「ワケあって京都に住んでいる」
しばらく前にそう書いたけれど、そのワケとは、タクシー運転手になるためだった。
いや、食い詰めた末の転職ではない。いわゆる潜入取材というやつである。1月から8月20日まで、途中1カ月間の休みを挟んで半年間の運転手体験だった。タクシー業の規制緩和を目的とした改正道路運送法が2002年に施行されて以降、タクシー業界では増車と運賃値下げ合戦などによる過当競争が激化し、長期の消費不況で減少し続けてきたタクシー運転手の営業収入がそれまでにも増して激減している。その実態を自分で体験しようと考えたのだ。
30年前、まだ学生だったボクが勤務したタクシー会社は今も健在で、そこに再び就職したのだけれど、30年という時間は、恐ろしいほどタクシー運転手を取り巻く環境を変えてしまっていた。変わらないのは会社のなかだけで、一歩、営業に出たとたん、あふれんばかりの空車のタクシーと、探すのに苦労するほど減少した客の姿に驚かされた。「規制緩和以降、運転手たちは苦労している」という言葉が身に染みた。
原稿書きやら夜遊びで寝るのは朝の5時だったこのボクが、朝の5時に起きて、6時半には営業に出る毎日。昼勤は午前7時から午後4時までだが、午後7時まで走った。1日の走行距離は100キロから200キロほどで、そのうち客を乗せている(実車)のは3分の1。実車率が5割を上回っていた30年前では考えられない事態だった。たとえば、午前7時から午後9時まで、途中1時間半の休憩を挟んで246キロも走った日、実車は61キロだった。つまり、残り185キロは客を求めて空車で走り回っていたのである。
「『交通統計』(平成16年版)によれば、二輪車を除く自動車1万台当たりの事故発生件数は109件。それに対し、タクシー1万台当たりの事故は1千7件だった。これは、安全でなければならないはずのタクシーが、実は一般のクルマの9・2倍も事故を起こしているという意味だ」
ずいぶん前に、タクシーの事故についてボクはこう書いたことがあったけれど、実際に運転手をしてみて、「タクシーによる事故の多さ」が、実感として理解できるようになってきた。
考えてみれば当然のことなのだが、同じ200キロという距離を走るにしても、自家用車やトラックのそれとタクシーが走る200キロとではまるで意味合いが違う。途中で何度かの休憩はあるにせよ、前者は目的地まで突っ走る。けれど、タクシーは、ほとんど当てもなく客を求めて街を流し、客を乗せたら行き先は客まかせで、曲がるにしても止まるにしても、行動は乗客しだい。そんな当たり前の運転が、実は、大いに「危険」と隣り合わせだったりするのである。
多くの場合、タクシー利用者は、知ってか知らずか「交通事故の多発地点」である交差点付近で手を挙げる。かつて「交差点でタクシーの乗降禁止」との立て看板があった記憶があるけれど、そんな注意はだれも守らない。一方の運転手も、前方の信号機の色がどうだろうとお構いなしに交差点に止まり客を乗せ、降ろすのも客の求めに応じて交差点の付近だったりするのである。タクシーという仕事は、そういう運転行動の繰り返しなのだ。
「危険と隣り合わせ」の運転は、結果として事故につながっていく。
タクシー会社では、週に1度、出庫前に点呼があって、そこではいつも「先週の事故」が報告された。驚いたことに「事故がゼロ」だった週はただの1度としてなく、いつだって「先週の事故は6件」。1日1件の割合で何らかの事故が起こっていたのだ。
ボクが勤務した間、幸いなことに死亡事故に至るような大事故はなかったが、出席した14回の点呼で、合計86件の事故が報告されている。週平均で6件強。発進時に追突したとか、路地の交差点で自転車と接触したとか些細な事故ではあるけれど、とにかく一般的な認識では考えられないほど多くの事故が起こっていたのだ。
周囲のクルマの、遵法精神やマナーに欠ける運転も事故の大きな要因になっているのは事実だけれど、何より、利用者の減少とタクシーの増車による実車率の極端な低下は事故の危険を大きくさせているように感じられた。それはそうだろう。走っている時間の3分の2は、客を求めて適切でない視線移動(要するに、よそ見運転)を続けているのだから。
乗客の生命を預かって走るタクシーの事故の実態がこれでいいはずがない。前述の通り、そもそもタクシーの運転というのは危険要因と隣り合わせなのである。ならば、可能な限り、それ以外の危険要因を排除しなければならないのは当然だ。事故防止のための企業努力や行政の努力が必要という問題はさておき、とりあえず今回は、運転手自身の問題に限って考えてみよう。
ボクが体験した限りにおいて言えるのは、近ごろの少なくないタクシー運転手が、技術的にも気持ちのうえでも「プロ」のレベルに達していないように思えたのは確かだった。運転の上手、下手で事故が起こるわけではないのを承知で言うのだが、30年前のタクシー運転手は、接客態度に問題はあったにせよ、少なくとも大多数の人が運転上手だった。プロドライバーとして最低限度のレベルをクリアしていたものだ。
だが今は違う。「運転、代わってあげようか」と言いたくなる運転手さえいる。
理由の一つは明らかだ。平均年収が436万円を超える東京は別として、平均年収200万円台(京都は274万円、宮城県は238万円、北海道は287万円)の職場に人材が集まるはずもなく、多くの地方都市で、不足しがちな労働力を、それまでタクシー運転とは無縁だった年金生活者のアルバイトにまで頼っているからなのである。誤解しないでもらいたい。年配者やアルバイトの運転手が悪いと言っているのではない。問題は「稼げない構造」なのである。
タクシーという仕事を「稼げる職業」に戻し、「乗客の生命を預かるプロドライバー」としての資質を備えた人材を集めなければタクシーの安全は保てない。運転手を体験した半年間で、そんな構造的な問題が見えてきた。