納得したのでしょうか、「ボイラー保険」ができたわけですが、このように、管理側の安全意識の低下を危惧した当時の市民の声というものは注目されます。

「何とかなる」という心の退行現象

 平成10年ですから今から10年以上も前、7月1日付の日経新聞に、“原子力の「安全」と「安心」”と題した社説が掲載されました。この社説では、それに先立って発表された政府の「原子力安全白書」についてコメントしており、“国民の原子力に対する不信感の背景には、技術的な「安全」と、意識としての「安心」とに乖離(かいり)がある”と指摘しています。要するに、これまでの原子力は「安全」に十分配慮してきたが、意思決定過程が不透明であるとか、情報公開が不十分で「安心」に結びついていない―ということです。
 当時は、「原発の安全はレベルが高い」とマスコミも信じていたのでしょうか。チェルノブイリの原発事故が発生した今から25年前、当時「わが国の原発の稼働状況は非常に良好であり、いまや世界の認めるところ」と自負と過信に満ちていました。ところがその後、ずさんな管理が原因でJCOの臨界事故が起こり、そして今回、福島第一原発で発生した大事故によって、安全神話は崩壊したと言ってよいでしょう。
 こうしたある種のモラルハザードの心理的な背景には、「何とかなる」という人々の心の退行現象があると言えるでしょう。今回の原発事故が人災だといわれる所以(ゆえん)は、行政や東京電力などのスタンスに、ある種の油断があったからにほかなりません。

ボディーブローのように効いてくる

 保険においてモラルハザードを防ぐには、いわゆる「自己防衛(Self-defense)」の精神が大切であり、自らリスクを冒す、いわゆる“リスクテイキング”に走ろうとする動機をどのようにコントロールするか―が重要です。しかし、安全意識や交通モラルの低下が叫ばれている近年、「保険にさえ入っていれば何とかなる、何でも補償してくれる」というモラルハザードの入り込む余地は大きい―と言えましょう。
 ジェームズ・コリンズ(James C.Collins)が唱える「企業凋落5段階説」というものがあります。これは、

 第1段階:成功体験から生まれた自信過剰
 第2段階:規律なき規模の追求
 第3段階:リスクと危うさの否定
 第4段階:救世主にすがる
 第5段階:企業の存在価値の消滅

 というものですが、今回の原発事故に対する東京電力のスタンスは、まさにこの説でいう第3もしくは4段階あたりにある―とみるのは過酷でしょうか。これまでの原発の安全管理に対する、いわば「安全神話」に端を発し、“儲かる原発”からリスクを拡大させ、社内のあちこちに出ていたイエローカードを無視し続けてきたからこそ、今回の原発事故は人災だと言われるのです。
 企業においては、これほど経済が低迷しているなか、利益を追求することに汲々としているに違いありません。そして、予算のカットは一番目につかない、例えば安全教育費などでしょう。「何だ、安全教育なんかやらなくとも事故は増えていないし、皆一生懸命やっている。だからうちはこれで大丈夫だ」というトップの考え方は、ある意味でモラルハザードと同じではないでしょうか。トップがこうしたスタンスでいると、ボディーブローのようにじわりじわりと効いてきて、数年後に思わぬ大事故が頭をもたげてくるのです。

 

筆者プロフィール

小林實(こばやし・みのる)
 1959年慶應義塾大学大学院修士課程修了。警察庁入庁、科学警察研究所勤務。同研究所勤務の間、米国厚生省訪問研究員、フィリピン大学交通訓練センターでの教育指導などに従事。1989年交通部付主任研究官を最後に退官後、(株)損害保険ジャパン顧問、(財)国際交通安全学会顧問、主幹総合交通心理士。現在、交通リスクコンサルタントとして活躍。
 『運転学のすすめ』『安全への視点』『運転の構図』『あんぜんかわらばん』『クルマ社会の安全管理』『なぜ起こす交通事故』など著書多数。当社からは『安全運転管理のスタンス』『安全運転管理の心理学』を発行。

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第131回
タイヤ以外、何に触れても事故である
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