■あふれる「安全第一」のスローガンと安全対策のギャップを埋めない限り・・・
★いわゆるゴールデンウイーク、春の大型連休も終わりましたが、この4月にマスメディアでも注目された重大(交通)事故が相次いで発生し、5月中旬に至った現在でも、その関連報道が散見されています。まず、「春の全国交通安全運動」実施中の4月12日、京都市の四条通大和大路(市道)の交差点近辺で「てんかん」の持病を持つ会社員(男)30歳が運転する軽ワゴン車がタクシーに追突した後、停止せずに逃走し赤信号の交差点に進入、横断中の歩行者を次々にはね、さらに逃走し交差点から約200メートル先の道路右側の電柱に激突、横断中の男女7人が死亡、11人が重軽傷を負ったほか、軽ワゴン車の運転者も死亡するという悲惨な事故が発生しました。また、4月23日には京都府亀岡市の府道で、集団登校中の小学生の列に、無免許の18歳の少年が運転する軽乗用車が突っ込み、小学校2年生と3年生の女子、それにこの春入学したばかりの長女を引率していた母親26歳とその胎児の4名が死亡、ほか7人の児童が重体・重軽傷を負うという痛ましい事故が発生しました。
★さらに、4月27日には、愛知県岡崎市の県道交差点を集団登校で横断中の小学生の列に、24歳の男性運転者の軽ワゴン車が突っ込み、2人の児童が重傷を負う事故が発生したほか、千葉県館山市の県道でも、集団登校のためバス停で路線バスを待っていた児童・保護者の列に、20歳の男性運転者が運転する軽乗用車が突っ込み、小学校1年生の男子が死亡、その母親も軽傷を負うという事故も発生しました。そのうえ、4月29日早朝には、石川県JR金沢駅から千葉・浦安のディズニーリゾートに向かっていた夜行高速ツアーバスが関越自動車道藤岡ジャンクション付近で防音壁に激突し大破、7人が死亡、39人が重軽傷を負う事故も発生しました。
★「てんかん」の持病を持った運転者による事故は本人が死亡したこともあり、「てんかん」の病症が事故と関係があったか、目下、詳細調査中で不明ですが、その他の事故はいずれも、ぼんやり運転や居眠り運転が原因とみられ、「危険運転致死傷罪」を適用すべきという論議がマスコミを賑わしています。しかし、真に論議すべきは、事故を引き起こしたドライバーに対する処罰の強化や規制の強化ではありません。道路交通の場にはもちろん、建築土木等の工事現場など、あらゆるところで「安全第一」と記された看板、旗、幟の類を見かけますが、実際は、経済性や効率性、生産性など、安全以外の何かが優先され、「安全第一」というスローガンは内実が伴わない空虚な「免罪符」として掲げられているにすぎず、安全は、決して第一に優先されていない―というこの社会の現実こそを問題視するべきなのです。
★ちなみに、「安全第一」というスローガン・標語は、今を去ること百年以上も前の1906年、アメリカのUSスチール社の会長E.H.ゲーリーが会社経営の基本方針として「安全第一、品質第二、生産第三」とし、安全を最優先させて会社経営にあたったところ、製品の品質も生産性も向上した―ということから世界中に広まったものですが、製品の品質や生産性の向上を図るためにこそ、安全が最優先されなければならないという、「安全第一」というスローガンの根源を支えるこの思想は、ほとんど定着していないというのが現実です。電力不足による経済活動低迷への懸念や生活混乱を理由に、安全の担保がまったくあやふやのまま、原発の再稼働に踏み切ろう―という論議などは、この「安全第一」の思想が欠如している典型的事例といえますが、冒頭に掲げた4月に相次いで発生した重大交通事故の根源にも、「安全第一」思想の欠如が厳然と横たわっています。ただし、「安全第一」思想の欠如が問題なのは、事故を引き起こしたドライバーや夜行高速バスの運行会社のことではありません。もちろん、彼らにも「安全第一」思想の欠如があることはいうまでもありませんが、最大の問題点は、道路交通の安全やバス等の安全運行を管理監督する関係行政諸官庁に「安全第一」思想が欠如していることです。
★京都市内の暴走事故もしかり、集団登校中の児童の列に突っ込んだ事故のいずれもが、買い物客など人通りが多い道路や、通学路となっている周辺地域の人々の文字通りの「生活道路」で発生した事故です。歩行者が巻き込まれる交通事故の圧倒的多数が、いわゆる「生活道路」で発生していることはかなり以前からよく知られていたことで、「生活道路」の安全性確保対策の必要性も頻繁に指摘されていたことであり、関係当局もその対策に取り組むことを度々打ち上げてきました。しかし、現実にはそれが遅々として実施されていなかったことが、今度の事故では明白に露呈したわけです。もちろん、今度の事故が発生した一部の道路では、歩行者の通行スペースとなる路側部分を広げたり、歩道を設置するなどの措置を講じていたところもあったようですが、車道との段差やガードレールがなかったなど、その整備状況は極めて中途半端なものでした。そして何よりも、片側1車線とはいえ、車が自由に行き来できるようになっており、現に付近の幹線道路の抜け道としても利用されていたことが問題です。買い物客などが行き交い、また、通学路になっている「生活道路」では、少なくとも時間規制などで一般の車の通行を制限したり、また、車道の幅員を思い切って狭め、要所要所の「待機スペース」でしか対向車と行き違いができないようにするとともに、あえて道路を蛇行させ、要所要所に「ハンプ」を設置するなど、否が応でも車が低速進行せざるを得ないようにするなどの安全対策がいくつも考えられます。しかし、こうした安全対策も、関係行政当局に「安全第一」の思想が欠如・不足していれば、財源不足などを理由にいとも簡単に追いやられて実現されないことは自明の理です。なおまた、これら児童の事故は、「集団登校」が事故の被害を拡大させたという側面がありますが、そもそも、「集団登校」は子供たちを誘拐などの犯罪から守るという防犯上の対策として多くの学校で実施されているものですが、「集団登校」は、今度の交通事故のようなリスクを伴うことが明白になった以上、他の防犯対策はないのか、これも早急に検討し、見直すべき課題といえるでしょう。
★関越自動車道での夜行高速バスによる事故は、関係行政当局の「安全第一」思想の欠如が一層顕著に露呈しています。「陸援隊」と称するバス運行会社の安全管理のずさんさはいうまでもありませんが、これは「陸援隊」に限ったレアなケースでは決してなく、これに類するずさんな安全管理でツアーバスを運行させているバス会社はあまたあることは以前から多く指摘されていたことです。そうした実情を受けて2年ほど前、総務省は運転者一人による連続運転時間の見直しを国交省に勧告していますが、国交省はまったく手を付けていなかったという始末です。また、国交省運輸局は「陸援隊」のような問題があるバス会社に対し、安全管理の改善勧告等を出すことはあっても、現場に出向き、実地に見聞し改善状況を確認する―というような実効性がある動きは、人員不足等を理由にほとんど行われていませんが、そもそも、こうした問題の根源は、バス、トラック、ハイタク等運送事業の許認可のハードルを下げてしまった「規制緩和」にあります。「規制緩和」実施当初から、多くの識者等が「安全」がなおざりにされる懸念を訴えていましたが、結果は多くの識者等が懸念した通りのものとなっているのが実情です。もっとも、「規制緩和」により許認可のハードルを下げたとはいえ、当局が主張するように必要最小限の安全管理規制等があり、許認可にあたっては、当然、それら規制項目がチェックされ、クリアされているかどうかをチェックしたうえで認可するわけですから、安全管理・安全運行に問題がある業者がはびこっている現状からすると、当局の許認可業務そのものがずさんであるという非難は免れないでしょう。それもこれも、関係当局に「安全第一」の思想が欠如・不足している結果の惨状だといわざるを得ません。
★昨年の東日本大震災は、われわれに「想定外を想定」した二重三重のリスク管理・安全対策の必要性・重要性を痛感させてくれたはずです。また、経済性等を優先させた結果の中途半端な安全管理・リスク管理のツケは如何に大きいか、いまだに計り知れない結果になっていることも痛感させられているはずです。その今だからこそ、「安全第一」の思想とは何かを正しく受け止め、国づくりや町づくり、また、私どもの生活上の文字通りのスローガンとして掲げるべきものなのかどうかを真摯に問い直すべきです。いずれにしても、「免罪符」代わりのスローガンだけの「安全第一」は、もうたくさんだ―と切に願うものです。115021
■交通安全指導に当たる者は、まず自らしっかり「ルール」を学習せよ!
★毎年恒例の「春の全国交通安全運動」がこの4月6日から15日までの10日間にわたって展開されています。とはいっても、問題の交通事故が、全国的には、この10年間ほど着実な減少傾向をたどっており、なかでも懸案だった交通事故死者数は劇的な減少傾向をたどり、2009年から昨年までの3年間、連続して5,000人を割り込んでいることと、地方自治体の財政悪化が拡大していることが相まってか、「運動」の内実、市町村等各地域での交通安全を推進する諸活動は、その数・規模が年々縮小しているのが実情で、今年の「春の全国交通安全運動」でも、初日また前日にこそ、「運動」のスタートを知らせるセレモニー行事が相応に行われたことがテレビ・新聞等のメディアで報じられましたが、それ以外は「運動」実施中を知らしめる動きがあまり見聞きされず、かつてに比べれば、何とも盛り上がりに欠けた「運動」になっているというのが実感です。
★ただ、この「運動」の期間が小学校や幼稚園等の新入学・新入園の時期に重なっていることもあって、新入学・新入園児童に対する「交通安全教室」だけは、「運動」のスタートを知らせるセレモニー行事としても恰好のものとあってか、テレビ・新聞等のメディアでも、その実施がしばしば報じられていました。しかし、そうした「交通安全教室」での指導状況をみると、交通安全指導や交通安全教育のお粗末さに落胆せざるを得ません。お粗末な交通安全指導や交通安全教育とは、この「雑記」でも、以前に取り上げましたが、「手を上げて横断歩道を渡りましょう」というあの厚顔無知な指導が相変わらず繰り返されていることです。
★以前の「雑記」の繰り返しになりますが、いわゆる「手上げ横断」というのは、今から半世紀ほども前の1963年(昭和38年)の秋の全国交通安全運動の重点推進事項の一つとして、歩行者が横断歩道を渡るときは、必ず手を上げて合図をし、車が止まったことを確かめてから渡り始める、また、運転者は車を止めて歩行者に手を振る―という「手で合図し合う運動」が推奨され、翌年の春の全国交通安全運動では、「横断歩道、人も車も手で合図」というスローガンも掲げられましたが、これが、いわゆる「手上げ横断」の発端です。
★こうした運動が推進されるようになった背景には、当時の横断歩道の多くには信号機も少なく、そうした「横断歩道を渡る歩行者のなかには、車の流れを無視してゆうゆうと歩くものがいる。また、横断歩道で停止している車の脇を平気ですりぬけていく運転者も多い。これはいずれも連帯感が欠けているためである」(読売新聞・S38・10・7社説)といわれるような状況があり、これを正すためには、横断しようとする歩行者が手を上げて「お願いします」と車に合図をおくり、運転者が車を止めて手を振り「どうぞ」と会釈をし、社会的連帯感を育成することが大切であり、その手段として「手で合図し合う運動」、「横断歩道、人も車も手で合図」ということが推進されたのです。
★しかし、この「手で合図し合う運動」がいつの間にか変質し、横断歩道や信号機の有無にかかわらず「手を上げたまま横断する」という、趣旨もアクションも当初とはまったく異質の歩行者だけに課せられる「安全な横断の方法」の典型的事例として指導現場に流布し、定着してしまった―というのが、いわゆる「手上げ横断」の実態なのです。
★ちなみに、1967年(昭和42年)に当時の文部省体育局監修により日本学校安全会が発行した小学校向けの『交通安全指導資料―第1集』の第2章の指導事例・小学2年生に対する「道をよこぎるとき」という主題の項には、信号機のある交差点、信号機のない交差点ともに、「右折車、左折車のある場合には、手をあげて合図をし、停車したのを確かめてから渡り始める」とあり、また、小学1年生に対する「みちをよこぎるとき」という主題の項の「指導のねらい」には、「右、左をよく確認し自動車に合図をして渡るようにさせる」とあり、当初の「手で合図し合う運動」の趣旨は活かされています。しかし、その「指導上の留意点」には、「手をあげたり、運転者の顔を見るのは、これから渡るという合図である。手をあげただけで安全であると考えないように指導することがたいせつである」と記されているのをみると、すでにこの時点で、歩行者と運転者の意思疎通法、会釈手段としての横断する前の「手上げ」は形骸化し、安全確認もなしに、手を上げたまま横断する―という危険行動に転化していたことをうかがわせます。
★そうした実情を考慮した結果かどうかは定かではありませんが、1972年(昭和47年)に出された国家公安委員会告示『交通の方法に関する教則』では、「近くに横断歩道や信号機などの横断施設があるときは、必ずその施設を利用して横断しましょう」とあり、「手上げ」の記述はありません。ただ、「近くに横断歩道や信号機などの横断施設がないところでは、右左の見通しがきくところで、車のとぎれたときを選んで横断しましょう」という記述に続いて、「車がくる道路を横断するときは、手をあげて合図をし、車が止まったのを確かめてから渡りましょう」とされていますが、あくまでも当初の趣旨通り、横断する前の意思表示としての「手上げ」であり、横断中も手を上げたまま渡る―というものではありませんでした。
★しかも、その『交通の方法に関する教則』も1978年(昭和53年)に改正され、「手をあげて合図をし、車が止まったのを確かめて・・・」という記述もなくなり、「車が近づいているときは、通り過ぎるまで待ちます」という方法に変更され、「手上げ」の記述はいっさいなくなっています。さらに、1998年(平成10年)9月には、交通安全教育を行う者が効果的かつ適切な指導を行うことができるようにするための基準となる教育内容等を定めた『交通安全教育指針』が国家公安委員会告示として出されましたが、それにも「手上げ横断」の記述はいっさいありません。
★にもかかわらず、いまだに多くの指導現場では、当初の趣旨も忘れ去られ、すっかり形骸化した異形の「手上げ横断」を金科玉条のごとく指導しており、それをまたマスメディアも、あたかも交通安全のシンボルであるがごとく「手上げ横断」の指導情景を報道し、一般にもさらに流布する―という悪循環が固まっていくというわけです。指導者が、せっかくの『教則』や『指針』をまったく活用していないばかりか、『教則』や『指針』に目を通したこともない―とまで疑われる状況が垣間見えるのです。何かといえば、「ルール順守」を口にする交通安全指導者が、その指導・教育の「ルール」ともいうべき『教則』や『指針』に準拠しない指導・教育を行うことは明らかな「ルール違反」です。そのうえ、子どもたちには金科玉条のごとく「手上げ横断」を指導しながら、指導者自身はまったくそれを実践しない―、という裏切りまで行っている、そんな指導者の指導・教育が子どもたちの交通事故防止能力や交通安全意識の向上に寄与するはずがない―と苦々しく思うものですが、いかが・・・。214021
■唖然!「飲酒検出値偽造による検挙」、交通取締りの原点を確認せよ・・・
★去る3月7日、新聞・テレビ等の報道が一斉に伝えたニュースは、近年、次から次へと、さまざまな衝撃的ニュース報道が国内外からあふれるように報じられ、いささかの感覚麻痺をきたしているのではないかと危惧している「雑記子」にとっても、あまりにも唖然とする衝撃的なものでした。きわめて残念なことに、その後の経緯報道がほとんど見かけられませんが、「雑記子」が唖然としたニュースとは、大阪府警下の泉南警察署交通課のY警部補(57歳)が飲酒運転検問の際、アルコール検出値を水増しし、虚偽の書類を捏造して検挙していた―というものです。
★新聞各紙の報道を総合すると、事案の顛末は以下のようになります。まず、大阪府警管内の飲酒運転の摘発件数は8年連続全国最多で、このため、ほかではあまり例のない日中の一斉検問も実施し、全体の摘発件数が減るなかで問題となったY警部補が勤める泉南警察署の2011年の摘発件数は79件で、2010年の36件の倍以上になっており、Y警部補は79件中51件に関わっており、昨年7月、府警交通部長は交通取締りに尽力したとしてY警部補を表彰しているとのことです。しかし、昨年9月、泉南市内のJR駅前で原付バイクを運転していた60歳代の男性が飲酒検問を受け、同警部補による呼気検査の結果、呼気1リットルあたり0.15ミリグラムのアルコールが検出されたとして「酒気帯び運転」で交通切符(赤切符)を切られ、同年10月、略式起訴により罰金刑が確定しました。しかし、その男性運転者は、飲酒検問による摘発の際、確かに、そのおよそ2時間前の昼食時に「350ミリリットル」の缶ビール1本を飲んでいたので、その旨を説明しましたが、岸和田区検で事情を聴かれた際、捜査書類に「500ミリリットル」の缶ビール1本を飲んだと記載されていることに気づいたので、罰金を納付した後、電話で泉南警察署のY警部補に抗議したところ、Y警部補は「すみませんでした」と謝罪したが、その後、免許停止の行政処分が通知されたため、11月に改めて泉南警察署に訴えました。
★この訴えを受けた府警には、この直前、別の男性からも同様の苦情が寄せられていたこともあって府警監察室が調べた結果、二人の男性のアルコール濃度は、泉南市内の交番で、Y警部補が、本来、違反容疑のあるドライバーの目の前で測定しなければならないマニュアルに反し、ドライバーに表示が見えないように背を向けて一人で測定していたことが判明、Y警部補は、事前に、日時とともにアルコール濃度が印字される仕組みの検知器を操作し、基準値以上の数値が記録された用紙を準備し、その虚偽の記録紙を貼付して送検していたとみて、この3月6日、大阪府警はY警部補を「虚偽有印公文書作成・同行使と証拠隠滅」の疑いで逮捕し、捏造を繰り返していた可能性もあるとみて調べている―ということで、新聞報道によると、大阪府警監察室長は、「犯罪を取り締まる警察官が重大な不正事案を引き起こし、極めて遺憾。事実関係の調査を徹底し、厳正に対処する」とのコメントも出しています。
★交通安全、交通事故防止に関し、事あるごとに「ルール順守」を訴えている警察がこの体たらく、言語道断の職権乱用事犯であることは確かで、憤慨の極みです。願わくば、大阪府警の一警部補の特殊な愚行であってほしいものですが、「市民の目フォーラム北海道」の原田宏二代表(元北海道警察釧路方面本部長)の「ノルマは管理目標とか努力目標という言葉に置き換えられており、取締りのためなら多少のことはやってもいいというおごりがある。上司のチェック機能も甘い※北海道新聞3.7記事」―という批判をはじめ、いわゆる交通取締りの「ノルマ主義の弊害」や「チェック体制の甘さ」が背景にあるとする指摘も少なくなく無視できません。
★改めて確認しておきますが、道路交通法の第1条には、「この法律(道路交通法)は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする」と明記されています。よって、警察による「交通取締り」も、当然、この目的を達するために行うもので、摘発自体が目的であっては断じてなりません。しかし、現実には、「ネズミ捕り」と揶揄されるスピード違反の取締りや「覆面パトカー」によるスピード違反の取締りなど、摘発を優先させた「取締りのための取締り」が多く行われているのが実態で、取締り・摘発実績が高い警察官を表彰するなどの慣行は「取締りのための取締り」を助長する要因になると断じても過言ではないと思います。
★また、今度のアルコール濃度記録紙捏造による摘発事犯にはさらに煩雑・やっかいな問題が秘められていることも指摘しておきたいと思います。周知のように、道路交通法(第65条第1項)では「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」と定められており、「酒気を帯びて・・・」というのは、「身体に通常以上のアルコールを保有した状態」と解されておりますので、2時間ほど前に「350ミリリットル」の缶ビール1本を飲んでいた―と答えている原付バイクを運転していた60歳代の男性は、この道路交通法(第65条第1項)の規定に違反した「飲酒運転」をしていたことは確かで、問題の検問時、たとえば、呼気が「酒臭かった」などの現象が認められた故に呼気検査に至ったのであろうと考えられます。果たして、呼気検査の結果の正確な呼気中のアルコール濃度の値はどうであったのか、各メディアでもその報道はないので知るすべもありませんが、問題のY警部補が事前に用意していたと思われる虚偽の記録紙を貼付したことからすると、「酒気帯び運転」として罰則適用の対象とはならない呼気1リットルあたり0.15ミリグラム未満の値しか検知されなかったことは確かでしょう。しかし、それでも、「飲酒運転」であったことは否定できません。
★問題のY警部補が、事前に虚偽の記録紙を用意しておいて、こうした「基準値未満」のドライバーをも摘発するという愚挙に出たのは、摘発実績を上げるという不純な意図があったことのほかに、この種の「酒気帯び運転」に至らぬ飲酒ドライバーが少なからず横行していた―という背景があり、それが不純な意図を助長した―とも考えられます。現に、摘発された原付バイクを運転していた60歳代の男性というのは元警察官であった―という一部の新聞報道がありますが、元警察官であった者でさえ、2時間ほど前に缶ビール1本を飲んではいるが、「酒気帯び運転」には当たらない・・・という認識があったのではないかと推測されます。つまり、「飲酒運転」の本旨を理解していなかったのではないか・・・ということです。あるいは、「350ミリリットル」の缶ビール1本だけ飲んだことは確かだが、2時間も経過しているから摂取したアルコールはもう正常に戻り、「飲酒運転」にも該当しないと思っていたのかもしれませんが、こうした認識は、何も大阪に限られず、全国的にも、少なからぬドライバーにみられる認識です。
★しかし、運転前に「飲酒あり」とされたドライバーによる事故を分析調査した結果によると、いわゆる「基準値」未満だったとされたドライバーが相当数おり、飲酒は、たとえ、呼気中または血液中のアルコール濃度が「基準値」未満でも安全運転の阻害要因になる―というのが現在までの知見であり、それ故に、「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」という飲酒運転禁止の条項が設けられたはずです。ただ、その反面で罰則の適用は、あくまでも、呼気中または血液中のアルコール濃度が「基準値」以上ある場合に限られていますので、「酒気を帯びて車両等を運転してはならない」という規定自体は、いわば、単なる訓示規定といえる性格になっており、その点が「基準値」未満の飲酒運転者の横行を許し、今度のY警部補の愚挙を生む背景になっているとも考えられるのです。
★それだけに、たとえば、最高速度違反の場合は、10キロ未満の超過でも罰則規定があるのに、いわゆる「基準値」未満の飲酒運転には、なぜ、罰則が不要なのか・・・、もし、10キロ未満の速度超過に比べても危険性が乏しいというのであれば、「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」という規定自体を抜本的に見直すべきであり、またもし、たとえ、「基準値」未満の飲酒運転でも安全運転の阻害要因になり危険であるとするならば、それ相応の罰則規定を設けるべきです。また、同時にその危険性の根拠を誰にでも容易にわかるように示し、周知徹底を図る―、そういった根本的対処を取らなければ「飲酒運転」の根絶はもちろん、今度のY警部補のような愚挙の根絶も至難であると思わざるを得ませんが、少なくとも、交通警察への不信の基となる道路交通法の目的をわきまえぬ「取締りのための取締り」は抜本的・早急に改善してほしいと切に願って結びとします。613021
■交通事故、「類型別」発生状況の不可解・・・
★昨年2011年(平成23年)の全国で発生した交通事故(人身事故)は691,932件で、前年よりも33,841件少なく、1992年(平成4年)以来19年ぶりに70万件を下回り、負傷者数も前年より41,719人少ない854,489人にとどまり、2005年(平成17年)から7年連続減少を記録している、また、交通事故死者数(24時間死者数)は4,611人で、前年に比べ252人(5.2%)少なく、2001年(平成13年)から11年連続して減少した―ということについては前回のこの「雑記」でも紹介しました。
★そして、国や地方自治体等の財政悪化が年々急速に進み、各種の交通安全対策に投じられる費用は年々削減され続け、交通安全対策の総量は、少なくとも1992年(平成4年)当時に比べ、確実に減少しており、しかも、交通安全対策の質も、交通安全対策の総量減少をカバーするほど高まったとはいえない状況の下で、年間の交通事故(人身事故)発生件数が7年連続して減少し、なかでも死者数は11年連続して減少、3年連続して5,000人を割り込んでいる―という現況は、確かに歓迎すべき状況であるには違いありませんが、たとえば、年間の全国の交通事故(人身事故)件数が695,345件にとどまった1992年(平成4年)の死者数は、11,451人であったこと、また、全国の交通事故死者数が5,000人を割り込んでいたのは、半世紀以上も前の1952年(昭和27年)以前のこと等を鑑みれば、にわかには信じ難いほど不可解ともいえる減少ぶりであることも述べましたが、今回の「雑記」では、減少傾向をたどっている交通事故のもう一つの「不可解」について述べてみようと思います。
★それは、交通事故の「類型別」発生状況の「不可解」です。ご承知の方も少なくないと存じますが、交通事故の「類型別」発生状況というのは、簡潔にいえば、警察の交通事故統計上、交通事故の当事者がどのような行動関係にあったのか―を基にした区分法ですが、大きくは、(1)人対車両、(2)車両相互、(3)車両単独、(4)列車(踏切)事故の4つに区分され、この「車両」には道路交通法の定義にある自動車、原動機付自転車、自転車などの軽車両のほか、今では皆無に近いトロリーバスや一部地域でしか見られない路面電車も含まれます。また、「人」には、いわゆる道路を通行中の「歩行者」のほか、路上作業中の人や遊戯中の人なども含まれます。なおまた、列車(踏切)事故は、あくまでも踏切上で列車と歩行者等「人」または「車両」が衝突した場合の事故で、踏切以外の線路上で列車と人が衝突した事故は含まれません。
★さらにまた、この4つの大区分のうち、(1)の「人対車両」は、「対面通行中」や「背面通行中」、「横断中」、「路上作業中」、「路上遊戯中」など10種に細区分されますし、(2)の「車両単独」はガードレールや電柱等の「路上・路側工作物への衝突」や「路外逸脱・転落」など、最終的には12種に細区分されますが、その個々の細区分が交通事故全体に占める割合はさほど多くはありませんので、以下では、「人対車両」、「車両単独」という大区分のまま述べていくこととします。ただ、(3)の「車両相互」は交通事故全体に占める割合も圧倒的に多いので、「追突」、「出会い頭」、「正面衝突」、「右左折時衝突」の4種に中区分してみていくこととします。しかし、これら4種をはじめとする「車両相互」の事故のなかには、一般的な警察統計として、「軽車両」と自動車・原付との衝突事故、なかでも自転車と自動車・原付との衝突事故が相当数含まれています。しかし、このままでは特に近年、何かと取りざたされている、いわゆる「自転車事故」の実態・動向が把握できません。そこで弊社では、かねてから、自転車と自動車・原付との事故を「車両相互」の各種の事故類型から分立して抽出し、「対自転車」として別区分していますが、その分析結果によると、毎年、全国で発生した交通事故は、(1)「人対車両」、(2)「車両単独」、そして、「車両相互」の(3)「追突」、(4)「出会い頭」、(5)「正面衝突」、(6)「右左折時衝突」、(7)「対自転車」の7つの事故類型で90数%を占めている実態が判明します。
★交通事故の「類型別」発生状況の「不可解」というのは、全交通事故の90数%を占める7つの類型の事故が、交通事故全体の発生件数の増減にかかわらず、毎年ほぼ同様の割合で発生している―という点です。いうまでもなく、交通事故の発生件数というのは、1件1件の個別的事故の積み重ねですから、その「類型別」発生状況も年によって千差万別であるほうが自然であるように思えます。たとえば、前年は「人対車両」の事故が圧倒的に多かったが、今年は「車両相互」の「追突」事故が大多数を占めた…というようにです。しかし、毎年、減少傾向をたどっている全国の交通事故の「類型別」発生状況をみると、「人対車両」の事故は9%前後、「車両単独」は5%前後、「車両相互」の「追突」は31%前後、「出会い頭」は16%前後、「正面衝突」は2%前後、「右左折時衝突」は9%前後、「対自転車」は20%前後というように、その占率はほぼ一定しています。もちろん、厳密には年により若干の増減はありますが、いわば誤差の範囲内というほどの違いにすぎません。つまり、1件1件の個別的事故の積み重ねであるはずの交通事故の「類型別」発生状況が、なぜ、同じ類型の事故が毎年、同じような割合で発生するのか・・・、それが「不可解」だと思うのです。
★念のため、こうした状況は、もちろん、近年に限ったことではありません。弊社が交通事故の統計分析に本格的に着手した30年以上も前から同様の状況にありました。ただ、その当時の「類型別」発生状況と近年のそれを比較すれば「人対車両」の事故の占率が20%台から10%未満に減少、「車両単独」の占率も若干減少、逆に、「対自転車」を含む「車両相互」の事故の占率は70%弱から85%以上へと高くなっている―という変化がみられますが、5年から10年の中期的スパンでみれば、「誤差の範囲内」という程度の変化しかみられず、同じ類型の事故が毎年、同じような割合で発生している―というのが実態なのです。つまり、特に近年は、なぜか、交通事故の発生件数は毎年着実に減少傾向をたどってはいますが、交通事故の「類型別」発生状況にはほとんど変化が認められず、交通事故の総量こそ減少しているとはいえ、相変わらず、毎年同じような事故が同じような割合で発生している―という、交通事故の基本的な発生状況は何も変わっていないのです。
★もちろん、こうした交通事故の「類型別」発生状況は、死亡交通事故に限ってみても、人身事故全体の場合の占率状況とはかなりの違いがあることは確かですが、毎年同じ類型の死亡事故が同じような割合で発生している―という状況は全く同じです。最近数年の状況でいうと、「人対車両」の事故死者が32%から36%ほど、「車両単独」が20%前後、「対自転車」を含む「車両相互」の事故死者は45%ほどで推移し、なかでも、「対自転車」や「正面衝突」、「出会い頭」の事故死者が圧倒的に多くを占めているという状況にありますが、「人対車両」の事故死者が「誤差の範囲内」にとどまらず、32%台から36%余まで年々増加の傾向をたどり、その分、「車両単独」や「車両相互」の事故死者の占率が年々低下している―という変化が認められることが特徴といえるでしょう。ただし、その増加傾向や減少傾向も比較的穏便なもので、総じていえば、人身事故の場合と同様、毎年同じ類型による事故死者が同じような割合で発生している―という基本的な実態に変わりはありません。ちなみに、30数年以上も前の1970年代前半の「類型別」発生状況と比較しても、「人対車両」の事故死者の割合が幾分少なくなって、その分、「車両相互」の事故死者の割合が高くなっている―という若干の変化は認められるものの、基本的状況としては目立った変化が認められないとみるべきでしょう。
★冒頭にも述べたように、近年、全国の交通事故は着実な減少傾向をたどり、特に交通事故死者数は劇的な減少傾向をたどり、3年連続して5,000人を割り込むという、半世紀以上も前のレベルにまで低下しています。長年にわたり、まずはともかく交通事故死者数の減少を・・・ということを重点に取り組んできた我が国の交通安全対策の経緯からすれば、今日のこうした事態は大いに歓迎すべきことには違いありませんが、毎年、同じ類型の事故が同じような割合で発生している―という交通事故の基本的な発生状況はほとんど変化していないという点が「不可解」だと思うのです。さらに付け加えれば、さらに詳細な交通事故の統計分析や事例分析をすれば、同じ類型の事故(死)が、同じような条件下で、毎年、同じような割合で繰り返し発生している―というのが厳格な実態表現です。なぜ、毎年、毎年、同じ類型の事故(死)が、同じような条件下で、同じような割合で繰り返し発生し続けているのか・・・、その解明こそが今後の交通安全の最重要課題であると思うものですが、いかが・・・。512021
■東日本大震災をはじめ多くの災害に見舞われた2011年だったが・・・
★今更改めていうまでもないこととは思いますが、昨年2011年(平成23年)は、いわゆる「3.11の大震災」をはじめ、台風やゲリラ豪雨による災害が全国各地を襲い、日本列島が多くの自然大災害に振り回された一年であったと記録されることでしょう。しかも、それらの被災地の多くが復旧・復興のめどすら立たないうちに越年し、特に福島原発の事故は、大震災以前に採掘され野積みされていた建設土木用の砕石が放射性物質に汚染され、その砕石を用いて建築された二本松市内のマンション1階の室内から屋外より高い放射線量が測定されるなど、放射性物質による汚染が多方面に拡大し続けており、その被害の全容はほとんど把握されていない―という状況にあります。もちろん、1,000年に一度といわれる巨大地震による自然災害に端を発したこととはいえ、高慢な「安全神話」に胡坐をかいたお粗末すぎる危機管理と安全マネージメントの欠如による明らかな人災である側面のほうがはるかに大きい―と圧倒的多数の人々が思い、国や東京電力等の危機管理統治能力に絶望している人も少なくないのが実情ですが、以下の「雑記」では、唯一の救いともいえる結果に終わった災害、すなわち、我が国で長年にわたり大きな災害(人災)として認識されてきた交通災害(交通事故)の減少について述べておきます。
★1月4日の警察庁のまとめによると、昨年2011年(平成23年)の全国の交通事故死者数(24時間死者数)は4,611人で、前年に比べ252人(5.2%)少なく、2001年から11年連続して減少したことも判明しました。かつて、ピーク時には年間16,000人を超える死者数を記録し、また、1980年代後半から1990年代半ばにかけては毎年10,000人を超える死者数を記録し続けた状況からすると、2009年、2010年、そして昨年と3年連続して死者数が5,000人を割り込んだという状況は、いわゆるリーマンショックによる経済不況、国・地方自治体の財政悪化、少子高齢化による若年ドライバー層の減少、地球温暖化によるエコロジー意識の高揚などによる「車離れ」や「乗り控え」など様々な要因が考えられはしますが、にわかには信じ難い減少ぶり―というのが「雑記子」の正直な実感です。
★確かに、全国で発生した交通事故(人身事故)件数も、昨年は690,907件(速報値)で、前年よりも34,866件少なく、1992年(平成4年)以来19年ぶりに70万件を下回り、負傷者数も前年より44,114人少ない852,094人(速報値)にとどまり、2005年(平成17年)から7年連続減少を記録しています。しかし、年間の交通事故(人身事故)発生件数が70万件を下回り、695,345件にとどまった1992年(平成4年)の死者数が11,451人であったことを鑑みれば、この3年来、死者数が5,000人を下回ったというのは、なおさら信じ難い劇的すぎる減少といわざるを得ません。もちろん、1992年(平成4年)当時に比べ、確かに、車の衝突安全性能や救急救命医療が飛躍的に向上・高度化したなど、死亡事故減少に結びつくと思われる状況変化が考えられはしますが、一方で国や地方自治体及び交通安全関係団体等の財政悪化が年々急速に進み、各種の交通安全対策に投じられる費用は年々削減され続けた結果、交通安全対策の総量は、少なくとも1992年(平成4年)当時に比べ、確実に減少しています。また、交通安全対策の質が飛躍的に向上したとも思えません。したがって、強いていえば、これまでの長年にわたる諸対策の積み重ねがようやく実を結んできた結果だとみるのが最も妥当なのかもしれませんが、それにしても、にわかには信じ難い激減ぶりだと思わざるを得ないのです。
★ちなみに、年間の交通事故死者数が5,000人を下回っていたのは、実に半世紀以上も前の1952年(昭和27年)以前のことで、その当時の道路交通状況と今日のそれを比較すれば、質・量ともにあまりにも大きな違いがあります。それだけに、繰り返しになりますが、にわかには信じ難い不可解な朗報だと思わざるを得ないのですが、ともあれ、大災害が相次いで発生したなか、最も身近な交通事故災害による死者数が劇的な減少傾向をたどったことは大いに歓迎すべき朗報であることは確かでしょう。
★なおまた、昨年2011年(平成23年)は、国の「第9次交通安全基本計画」のスタート年であり、同年3月に中央交通安全対策会議(会長・内閣総理大臣)で決定された「基本計画」には、第9次の基本計画の最終年に当たる平成27年までに(1)24時間死者数を3,000人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する、(2)年間の死傷者数を70万人以下とする―という2つの目標を掲げています。また、政府は、この「第9次交通安全基本計画」の目標とは別に、「平成30年までに24時間死者数を2,500人以下とし、世界一安全な道路交通を実現する」という目標をも掲げていますが、この数年来の減少傾向が続く限り、この「基本計画」に掲げた目標や政府目標の達成も実現性が非常に高いと考えられます。しかし、国や地方自治体等の財政悪化により、国、地方自治体ともに交通安全対策関係予算が年々縮減され、また、かつては、大半の市町村で専任の交通安全推進業務担当者がいたものですが、近年では、ほとんどが他の業務との兼任者になっているなど、市町村自治体での交通安全推進体制の弱小化が進行し、民間でも交通安全指導員などの高齢化と人員の減少が進み、いわゆる交通安全運動の現場の担い手も弱体化し、さらにはまた、いわゆる交通安全教室や交通安全研修会なども数量的に明らかに減少しているなどの状況を勘案すると、この数年来の減少傾向がこのまま着実に進んでいくための確固たる裏づけはほとんど見当たらない―というのが実情です。そのうえ、この目標自体、ほとんどの人々に知られていないという現状ですから、何とも心もとない限りです。
★ともあれ、交通安全対策のこうしたお寒い状況にもかかわらず、交通事故の発生件数とその死者数が減少傾向をたどってきたことは確かですから、まさに「ラッキー!」と思わざるを得ませんが、「再生日本」のスタートが切れるかどうかが注目されるこの新年、2012年もせめて交通事故(死)減少の「ラッキー!」が続くことを願ってやみません。811021
■冬道でのスリップ追突事故の実態から学ぶ安全運転のポイント
★今回の「雑記」では、前回に引き続き、「冬道」での安全運転、特に、冬の積雪・凍結路面での多発が懸念される、いわゆるスリップに起因する「追突」事故の発生実態を紹介し、そこから教示される追突事故防止のための安全運転の実戦的ポイントを述べてみようと思います。というのも、冬に降雪・寒冷に見舞われる地域は北海道のみならず、東北や北陸、山陰など、日本列島のほぼ半分ほどの地域が該当しますが、北海道(警察)を除けば、冬のスリップ事故等に関しての詳細な調査分析が行われているところがあまり見当たらない―というのが実情のようですから、その意味でも、北海道(警察)の詳細な調査分析データを紹介し、「冬道」でのスリップ事故の実態を知ってもらうことは大いに意義あることと考えるからです。もちろん、同じ降雪・寒冷地とはいえ、東北や北陸、山陰等の「冬道」状況は北海道のそれと異なることも少なくありませんが、北海道(警察)の調査分析データは、それらを斟酌してもなお十分に参考になるものだと思います。
★なお、前回の「雑記」では、「冬道」というのは、北海道警察が「冬期間」と定義づけている11月から翌年の3月までの間に生成する積雪路面や凍結路面、また、雪氷が融けてシャーベット状になっている降雪・寒冷地特有の状態にある道路をいい、スリップ事故とはその積雪・凍結路面で「スリップ」が決定的要因になった事故をいい、近年は凍結路面でのスリップ事故が圧倒的に多いこと、また、「冬道」走行に適しているといわれるAT車(オートマチック車)や4WD車(4輪駆動車)、あるいはABS(アンチロックブレーキシステム)装備車によるスリップ事故が大多数を占めていることを紹介し、車やスタッドレスタイヤの安全走行性能の飛躍的向上に伴ってドライバー総体の「冬道」を安全に走行するための知識・技能、すなわち、「冬道」での安全運転能力が低下しているのではないか―という懸念が生じていることを述べましたが、今回はスリップ事故、なかでも、最も多く発生しているスリップによる「追突」事故の発生状況をより詳細に紹介することから始めましょう。
★北海道警察交通部がまとめた過去3シーズンのデータを分析した結果によると、「冬道」で発生したスリップ事故で圧倒的多数を占めているのは「追突」事故です。特に、道路に沿って住宅、事業所等の家屋がおおむね500メートル以上にわたって連立している状態にある「市街地」の道路で発生したスリップ事故のおよそ60%が「追突」で占められている―という状況にあります。そしてまず、それらのスリップによる「追突」事故を引き起こした車がどのような駆動方式等の車であったか・・・を調査集計したデータによると、実にその80%がAT車(オートマチック車)という実態にあります。もちろん、近年は全国的にみても、少なくても自家用の乗用車のほとんどがAT車であるという普及状況にありますから、AT車によるスリップ「追突」事故が圧倒的多数を占めているのも当然の結果ともいえますが、AT車を運転しているドライバーのほとんどが発進から停止までシフトチェンジをせず、ドライブモード(「D」レンジ)のままで運転していますが、それが少なからず災いしている・・・とも懸念されます。
★承知の方も少なくないと思いますが、MT車(マニュアル車)であれば、発進から加速まで、否が応でもローギアからセカンドギア、そしてサードギアへとギアチェンジ操作を強いられ、その結果として、減速する場合もサードギアからセカンドギア、あるいはローギアへとチェンジし、いわゆるエンジンブレーキを活用しながら減速する操作習慣を身につけていた者も少なくありませんでした。しかし、AT車では、ギアチェンジの代わりとなるシフトチェンジを発進から停止までまったくしなくても運転可能ですから、減速時もドライブモード(「D」レンジ)のままでいきなりブレーキを踏むということになり、特に夏場の乾燥舗装路面に比べ摩擦力が格段に低い「冬道」では効果的な制動力が得られない、ということが災いしていると考えられるのです。さらにまた、AT車でも、走行中にアクセルを戻せば、いわゆるエンジンブレーキが効きますが、MT車に比べれば、若干効き遅れする―という特性も災いしていると考えられるのです。したがって、AT車でも、特に「冬道」ではドライブモード(「D」レンジ)のままで走行する習慣を改め、「L」(ローレンジ)や「S」(セカンドレンジ)にこまめにシフトチェンジして運転する、特に、頻繁に交通の流れが変化し、減速・停止を強いられることが多い「市街地」などでは「S」レンジにシフト変換し、エンジンブレーキが効果的に活用できる態勢で走行する習慣をつけることが望まれます。
★また、「冬道」でのスリップによる「追突」事故を引き起こした車の80%弱がABS(アンチロックブレーキシステム)装備車であったというデータもあります。ABSはコンピューター制御によりブレーキング時の踏力を自動的に制御し、最適な制動力を発揮させる機能を持ってはいますが、必ずしも最短の制動距離で停止できるというものではありません。特にアイスバーンといわれる最も滑りやすい凍結路面では制動距離が延びてしまうことも少なくありません。さらにまた、ABSは凍結路面等でブレーキをちょっと強く踏みすぎると直ちにシステムが作動してブレーキペダルが振動したり異音が出たりしますが、ABSの機能を発揮させるためには、その振動等に構わずさらに強くブレーキペダルを踏み続けることが必要ですが、そのことを十分に認識・体験していないドライバーはその振動などに驚き、思わず踏力を緩めてしまうことが少なくありません。この結果、せっかくのABSもまさしく「宝の持ち腐れ」となるばかりか、制動効果が低下し、避けられたはずの危険が回避できず事故に至ってしまいます。「冬道」でのスリップによる「追突」事故を引き起こした車の80%弱がABS装備車であった―という状況には、こうしたABSの機能特性も関与していると考えられますので、ABS車を運転する者はこの点をしっかり理解し、ABS作動に十分に習熟しておくことも必要です。
★また、北海道警察交通部がまとめた過去3シーズンのデータには、「冬道」でのスリップによる「追突」事故の「前車の状態別」発生状況や第一当事者となった車の「事故直前速度」も集計されていますが、それによると、進行中の前車に追突したケースはわずか6%程度で、90%以上はすでに停止している前車に衝突している―というのが実態で、第一当事者となった車の「事故直前速度」も70%以上が時速30キロ以下であり、時速40キロ以下でくくると、ほとんどの「追突」事故がその範囲に入る―という状況にあります。
★したがって、「冬道」でのスリップ事故の第一当事者となったドライバーの「違反種別」の発生状況をみても、いわゆる車間距離を適正に保っていなかったことが事故の決定的原因とされた「追突」事故はわずか1%未満と極めて少なく、また、夏場の「追突」事故では圧倒的に多い「前方不注意」等による事故も18%程度で意外に少なく、80%以上の事故は「操作不適」が決定的原因とされており、なかでも、「ブレーキ操作不適」がほとんどを占めている―という状況にあります。つまり、「冬道」でのスリップによる「追突」事故は、「追突」の危険を感知した後のブレーキ操作が適切に実行されていれさえすれば回避できたケースが圧倒的に多い―というのが実態だということです。
★そこで、問題の「ブレーキ操作不適」の詳細を検証してみると、「回避操作(ブレーキング)の緩慢・遅れ」(53%)や「ブレーキ不充分」(19%)が圧倒的多数を占めています。つまり、前車の停止に気づき、「追突」の危険を感知したが、ブレーキを踏むのを一瞬ためらったり、ブレーキをしっかり踏み込まなかった結果の事故が圧倒的に多いということですが、なぜ、こんな失敗を犯してしまうのか、それが問題ですが、冬の凍結路面で、いわゆる「急ブレーキを踏むのは危険」という、ある意味で間違った認識が頭の片隅にこびりついていた結果であり、また、緊急時のブレーキ操作技能を習得していなかった結果であろうとしか思われません。
★ですから、夏場の乾燥舗装路面ではもちろん、雨などでぬれた路面でも、冬の積雪・凍結路面でも、「追突」の危険が差し迫った緊急時には、素早く力いっぱいブレーキを踏み、タイヤの回転を止める(タイヤをロックさせる)―というのが最も有効な危険回避策であることをしっかり認識しなおすことが大切です。もちろん、特に冬の凍結路面ではタイヤがロックすると、回転が止まったままの状態で路面を滑走するスリップが生じますが、走行速度が急激に減速されることは確かであり、ハンドルをしっかり保ってむやみに操作しない限り、車体は慣性力(速度)がある間、慣性の方向に直線的に滑っていき、ブレーキを踏んだとたん、いわゆる「尻振りスリップ」や「スピン(旋回)」などのより危険なスリップに見舞われることはまずありません。特に近年は、ABS(アンチロックブレーキシステム)や駆動輪の左右の回転差やスリップの度合いを適正に制御するシステム(LSD=リミテッド・スリップ・デファレンシャル)が搭載されている車が普及していますので、これらの車は一層安心です。
★しかし、これはあくまでも、危険が差し迫った緊急時に意識的に操作するブレーキテクニックを駆使してのことで、ほとんどのドライバーは、この緊急時のブレーキテクニックについての知識や技能を持ち合わせておらず、ために、無意識・反射的にいわゆる「急ブレーキ」を踏んでしまう結果、一瞬のためらいが生じたり、踏み込みも不十分で、タイヤもロックせず、しかも、無意識にハンドルも同時に操作してしまうなどの結果、急ブレーキを踏んだとたん、「尻振りスリップ」や「スピン(旋回)」などを招いたり、制動距離が延びたりして危険を増大させ、事故に至っている―というのが実情なのです。
★したがって、夏場でももちろん同様ですが、特に冬の積雪・凍結路での「追突」事故を防止するためには、先々の路面状況や先行車群の流れの変化にしっかり目配り・気配りして追従する―というメンタルなテクニックを確実に実行するとともに、危険が差し迫った緊急時には、ためらわず、素早く力いっぱいブレーキを踏み込み、タイヤの回転を止めるブレーキングを意識的に駆使できるように、その知識・技能をしっかり習得しておくことが必要です。「安全運転を確保するためには安全運転を確保するためのテクニック(知識・技能)が厳然としてあり、これを習得し、駆使する必要がある」という安全運転の本物の鉄則が「冬道」走行ではなおさら必要不可欠であることを強調して稿を閉じることとします。612111
■大震災の被災地にも冬将軍が襲来、冬道での安全運転を願って・・・
★一昨日(11月14日)の夜、札幌市内でも初雪がちらつき、15日の朝には、雪化粧した旭川市内の状況のほか、15日の夜から16日にかけては北海道内各地の平野部でも積雪が見られるかもしれない―というニュースがテレビ等で報じられました。11月中旬になっての札幌市内平地での初雪は、観測史上3番目に遅い記録になるということですが、例年にない暑い夏、長引いた残暑もようやく過ぎ去り、北海道はいよいよ「冬将軍」が支配する季節となりました。また、この寒波の襲来は、北海道のみならず、東北など北日本各地の平地にも降雪をもたらすかもしれないとの予報も出されていますが、大震災で被災し仮設住宅で暮らす人々が、これからの厳しい冬を無事に乗り切ることを切に願うものですが、大震災の被災地の人々が厳しい冬を乗り切る、その課題の一つに「冬道の安全運転」があります。というのも、少なくともこの数年来、いわゆる「冬道」でのスリップ事故などの「冬型事故」は年々減少の傾向をたどっていますが、新たな懸念材料もみられるからです。
★まず、全国的にはなじみが薄いと思われる「冬型事故」ですが、これは北海道警察交通部が定義づけているもので、いわゆる「夏場」にはあり得ない降雪・寒冷地に特有の冬ならではの特殊な要因、つまり、積雪・凍結路面での「スリップ」が決定的要因になった事故をはじめ、積雪によってできた「わだち」にハンドルを取られた結果の事故、大雪や吹雪による視界不良が決定的要因になった事故、スキーやスケート、ソリ遊びで路上にとび出した子どもなどとの事故、除排雪作業車に巻き込まれた事故など、これらを総称して言うのが「冬型事故」です。また、大雪や吹雪による視界不良が決定的要因になった事故などは意外に少なく、「冬型事故」の90%以上は「スリップ事故」です。ただ、その「スリップ事故」も先にも述べたように年々減少の傾向をたどっていますが、その要因として、スタッドレスタイヤの性能向上、ABS(アンチロックブレーキシステム)などスリップによる危険を軽減するための先進技術を搭載した車の普及、また、除排雪や凍結防止剤の散布作業の拡充等による冬の道路のインフラ整備などが考えられますが、まず、大震災の被災地では、除排雪や凍結防止剤の散布など冬の道路のインフラ整備が遅滞・縮小され、例年以上に積雪・凍結路を走行する機会が多くなるのでは・・・と思われますので、その分だけ「スリップ事故」発生の危険性が高まるのではないか―というのが第一の懸念です。
★また、大震災の被災地に限ったことではありませんが、近年の「冬道」安全走行上の大きな懸念として、スタッドレスタイヤや車の安全走行性能の飛躍的向上に伴ってドライバー総体の「冬道」を安全に走行するための知識・技能、すなわち、「冬道」での安全運転能力が低下しているのではないか―という点です。その根拠を二、三、挙げると、まず、北海道警察交通部が調査集計した北海道内での「スリップ事故」のおよそ90%は「凍結路」で発生しており、「積雪路」での「スリップ事故」は意外に少なく、スパイクタイヤ全盛期に比べても、その占率は減少していること、また、「冬道」走行により適しているといわれるAT車(オートマチック車)やABS(アンチロックブレーキシステム)装備車が圧倒的多数となって普及しているのに、「スリップ事故」を引き起こした車の80%前後がAT車やABS装備車であること、さらにはまた、4WD車(4輪駆動車)による「スリップ事故」が3分の2近くをも占めていることなどです。
★以下では、これらの懸念について具体的に述べますが、その前に、「冬道」について、あるいは、あまり聞き慣れない人も少なくないと思われますので、説明しておきます。「冬道」は、ちなみに、「広辞苑」(国語辞典)にも載っておらず、先に紹介した「冬型事故」のように北海道警察交通部でも明確な定義づけをしているわけではありません。したがって、かつては、全国的にも一般的になじみのある「雪道」という言葉を使っていた時もありましたが、冬でも車での道路交通が一般的になり、増大するにつれ、特に北海道の冬の道路は、降雪で路面が覆われた「雪道」のほか、路面の積雪が多くの車の通行で圧迫され固められて「圧雪路面」となり、それが日中の日ざしで表面が融け、朝夜の気温低下により凍結し、雪とは全く異なる氷状になることがあり、しかも、特に交通量が多い市街地では、むしろ、「雪道」や「圧雪路」よりも氷状の路面が多くなることもあるほか、「圧雪路」が日ざしで融け、ザクザクのシャーベット状になることもあるなど、「雪道」とは言い難いさまざまな路面が出現します。そうした冬ならではの路面を総称する言葉として「冬道」という言葉が使われ、一般的になったというのが実情です。
★北海道警察交通部では、こうした冬の路面の多様性を踏まえ、圧雪路を含む「積雪路」と「凍結路」の二つに大区分し、「スリップ事故」がいずれの路面で発生したか―を調査集計していますが、その結果によると、先にも紹介したように、およそ90%は「凍結路」で発生しており、「積雪路」での「スリップ事故」は意外に少ないという結果になっているのです。これは、周知のように、「アイスバーン」に代表される「凍結路面」は、「圧雪路面」に比べても2倍から4倍も滑りやすい(摩擦係数が低い)ということの当然の結果ではありますが、昨今は、スタッドレスタイヤの性能向上が災いしている点も少なくないのでは・・・と懸念しているのです。
★かつてのスパイクタイヤ全盛期には、「積雪路面」でのスリップ事故も相当数あり、その比率も昨今よりはるかに高かったのです。いわゆるスノータイヤに打ち込まれた鋼鉄のスパイクピンは、硬い「凍結路面」に食い込み、相応の走行安定性を確保するのに寄与しました。それに比べ「積雪路面」でのスパイクピンは、いわば「糠に釘」の状態になり、ほとんど役に立たず、ために、「積雪路面」でも相当数のスリップ事故が発生したのです。しかし、近年のスタッドレスタイヤは、路面上の雪を掴み、路面に密着する機能が格段に向上し、積雪・圧雪路面では驚くほど滑りにくく、「夏場」とさほど変わりない走行安定性や制動性能を確保することができます。そのため、たとえば、どちらかといえば、積雪・圧雪路面のほうが多い「非市街地」(郊外)の「冬道」を走行してきたドライバーは、「冬道」の滑りやすさに対する警戒心が希薄となり、市街地等で多くみられる「凍結路面」でも、無警戒に積雪・圧雪路面と変わりない走行操作をしてしまいがち、それが「凍結路面」でのスリップ事故が圧倒的に多い要因の一つになっているのではないか・・・と懸念しているのです。したがって、「冬道」、特に「凍結路面」での安全運転を確保するためには、スタッドレスタイヤの性能が如何に向上したとはいえ、積雪・圧雪路面と「凍結路面」上では、走行安定性や制動性能に大きな差異がある―ということをしっかり認識し、「凍結路面」に特有のブレーキやアクセルのソフトな操作方法を各自に習得し、駆使して運転することがまず大切です。
★なおまた、本州などの一部では、スタッドレスタイヤはやはり危険だから・・・ということで、スタッドレスタイヤにタイヤチェーンを装着して走行するドライバーも少なくないようですが、タイヤチェーンは、あくまでも緊急避難用具であり、タイヤチェーンを装着したまま長時間・長距離を走行するのは、せっかくのスタッドレスタイヤの優れた機能を活かせないばかりか、スタッドレスタイヤで走行する以上の危険を招く公算が大きいことも認識し直してほしいものです。特に高速道路をタイヤチェーンを装着して走行するのは危険極まりない暴挙であることを知ってほしいものです。
★次に、昨今の「スリップ事故」は、「冬道」走行により適している―とされるAT車や4WD車、またはABS装備車による事故が圧倒的に多い―という点が特徴的です。もちろん、特に降雪・寒冷地では、こうした車が「冬道」走行に適している―ということで、今や保有車の大多数がこれらの車で占められるほどに普及している―ということが基本的な背景要因ではありますが、総括的にいえば、近年、飛躍的に向上普及してきた「冬道」の走行安全性能やスタッドレスタイヤ性能の向上がドライバーの運転を相当にサポートしてくれるため、かつては、正に「命がけ」で「冬道」走行の経験を積み重ねたベテランドライバーでなければ身につけることができなかった「冬道」に特有の危険を回避し、安全運転を確保するためのノウハウ(知識・技能)が必要でしたが、しかし、今日ではそうしたノウハウをあまり持ち合わせていない「初心ドライバー」でも、比較的安直に「冬道」を走行できるようになった―といえるほど、「冬道」走行の実情が様変わりしました。その結果、ドライバーの「冬道」を安全に走行するためのノウハウ(知識・技能)、すなわち、「冬道」での安全運転能力が全体的に低下してきているのではないか、それが今後の懸念材料だということです。
★AT車や4WD車、またはABS装備車による事故が圧倒的に多い―、その詳細な発生状況や安全運転上の課題は次回に紹介することとし、ここでは、「安全運転を確保するためには、(車の走行安全性能が如何に進歩しても)、安全運転を確保するためのテクニック・ノウハウ(知識・技能)が厳然としてあり、それを習得し、駆使する必要がある」という、安全運転の本物の鉄則をぜひ認識してほしい、ということで、この稿を結ぶこととします。念のため、この鉄則は、「夏場」でも、もちろん同様ですが、これから到来する「冬道」では、なおさら必要不可欠の鉄則であることを申し添えておきます。611111
■陳腐で難解な「自転車の交通ルール」を再び検証する・・・
★未曾有の東日本大震災以降、特に首都圏では自転車利用者が急増し、4月からの3か月間だけでも自転車事故が倍増している―という状況に鑑み、警視庁では自転車の違法通行の取締りを強化し、ブレーキ装置が装備されていない競輪などに使われる純然たる競技用の「ピスト」利用者などを検挙した・・・とのテレビ報道がありました。
★もともと、純然たる競技用の自転車である「ピスト」で公道を通行すること自体、極めてはた迷惑で、危険極まりないことですから、これを厳重に取り締まるのは警察として当然の責務です。ただ、「見せしめ効果」を狙った一時的な対応で終わらせず、根気よく継続していってほしい・・・と願うものですが、抜本的な問題解決をせずにそれが可能なのか、大いなる懸念を抱かざるを得ません。
★というのは、以前にもこの「雑記」で述べたことがありますが、「ピスト」利用者を検挙する―ということは、いわゆる「赤切符」を交付するということですが、「赤切符」が交付されると、刑事手続き(ほとんどの場合は簡易裁判)を経て、懲役または罰金刑で処罰され、いわゆる「前科一犯」となります。しかし、運転免許を保有している「自動車等」のドライバーの違反は、原則的に、いわゆる青切符(交通反則切符)が交付され、「反則金」の納入と「違反点」の付加という行政処分で済み、いわゆる「前科」にもなりません。つまり、自転車の悪質違反者の検挙が増加すれば増加するほど、片や「運転免許」という国家資格を有している自動車等のドライバーの違反者は行政処分で済むのに対し、自転車利用の違反者はいきなり刑事罰を受ける―という根本的な理不尽・不平等が拡大するからです。
★緊急避難的には、自転車の悪質違反者の取締りを強化するのがベターな対応でしょうが、なべて自転車利用者の「ルール・マナー」の順守意識が乏しく、悪質違反者が急増している根底には現行の道路交通法上のいわゆる「自転車の交通ルール」の陳腐さ、難解さがあることを真摯に受け止め、その抜本的解決を目指す作業を加速させることが必要不可欠だ―というのが、この「雑記子」のたびたびの主張ですが、以下では、これまでに述べたことがない現行の「自転車の交通ルール」の陳腐さ、難解さの一例を紹介しておきましょう。
■「歩行者」とみなされる「小児用の自転車」にかかわる陳腐と困惑・・・
★運転免許を保有していない者はもちろん、運転免許保有者でも、果たしてどれだけ周知されているか、はなはだ疑問ですが、現行の道路交通法では、いわゆる「車両」でも「歩行者」とみなされるもの・場合があります。まず、(1)身体障害者用の車いすと歩行補助用の車等、(2)自動二輪車(原動機付自転車を含む)又は二輪か三輪の自転車を押して歩いている者、そして、(3)小児用の車、これらは「歩行者」とみなす―ということですから、たとえば、歩車道の区分がある道路では歩道を通行しなければなりませんが、なかでも、「小児用の車」が問題です。
★「小児用の車」というのは、一般的に、いわゆる「乳母車」や幼児などの遊具ともいえる、いわゆる「三輪車」などの類および「小児用の自転車」をいうと考えられますが、道路交通法上にはそれに関する規定はどこにもないというのが実態です。ただ、野下文生著の「執務資料道路交通法解説」(東京法令出版)によると、「乳母車」に関しては、それを改造して「もっぱら荷物の運搬用として利用している場合は『軽車両』とみなされる」とあります。そして問題の「小児用の自転車」については、警察庁交通局編集の「交通警察質疑応答集」(東京法令出版)に、「車体が6歳未満の者が乗車する程度の大きさ(車輪の大きさがおおむね16インチ=約40cm以下)で、かつ、走行・制動・操作が簡単で速度が毎時4kmから8km程度しか出せない自転車が該当すると解する」とされており、大まかにいえば「6歳未満の幼児」が乗っている自転車ということになると思います。
★現行の道路交通法には、「小児」という言葉を使いながら、「小児」の定義が欠落している―という基本的な欠陥があり、それが長年放置されてきたこと自体、驚きですが、それはさておき、一応、「6歳未満の幼児」が乗っている自転車を「小児用の自転車」とすると、それは「歩行者」とみなされるわけですから、歩車道の区分がある道路では歩道を通行しなければならないこととなります。しかし、かつて、盛んに行われ、今でも時折見かける幼稚園等での幼児を対象とした「交通安全教室」などでは、小学生などに対する教育指導と何ら変わらない「自転車の交通ルール」が平然と指導されている―というのが実態で、その奇異さを指摘すると、「将来に備えて・・・」という愚にもつかない言い訳が返ってきたことがありますが、安全確保を考慮しての「みなし歩行者」扱いの大切な本意はしっかり活かされるべきでしょう。
★しかし一方、幼児の自転車利用の実態をみると、母親などと連れ立って一人前に交通手段として自転車を駆使している幼児も少なくないのが実態で、これを無視して、幼児の自転車は、あくまでも「歩行者とみなして」母親などの自転車と別な通行方法を・・・というのも非現実的です。つまり、いずれにしても現行の道路交通法では正解が出せない―ということだけは確かです。こうした現行の道路交通法による「自転車の交通ルール」の陳腐さと根本的欠陥を放置して「ルール順守」を空念仏のごとく叫び繰り返すほど「ルール順守」は形骸化するばかりでなく、むしろ、「ルール軽視」を助長する温床にもなりかねません。
★自転車利用者の急増に伴い、危険な自転車利用が増加し、特に歩行者と自転車の重大事故が急増している―、交通事故で死亡した高齢者の割合が年々高くなっている、高速道路を逆走する―という、かつて、なかった事故が増加している―、高齢ドライバーによる交通事故の割合が年々高くなっている等々、新たな交通事故問題も出ていますが、ともかく、全国の交通事故件数は年々確実な減少傾向をたどっており、最大の懸案であった交通事故死亡者数は半世紀以上も前のレベルにまで激減している今こそ、ますます激変する将来社会を見据えて、現行の道路交通法の欠陥・限界等を抜本的に見直す新たな基盤づくりとなる作業に着手すべきときだと強く考えるものです。910111
■一般道をブレーキ装置がない「ピスト」で疾走する自転車集団暴走族・・・
★当「シグナル」のホームページには月替わりで「交通安全時評」を掲載していますが、その一つ、ノンフィクション作家の矢貫隆氏による「クルマは今日も走っている」の第63回(2011年8月1日アップ)には、いわゆる「自転車のマナー悪化」を取りあげていましたが、そのなかで、近年は、いわゆるスポーツタイプの自転車(スポーツサイクル)が急速に普及し、自動車などとの危機一髪のシーンで目撃する自転車のほとんどは、おもに主婦などが多く使用している、いわゆる「ママチャリ」ではなく、このスポーツサイクルであることを指摘し、性能も用途も、また走りっぷりもまるで違う「乗り物」を「自転車」とひとくくりにしている現状を改める必要性を指摘するとともに、いわゆる「自転車事故」について、どんな種類の自転車が、どのような場面で、どんな事故に遭遇しているのか―、その点も分析し、実態を明らかにしなければ効果的な「自転車マナーの改善策」等の「安全対策」は生まれない―と訴えていました。
★確かに、現行の道路交通法では、自転車とは「ペダルまたはハンド・クランクを用い、人の力によって運転する二輪以上の車で、レールを必要としないものをいう」とだけ定義され、この定義に該当しさえすれば、矢貫氏が指摘する「ママチャリ」もスポーツサイクルも、また、少数かもしれませんが、荷物搬送専用の大型自転車も、二人以上で運転する「タンデム自転車」も、等しく自転車として一括されてしまいます。さらに、いわゆる「電動アシスト」、つまり「駆動補助機付」自転車も、内閣府令で定める基準を満たすものは「自転車」とみなされ、近年、急速に普及しています。さらにまた、札幌などでは「ベロタクシー」と通称される観光客などを乗せて遊覧する自転車タクシーも出回っていますが、これも現行の道路交通法の定義に該当する「自転車」であることが確かですが、矢貫氏が指摘するように、「自転車」と一口にいってもあまりにも多種多様で、その性能や用途、走り方等には明らかな違いがあります。しかし、現行の道路交通法に従う限り、これらは、あくまでも「車両」の仲間、「軽車両」の一種「自転車」として一括され、原則、自動車等とほぼ同様の通行方法や運転者としての義務に従って通行しなければならないことになっています。
★しかし、このままでは、自転車の交通事故対策上、あまりにも問題があるため、今から30年ほど前の1978年(昭和53年)12月施行の道路交通法の一部改正によって、総理府令で定める一定の大きさ・構造・性能装置を有する自転車を「普通自転車」と区分し、その「普通自転車」は道路標識等によって指定された歩道を規定のルールに従って通行できるようになりました。しかし、この改正によって、確かに、車道通行による自動車等と自転車の衝突の危険性がある程度軽減されはしましたが、「普通自転車」の歩道通行のルール等を十分に周知徹底する対策が為されなかったため、自転車の(そのほとんどが「普通自転車」ではありますが)歩道通行が一般化し、歩道を通行する歩行者の安全を脅かし、危害や迷惑を及ぼす事例が新たな社会問題になっているほか、自転車利用者の自動車に対する警戒心を緩め、駐車場等に出入りする自動車と歩道上で衝突する自転車事故や、歩道上から一時停止や安全確認をしないで交差点にとび出し、右左折中の自動車と衝突する事故が「自転車事故」の圧倒的パターンになった―という新たな問題点を生じさせました。
★「普通自転車」とはいっても、矢貫氏の指摘のように、「ママチャリ」もスポーツサイクルも、また、電動アシスト付自転車も一緒であることが一層の混乱の元凶になっているといえるでしょう。当「雑記」でも、これまで何度か取りあげたように、こうした、いわゆる「自転車のマナー問題」解決の困難さは、現行の道路交通法上のあまりにも現実離れした「自転車」の定義の粗略さ・簡便さにその根源があることを改めて指摘しておきますが、最近は、さらに厄介な困った新たな自転車問題が生じています。
★矢貫氏が指摘したスポーツタイプの自転車(スポーツサイクル)は、その多くが、軽量化され、スピードを出しやすい、いわゆるサイクリング用や舗装路で行われるロードレース用の自転車だと思いますが、なかには未舗装路の山岳コースで行われるレース用の「マウンテンバイク」を街中で乗り回している者もいますが、これらは、いずれもブレーキ装置が装備され、いわゆる「普通自転車」の範疇に入るものもありますが、「普通自転車」の範囲外になるものも少なくありません。にもかかわらず、知ってか知らずしてか、本来、歩道を通行することが禁止されているそれらのスポーツタイプの自転車で歩道を疾走し、歩行者に危険と迷惑を与えている―という実態があります。こうした問題を解決するためには、単にルールやマナーの順守を訴えるだけでなく、多種多様な自転車を厳格に区分し、その性能や用途等に応じた通行規制等を行うなど現行の道路交通法の抜本的な見直しを行うことが必要不可欠ですが、「さらに厄介な困った新たな自転車問題」というのは、ブレーキ装置が装備されていない競輪などに使われる純然たる競技用の「ピスト」と呼ばれる「自転車」に乗り、一般公道を十数人の集団を組んで、車道を占有し、交差点などの信号も無視し、文字通り自転車レースまがいに疾走する「自転車暴走族」の出現です。テレビ等の報道によると、今のところ首都圏内でのみ見られる個別事象のようですが、純然たる競技用の「ピスト」と呼ばれる「自転車」を好む者は全国的に散在し、ために、ブレーキ装置を装備したうえで販売している自転車販売店も少なくないと思われますので、いずれ、首都圏内にとどまらず、この現象が全国に拡散する可能性は否定できません。
★念のため、純然たる競技用の「ピスト」と呼ばれる「自転車」を、ブレーキ装置を装備したうえで販売することは決して違法ではありません。しかし、それを購入した者の多くは、ブレーキ装置を取り外し、一般公道を走るのには明らかに違法な装備で、集団を組み、レースまがいに疾走するという、明らかな「自転車暴走族」なのです。ただ、かつて、社会問題になった本物?の「暴走族」は、自己顕示などを目的とした若者特有の反社会行動でしたが、こんどの「自転車暴走族」は、いずれは、本物の自転車レースに参戦するために、一般公道を練習場代わりにして疾走している者が多いということですから、よけい始末に負えないともいえます。警察では、ようやく重い腰をあげ、その取締りの検討に入った―ということのようですが、現行の道路交通法に照らしても、その違法ぶりは明らかなのですから警察の対応の遅さは非難に値します。ただ、あえて警察現場を思いやれば、それこそ、まったく想定外の事象であっただけに、その取締り方法にも苦慮するだろうし、取締り検挙の根拠を「ブレーキ装置不備」や「信号無視」とするだけで良いのか・・・といった懸念も対応の鈍さの要因になっているのだろうと思いますが、まずは速やかな対応でこれ以上の拡大を防ぐことが肝要です。
★しかし、本当に肝心なことは、繰り返しになりますが、現行の道路交通法では、「ペダルまたはハンド・クランクを用い、人の力によって運転する二輪以上の車で、レールを必要としないものをいう」とだけ定義され、多種多様に分かれている「自転車」の実態と大きく乖離していることです。省エネ、エコ増進や健康志向等社会的な潮流からしても、交通手段、乗り物としての「自転車」は、その種類や用途なども一層多様化され、利用が促進されることは確かでしょう。そうした将来を見据えて、どうみても、もはや時代の遺物となっている現行の道路交通法を抜本的に見直し、英知を集め、新たな時代に対応できる新たな道路交通法の検討・制定こそが本命の問題であることを強く訴えるものです。129011
■自転車道や自転車通行帯に一方通行を導入する予定だそうだが・・・
★前回の「雑記」に続き、いわゆる「自転車の交通ルール」の陳腐さについて述べる予定でいましたが、先月7月中旬の新聞報道等により、ご承知の方も少なくないと思いますが、警察庁と国土交通省では、「自転車の交錯による事故の危険性を減少させ、歩道・自転車道における自転車の通行を整序化するとともに、自転車道等の自転車通行環境の整備を推進するため、道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(昭和35年総理府・建設省令第3号)の一部改正を検討し、歩道又は自転車道において自転車が一方通行となるべきことを意味する規制標識を新設する」として、この8月20日まで「パブリックコメント」を求めたうえで、年内にも導入する意向―ということですから、今回は急きょ、この一部改正について述べることとします。
★まずちなみに、自転車道とは、「車道の部分に、縁石線や柵に類するものによって区画された自転車の通行のためのスペースをいう」と道路交通法(第2条第1項)に定義づけられているもので、いわゆる「サイクリングロード」とは別物であり、一般的に、市街地の車道の左側端のスペースに設置されているケースが多いのですが、設置個所は全道路の1%にも満たないのが実情ですから、一般にはほとんどなじみがない―というのが実態でしょうが、この自転車道が設置されている場合は、一般的な「普通自転車」は、この自転車道を通行しなければならないと義務づけられています。
★なお、この自転車道は、車道の両側に設置されている場合もありますが、その場合は、進行方向にかかわらずそのいずれの自転車道も通行することが可能ですが、車道の片側にのみ自転車道が設置されている場合は、進行方向にかかわらず、必ず、その自転車道を通行しなければなりません。ただし、いずれの場合も自転車道内では「左側通行」の原則に従って通行しなければなりません。
★また、歩道というのは、道路標識・標示によって「普通自転車の通行可」とされている歩道上のスペース、いわゆる自転車通行帯のことで、白線等のマーキングによって普通自転車が通行すべきスペースが標示されている場合はその部分、「普通自転車の通行可」の道路標識だけで、通行すべきスペースがマーキングで標示されていない場合は、その歩道の中央から車道寄りの部分が自転車通行帯となりますが、いずれの場合も「左側通行」の義務はありません。また、この自転車通行帯が道路の両側の歩道に設置されている場合は、進行方向にかかわらず、そのいずれの自転車通行帯を通行してもかまいませんし、その自転車通行帯によらず、車道の左側を通行しても違法とはなりません。また、片側の歩道上にのみ自転車通行帯が設置されている場合、その自転車通行帯を通行しなければならない義務はありません。
★以上が現行の歩道上に設置されている自転車通行帯と車道に設置されている自転車道の定義・通行方法等の概要ですが、今、警察庁と国土交通省が一部改正を行って新たな規制をしようとしているのは、この自転車通行帯や自転車道に一方通行を義務づけるための道路標識の新設で、一方通行に指定された自転車通行帯や自転車道を逆走した者には、3月以下の懲役または5万円以下の罰金を科す―というものです。
★現在、設置されている自転車道や自転車通行帯のなかには十分な幅員を持たないものも少なくないため、自転車同士の接触・衝突事故のほか、自転車通行帯では歩行者との、自転車道では自動車との接触・衝突事故が懸念されてきました。このため、交通量が多くて幅員が狭い道路の両側に設置されている自転車道や自転車通行帯には、新設の道路標識を掲げ、自転車に一方通行を義務づけ事故防止に資する、また、一方通行の導入で事故の懸念が少なくなれば、狭い道にも自転車道や自転車通行帯の設置が促進される―というのが今度の改正のねらいです。
★果たして、この一部改正によって、自転車道や自転車通行帯の設置が本当に促進されるのか、また、自転車事故の防止に寄与することができるのか―といえば、少なくとも本「雑記子」は悲観的にならざるを得ません。まず、第一に、自転車道や自転車通行帯を設置するのは道路管理者である地方自治体ですが、その地方自治体は長引く財政の悪化に加え、今度の大震災による直接・間接の影響を受け、どこの地域経済も基本的に疲弊し、財政が一層悪化しているうえ、自転車道や自転車通行帯を設置する以上に重要とされる行政課題が山積みされているからです。そして、問題の自転車事故の防止ですが、交通量が多くて幅員が狭い道路に自転車の一方通行を導入することで、果たして安全性がどれだけ高まるのか―、その根拠が不明であるうえに、自転車利用者に対する広報・指導活動等を十分に行うことができる体制が未整備な状況のもとで、この改正自体、自転車利用者に周知徹底することが現実的に難しい―と思われるからです。
★もちろん、先にも紹介したように、違反者に対する罰則規定もありますので、現場の警察でも、相応の指導・取締りも行うことでしょうが、その指導・取締り体制が従前以上に強化できる環境にはないこと、また、仮に指導・取締りを強化しても、運転免許を有した自動車等のドライバーの同様の違反には基本的に反則金・違反点数制度の行政処分で済まされるのに対し、自転車の違反者だけは、いきなり刑事罰が適用される―という根源的矛盾をはらんでいるだけに、現実的には、自転車の違反者を次々に検挙するわけにもいかない―というのが実情でしょうから、警察の指導・取締りによる周知徹底にもおのずと限界があるといわざるを得ません。以上のことを勘案すると、自転車道や自転車通行帯にも一方通行の規制を導入する―という今度の改正は、いかにも唐突的な改正で、その効果にも大きな疑問を持たざるを得ないのです。
★確かに、自転車による交通事故は、交通事故全体の20%をも占め、いわゆる歩行者事故の2倍以上も発生している多発事故で、しかも、交通事故全体の減少傾向に比べれば、その減少ぶりもわずかで、その死亡事故は、歩行者の死亡事故の3分の1程度ですが、死亡事故全体が年々着実な減少傾向をたどっているのに、自転車の死亡事故の減少具合はそれよりも少ない―という状況にあることからしても、自転車事故の防止対策は、今後の交通安全対策の重要課題の一つであることは否定できません。しかし、前回の「雑記」でも述べたように、いわゆる「自転車の交通ルール」には、もっと根源的な問題があり、小手先の一部改正ではさまざまな整合性を保つことができないのが実情ですから、現行の道路交通法を抜本的に見直し、新たな道路交通法を制定することこそ急務であり、その点からしても、今度の一部改正は何とも唐突で不可解なものだといわざるを得ません。818011
■大災害による悲惨な惨状と「なでしこジャパン」が教えてくれたもの・・・
★未曾有の大地震による東日本大震災が発生してから早くも4か月以上を経過しましたが、復旧・復興のめどは、いまだほとんど立っていないばかりか、東京電力・福島第一原発事故による深刻な諸問題が拡大すらしているなか、今度は九州・西日本を中心に台風6号の強風と大雨により各地に甚大・深刻な被害が発生し、日本列島はまさしく、満身創痍の状態に陥っています。そんななか、唯一、女子サッカー「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝は、日本に大きな勇気と希望を与えた大快挙でしたが、「なでしこ」たちが我々に教えてくれたのは、何よりも、強靭なチームワークの大切さ―だったと思っています。しかし、日本列島を相次いで襲っている大災害による被害の惨状をみると、政治や行政等統治関係者の「チームワーク」の劣悪さと「危機管理意識・システム」の低劣さだけが目につくのは、何とも情けない限りです。
★この際、「そもそも安全など存在しない。常にあるのは危険である」(日本ヒューマンファクター研究所長・黒田勲)という安全思想を根底とし、「起こり得る可能性があるものは、確率が低くても、現実には必ず起こる」(柳田邦男「想定外か?問われる日本人の想像力」・『文芸春秋』2011・5月号所載)と考え、「究極の安全対策は『想定外を想定する』ことに尽きる」(村串栄一「東京電力、なぜ幹部は逃げ腰なのか」・『文芸春秋』2011・5月号所載)とするのが本物の「危機管理・リスクマネージメント」の基本であることを今一度確認しておきましょう。
■自転車の交通ルール順守、その不合理性に目を向けることがまず必要・・・
★さて、この「雑記」の本旨の交通安全問題ですが、以下では、前回に引き続き「自転車の交通ルール」に関する諸問題を述べてみます。
★前回は、自転車利用者の増加を背景に、歩道を通行する自転車が歩行者に危害を与える事故が増加しているなどの状況を受け、自転車利用者の「ルール順守意識」や「安全意識」の低さが問題視されていますが、自転車利用者の乱脈通行は、「順法意識」や「安全意識」が劣悪なためだけではなく、いわゆる「自転車の交通ルール」が形骸的で乱脈を極め、非現実的で理不尽な代物であることが元凶なのであり、それを抜本的に解決することこそが必要不可欠であることを述べました。
★そもそも、「運転免許証」を要しない自転車利用者が「自動車等」(自動車・原付)のドライバーと同様、「車両の運転者」として一括され、道路通行上のさまざまな義務が規定されていること、また、違反者の取締りに当たっても、「運転免許」という国家資格を有している自動車等のドライバーは原則的に行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事罰を受ける―という現状は、どう考えても理不尽・不平等と言わざるを得ない―という、いわば、ベーシックな問題に言及しましたが、今回はもっと具体的な通行上のルール等を基に「自転車の交通ルール」の形骸性、非現実性、理不尽性について述べてみます。
★まず、自転車の通行区分ですが、少なくとも「運転免許証」を有している人は周知のことでしょうが、歩車道の区分がある道路では、自転車は「車道の左側端通行」が原則になっています。「原則になっている」というのは、自転車の車道通行の危険性を鑑み、1978年(昭和53年)の道路交通法の一部改正によって、一定の条件下で歩道通行を可とした経緯があるためです。一定の条件とは、(1)「普通自転車の歩道通行可」の道路標識・道路標示がある歩道であること、(2)車体の大きさ・構造が一定の基準を満たす「普通自転車」であること、(3)歩道上の指定された部分を通行すること、(4)歩行者の通行を妨げない速度と方法で通行することなどですが、これらはあくまでも、歩道に「普通自転車の歩道通行可」の道路標識・道路標示が表示されている場合に限られますが、現行の道路交通法では、そうした標識・標示がない場合でも、「普通自転車」が歩道を通行できる場合があることも別に規定されています。
★その第一は、「普通自転車」の「運転者」が児童・幼児、または70歳以上の者、あるいはまた、車道通行に支障がある身体障害者である場合です。第二には、交通状況に鑑み、自転車通行の安全を確保するため、「普通自転車」が歩道を通行することがやむを得ないと認められるときも、「普通自転車の歩道通行可」の道路標識・道路標示が表示されていない歩道でも通行することができる―と定められています。ちなみに、「安全を確保するため、歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき」とは、車道が道路工事中であるときとか、車道幅員が狭く、自動車等の交通量が多いとき―といったケースが国家公安委員会策定の『交通の方法に関する教則』に例示されていますが、これらをきちんと正しく理解している自転車利用者はほとんどいない―というのが実情でしょう。しかし、自転車利用者の順法意識や安全意識の低さが問題では決してありません。
★この一部改正から30年以上も経過しているのに、この間、組織的・計画的・継続的な周知徹底策がほとんど為されてこなかったことこそがその根本要因です。「普通自転車」の歩道通行可の条件規定が複雑多岐にわたり、簡単には理解しにくいものであるにもかかわらずです。さらにまた、緊急避難的な一部改正であるにもかかわらず、そのまま30年以上も放置し、車道や歩道と明確に区別された自転車の通行スペース、たとえば、道路交通法第2条第1項第3号の3に規定されている「自転車道」(車道の部分に縁石線や柵に類するものによって区画された自転車の通行のためのスペース)などを設置してこなかった道路設置者等にも大いなる責任があります。つまり、自転車通行に明確な市民権を認めてこなかったことこそが自転車利用者の順法意識や安全意識の低さの根源なのです。
★さらに「自転車の交通ルール」の陳腐さを示す具体的な例を挙げてみましょう。自転車が車道(道路)を横断するとき、付近に「自転車横断帯」が設置されているときは、その「横断帯」によって横断しなければならない―と規定されていますが、ご承知のように、「自転車横断帯」というのは横断歩道に付帯されているものですが、横断歩道のすべてに「自転車横断帯」が付帯されているわけではないのが実情です。そこで、「自転車横断帯」が付帯されていない横断歩道では、自転車利用者のほとんどが横断歩道を自転車に乗ったまま通行している―というのが実情です。しかし、横断歩道は、あくまでも、歩行者が横断するためのスペースですから、「車両」である自転車を運転したままそこを通行するのはルール違反となります。そこで、国家公安委員会策定の『交通の方法に関する教則』では、「自転車横断帯」がないところでも近くに横断歩道があるときは、自転車を押してその横断歩道を渡るようにしましょう―と規定され、実際、小学生等を対象にした「自転車交通安全教室」などの指導現場では、こうした指導が長年繰り返されてきました。
★しかし、実際の交通現場では、ほとんどすべての自転車利用者はもちろん制服の警察官ですら自転車に乗ったまま横断歩道を通行している―という実情の下では、自転車を押してその横断歩道を渡るようにしましょう―という指導はまったくの絵空事として、その指導を受けた小学生等の子どもですら、ほとんど実行していないという実態にあり、結局、「自転車の交通ルール」は「交通安全教室」内だけの建前とされ、順法意識を醸成するどころか、ルール順守を軽視する要因にすらなっているのが実態です。
★こうした実態を鑑みた結果かどうかは定かではありませんが、2008年(平成20年)には『交通の方法に関する教則』の一部改正が行われ、自転車を押してその横断歩道を渡るようにしましょう―という部分が削除され、「横断歩道は歩行者の横断のための場所ですので、横断中の歩行者がいないなど歩行者の通行を妨げるおそれがない場合を除き、自転車に乗ったまま通行してはいけません」と改訂されました。つまり、簡潔にいえば、横断中の歩行者がいないときや歩行者の通行を妨げるおそれがないときは自転車に乗ったまま通行してもよいですよ―というように変更されたわけです。一歩前進とはいえますが、なぜ、こんなわかりにくい表現にしなければならないのでしょうか・・・。もともと『交通の方法に関する教則』は、道路交通方法の要点をわかりやすく表現して普及する役割を担っているはずのものですが、これではその役割を放棄して、法と実態とのズレをとりあえず取り繕った極めて中途半端な改正である―といっても過言ではありません。
★現行の「自転車の交通ルール」の陳腐さは、これ以外にもまだまだありますが、それはまたの機会に譲り、とりあえず今回の「雑記」を次の一文をもって締めましょう。
★自転車利用者のみならず、すべての道路通行者の交通ルール順守意識の向上を本気で図ろうとするならば、現行の「自転車の交通ルール」の陳腐さに代表される道路交通法の抜本的問題点を真摯に見直し、小手先の一部改正を繰り返してその場をしのぐのではなく、今後ますます多様化する道路交通の将来を見据え、それに対応できる新たな道路交通法の策定にこそ着手すべきです。半世紀も前に作られ、実情とさまざまなズレや矛盾をきたしている現行の道路交通法の抜本的問題点を解決することなく、「ルール順守」を空念仏のように繰り返している限り、ドライバー、自転車利用者、歩行者の順法意識は決して本物にならない―と危惧するばかりです。227011
■大震災から露呈された「安全問題」はいまだに虚しく空回りしている・・・
★3月11日に発生した大地震から早くも3か月が経過しました。しかし、激震や大津波で壊滅的に被災した地域の復旧・復興が、いまだにそのめどすら立っていないばかりか、東京電力・福島第一原発は危機的な状況がむしろ拡大している―という現状を前に、我が国の危機管理のお粗末さにただただ呆れ、嘆かわしさと苛立ちがつのるばかりの今日この頃ですが、それもこれも、被災地の実情、被災者の窮状に立った臨機応変な対応をまず迅速に実施し、中長期的な復旧・復興対策はその後に、という緊急時の対応策の基本的視点が当局者に欠落しているのが最大の問題点だと思わざるを得ません。
★と同時に、「雑記子」がかかわってきた交通事故防止・交通安全という限られた分野ではありましたが、長年にわたって「安全思想の普及浸透」のための諸対策、広報キャンペーンや教育指導が行われてきましたが、それも、しょせん、交通事故防止・交通安全という限られた分野でのことでしかなく、本物の「安全思想の普及」にはほど遠いものであった―ということを痛烈に思い知らされ、じくじたる思いに駆られています。
★そこで、「安全思想」とは、「そもそも安全など存在しない。常にあるのは危険である」(日本ヒューマンファクター研究所長・黒田勲)という根本的思想をベースに、「起こり得る可能性があるものは、確率が低くても、現実には必ず起こる」(柳田邦男「想定外か?問われる日本人の想像力」・『文芸春秋』2011・5月号所載)と考え、「究極の安全対策は『想定外を想定する』ことに尽きる」(村串栄一「東京電力、なぜ幹部は逃げ腰なのか」・『文芸春秋』2011・5月号所載)とするのが本物の「安全思想」であり、この「安全思想」は、交通事故や労働災害はもとより、大震災などの自然災害にも共通する思想であることを改めて確認しておきたいと思います。
★こうした本物の「安全思想」が根づかず、「安全第一」という鉄則を表す言葉だけが、空念仏、免罪符としていたるところで散見される実態の大きな要因の一つとして、「安全」が、いわゆる「ルール順守」やマナーといった、いわば倫理的問題として語られる風潮が強かったうえ、肝心の「ルール」も現場の道路交通参加者の実情や変化を踏まえ、守るに値するルールになっているか等の根本的問題が論議されず、「ルール順守」という建前だけが優先されてきた―ということが挙げられると思います。
■根本的問題点が欠けている自転車の安全利用議論を嘆く・・・
★現在進行形の状態にある東日本大震災にかかわる深刻な諸問題が山積みされているため、特に震災被災地の東北地方の自治体等では、今や、交通安全問題は、二の次三の次の問題になっている―というのが「雑記子」の最大の難問ですが、ともかく、この「雑記」の本題である交通安全に立ち戻り、現状の安全議論の「ルール順守」にかかわる大きな落とし穴を述べてみたいと思います。
★ご承知のように、10年ほど前からの交通事故死の劇的な減少傾向が全国的に依然として続いていることもあって、近年、交通安全への関心は年々薄れているというのが残念ながらの実情ですが、そのなかにあって、自転車の安全利用については相応の関心がもたれ、さまざまな論議が比較的活発化しているといえます。
★いわく、交通事故そのものは減少傾向をたどっているのに、「自転車事故」は、せいぜい「横ばい」状態にあり、しかも、自転車が歩行者に危害を与えた事故は10年前の1.5倍に増加している。そしてそれは、何よりも自転車利用者の「ルール順守意識」や「安全意識」の低さによるもので、裁判所でも「歩道上での自転車と歩行者の事故の場合、歩行者には過失はない」という「新基準」を公表し、自転車の加害者に対する賠償命令も年々厳しいものになっている。だからこそ、自転車の走行環境の整備をはじめ、国の総合的な自転車政策が必要としながらも、自転車利用の悪質違反者の取締りや罰則の強化、交通安全教育の充実がまず必要とされ、小学生・中学生に対する「自転車免許証の普及」や自動車学校等での「自転車安全利用教室」の開催等の安全教育の改善などが論議されています。
★しかし、自転車利用者の乱脈通行は、「順法意識」や「安全意識」が劣悪なためではありません。そもそも、いわゆる「自転車の交通ルール」が形骸的で乱脈を極め、非現実的で理不尽な代物であることが元凶なのです。
★以前にもこの「雑記」で取り上げたことがありますが、自転車は「車両」の一種として位置づけられ、自転車は「車道通行」が原則とされ、自転車利用者には、自動車のドライバーとほぼ同様、「車両の運転者」としてのさまざまな義務や規制がかけられていることが、その最大の問題点です。
★自転車には、確かに車輪があり、その点では「車両」とみなすのも妥当かもしれません。しかし、牛や馬および牛や馬に牽引されたソリ、犬ゾリなど、車輪がないものも自転車と同様「軽車両」とされ、「車道通行」が義務づけられている一方、「スノーモービル」や「サンドバギー車」はこの範疇に入っていない―という、何とも奇妙な規定になっており、これら「軽車両」を利用する者は、都道府県公安委員会の運転免許証の取得を必要とする「自動車等」(自動車・原付)のドライバーと同様に、「車両の運転者」として一括され、道路通行上のさまざまな義務が規定されているのです。
★しかし、「自動車等」のドライバーは、都道府県公安委員会の運転免許証の取得を必要としますので、必然的に道路交通法を学ぶことになりますし、また、運転免許証の更新も義務づけられていますから、最新の道路交通法の一部改正等の情報を得る機会も法的に整備されていますが、自転車利用者など「軽車両」の「運転者」は、都道府県公安委員会の「運転免許証」も必要としないため、道路交通法を学ぶ必然的機会は皆無です。それにもかかわらず、一括「車両の運転者」として「自動車等」とほぼ同様の義務や規制がかけられる―というのはあまりにも大雑把で、理不尽であり、この点にこそ、現下の「自転車の安全利用問題」の根源があると言わざるを得ません。
★そもそも、現行の道路交通法は、毎年のように一部改正を繰り返してきたとはいえ、「車両」の定義づけなどの基本的規定は、半世紀も前の1960年(昭和35年)に道路交通法が初公布・施行されたときのままなのです。この半世紀の間に、現実の道路交通状況は、量的にも質的にも大きな変貌を遂げているにもかかわらず、自転車をはじめ、牛や馬および牛や馬に牽引されたソリ、犬ゾリ、そして牛馬車やリヤカー、荷車までもが「自動車等」のドライバーと同様に「車両の運転者」だとするのは陳腐の極みです。
★また、自転車通行の乱脈ぶりに業を煮やした警察庁は、07年に自転車利用者の指導取締りを強化するよう全国の警察本部に通達を出し、それ以来、各都道府県警察でも取締りを強化し、悪質違反者を摘発し、違反切符(赤切符)を交付した件数も年々増加しており、新聞等の報道によると、各都道府県警察では、そうした取締りをさらに強化する方針だ―と伝えていますが、自転車利用者の悪質違反の摘発・赤切符の交付を簡単に推奨するわけにはいかない根本的問題がありますし、警察の現場でも、新聞等のメディアで報じるほどには自転車利用者の悪質違反の摘発・赤切符の交付を行っていない―というのが実情です。
★念のため、交通違反で摘発され、いわゆる「赤切符」が交付されるというのはどういうことなのか、改めて確認しておきましょう。自転車利用者の場合、たとえば、道路交通法上の「信号無視」で摘発され、「赤切符」が交付されると、刑事手続き(ほとんどの場合は簡易裁判)を経て、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」で処罰され、いわゆる「前科一犯」となります。
★しかし、運転免許を保有している「自動車等」のドライバーが「信号無視」で検挙された場合は、原則的に、いわゆる青切符(交通反則切符)が交付され、最悪の「赤信号無視」の場合でも、所定の期間内に反則金(普通自動車では9千円)を納付すれば、「違反点2点」が付くだけの行政処分で済み、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」という刑事罰は受けず、いわゆる「前科」にもなりません。
★つまり、まったく同様の交通違反で検挙されたにもかかわらず、片や「運転免許」という国家資格を有している自動車等のドライバーは行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事罰を受ける―という実情にあり、これはどう考えても理不尽・不平等と言わざるを得ません。
★もともと、運転免許保有者に対する「反則金・違反点数制度」は、道路交通法施行当初からあったわけではなく、当初は自動車・原付の運転者が交通違反で検挙された場合、今の自転車利用者に対すると同様、刑事手続き(裁判)を経て刑事罰が適用されていましたが、運転免許保有者と違反検挙者の急増という事態に対し、刑事手続き(裁判)が膨大に膨れ上がり、処理しきれない事態が懸念されたうえ、そのまま推移すれば「一億総前科者」になりかねないという異常事態も懸念されたなか、いわば苦肉の策として40年以上も前の1968年に「反則金制度」が、翌69年に「違反点数制度」が施行されたわけですが、そのとき、運転免許制度のない自転車はその「反則金・違反点数制度」の適用対象外にされ今日に至った、それが先に述べた理不尽・不平等の根本的背景です。
★もちろん、「反則金・違反点数制度」の導入が論議された当初には、いわゆる「三権分立」の観点からして、一行政機関でしかない警察に「司法権」に近似した権限を委ねるというのは問題である―という議論も出されましたが、法曹界での真摯な検討がないままに導入が決定され、40年以上の長きにわたって放置されてきたというのは、法曹界の明らかな怠慢であると思わざるを得ません。そして、今日、「自動車等」のドライバーが行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事処分を受ける―という理不尽・不平等をもたらしていることに対しても、法曹界から何の対処もみられない、これも大いなる問題です。
★自転車の安全利用を議論するとき、現行の道路交通法(交通ルール)の陳腐さ、理不尽さを根源的に問い直すことなく、「ルール順守」をいくら声高に叫んでも空念仏に終わるだけでなく、むしろ、ルール軽視の土壌を拡大することにもなりかねない―と懸念せざるを得ません。
★半世紀を経て大きく変貌した実情にそぐわない道路交通法上の陳腐さを根源的に問い直すことも、未曾有の大震災により、再生日本の在り方が根源的に問われている今日の課題の一つであることを確認しておきたいと思います。716011
■未曾有の大震災から露呈された「安全問題」の課題を探る・・・(2)
★今回の「雑記」は、前回に引き続き、3月11日に発生した東日本大震災によって露呈された「安全問題」のいくつかを述べてみます。
★いきなり、身内の話で恐縮ですが、弊社の被災状況を報告させていただきます。といっても、札幌本社が被災したわけではありません。仙台市にある弊社の仙台事務所の社屋および社員の被災状況です。
★まず、仙台市の泉区にあった事務所の社屋は巨大地震の揺れにより、内部のスチール収納棚などが倒れ、机上の事務備品なども床に落下し、まさしく足の踏み場もないくらい散乱したばかりでなく、地盤の一部が沈下し、社屋が傾斜したほか外壁のパネルの一部もはがれ落ちるなど、いわゆる「半壊状態」の被害を受けました。幸い、たまたま居合わせた社員の3人は無事でしたが、地震発生直後には電話連絡が取れたものの、間もなく、通常電話も携帯電話も、そしてインターネットも機能不全に陥り、本社との連絡が取れなくなったばかりでなく、仙台事務所の社員の家族との通信手段も途絶え、その安否確認ができないままに日が暮れました。
★翌日、何度かの試み中、幸運にも繋がった電話連絡によると、3人の社員のうち、2人の家族と自宅の無事は判明しましたが、名取市閖上に自宅があった社員の家屋は津波に襲われて全壊、妻子の無事こそ確認できたものの、別々の避難所に分かれ、再会するまでに2、3日を要したばかりでなく、近所に住まいしていた義父母と義姉は津波に飲み込まれて行方不明という最悪の被害を受けたことが分かりました。
★結局、津波に飲み込まれた義父母と義姉は1週間ほど後、逃れる途上であったろう車のなかで遺体となって発見されましたが、その間、札幌本社の社員はもちろん、仙台在住の社員も何もできず、いたたまらない気持ちで無為な日々を過ごすのみで、ただただ、この大震災の被害の大きさを身近に感じ唖然とするばかりでした。
★こうしたなかで、痛切に思った問題点の一つは、携帯電話の無能さと、その携帯電話に頼り切った我々の日常生活に潜む危うさでした。小型化、多機能性こそは驚くほどのスピードで進化していますが、最も肝心な通信手段としての携帯電話は、こうした災害時にこそ役立ってほしいものですが、それがまったく役立たなかったのです。あちこちに点在している中継局が巨大地震による停電等でその機能を失ったためとのことですが、蓄電池の性能・技術も日々高度に進化し、また、海外との通話も一般的になってきている携帯電話の機能技術をもってすれば、こうした災害時にこそ最も有力な通信手段として機能する携帯電話システムを構築することは決して難しいことではないはずです。ただ、小型化、多機能化を優先するあまり、災害時にこそ最も有力な通信手段になり得るという携帯電話の中枢的機能の維持対策がなおざりにされた結果にすぎないと思わざるを得ません。それだけに、もし、携帯電話がこの大震災時にも機能していれば救えた命が多数あったに違いありませんし、避難者の救援等ももっとスピーディに効率的に行われたはずだと悔やまれてなりません。今後とも、様々な大震災が予測されている日本列島の現在、NTT等の電話会社は、そうした災害時にこそ機能する携帯電話のシステム構築に心血を注ぎ、早急にその実現を図ってほしいものです。
★ともあれ、零細企業である弊社も、今度の大震災で直接・間接に思わぬ大きなダメージを受け、どうやって立て直すべきか苦悩しているうちに、日は瞬く間に過ぎ去り、大型連休も明け、大地震発生から2か月にもなる今日、この「雑記」の更新も、前回から1か月以上も途絶えていたことに気づいた次第です。ともかく、気を取り直して前に進むしかありません。
★今、改めて考えます。今度の大震災で少なからぬダメージ受けた弊社は、今後どうやって立て直しを図っていくべきか…。弊社は、現代社会に潜む身近な災害=交通事故を防ぐために、交通事故は(故意に)「起こすもの」ではなく、だれもが相応に事故防止を心掛けているはずにもかかわらず一定の確率で「起きるもの」である―という交通安全思想の根本的視点に立って、交通安全のジャンルでそうした「安全思想」や「安全知識」等の普及を事業化し取り組んできました。
★そして、幸いにも、この10年ほど、全国の交通事故死者数は劇的な減少化をたどり、人身交通事故件数も減少傾向に転じている―という状況にあって、もしかしたら、「安全思想」や「安全知識」等の普及が相当程度に浸透した結果なのかもしれない…と思うこともなかったわけではありませんが、今度の大震災を見る限り、少なくとも政府関係機関や東京電力などの関連企業等の対応は「安全第一」を旨とする「安全思想」のかけらも見られない―といっても過言ではなく、また、人々のなかにも、「安全思想」が浸透していた―とはいえない状況も垣間見えました。
★交通事故にかかわる「安全思想」と自然災害にかかわる「安全思想」は、もともと別物だといわれればそれまでですが、「安全第一」に象徴される「安全思想」は、いわゆる労働災害はもとより、今度の大震災などの自然災害にも基本的に通用する思想であり、だからこそ、「交通安全思想」の普及浸透を図ることが労災防止や災害防止などにも寄与し得る―という信念をもって交通安全に取り組んできた弊社は、今こそ、「安全思想」の普及浸透を図る事業に取り組んでいくべきだ―という原点を、まず、改めて確認することが弊社再生の一歩だと自らに言い聞かせている今日このごろです。
★そしてまた、今度の大震災で露呈された「安全問題」の大きな課題の一つとして、「ハードに頼りすぎた安全」、「ソフトを軽視した安全」という問題を考えざるを得ません。
★いまだに緊急事態を脱しきれない東電福島原発の事故は、大地震が引き金になったとはいえ、日本の原発技術は世界一という、まさしく「ハードに頼りすぎた安全神話」が基となったまぎれもない人災であることは、今や誰の眼にも明らかですが、大津波に被災した地域にも、十分・堅牢な防潮堤が築かれているなどの「ハードに頼りすぎた安全神話」や、「津波が来襲してもコンクリート造りの建物の3階に避難すれば大丈夫!」などといった過去の経験則に頼りすぎた不確かな「ソフト」があった故に被害の拡大を招いたという一面があったことも事実です。
★「安全思想」の鉄則の一つとして、ハードの安全が高まるほど、ソフト(人間)の安全対処能力は低下する―というのがあります。あるいはまた、ハード技術がどんなに高度化しても、その陰には必ず未知の危険が潜む―という鉄則もあります。交通安全を通じて学んできたこうしたノウハウを、今後は交通安全のみならず、現代社会に多様に存在する安全問題全般にどう活用していけるか…、それこそが弊社が再生するために乗り越えなければならないハードルであることも確かだとも自らに言い聞かせています。115011
■未曾有の大震災から露呈された「安全問題」の課題を探る・・・
★今回の「雑記」は、前回に引き続き、近年、「安全運転義務違反」を主違反とする交通事故の占率が年々高くなっている交通事故発生状況にかんがみ、道路交通法第70条の「安全運転義務違反」とは何か―を検証・論述する予定でした。しかし、3月11日午後2時すぎ、マグニチュード9.0といわれる東北太平洋沖を震源とする巨大地震が発生し、北海道、青森県から千葉県に至る太平洋沿岸の広大な地域が激震と大津波とそれによる火災に見舞われて壊滅し、当日から2週間を過ぎた今現在1万人を超える死者が確認され、2万人を超えると思われる行方不明者がいるほか、今なお、20万余の多くの人々が必要最小限の救援物資等も満足に行き届かない劣悪な環境の避難所で先の見えない厳しい避難生活を強いられています。そのうえ、東京電力の福島第一原子力発電所が激震と大津波でダメージを受け、発電がストップしただけでなく、核燃料の冷却ができなくなり、放射性物質が漏れ出し、近隣の多くの人々に避難指示が出され、農産物や水源の放射能汚染による出荷停止、摂取制限も行われ、原発事故の終息の見通しが立たないばかりではなく、さらなる大惨事に発展する可能性すら否定できない―という状況にある今日、この「雑記」でも今度の大震災に触れざるを得ません。大震災の核心は、多くの人命が損なわれ、生き残った大勢の人々の暮らしの安全が根底から脅かされている―という、まさしく「安全」にかかわる大問題だからです。
★まず、連日のテレビ報道によると、多くの専門家が「今度の大地震は想定を超えたものであった」ということを指摘している一方で「千年に一度の大地震」ともいわれています。そこで、手元にあるいくつかの歴史文献で調べてみると、西暦869年、清和天皇の御世、藤原北家の藤原良房が皇族以外で初めて摂政となって天皇を後見し実権を握っていた貞観11年の5月、陸奥(東北地方)で大地震が発生し、1,000人以上が死亡したとの記録がありましたが、近年、地元の研究者の調査によると、この大地震で発生した大津波は内陸数キロの地点まで達していたことを示す痕跡が発見されており、今度の大地震・大津波に匹敵する規模の大震災がおよそ千年前にも発生していたことがわかっています。この点からすると、「想定外の大地震であった」という見解は何とも虚しいものに思えてなりません。
★ちなみに、西暦869年貞観11年の8月には摂政の藤原良房が中心となった勅撰史書『続日本後紀』20巻が完成されていますが、その数年前の貞観6年には富士山が大噴火し、溶岩流が多くの農家を飲み込んだほか、本栖湖や剗海(せうみ)に流れ込み、剗海が分断され西湖と精進湖ができあがり、青木ケ原の溶岩流もこのときのものということが報告されています。
★こうした歴史的事実からしても、「千年に一度」くらいの頻度だとはいえ、地震列島ともいわれる日本列島には、今度の東北関東大震災規模の大地震・大津波が発生する可能性があったことは否定できないはずですが、にもかかわらず、専門家と呼ばれる人たちの多くから「想定外」という釈明が出てくるのはなぜなのか・・・、何とも解せない問題点の一つです。特に東京電力の福島第一原子力発電所は、少なからぬ研究者が大津波襲来の可能性を指摘していたにもかかわらずその対応策をまったく講じてこなかった―、その裏には「日本の技術は世界一、原発事故は起きるわけがない」という「安全神話」が根を張っていたと思われてなりません。「そもそも安全など存在しない。常にあるのは危険である」(日本ヒューマンファクター研究所長・黒田勲)という安全思想の根幹が欠如していたに違いありません。
★もちろん、「千年に一度」の大震災にも機能する万全な備えをすべきかどうか―は、現実問題として意見が分かれるところでしょうが、少なくとも危機管理としては、そうした規模の大地震や大津波が発生した場合にその被害を最小限にするため、どのように対処すべきか・・・、その処方はしっかり検討され、周知しておくべきでした。しかし、いまだ記憶に新しい阪神淡路大震災や新潟県中越沖地震などから多くの教訓を得、さまざまな対応が取られてきたことは確かでしょうが、それらはいわば「局地的」震災に対する対応策だったに過ぎず、今度のような広域にわたる大震災を想定した対応策は皆無に等しかったことが図らずも露呈されたのです。
★ともあれ、今はまず、被災者の救済対策に万全を期し、一日でも早く復興再建プランを策定することが急務ですが、同時並行的に近い将来、高い確率で予測されている東海地震や東南海地震等が同時発生することも視野に入れた巨大震災対策の確立も急務であることをあえて強調しておきたいと思います。特に、いまだ予断を許さない状況にある福島原発の実情をみるとき、日本全国にある稼働中の原発50数基の耐震対策と被災対策の抜本的見直しが不可欠です。そのいずれもが、これほどの大地震や大津波の襲来がまったく想定されていないからです。原発の安全確保はエネルギー問題とも密接に関係し、その安全が損なわれれば産業や経済活動の根幹が揺らぐだけでなく、人々の生命や暮らしの安全が大きく脅かされることが今度の震災で明白になりました。日本の原発は安全だ―という「安全神話」は根底から覆ったのです。今こそ、「安全第一」というスローガンを安直な免罪符として掲げるだけでなく、その安全思想の根幹の真意をしっかり認識し直し、何をさておいても「安全第一」を旨とした国づくりのために、まず、政治・行政・産業界等が率先して真摯に取り組む姿勢に転換することを願ってやみません。823011
■「安全運転義務違反」による事故の増加、その問題点と課題を探る・・・
★周知のように、昨年2010年・平成22年、全国で発生した交通事故(人身事故)は、72万件余にとどまり、2005年以降6年連続して減少しました。また、最大の懸案とされている交通事故死者数は2001年以降10年連続して減少し、ピーク時(1970年)の3割以下の4,863人にとどまりました。混迷・混沌の様相が益々増す世界情勢や日本の政治・経済・社会情勢を思えば、せめて交通事故だけは今年もこうした減少傾向が持続されることを切望しますが、あえて、老婆心ながらの懸念をいえば、確かに交通事故は減少傾向をたどっていますが、先行き気がかりないくつかの問題点があります。今回の「雑記」ではその懸念事項の一つを取り上げてみます。
★その懸念事項とは、一言でいえば「安全運転義務違反」が主違反とされた交通事故の占率(割合)が年々増加の一途をたどっている―ということです。2000年以降に限ってみても、2000年には「安全運転義務違反」が主違反とされた事故の占率は人身事故で69.0%、死亡事故では46.7%でしたが、それ以降、その占率はほぼ毎年増加し続け、昨年は人身事故の75.3%、死亡事故の60.6%が「安全運転義務違反」が主違反となっています。なかでも、死亡事故では、いまだに「スピードの出しすぎ」や「飲酒運転」等のいわゆる悪質違反によるものが多い―という認識が一般的になっていますが、ちなみに、昨年の場合、「最高速度違反」(スピードの出しすぎ)が主違反とされた人身事故はわずか0.4%、死亡事故でも6.7%にすぎません。また、「飲酒運転」、なかでも最悪の「酒酔い運転」が主違反とされた人身事故は0.04%でほぼゼロに近く、死亡事故でも0.8%ときわめて少なく、「飲酒運転」による死亡事故総計でも数%ほどしかありません。
★つまり、「スピードの出しすぎ」や「飲酒運転」等のいわゆる悪質違反による交通事故は実数・占率ともに年々減少しているのに、「安全運転義務違反」による事故は、交通事故全体の減少につれ、その実数こそ減少傾向にありますが、全体に占める割合は年々高くなっている―ということです。なぜ、「安全運転義務違反」による事故の占率は増加傾向をたどっているのか・・・、それが問題ですが、そもそも「安全運転義務違反」とは何か、その具体的な理解・認識を有しているドライバーが少なく、「安全運転義務違反」に対する危険認識・警戒心が乏しいドライバーが圧倒的に多い―、それが、いわゆる「悪質違反」による事故の占率が低下する一方で「安全運転義務違反」による事故の占率が高くなっていることの背景になっていると考えられます。そこでまず、「安全運転義務違反」とは何か―を改めて確認してみましょう。
★まず、「安全運転義務」とは、道路交通法第70条に、「ハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない」と規定されている義務で、これに反した運転をしたことが事故の主原因になったとみなされたケースが「安全運転義務違反」による事故ということになります。しかし、この70条の規定自体、非常に抽象的で具体的な行為がイメージしにくいうえに、速度超過や一時停止違反等と異なり、この義務自体の違反で検挙された―という例はほとんどなく、事故が発生した場合において、速度超過や一時停止違反等の具体的通行方法違反や義務違反が認められない場合に限って適用される特異な違反なのです。
★そもそも、この道路交通法第70条の規定は、他の条項に定める典型的・類型的な行為の制限・禁止だけでは、複雑・千変万様に変化する現実の交通状況のすべてをとらえきれないため、他の条項に定める典型的・類型的な行為だけではとらえきれない部分を補充することを目的に定められた、きわめて特殊な規定なのです。それだけに、その規定内容は抽象的で明確性を欠き、極論的にいえば、道路交通方法等の規制は本条のみでこと足りるとさえいえるほどの総括的なもので、事故を起こしたドライバーには例外なくこの条項違反が適用できます。つまり、限りなく拡大解釈、乱用の恐れがある規定なのです。したがって、本条は「(条項の適用の)基準を設定し運用の適正を期すること」という衆参両院の付帯決議が付いてようやく通過したという、いわくつきの条項でもあるのです。それだけに、警察現場では「法令違反の決定にあたっては、安易に安全運転義務違反としないこと」とされ、また、「道路交通法の他の条項ではまかなうことができないような運転行為で、しかもその運転方法が他人に危害を及ぼす恐れがある場合に限り適用すべきである」との趣旨の判例も多く出されており、実際の事故現場でも、速度超過や一時停止違反等の具体的通行方法違反や義務違反が認められない場合に限ってのみ適用されています。さらにまた、交差点を通行する場合には、「交差点安全進行義務」が道路交通法第36条第4項に別個に明記されていますので、交差点(の事故)では原則的に第70条の「安全運転義務」が適用されません。
★こうしたさまざまな制約があり、抽象的で明確性を欠く「安全運転義務」であるにもかかわらず、「安全運転義務違反」による事故が圧倒的に多く、その占率が年々高くなっているという現実は、換言すれば、真因が不明瞭な事故が多くなっている―ということでもあり、これは、今後の交通事故防止、安全運転の確保を考えるうえできわめて重要な問題点である―という認識を共有したうえで、交通事故の真因解明に真摯に対応することが不可欠であることをまず強く訴えておきます。と同時に、現状の「安全運転義務違反」とは何か―、その具体的・現実的理解を、まずしっかり図っておくことが必要不可欠です。
★まず、警察の交通事故統計上では「安全運転義務違反」として計上されることはまずなく、いわゆる「前方不注意」が事故の決定的原因になったとみられる(1)漫然運転や(2)脇見運転、また、安全確認が不十分だったために相手当事者(危険)を見落としたり、その発見が遅れたことが事故の決定的原因になったとみられる(3)安全不確認、そして、ハンドルやブレーキ等の操作を誤ったことが事故の決定的原因になったとみられる(4)操作不適などのより具体的な不安全行為として区分されて計上されることがほとんどです。それ故に、「安全運転義務違反」による事故が圧倒的に多い―という認識に欠けるドライバーが多いのも無理はありませんが、これらは、あくまでも「安全運転義務違反」のうちの比較的明瞭な不安全行為を細分化したもので、換言すれば、ドライバー自身のちょっとした「不注意」による「認知ミス」や「判断ミス」、あるいは「操作ミス」ということでもあり、ドライバーの誰もが犯しやすい「違反」であるといえます。それだけに、安全運転を確保するためには、「安全運転義務違反」の実態を正しく理解し、それに対する警戒心を高め、適切な対処法を身につけ実行することが必要不可欠なのです。
★そのためにも、(1)漫然運転や(2)脇見運転、(3)安全不確認など、「安全運転義務違反」の具体的内容とされている不安全行為についてさらに詳細な説明が必要ですが、以上に倍するほどの長文になりますので、次回に続くということで、とりあえずのくくりとしておきます。303011
■減少し続ける全国の交通事故死、その現状に潜む課題を探る・・・
★干支の卯年にあたる2011年、この新年も早や1カ月を過ぎようとしています。年頭、卯年の兎にちなみ、「ぴょんぴょん飛び跳ねる兎のように飛躍の年にしたい」というような所信があちこちで聞かれ、多くの人々もそれを願っていることと思いますが、国際情勢はもとより、日本の政治や経済の情勢、そして何よりも私たちの生活実感からして、この2011年がこれまでの低迷・混沌の情勢から勢いよく飛躍し、好転する年になる兆候はほとんど見られないのが残念ながらの実態です。
★ただ、正月三が日明けの1月5日、警察庁は新聞等の報道を通じて、年末年始(12月29日から1月3日)の全国の交通事故死者数は前年度よりも30人少ない56人(速報値)で、統計の残る1970年度以降で最も少ない記録になったことを発表しました。また、それに先立つ1月3日には、昨年2010年の全国の交通事故による死者数は、前年より51人少ない4,863人にとどまり、2001年から10年連続の減少も記録し、ピーク時(1970年)の3割以下にまで減少したことが発表されました。なお、減少したのは、交通事故死者数だけでなく、人身事故件数も負傷者数も減少し、いずれも2005年から6年連続の減少を記録しています。こうした交通事故の減少傾向の持続が、依然として先行きが見通せない政治・経済・社会情勢のなかにあって数少ないわずかな光明の一つになってくれることに期待したいものです。
★政府の中央交通安全対策会議では、こうした交通事故情勢を受けて、この2011年度(平成23年度)から始められる「第9次交通安全基本計画」を策定中ですが、その中間案によると、この「計画」の最終年である2015年(平成27年)末には、全国の24時間交通事故死者数を3,000人以下にすることを目指す―という目標を掲げることにしています。なお、昨年には「平成30年(2018年)を目途に、交通事故死者数を半減させ、これを2,500人以下とし、世界一安全な道路交通の実現を目指す」という中期目標を設定していますが、第9次の「計画」の目標が達成できれば「世界一安全な道路交通」の達成も可能であるとしています。
★確かに、この10年来の交通事故情勢がこのまま推移するとすれば、政府目標の達成も決して夢物語ではなく、実現性が極めて高いと考えられますが、果たして、事はそう都合よく運んでくれるかどうか、事態を冷静に分析すればするほど懸念材料のほうが多く見受けられるのは取り越し苦労というものかもしれませんが、以下に、減少傾向をたどっている全国の交通事故の現状に潜む懸念材料をいくつか述べておくことにします。
★まず、この10年、確かに全国の交通事故死者数は劇的に減少し続け、人身事故件数もこの数年減少傾向をたどっていますが、国をはじめ地方自治体およびその関連団体等の交通安全対策関係予算も年々減少の一途をたどり、運転免許の更新時講習や安全運転管理者に対する法定講習の委託費も縮小の一途をたどり、ドライバー等に対する法定の教育現場の懐事情は確実に悪化しています。また、いわゆる交通安全運動の強力な担い手であった各地の警察署単位で設置されていた交通安全協会も加入者数が年々減少し、必要な財源が確保できず、解散した協会も出ているほか、解散一歩手前の窮状に追い込まれ、事実上、活動が停止している協会も少なくありません。また、かつてはほとんどの市町村に交通安全専任の担当者がいたものですが、近年は兼任者しかいないという市町村が圧倒的多数を占めているのが実情で、少なくとも、各種の交通安全活動を支える現場の体制は明らかに弱体化しています。
★また、交通安全対策関係予算や交通安全活動の支援体制は確かに縮小されているが、対策や活動の質が高度化されたか―といえば、これまた目に見えた変化はほとんど見られないのが実情でしょう。つまり、為すべき対策や活動が停滞しているなかで、なぜか、幸いにも交通事故は確かに減少傾向をたどっているというのが実態なのです。「世界一安全な道路交通の実現を目指す」としている政府は、もちろん、この2011年度(平成23年度)から始められる「第9次交通安全基本計画」において、実施すべきさまざまな施策を掲げることと思いますが、その施策のほとんどは「第8次基本計画」以前に掲げられた施策と大差のないものになるであろうし、また、それらの施策も、「第8次基本計画」以前がそうだったように、掲げられた施策の実施に必要な財源が十分に確保されず、結局は「絵に描いた餅」に終わったものが少なくなかったことを思えば、今の財政事情からして「第9次基本計画」に掲げる施策の実施に必要な財源が特段に裏付けられることはまずあり得ないことでしょう。
★その一方で、ドライバーの年齢層は高齢化が確実に進行し、かつ、自動車のハイテク高度化の進行に反比例して進行するドライバー個々人の安全運転能力の低下などが相まってドライバー総体の安全運転能力は確実に低下の傾向に転じています。これらの実情を考慮すれば、減少傾向をたどっている交通事故の現状は何とも不可思議なことで、極めて心もとない傾向だと言わざるを得ません。なかでも、繰り返しになりますが、全国の交通事故死者数は、確かに、ピーク時(1970年)の3割以下にまで減少しました。言い換えれば、半世紀以上も前のレベルに劇的に減少しているのです。しかし、人身交通事故はこの数年減少傾向をたどっているとはいえ、半世紀ほど前に比較すれば10倍もの人身事故が発生しているのです。つまり、人身事故はそれほど減少したわけではないのに、なぜ、死者数だけが劇的に減少したのか、その事由が明確に説明されないままに、今後の動向をきちんととらえることはできません。したがって、交通事故が幸いにも減少傾向をたどっている今日、最も必要なことは、「世界一安全な道路交通の実現を目指す」という高尚な目標を掲げることもさることながら、いや、その高尚な目標を達成するためにも、なぜ、交通事故は減少傾向をたどっているのか―、それをしっかり検証すること、それを切に訴えておきたいと思います。421011
■最多の事故類型、追突事故の意外な実態と事故防止のポイント・・・
★周知のことかもしれませんが、交通事故の統計分析によると、毎年、全国で発生した人身事故の30%余を占め、最も多い「事故類型」になっているのが追突事故です。ただ、幸いにも、死亡事故等重大事故になるケースが少なく、「致死率」も低いのですが、人身事故に至らず、いわゆる「物損事故」で済んだケースも非常に多く、特に、これからの「冬の季節」、北海道や東北地方など降雪寒冷地では、追突事故の防止が安全運転を確保する上での最も重要な課題になります。というのも、降雪寒冷地の冬の路面は積雪・凍結路面になることがあり、積雪・凍結路面では、タイヤと路面の摩擦抵抗が著しく低下し、夏場の舗装乾燥路面に比べ制動距離が延びてしまうほか、ブレーキのちょっとした操作ミスで、スリップが発生し、制動コントロールが難しくなるからです。
★ちなみに、北海道警察本部交通部の調査資料により、11月から翌年3月の「冬期間」に北海道内で発生した人身交通事故のうち追突事故が占める割合を精査してみると40%弱にもなっており、やはり、積雪・凍結路面が生成する「冬期間」には追突事故が夏場以上に多発していることは確かです。また、積雪・凍結路面で発生した、いわゆる「スリップ事故」の「類型別」発生状況をみても、追突事故が圧倒的に多く、特に「市街地」で発生した「スリップ事故」では追突事故が60%ほどをも占め、「スリップ事故」の典型的なパターンになっていることも確かです。ただし、「スリップ事故」は、その全体でも「冬期間」に発生した人身交通事故のうち20%ほどを占める程度ですから、「冬期間」でも、積雪・凍結路面での「スリップ」とは直接関係のない、夏場と同様の追突事故が圧倒的に多い―というのが実情です。特に年末は、降雪寒冷地での積雪・凍結路面でのスリップによる追突事故もさることながら、何かと気忙しくなり、道路交通も混雑する傾向にあり、全国的に追突事故の多発が懸念される時期でもあります。
★そこで、以下では、追突事故の防止を効果的に図るための実戦的な安全運転のポイントを理解・工夫し実行するための一助にしていただくために、過去3年間の通年のデータを基に追突事故の意外な実態を紹介してみようと思います。
★まず、追突事故というと、適正な車間距離を保持していなかったり、不用意な脇見運転をしたりした結果の事故だろう…という認識を持っているのが大方のドライバーの実態であろうと思います。また、安全運転を呼び掛ける看板など、ちょっとしたスポット的キャンペーンのほとんどには、いわゆる「スピードダウン」とともに「車間距離の保持」が決まり文句のように掲げられています。しかし、警察の交通事故統計によると、「車間距離不保持」が主違反とされた追突事故は、毎年全国で20万件以上も発生している追突による人身事故のうち、ほんのわずか(2%程度)にすぎないのが実態です。
★また、「車間距離不保持」が主違反とされた追突事故はわずかしかない―ということにも連動することですが、走行中の車同士の追突事故は10%程度しかなく、90%近くの追突事故は前車が信号待ちや渋滞などのため停止しているところへ衝突している―というのが実態で、これも多くのドライバーにはあまりイメージされていない追突事故の一面だと思われます。さらにまた、追突事故の80%以上は、時速40キロ以下で走行中に発生しており、時速30キロ以下での事故だけでも60%以上を占め、追突事故の圧倒的多数は、比較的低速度で追従走行しているときに発生している―というのも意外な実態といえるでしょう。
★また、以上のことからも十分に推測可能ですが、追突事故の大半、70%以上は「市街地」の道路、すなわち、おおむね500メートル以上にわたり、道路沿いに住宅等の家屋建造物が建ち並び、かつ、それらの建造物およびその敷地が沿道の80%以上を占めている地域(道路の片側だけがこの条件を満たしている場合も該当する)の道路、つまり、一般的に言う「街なか」の道路で発生しているのが実態です。しかも、統計データとしては表示されていませんが、追突事故は、街なかの道路で、交通量が比較的多く、車の流れが停滞気味の状況下で多発しているのが実態です。
★これらの実態からすると、追突事故を防止するためには、まず何よりも、街なかで交通量が比較的多く、車の流れが停滞気味のなかで追従走行するときにこそ、追突事故への警戒心を高め、追突事故防止を第一に念頭に置いた運転を実践することが大切です。しかし、適正な車間距離を保持して運転する―というだけではあまり実戦的ではありません。先にも紹介したように、「車間距離不保持」による追突事故はごく稀にしか発生していないからです。また、交通量が多い街なか、特に車の流れが停滞気味のなかで、適正な車間距離を保持して追従する―ということは、実際問題としてそう簡単にできることではなく、現実性に欠けるからでもあります。
★もちろん、適正な車間距離を保持して追従する―ということは、追突事故防止の基本的セオリーであることには違いありませんが、実際の圧倒的多数の追突事故はすでに停止している前車に衝突したものであり、予想外に停止した前車に気づくのが遅れたことが決定的原因になった事故が圧倒的に多いのです。言い換えれば、前車がその時点で停止するとはまったく思い至らなかったために漫然と追従し、前車の動向から目を離してしまった結果、予想外に停止した前車に気づいたときはもう遅かった…、というのが大方の追突事故の実態なのです。
★街なかの交通量が多い道路を時速30キロ前後の比較的低速度で、いわゆる「ノロノロ進行」しているときには、基本的に交通事故の危険に対する警戒心が乏しくなり、漫然追従に陥る危険性が高くなること、また、交通量が多く、「ノロノロ進行」しているときには、前車が思わぬところで停止する―という事態がしばしば発生することを改めて確認し、十分な警戒心を持って追従することこそが重要なのです。間違っても「車間距離を適正に保持しているから大丈夫…」などと決め込まないことが肝心です。
★ちなみに、2005年3月に、国交省自動車交通局が東京都内のタクシーに搭載されていた「ドライブレコーダー」のデータを解析しましたが、その結果をみると、追突事故に至った車と、事故寸前で回避できた車(ニアミス車)との挙動の違いが一層明らかになりますので、以下にそれを紹介しておきましょう。
★まず、ニアミス車は、前車がブレーキを踏んだ時点での車間距離は平均14メートル、そのときの走行速度は平均で時速16キロほど、それから平均1.7秒後(反応時間)、前車との車間距離が平均8.8メートルに至ったときに、平均時速18キロの制動初速度でブレーキを踏み、前車の後方1.8メートル(平均)手前で停止していた。これに対し、追突事故に至った車は、前車がブレーキを踏んだ時点での車間距離は平均約36メートル、そのときの走行速度は平均で時速約33キロ、それから平均3.3秒後(反応時間)、前車との車間距離が平均8.9メートルに至ったときに、平均時速25キロの制動初速度でブレーキを踏んだものの間に合わず前車に衝突した―という結果になっています。
★つまり、ニアミス車も、追突に至った車もともに、その走行速度から考えて適正な車間距離を保持して追従していたのに、前車のブレーキに気づき、自車がブレーキを踏むまでの「反応時間」に大きな違いがあり、追突に至った車は、ニアミスで済んだ車のほぼ2倍も長い「反応時間」を要しており、この違いが明暗を分けた、つまり、前車のブレーキに気づくのが遅れたことが追突事故の決定的原因になっていることが判明します。
★ちなみに、警察庁通達による走行速度ごとの「停止距離」は、「反応時間」を1秒と仮定して、その間の「空走距離」と実際にブレーキが効きはじめてからの「制動距離」の合計で算出されたものですが、このドライブレコーダーに記録されたデータの解析結果では、追突に至った車はもちろん、ニアミスで済んだ車もともに、その「反応時間」は1秒を大きく超えています。警察庁通達で仮定された1秒という「反応時間」は、予期された事態での「単純反応時間」を基にしたもので、実際の運転場面で、特に予期されていない危険事態での「反応時間」は2秒以上かかることも珍しくないということですから、追突に至った車も、ニアミスで済んだ車もともに、追突回避に必要な適正な車間距離を保持して追従してはいたが、前車の減速・停止を予期していなかったために「反応時間」が延びて、ニアミスや事故を招いたと考えられます。
★最多の事故類型になっている追突事故を防止するためには、以上に紹介した追突事故の実態をしっかり理解し、特に街なかの交通量が多い道路を時速30キロ前後の比較的低速度で追従走行するときは、比較的低速度であるが故にこそ、交通事故の危険に対する警戒心が乏しくなり、漫然追従に陥る危険性が高くなること、前車が思わぬところで減速・停止する―という事態がしばしば発生することを改めて確認し、十分な警戒心を持って追従することこそが重要であり、間違っても「車間距離を適正に保持しているから大丈夫…」などと決め込まないことが肝心であることを重ねて強調しておきたいと思います。902101
■無知なのか、怠慢なのか、放置される違反自転車摘発の根本問題・・・
★毎年恒例の「秋の全国交通安全運動」が9月21日から30日に展開され、10月1日に警察庁が公表した資料によると、運動期間中の全国の交通事故死者数は昨年より一人少ない132人にとどまりましたが、65歳以上の死亡者は昨年と同数に終わり、運動の最重点に掲げられていた「高齢者の交通事故防止」という目標は十分に達成されなかったという状況でした。また新聞報道等ではほとんど紹介されていませんが、人身交通事故そのものの発生件数は昨年よりも10%余も増加した―という結果で終わりましたので、毎年のことではありますが、この全国運動が交通事故防止にどれだけ寄与しているのか…は極めて疑問であると言わざるを得ません。
★マンネリ化が指摘されながらも半世紀近くにわたって、正に毎年恒例の行事として実施されてきたこの全国交通安全運動、ここらでしっかり「事業仕分け」してみる必要があると考えます。
★ところで、「秋の全国交通安全運動」の前日、9月20日の北海道版の読売新聞朝刊に「自転車摘発 急増」と題する記事が掲載されました。近年、自転車利用者の法令違反が全国的に増えているのに対し、警察庁は07年に指導取締りを強化するよう全国の警察本部に通達を出したが、それ以来、北海道警察でも取締りを強化し、悪質違反者を摘発し、交通切符(赤切符)を交付した件数も年々増加してきたが、今年はその摘発件数が急増しており、北海道警察は「秋の運動」を機に取締りをさらに強化する方針だ―というのがその新聞記事の要旨です。悪質違反の自転車利用者の摘発・赤切符の交付件数の増加は全国的な傾向で、実際、近年、全国的に自転車利用者の法令違反が目立ち、警察等関係機関への苦情も増加しており、自転車利用者に対する指導取締りの強化を望む一般市民の声も高まっていることは確かです。
★しかし、自転車利用者の悪質違反の摘発・赤切符の交付を簡単に推奨するわけにはいかない根本的問題があることを知る人がほとんどいないのは残念極まりないことです。特に法曹界や立法にかかわる国会議員などに、その根本的問題を是正する動きがまったくといってよいほどみられないのは無知ゆえのことなのか、怠慢ゆえのことなのか、いずれにしても許されざるゆゆしき事態です。
★そこで、念のため、交通違反で摘発され、いわゆる「赤切符」が交付されるというのはどういうことなのか、改めて確認しておきましょう。自転車利用者の場合、たとえば、道路交通法上の「信号無視」で摘発され、「赤切符」が交付されると、刑事手続き(ほとんどの場合は簡易裁判)を経て、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」で処罰され、いわゆる「前科一犯」となります。
★しかし、運転免許を保有している自動車・原付のドライバーが「信号無視」で検挙された場合は原則的に、いわゆる青切符(交通反則切符)が交付され、最悪の「赤信号無視」の場合でも、所定の期間内に反則金(普通自動車では9,000円)を納付すれば、「違反点2点」が付くだけの行政処分で済み、「3月以下の懲役または5万円以下の罰金・過失10万円以下の罰金」という刑事罰は受けず、いわゆる「前科」にもなりません。
★つまり、まったく同様の交通違反で検挙されたにもかかわらず、片や「運転免許」という国家資格を有して自動車や原動機付自転車を運転していた者は行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事罰を受ける―という実情にあるわけで、これはどう考えても理不尽・不平等と言わざるを得ません。
★もともと、運転免許保有者に対する「反則金・違反点数制度」は、道路交通法施行当初からあったわけではなく、当初は自動車・原付の運転者が交通違反で検挙された場合、今の自転車利用者に対するのと同様、刑事手続き(裁判)を経て刑事罰が適用されていましたが、運転免許保有者と違反検挙者の急増という事態に対し、刑事手続き(裁判)が膨大に膨れ上がり、処理しきれない事態が懸念された上、そのまま推移すれば「一億総前科者」になりかねないという異常事態も懸念されたなか、いわば苦肉の策として40年以上も前の1968年に「反則金制度」が、翌69年に「違反点数制度」が施行されたわけですが、そのとき、運転免許制度のない自転車はその「反則金・違反点数制度」の適用対象外にされ今日に至った、それが先に述べた理不尽・不平等の根本的背景です。
★もちろん、「反則金・違反点数制度」の導入が論議された当初には、いわゆる「三権分立」の観点からして、一行政機関でしかない警察に「司法権」に近似した権限を委ねるというのは問題である―という議論も出されましたが、法曹界での真摯な検討がないままに導入が決定され、40年以上の長きにわたって放置されてきたというのは、法曹界の明らかな怠慢であると思わざるを得ません。そして、今日、自動車・原付の運転者が行政処分で済むのに対し、自転車利用者はいきなり刑事処分を受ける―という理不尽・不平等をもたらしていることに対しても、法曹界から何の対処もみられない、これも大いなる問題です。
★なおまた、近年の自転車利用者の法令違反通行の増加に伴い、自転車利用者の「順法意識の向上」の必要性が叫ばれていますが、道路交通法上の、いわゆる「自転車の交通ルール」が抱えている非現実的で理不尽な諸規定を正すことなく、ルール順守をいくら叫んでも空念仏に終わるだけだ―と懸念せざるを得ません。
★非現実的で理不尽な諸規定というのは、たとえば、自転車は「車道通行が原則」という規定がそれです。もちろん、「自転車の通行可」の道路標識等が設置されている歩道がある場合は、その歩道を通行することが可能ですが、あくまでも歩道を「通行することができる」であって、「車道通行」が原則であることには変わりありません。しかし、自転車利用者のほとんどは、車道通行に大きな危険を感じるからこそ、歩道を通行しているのであり、確かにそのことによって歩行者とのトラブルや事故が増加していますが、だからといって「車道通行」を強いれば、車との事故が増加することは明らかです。ルール順守を叫ぶ前に、この矛盾を正し、整合性と合理性がある規定に改正することが必要です。
★また、自転車は横断歩道を渡る場合、「自転車を降りて押して渡らなければならない」ということも指導されていますが、そのルールに従った行動をとっている自転車利用者はほとんど見かけませんが、順法意識の低さを指摘するよりもそのルールの非合理性をこそ検討し是正すべきです。
★さらにまた、自転車は交差点で右左折する場合、「右左折を開始する30メートル手前から手(腕)による合図をし、右左折を終了するまで継続しなければならない」という規定もあり、子どもたちに対する自転車の安全教室などでは執拗に指導されていますが、実際の交通場面では、自転車で通行している警察官ですらこの合図を実行している姿は、まず見かけたことがありません。なぜ、実行されないか、右左折中、規定の合図を確実に実行すると、結果的にいわゆる「片手運転」を強いられ、危険が増大するからであり、かかる合図をしなくても安全に右左折する方途はほかにいくらでもあるからにほかなりません。つまり、ルールがまったく非合理なものなのです。
★このほか、自転車の交通ルールにはまだまだ非現実的・非合理な規定がありますが、これまで、この非現実性・非合理性を問題視する論議はほとんど見られず、ただただ空念仏のごとく「ルール順守」という言葉を金科玉条のごとく繰り返してきた―というのが実態です。
★エコロジー(自然環境)問題への関心の高まりもあって、自転車利用が促進される一方で自転車の交通事故の拡大・増加が問題視されている今だからこそ、自転車の交通ルールやその違反者の処罰にかかわる根本的問題を多くの人々に知らしめ、しっかりした論議をし、できるだけ整合性と現実性・合理性をもった関連法の改善をこそ急ぐべきだと切に思う今日このごろです。500101
■「居眠り運転」の不可解・・・
★8月9日、アメリカ西部ユタ州のシーダーシティ郊外の高速道路で、現地時間午後6時40分ごろ、日本人旅行客14人と現地ツアー会社の日本人運転手(26歳)が乗る小型バスが走行車線を逸脱、中央分離帯の草地に横転し裏返しになって停止し大破、乗客3人が死亡、7人が重体または重傷を負うという事故が発生しました。新聞等の報道によると、ユタ州高速警察隊の当局者は10日に会見し、中央分離帯の草地に突っ込むまでブレーキを踏んだ形跡がなかったこと、軽傷を負った運転手が「事故当時のことは何も覚えていない」と証言していることなどから、「居眠り運転」だった可能性もあるとみて、訴追も視野に入れ慎重に捜査していくとしています。
★この事故に限らず、いわゆる「居眠り運転」によるとみられる交通事故は、我が国でもこれまで全国で数多く発生しましたが、特に死亡正面衝突事故の占める割合が全国傾向に比べ2倍ほども高い北海道では、「居眠り運転」によるとみられる交通事故が少なくない―という特徴がありますが、北海道警察(交通企画課)は、「夏休み」や「お盆休み」、「帰省」などで長距離走行する車が多くなり、「居眠り運転」による事故の多発が懸念される時期を前にした8月初旬、「居眠り運転」によるとみられる事故の実態等を新聞等の報道を通じて発表し、ドライバーに警告を発しました。
★まず、道警交通企画課が過去3年間、北海道内で発生した死亡交通事故687件(死者732人)を調べたところ、そのおよそ4割、300件(死者330人)が正面衝突事故と車両単独事故であり、その占率は全国平均よりも高いことが判明しました。そこで道警では、この300件の正面衝突と車両単独の死亡事故について詳細に分析したところ、少なくとも112件(死者124人、38%)は、ブレーキ痕がないなどの現場の状況から何らかの形で「居眠り運転」が関与した事故でした。また、死亡正面衝突事故133件中の54件(41%)、死亡単独事故167件中の58件(35%)が「居眠り運転」によるとみられる結果が判明しました。
★この結果を受けて道警交通企画課では、トラック協会などにアンケートを依頼し、ドライバー計510人からの回答を得ました。それによると、回答者の90%以上が「運転中に眠気を感じたことがある」と答えたほか、「過去に居眠り運転で事故を起こしたか、起こしそうになった経験がある」と答えた運転者もおよそ30%に達しており、その原因についても過半数が「眠気を我慢して運転を継続したため」と答えているとのことです。さらにまた、眠気を感じたのは正午から午後3時が多く、運転開始から50キロから100キロの地点で眠気を感じた人が多いことも判明しましたので、道警では「長時間の運転は疲労が蓄積しやすく、通常は2時間に1回は必ず眠くなるので、眠気を感じたら無理をせず、必ず休憩をしたり仮眠をとってください」と呼びかけています。
★しかし、事故現場にブレーキ痕もなく、事故を起こした運転者が「事故時のことは何も覚えていない」と証言したなどの事故のすべてを「居眠り運転」という範ちゅうで一括してしまうのは早計です。
★安全人間工学の「フェーズ理論」(講談社刊・柳田邦男著「続フェイズ3の眼」)によると、人間の注意力には「フェーズゼロ」から「フェーズ4」までの5つのレベルがあり、いわゆる「居眠り」状態時の注意力は、注意力がほとんど働いていない「フェーズ1」のレベルに該当しますが、「フェーズ1」のレベルの注意力は、「居眠り」状態時に特有のものではありません。これまでの人間の「注意力」に関する科学的知見によると、注意(力)には「変動性」とか「持続性」などといわれる特性があり、いつも一定の水準を保っているものではなく、活発、不活発を繰り返し、しかも、そのリズムも一定していない。また、単一の変化しない刺激を明瞭に意識していることができる時間は、せいぜい数秒間にすぎない。したがって、本人は意識しているつもりでも、実際には意識されない瞬間、「注意のとぎれ」、「意識の空白」が必ず生成する―とされています。
★特に運転時には、眠気の自覚がまったくなく、眼もしっかり見開いているにもかかわらず、注意力が「フェーズ1」のレベル、つまり、見れども見えず、反応せず―という状態に陥ることが少なくないことが、運転中のドライバーの脳波の変動の検出調査によっても立証されています。また、心身の状態が良好でも、交通状況や運転が単調になれば注意力の水準は確実に低下することも「注意力」の科学的知見によって明らかにされています。2008年3月、病魔に侵され亡くなった日本ハイウェイセーフティ研究所の加藤正明氏は、こうした状態を、まぶたが重くなり睡魔に襲われる「居眠り運転」と区別するため、意識の覚醒度が著しく低下した状態で走行する―という意味を込め、「覚低走行」と命名し、いわゆる「居眠り運転」によるとされた事故は、むしろ、この「覚低走行」によるものが多いこと、また、「覚低走行」は、眠気の自覚症状がまったくない上に、そのほとんどが、せいぜい2秒から3秒以内の瞬間的に生起する現象ですから、本人には気づきにくく、まぶたが重くなり睡魔に襲われる―という明らかな自覚症状がある「居眠り運転」以上に危険な運転であることを指摘していました。
★だからこそ、事故現場にブレーキ痕がなく、事故の第一当事者になったドライバーが事故時のことをまったく覚えていない―というような事故の検証に当たっては、単純に「居眠り運転」と決め込むのではなく、「覚低走行」をもしっかり念頭におき、「眠気の自覚はあったか」などをしっかり検証することが重要です。また、ドライバーにも、長時間・長距離運転によって蓄積された疲労や過労、寝不足などによって生じる「居眠り運転」を警戒するだけでなく、交通量が少なく、車の流れもスムーズで、運転が単調になりやすい非市街地などの道路を走行するときに生じやすい「覚低走行」に対する警戒心と知識をしっかり周知することが重要であることを指摘しておきます。718001
■「走るコンピューター」と化したクルマに潜む未知の危険・・・
★奇しくも、前回のこの「雑記」では、昨年の政権交代後、総理大臣になっていた鳩山由紀夫・民主党代表が、沖縄・普天間基地移転問題での迷走と鳩山総理自身や小沢幹事長の不透明な政治資金問題などから支持率が急落し、辞意を表明したことを記しました。周知のように、その後、間もなく、与党民主党の代表は菅直人氏に決まり、総理大臣に就任し、与党民主党に対する支持率もV字回復したものの、菅総理が唐突に消費税率の引き上げ検討を発言、支持率が再び急落するなかで、昨日7月11日に、昨年の政権交代後、初の大型国政選挙として第22回参院選挙が行われました。結果は、周知のように、与党民主党が大敗し、与党は過半数を割り込みました。投票日の翌日の今日、菅直人総理は記者会見で続投の意向を表明しましたが、衆院では与党民主党が過半数を占めているとはいえ、3分の2未満という状況下での政権運営は極めて難しいものになるとみられ、政治の混迷は一層深まり、予断できない情勢になるものと思われます。
★幸いにも、政治情勢が大混迷を続けているにもかかわらず、全国で発生した人身交通事故は、依然として減少傾向をたどっています。しかし、予測できない新たな危険が増大していることがあまり知られていないことが気掛かりです。予測できない新たな危険の増大とは、クルマ(自動車)の質的大変化です。
★クルマは、簡単にいえば、アクセルやブレーキ、ハンドル等を操作してケーブルやレバー、シャフトなどを動かして走る「機械装置」である―というのが、ドライバーの圧倒的多数の常識になっていると思いますが、その常識が、今や完全に覆っているという状況にあるのです。少なくとも、最近のクルマには、コンピューターが搭載され、電子制御化が進んでいることは、ドライバーの多くが承知していることだと思いますが、実際は、電子制御化が進んでいる―というレベルをはるかに超え、一説によると、最新の高級乗用車には100個余りのコンピューターが搭載され、それが制御するプログラム量は1,000万規模にも上り、10年前に比べ10倍から15倍の規模、航空機並みの電子制御が行われ、素人にはその仕組みがほとんどわからない「走るコンピューター」に変質してしまった―というのが実態なのです。
★たとえば、かつて、アクセルペダルは、それに繋がるケーブルを作動させ、空気弁を調整し、エンジンに送る空気の量を調整する純然たる機械装置でした。また、ブレーキペダルも、ケーブルやバネを作動させて油圧を調整し、ブレーキシューの動きを調整する機械装置でした。しかし、電子制御化がすすんだ今のアクセルペダルやブレーキペダルは、燃料効率を最大限に高め、排ガスを最少に抑えたり、的確な制動力に制御したりするための一連のコンピューター・システムに素早く信号を送るスイッチになっているのです。
★クルマが機械装置であったときは、各種の機械部品の耐久性が劣化して故障するまでの時間も推定可能でしたし、素人でも、ある程度の知識を習得し、経験を積めば多少の故障は修理できましたが、「走るコンピューター」に変質した現在のクルマはメーカーや規制当局でも、過去の膨大なデータも役に立たず、故障のパターンも見抜けなくなっており、かつ、半導体やさまざまな化学物質が使用されている電子系統には、偶発的な故障があるほか、コンピューターのソフトには、パソコンを使用する多くの人々が少なからず経験しているのと同様、不具合がつきもので、予期できない誤作動が生じる可能性が否定できません。つい先ごろ問題となった新型プリウスのリコール騒動がその典型といえます。
★すみずみに電子制御化が進んで、「走るコンピューター」に変質したクルマは、確かに、ユーザーに多くの利便性や快適性をもたらしていますが、その裏側には、ユーザーはもちろん、メーカーや規制当局でさえも見抜けない予期できない誤作動による未知の危険が潜んでいることを改めて認識し直すことが、今後の安全運転確保の必須要件になると思います。特に、今後、一層普及していくであろうハイテク・エコカーは、コンピューター、電子制御化なしには機能しないことをゆめゆめ忘れないようにしなければならないと強く思う今日このごろです。217001