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最終更新日:2017年4月28日

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交通安全時評

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安全運転管理 あれこれ記 その53 ある学者の死を悼む
交通リスクコンサルタント 小林 實

斯界の権威者

 その人の名前は、佐藤方哉(まさや)さんといいます。慶應義塾大学の名誉教授で、お歳は77歳と筆者より少し上ですが、大学で心理学を学んだ同期生でした。当時、心理学なぞというのはまだマイナーな部類で、東大でも慶應でも哲学科心理学専攻となっていました。同期生が約10人程度のこじんまりとした世帯といった感じでしたが、彼は「ハトのオペラント(自発的)学習」なるものを長年にわたり研究されていた、当時でいう動物心理学者でした。今ではこの分野は「行動分析学」と呼ばれるそうですが、斯界の権威者であったその彼がつい先日、奇禍に遭われ、帰らぬ人となってしまったのです。
 午後8時過ぎ、首都圏の京王線のホームで、ふらついた酔客が電車を待つ人の列にぶつかり、何人かがよろめくという事態が発生しました。彼は、運悪くと申しましょうか、先頭に立っていたものですから激しく押し倒され、折から入線してきた電車に巻き込まれたのです。もし個人的に彼を知らなければ、一人の高齢の学者が転落死したという新聞報道などを見て、お気の毒に…と感じるだけで終わってしまうかもしれません。彼の事故死は、単に数字が一つ増えるだけの出来事でしょう。しかし、知り合いの不慮の死というのは、驚きとか悲しみといった感情がどうしても加わります。

無数のリスク

 「たら」、「れば」という言葉は、こうした事故の解決にはならないのですが、仮に彼が1両後ろの列に並んでいたら…、あるいは、最前列に並んでいなければ、押されて倒れることはあったとしても、電車に轢かれることはなかったでしょう。もっと言うなら、そこに若い酔客さえいなければ…というふうに話は進展します。よく言われるように、事故に至るチェーン(鎖)を一つでも外しさえすれば、こんな死に方が彼を待ってはいなかったでしょう。つまり、駅の構内といった公共の場所には、それこそ無数のリスクがあり、誰も、その多くが事故の引き金になることに気づいていない―ということです。
 駅のホームで列を作る行動というのは、よく知られた現象であり、秩序ある行動です。そして人々は、「たいしたことは起こらない」という安心感も持っています。しかも、日常行動としてそれが定常化していると、警戒心とか構え、不安といったものはおそらくないでしょう。その証拠に、当時の行列の人たちのほとんどが携帯電話を見ていたようで、とっさに回避行動が取れなかったということです。
 もちろん、こうしたリスクを考えて、電鉄が事前に安全柵を設置していたとしたら、行列が倒れても彼は柵に衝突するだけで命を落とすことはなかったでしょう。電鉄側からすれば、安全柵はいわゆるフェールセーフ(※1)であり、利用者からすればフールプルーフ(※2)であるわけです。しかし、当時の列に並んでいた人々は、あたかも物理的な安全柵が設置されているかのようなリスクしか感じていなかったのではないでしょうか。人々の無関心さがそれを物語っています。物理的な安全柵というものは、確かに人々の不安感を減らします。と同時に、人々の無関心をも誘うことに注目しなければなりません。
※1:フェールセーフ=故障や操作ミス、設計上の不具合などの障害が発生することをあらかじめ想定し、その障害が発生した際の被害を最小限にとどめるような工夫をしておくこと
※2:フールプルーフ=操作ミスや故障などが発生したときに災害が起こらないような設計がされていること

今、「現場力」が問われている

 繰り返すようですが、われわれを取り巻く生活環境には「見えるリスク」と「見えないリスク」があらゆるところにあり、それがいつ顕在化するかは容易に想定できません。今回の事故を契機に電鉄側はさらなる事故防止策を考えるでしょうが、物理的な柵を作ることは、相互乗り入れしている車両のドア位置の違いや経費の関係で、すぐには無理かもしれません。しかし、後方が見えない乗客の列に目を向ける警備員の数を増やすといった対策はすぐにでも取れるでしょう。新聞の社説では、「心の安全柵」があまりにももろくなっていることが今回の事故の原因だ―と論評していますが、この構築は容易ではありません。たとえば地下鉄サリン事件の直後は、人々の公共の場での不安感は高かったと記憶していますが、時がたつとともに、こうした不安感は風化してきています。
 鉄道に限らず、道路交通の場にも無数の見えない危険が存在します。これが、いつ顕在化するかはなかなか予測できません。しかし、管理者たるもの、物理的な交通環境はもちろん、人とのコミュニケーションなどを含む人的環境にも鋭い視線を注いでください。まさに今、トップたる者の現場を知る「現場力」が問われているのです。

 今回、運悪くこうした事故で亡くなった佐藤名誉教授は自身の著書で、「今世紀こそ行動分析学はすばらしい飛躍を迎える」と書かれておられますが、それを見ることなく亡くなられたことに対し、あらためて哀悼の意を表します。

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第131回
タイヤ以外、何に触れても事故である
第130回
現場の声を聞く
第129回
運転の自動化とドライバー
第128回
人類は変化を続けている
第127回
眼の動きを捉える
第126回
プロアクティブな安全管理
第125回
次世代に向けた安全管理
第124回
思い込みの心理
第123回
これからの交通社会は?
第122回
レジリエンスな発想
第121回
レジリエンスと安全管理
第120回
トンネルのリスク
第119回
突然死のリスク
第118回
バスの暴走
第117回
オアフ島と交通渋滞
第116回
安全管理八策
第115回
安全の費用対効果
第114回
交差点での安全運転
第113回
自転車事故と保険
第112回
感電のリスク
第111回
「安全神話」は崩壊したか?
第110回
新人教育のヒント
第109回
自動運転を考える
第108回
再び問われるメンタルヘルス
第107回
ハイタクと安全管理
第106回
何を認知するのか?
第105回
交通安全標語の変遷
第104回
なぜゴリラは見落とされるのか
第103回
10年後の交通を読む
第102回
若者との接し方 指導教官の話から
第101回
若者とクルマ離れ
第100回
異常気象と安全運転管理
第99回
どうする物損事故
第98回
ミラーの効用
第97回
「ハザード」の捉え方
第96回
「手術なき医学」からの脱却
第95回
二つの鉄道事故に学ぶ
第94回
歩道橋について考える
第93回
死亡事故の減りにくい部分
第92回
交通違反の悪質性
第91回
見える化
第90回
ハインリッヒの法則の逆読み
第89回
カクテルパーティー効果
第88回
指差し称呼
第87回
コミュニケーション・ミス
第86回
企業とゾンビ族
第85回
ハイブリッド
第84回
「運転技能」について
第83回
金魚のフン
第82回
5回のなぜなぜ
第81回
天井板崩落事故に学ぶ
第80回
荷役事故と交通事故
第79回
安全管理の格付け
第78回
交通KYTの限界
第77回
中小企業と安全管理
第76回
高年齢者の再雇用問題と企業リスク
第75回
「ハザード」の持つ意味
第74回
仮眠と過労
第73回
ハンドルを握る重み
第72回
厳しくなるメンタルヘルス対策
第71回
事故防止のために事業主は何をすべきか
第70回
多発するトレーラー事故〜プロドライバーの資質を問う
第69回
交通での安全マネジメント
第68回
「ゼロ」の持つ意味
第67回
スウェーデンとアルコール
第66回
北欧・コペンハーゲンの自転車道
第65回
無事故が続いていたら...
第64回
社会のスピード
第63回
国際運転免許
第62回
モラルハザード
第61回
コードンラインは不要だったか? ―首都圏での二次災害の可能性―
第60回
稲叢(いなむら)の火 ―防災の伝承を考える―
第59回
スイスチーズの大きな穴
第58回
外国人観光客と冬道事故
第57回
アビイ・ロードの横断歩道
第56回
安全そして安心を目指せ「運転代行業」
第55回
"不死鳥"の帰還
第54回
目先のリスク回避 ―バスの転落事故から―
第53回
ある学者の死を悼む
第52回
氷河急行の事故
第51回
企業も頑張っている!
第50回
うどん文化と運転
第49回
100円ライターのリスク
第48回
カルガモ走行
第47回
事業仕分け人
第46回
お客様目線
第45回
青矢印信号の謎
第44回
「安・近・短」のわな─グアムでの印象
第43回
120万という数字
第42回
加賀屋さんにみるCSR
第41回
「安全力」をアップしよう
第40回
「まぁ、いっか」の発想
第39回
元を質(ただ)す
第38回
ランドマーク
第37回
誤探知
第36回
持続可能性
第35回
認知ギャップ
第34回
「パーおじいさん」のこと
第33回
40年の功と罪
第32回
キャリーバッグと事故
第31回
KYTの落とし穴
第30回
ゲリラ化する災害
第29回
エスキモーと白
第28回
マニュアルにないもの
第27回
あっ、カエルが跳び出すよ!
第26回
経年劣化
第25回
我輩は「ジコ」である
第24回
タイタニック症候群
第23回
感覚の研ぎ澄まし
第22回
若い世代と安全管理
第21回
近づくもの・遠ざかるもの
第20回
自己防衛の殻を破る
第19回
トップの厳しい目
第18回
逆転の発想
第17回
ベトナムとヘルメット
第16回
心のサーモスタット
第15回
地図の効用
第14回
左か右か
第13回
銃社会のジレンマ
第12回
はい作業とは
第11回
ロータリー的発想
第10回
図と地の関係
第09回
安全の文化
第08回
飲酒運転とJカーブ
第07回
視覚公害
第06回
イタリアとリスク
第05回
ボルボが似合った男
第04回
自転車の勘違い
第03回
脳のサボリ装置
第02回
おかしなアナウンス
第01回
転倒リスク

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