交通事故死者数が激減している。
交通事故が多発しているにもかかわらず、それによる死者数はびっくりするほどの勢いで減少を続けているのだ。ほんの10数年前まで「非常事態宣言」が言われていたというのに、である。昨年の事故死者数6千352人。『交通統計』をひもといてみると、この数字は、自動車・原付の数が200万台に満たない、運転免許保有者数が400万人に満たない1955年(昭和30年)に匹敵するのだから、すごいとしか言いようがない。
つい10数年前、知ってのように交通事情は最悪で、年間に発生する交通事故死者数は1万1千人前後。政府の「交通事故非常事態宣言」のまっただなかにあった。
1970年(昭和45年)にピークに達した交通事故死者数は、その後のさまざまな交通安全対策が功を奏して減少傾向に転じ、10年間で約半数の8千人台にまで抑えられている。多発する事故に対し、当時としての根本的な安全対策を講じた結果だった。
しかし徐々に複雑化の度合いを増してきた交通社会のなかで、かつて「根本的」だった安全対策は根本的でなりえなくなって、それが事故死者数が急激に増加傾向に転じた理由だった。そして非常事態宣言。それが10数年前だった。
その後、事故死者数は減少傾向に転じ、その傾向がずっと続いている。特にここ5年ほどの減少ぶりは顕著で、昨年は6千352人。こうしてあらためて数字を並べてみると、わずか10数年前と現在の状況の違いにはただ驚くばかりである。
それにしても、なぜ今、交通事故死者数は激減しているのだろうか。どうしてもボクには解けない大きな謎である。
この問いに対し、警察庁はいつも「シートベルト着用率の高さ」を指摘し、確かにそれは大きな理由の一つであるとボクも思う。シートベルトはそれだけで大きな効果を発揮できないことはベルト着用が義務化された当初の数字が物語っている。けれど、非常事態宣言の時代、交通安全に対する世論の高まりに呼応するように自動車の衝突安全性能は格段に向上して、それに伴いシートベルトは大いに効果を発揮するようになっていったものだった。
のだけれど、それだとわかったところで謎は謎のままなのだ。
かつて交通事故死者数に占める自動車乗車中の死者数は常に4千人台だったのだが、それが2千人台にまで減っている。その点だけに注目すれば「激減の理由」はシートベルトに答えを求めればいいのだけれど、問題は、自動車乗車中以外の事故死者数も同様に減少しているという点である。これをシートベルトに答えを求めるわけにはいくまい。
救急医療体制の整備が進んだから。
それは確かに言える。
ボクが救急医療の取材を始めたころ、もう20年も前のことだけれど、当時、救命救急センターの数は全国に90カ所ほどしかなかった。それが今では201カ所(2006年12月末現在)にまで増え、救急救命士制度も整備された。そればかりではない。救急医療という新しい医療分野に対する医学界・医療界の認識は、救急医療の黎明期からすれば格段の高まりをみせ、その結果、「名ばかりの救命救急センター」は姿を消していったという事実も見逃せないのである。
だが、なのだ。
救急医療には厳然とした地域格差が存在する。それは医療の中身というよりもシステムの問題である。
たとえば東京では、すべての救急患者が東京消防庁の指令センターで一括して取り扱われるが、地域によっては消防本部ごとに救急体制をつくって処理しているために、搬送される医療機関にばらつきが生じてしまうなどの問題があるのである。それが意味しているのは要するに、結論を言ってしまえば、救急医療は、交通事故死者数を激減させた大きな理由の一つであることに違いはないけれど、決して「謎を解くすべて」ではないということなのだ。
では残りの答えはどこにある?
それがどうしてもわからないから謎なのであり、この謎はどうしても明らかにしなければならないとボクは思うのだ。
この10数年間で交通社会はますます複雑化の度合いを深めている。
かつて原付バイクの参入で複雑化した時代があったけれど、交通社会にはさらに新たな乗り物が参入し、自転車とは思えないくらいの速度で走る自転車も参入している。
形として見える複雑化だけでなく、規制緩和と景気の低迷が重なった結果、過酷な労働環境のなかで走るトラック、観光バス、タクシーなども混在するといった目に見えない形での複雑化も進んでいる。こうした状況のなかで交通事故は多発を続け、しかし事故死者数は、なぜか減少を続けているのである。
ボクが言いたいのはつまり、事故死者数が激減している原因のすべてを合理的に説明できない限り、この複雑化した交通社会で発生する交通事故に「根本的な安全対策」が講じられないだろうということなのだ。
交通戦争と呼ばれた時代の安全対策は、放置されてきた安全施設を充実させるという、言ってみれば単純なものだった。だが、それが根本的な安全対策だったからこそ効果を発揮したのである。では、今の交通状況のなかで何が根本的な安全対策なのか。
その答えは、謎のすべてを合理的に説明できない限り見えてはこない。