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大分県には「宇佐」という街があります。ローマ字で書くとUSAですから、ここで作られた名産品には“Made in USA”(宇佐産)と書いてもよいわけです(実際、そういう看板が昔あったように記憶します)。
戦後、進駐軍としてやってきたアメリカ軍の兵士が黄色いネッカチーフをなびかせながらジープで走っていくさまは、子ども心にも実にスマートに感じられ、“Made in U.S.A.”に誰もがあこがれました。戦後間もない日本の輸出用のおもちゃや工業製品は、品質もかなり悪く、当時“Made in Japan”とは粗悪品の代名詞でもあったわけです。今はやりの「偽装」ではありませんが、“Made in USA”とすれば、宇佐の方にはご迷惑でしょうが、アメリカ製だと勘違いする人もいたはずで、実際、香港あたりの製品には、そうした偽装をしたものもありました。その後、日本の製品も、ニコンやソニー、松下などが頑張ったことで、世界的な信用を得るようになり、“Made in Japan”は、まさに世界的なブランドに成長しました。
ところで、今、皆さんのお手元にある通信販売などの分厚いカタログをご覧になると、結構、中国や東南アジアの製品があることに気づくでしょう。ロゴはまさしく世界的な有名ブランドでも、生産地は中国や東南アジアであるわけですが、これは、技術指導などで品質が向上した、いわゆる「ライセンス生産品」と呼ばれるものです。しかし、最近アメリカでは、中国製の玩具に鉛が混入していたり、中国製のペットフードを食べたペットが死亡する事件が多発したことにより、“China Free”(中国の原材料を含まない、中国製でない)というラベルを張ったものが出てきました。
昨年は、我が国で食品の偽装が相次いで発覚し、消費者が極めて神経質になっていたわけですが、図らずも今回発生した「農薬入り餃子事件」は、命にかかわる問題でもあり、賞味期限の偽装とはいささか異なる犯罪性の強さが感じられます。詳細は目下捜査中ですが、日中両国の、国や商社による管理体制がまさに問われているわけです。
中国では、こうした強力な農薬の野菜への混入により、毎年かなりの人が死亡したりしていることもわかってきました。今回のショッキングな事件が起こる前までは、スーパーマーケットで売られているあれだけの種類の餃子や食品の多くが中国で作られていると知っていた方は少ないでしょう。
これには、食生活が極めて便利となり、レトルト食品をはじめ、あまり手をかけずに食生活が成り立っていることにも一つの原因がありそうです。歴史的にみると、ヨーロッパあたりでは毒殺というのは日常的でしたし、「毒見役」というのがいたくらいで、食べ物にはかなり慎重だったと考えられます。
しかし、文明が進化すると同時に、人の「舌の感覚」は退化してきているといえないでしょうか。もしくは、食品に対する警戒心といったものが退化しているといってもよいでしょう。ましてや、すでに加工済みの冷凍食品となれば、人々は警戒心など抱かないのかもしれません。
もう一つ、「餃子事件」で考えなくてはならないのは、人間の「感覚の退化」ではないでしょうか。目や耳に比べて、刺激に対する舌の感度は発生学的にもそれほど高くなく、感覚の退化も大きいとされています。韓国料理や東南アジア料理にはいわゆる「激辛」なものが結構ありますが、こういう辛さに慣れている民族は、ある意味、舌の感覚が退化して辛さに順応しているわけです。
こうした「舌の感覚」に限らず、「感覚の研ぎ澄まし」は、交通安全の場においても大切です。特に重要なのは、何かおかしいのではないか、何かあるのではないか…といった「疑いの感覚」です。人間は、危険な行為でも、それが成功し慣れてくると、もはや危険とは感じなくなることが多いのです。たとえば、いつも通り慣れている通勤路などでは、いわば「定型パターン」に陥り、疑いの感覚が鈍くなりがちですが、実はこうしたときこそ、感覚レベルでのとらえ方が必要となります。
今回の「餃子事件」は、飽食時代への一つの警告としてとらえることができましょう。製造者をはじめ、流通各段階での厳しいチェックの責任を問うことで一件落着とするのではなく、消費者自身も安心のなかに埋もれてはいけないことを教えています。
交通の場でも、安全と危険とは表裏一体であることを、常に忘れないことが大切でしょう。
(2008年3月)